祝祭前夜3『黒蟲騎士団』
ミルーニャと再会した私たちは、彼女に導かれ巨大建造物の前に到着した。
近くには一対の柱が何組も等間隔に配列されている。見上げると、それらは巨大な呪石円環を挟むための支柱だとわかった。
これらは空中に設置されたコース。
箒レースの準備は既に万全、といった様子だ。
案内された建物はいわゆる中継整備所で、ミルーニャはクロウサー家の関係者として視察に訪れていたらしい。
「その最中、ちょっとした問題が発生しまして。コース周辺を調査していたらそこの修道女さんを発見したというわけです」
神働装甲を影の中に収納した私は黒衣を纏ったふつうの夜の民モードだ。私より少しだけ背の高い仲間のあとをとことこ歩いていく。
「ありがとう。ミルーニャがいてくれてよかったよ」
機甲箒を担いで歩くミルーニャにお礼を言う。振り向いた顔がにまりと笑みを作った。
「では今度、いっぱいお礼してもらいますね」
発言が終わらないうちに黒フードが割り込み、食い気味にまくしたてる。
「くだらないこと言ってないで話を進めて。それよりハルたちは残り二人の仲間の安否が心配。どうせならそっちも助けてくれれば」
「助けましたよ。夜の民のニゲラさんとイーベルさんですよね。こっちは面識があったので迷う余地がありませんでした」
私とハルベルトは二人そろってぽかんとしてしまった。
ミルーニャに案内された建物の医務室、その寝台の上で苦しそうにうなされている二人の姿を見て、私は思わず息をのんだ。
「二人とも、よく無事で」
「悪夢にうなされていますが、しばらくすれば目覚めるでしょう。夢馬の呪いに有効な霊薬を処方しました」
クロウサー家の呪術医らしい男性が請け負ってくれる。私はほっと息を吐き肩をなで下ろす仕草をした。さらに呪術医は黒檀の民のアイシャとマリナを含めて私たちを診てくれるという。至れり尽くせりとはこのことだ。
レースで大事故が起きる事態も想定しているのか、施設の医療設備は充実した近代式。プリエステラとイルスは呪術医と『信仰と生命のすり合わせ』について打ち合わせを始め、信仰や文化の面で許容できる医療と許容できない医療について合意形成を図っていく。こういった話は二人の専門分野だ。しばらくは任せておこう。
部隊の負傷者たちへの対応でにわかに慌ただしくなっていく医務室を出て、私とハルベルトは改めてミルーニャに向き直った。
「本当に何から何までありがとう。正直、敵に捕まったって聞いて二人はもうだめかと」
「それより、夜の民に捕縛された二人をどうやって救出したの? この二人はアズーリアほどじゃないにしても精鋭。それを圧倒するような夢馬をあなたが?」
こっちの感激とは逆に、ハルベルトは冷めた口調で問いただそうとしている。いつも通りと言えばいつも通りなんだけど。
「それは、関係者に腕のいい夜の民がいたのでお願いしただけですよ。ここ最近、気疲れする人脈ばっかりできて正直うんざりでしたが、たまには役に立ちますね」
一瞬だけ何か言いよどんだようにも感じたが、ミルーニャの説明は納得のいくものだった。クロウサー家と関わって生きるというのはそういうことなんだろう。
「わかるよ。私も九槍になってから偉い聖職者の人とか市議会の人とか聖別メーカーの人とかに挨拶回りして箔付けで隊員入れてくれとか言われたもん」
「はいっ! 名門貴族で社長令嬢なのであこがれのアズ隊長の部隊に入れてもらいましたっ、新人のローザ・パルサです! よろしくです命の恩人のミルーニャ様!」
いつから話を聞いていたのか、背後からぴょこんと飛び出してきたのは私と同い年だがどこか幼げな雰囲気のあるアヴロノの少女、ローザだ。ぐいぐいと突っ込んでくるローザを引き気味に観察しつつミルーニャがコメントした。
「またあなたは変なのを、いえこれは自分にも刺さってくるからやめましょう。コネとはいえあのレベルの邪視者なら有用でしょうし」
『塔』の人事部は私の部隊への政治的な影響力は可能な限り小さくすると言ってくれたが、それでも皆無にはできなかった。どうせならと受け入れ候補の中で最も優秀な人材を選んだ結果がローザである。
そもそもこの実験部隊は志願兵とはいえティリビナ人枠が定められているのだから、存在そのものが政治的だ。要するに『自分たち』にとって都合の悪い政治的干渉を排除したいというだけのこと。
またこれだ。さっきからこういう思考が頭から離れない。第四階層から離れたはずなのに、いや離れたからこそ意識してしまうのか。もやもやとした気持ちになっていると、ミルーニャがローザをしげしげと眺めながら思案し始めた。
「北辺の大貴族、パルサ灯台方伯。槍神教と繋がりの深い火蜂と蜜蜂を媒介物質とする妖精王の末裔。虫態ならこっちでもいいか」
「ミルーニャ?」
聞こえよがしな独白の意図が読めずに問いかけようとしたその時、外から爆音が響いて私の言葉をかき消した。
覚えのある旋律だ。飽きるほど聴いてもなお私の心を浮き立たせる民族調の律動。
エスニック・ポリフォニー。
隣のハルベルトと顔を見合わせる。
「ああもう、またですか!」
苛立ちと共にミルーニャが駆け出して、私たちはその後を追いかけた。ずらり、と威圧的な視線に包囲される。
アヴロノの集団だ。彼らは巨大なスピーカーを持ち込んで『Spear』の曲を流しつつ、拡声器を持って何らかの主張をしていた。
「先住民に正当な権利を!」
「土地の一方的な収用に異議を申し立てる!」
「はした金を補償と言い張るガロアンディアンとクロウサー家の横暴を許さない!」
「我らの文化と誇りは交換可能な価値などではない!」
「ガロアンディアンを名乗るなら、この世界の文化とも正しく共存してみせろ!」
アヴロノたちはペリュトンが描かれた旗を振り、異文化との共存や相互理解を叫びながら『Spear』の歌を叫ぶように口から迸らせている。不揃いで不調和、お世辞にも上手いとは言い難い。だがそれゆえに切実なメッセージなのだという意気込みは伝わってくる。
「ひえー、あんな平民さんたちにもハル様のファンっているんだ? 歌、理解できるの? 都合良く使ってるだけに見えますけど。お金もっと欲しいのかな」
私は無言でローザを後ろに押しやり、ハルベルトが沈黙の呪文を唱えた。この新人隊員にはしばらく何も言わせない方が良さそうだ。
一方、ミルーニャは施設内から出てきた小太りの男性と何かを話し込んでいる。責任者らしい男性は決然と集団を見据えると、彼らの前に立って口を開く。
「申し訳ありませんが、施設内での作業の妨げになりますので大きな音は控えていただけると幸いです。体調不良で医務室を利用している者もおりますので、何卒」
返答がわりに投擲された爆竹とペイントボールを付き添っていたミルーニャと新しい使い魔らしき鶏が弾く。及び腰な男性を守るミルーニャはあくまでも冷静だった。
「関係する地権者の方々には説明会と個別交渉を行っており、補償額の算定等も済んでおります。質問のための窓口も用意して」
「説明会などに呼ばれていないし納得もしていない! 一方的に決定を押しつけるな!」
言葉を断ち切る叫び、そうだそうだの大合唱。
ミルーニャがすうっと息を吸い込んだ。続く暴言に空気が凍る。ミルーニャの言葉はローザに負けず劣らず際どかったのだ。
「これが栄えある竜王国の騎士様がやることですか。堕ちるとこまで堕ちましたね」
隣の男性が顔面蒼白になっているが、ミルーニャはまるで意に介していない。対する集団もまた開き直りという名の強硬姿勢で頑としてその場を動かぬ構えだ。
「同じアヴロノであれば異なる氏族だろうと連帯するのは当然! 彼らは立ち退きを余儀なくされたが、それは苦渋の決断であったはずだ。我らは同胞たちの内心の叫びを代弁している!」
「同じアヴロノ? 第六階層の再生者なのに?」
「再現された異界であろうとこの『虫王の庭』こそ我らの故郷!」
第六階層? 再生者? 唐突に思える単語の出現で疑問符が頭の中を埋め尽くす。
『死人の森』を中心とした事件以降、この世界槍の勢力図は大きく変動したと報告を受けている。確か第六階層は復活したアルト王とマラード王が融合した『天主』と呼ばれる存在に支配された再生者の国と化したとかなんとか。
正直、資料を読んだだけでは理解が追いつかなかった。 ともあれ、どうやらこの集団は主張している通りの先住民というわけではなさそうだ。
「その問題についてはトリシューラと『死人の森の女王』の間で話がついてる、と言っても意味は無いのでしょうね。既に天主の人形となったあなたたちには」
集まってきた職員の方々に話を聞いたところ、集団との小競り合いはこれが初めてではないらしい。レース直前だというのにミルーニャが呼ばれるほどだ、よほど切迫した状況だと見ていい。
「これ以上の妨害は形を変えた『猫のゲーム』の再開であると判断せざるを得ません。第六階層の掌握者であるアルト・イヴニルが開戦をお望みであれば、こちらとしても相応の対処を考えますが」
アヴロノたち、というより再生者たちの投擲がぴたりと止まる。それでいて抗議文の読み上げや合唱はより勢いを増していた。手を後ろに回しながら声を張り上げる。
「そのような受け取られ方は心外である! 公正なる天主アルト・イヴニルに祝祭を妨害する意図などあるはずもなし! むしろその理念が歪められることを憂慮されているのだと理解して欲しい!」
「では、今後はコースに対する放火や破壊活動、施設職員への暴行などは控えていただけると幸いですね」
ミルーニャはそう言ってこちらに戻ってくると責任者の男性に集団の監視と自衛のための対応を命じた。それから私たちに向き直り、こう切り出した。
「ご覧の通り。第六階層の再生者が気味の悪い動きを見せているというわけです」
先ほどまでの凄惨な殺し合いに比べれば幾分かは穏便に見えた抗議活動。しかし、その背景に隠されていたのはより不穏な気配だった。
「共闘できませんか、アズーリア様。私たちの目的はきっと近い位置にあります」
第六階層に潜む竜王国の残党たち。祝祭を目前にして、掌握者アルト・イヴニルに従う五大騎士団が第五階層の周辺で何かを企んでいる。
祝祭を成功させなければならない私たちはこの動きを見過ごせない。それ以上に私たちは『上方勢力』なのだ。依然として第四階層では第四槍カーズガンとキノコ人武装勢力とが激戦を繰り広げているだろう。それでも私たちは『下』に目を向けねばならなかった。
「もとより我々はこのままキノコ人武装集団を追うつもりでした。クロウサー家の協力に感謝します」
守護の九槍としての返答。ここにリーナはいないけれど、ミルーニャはいまクロウサー家を代表して協力を要請している。私も相応の気構えで接する必要があった。
「ありがとうございます。そこで相談なんですが、そちらのローザさんにご協力いただくことはできますか?」
「私ですかー?」
後ろからきょとんとした声。新人をまっすぐに視界に収めながらミルーニャは続けた。
「実は私がここを訪れるより前、この土地の虫態アヴロノたちと交渉するためにガロアンディアンから人員が派遣されていたのです。彼、いや彼女? とにかくその人物のおかげで現地住民からの信頼が得られていたのですが」
その消息が忽然と途絶えてしまった、とミルーニャは続けた。通信用のグロートニオン水晶は沈黙し、現地住民の状況も不明。厄介な状況だと彼女は語る。
「キノコ人武装集団、謎の虹犬、第六階層勢力。彼らがどう繋がっているのか。そしてこの土地の住民たちに何があったのかを把握しておきたい」
私が敵対勢力なら住民たちを殺した後はガロアンディアンとクロウサー家による排除、隔離、虐殺などをでっち上げる。もちろん人質になっている可能性もあるが、住民たちが第六階層の味方ということも考えておかねばならない。それぞれのケースで対応は違ったものになる。まずは現状把握が先決だ。
「ローザさんには『下』寄りの虫態に変身して欲しいのです。敵地に潜入し情報収集を行いつつ、可能ならあるものを運んでもらいたい」
「できますけどー、怖いですねー。アズ隊長、ごほーび欲しいですごほーび。終わったらお祭りでいっぱい遊びたいです」
ミルーニャの提案に深く考えた様子も無く頷くローザだったが、何を思ったのか私に子供のような要求をしてきた。この子にはこういうところがある。
「ライブの準備とか警備とか忙しいと思うけど、まあ休憩長めに取るくらいなら」
「やった! 私、前のライブ観て、ティリビナ人さんと仲良くなりたいなーって思ったからアズ隊長のとこに来たんですよ♪ いっぱい遊んで親睦深めるぞっ♪」
危険な任務なのに、本当に大丈夫かな。
不安になりつつ隣のハルベルトを見ると、なにやら浮かない顔をしていた。ミルーニャと会って少し元気になっていたと思ったけど、いつもより沈んでいる感じだ。
「あなたはお留守番ですよ、おばかウサギ」
ミルーニャは淡々と告げた。反論しようとしたハルベルトのおでこを私の手が押さえる。うーん、熱はなさそう。
「その呪詛、かなり重いやつですよね。治療を受けて絶対安静です。ライブを控えているんですから」
やっぱりだ。私を庇って受けた呪いはハルベルトの精神にダメージを与えていた。大丈夫なふうを装っていたけれど、ミルーニャにはお見通しだったわけだ。
「あなたは歌姫。そしてハルベルトなんですから。自覚を持って下さい」
羞恥心がこみ上げる。私は薄々気づきつつもハルベルトの意思を優先して気づいてないことにしてしまった。その気になれば幾らでもみんなの心に触れられるという恐れも関係していたかもしれない。それでも、彼女を想うなら無理にでも休ませるべきだったのだ。
「アズが心配。おまぬけカラスが足を引っ張らないとも限らないし」
「根暗呪文使いよりは動けるから大丈夫ですよ」
「性悪杖使いが英雄になった九槍に付いていけるとは思えない。役割分担できる言語魔術師がパートナーに最適」
口では対等でも腕力ではミルーニャの圧勝だった。ずるずると医務室に引っ張られていくハルベルト。入れ替わるようにして私とローザの前にやってきたのはプリエステラ班のペイルとナトのコンビだった。
「アズーリア班は二人欠けてるだろ、俺たちはそんなに消耗してないし、同行するよ」
「おう。金鎖のストックもまだあるからよ、あと一発くらいなら必殺技いけるぜ」
話を聞いていたのか。丁度良い、こっちからお願いしようと考えていたのだ。今回の作戦は潜入という性質上、少数精鋭が好ましい。負傷者の多い他の二班は待機させて、先行する私とローザの他はアズーリア班の数人だけで向かうつもりだった。
「イルスは?」
「あいつは妹さんのとこにいさせてやりてえ。プリエステラちゃんはもう一人の重傷者にべったりだしよ。ある程度の人数で負傷者を守る必要もあるだろ」
イルスの妹アイシャと、プリエステラに重大な秘密を打ち明けたマリナ。二人の黒檀の民をはじめとした負傷者の消耗を考えると、回復を待つよりも動ける者だけで行くべきだろう。敵は何かを画策しており、第四階層では未だに戦闘が継続中。多少ごり押し気味でも事態の解決を急ぐべきだった。祝祭は目前なのだ。
私はふと医務室を覗き見た。
ハルベルトとプリエステラはあれから言葉を交わしていない。どうすればよかったのか、どうすればいいのか、判断がつかないまま状況だけが推移していく。
このままでいいのだろうか。そんなはずはない。
けれど、私は適切な言葉が見つけられない。
結局、未練を置き去りにしたまま出発の時間となった。
ティリビナ人が二人、枝矛と木槌で草木をかき分けながら歩いて行く。
先導する二人にとって森は友人だ。彼らの前に脅威は無く、彼らの後ろに恐れは不要。
ミルーニャを加えたアズーリア班は森の中を順調に進んでいた。ミルーニャの消音符が移動に伴う音を遮断していく。
「外からやってきた虫態アヴロノ、つまり第六階層勢力の正体には目星が付いています」
途中でローザだけが別行動となる。申し訳程度の偽装として小道具を引き摺りながら歩いて行く彼女は何故か楽しげだ。
私とミルーニャは危険な任務に赴く仲間を見送りながら言葉を交わしていた。
「『黒蟲騎士団』。かつての竜王国において五大騎士団の一翼を担っていた虫態アヴロノ戦士団。亜竜王アルトの父祖ダーカンシェルをさらに遡り、その父神カズキスはこの『黒蟲騎士団』の団長たちの親でもあるといいます」
「亜竜王の親戚ってこと?」
「ええ。強固な血のつながりを示すように、命がけで王のために戦った伝承もあれば、継承権を巡る戦争の神話もあるそうです」
話しているうちに目的地が近づいてきた。
発見されないように隠れ身の呪文を唱えつつ森を経由して接近していく。私の班に属するティリビナ人のガザとアデンのおかげで森はこちらに味方してくれるのだ。
そこは整備所からそう遠くない、森に面した集落だった。虫態難民たちが隠れ潜んでいた場所で、ガロアンディアンから派遣された人員が消息を絶った地点でもある。
ローザたちが追跡していたキノコ人武装集団が逃げていった方向とも合致している。明らかに怪しい。
案の定、草木に身を潜めながら向かったそこでは各所に虫態アヴロノの見張りが立って周囲を警戒していた。呪術防護はもちろん、虫の使い魔も配置されているようだ。
夢馬の姿は無いが、夜の民が警戒しているのなら私が影の中から探るという手は使えない。
そこでローザの出番となる。
少女は変身呪術を使って顔と手を蜜蜂そのものに変容させた。背中から震えながら翅が生え、何故か人差し指から針が飛び出す。
「本当にこの作戦で大丈夫かな」
「たぶん大丈夫です。住民が殺されている可能性は極めて低いはずなので」
何らかの根拠があるのか、ミルーニャはやけに自信ありげだ。ローザは脳天気そうな足取りで正面から堂々と歩いていく。弓を担ぎ、大きなイノシシをずるずると引きずって、集落へと『遠出から帰って来た』という設定だ。
「やっぱり無理じゃない?」
「ばれてもいいと考えています。北辺貴族、それもパルサの血族ともなれば余所者であろうと軽々しくは扱えない。そしてアヴロノたちの妖精王崇拝はサソリにも適用されるはず。とにかく二人を接触させて、援軍の存在に気づかせたい」
「サソリ?」
首を傾げる私に、ミルーニャは小さな笑みで答えた。
「黒蟲騎士団は氏族と血統をこの上なく重視するそうですよ。実を言えば、最初はへなちょこ妖精ウサギを担ぎ出すつもりだったんです。あんなんでも妖精皇帝エフラスの血を引いてますからね」
そういえば、ハルベルトのお母さんはアヴロニアの皇女様なんだった。イルディアンサとアヴロニア、二つの世界の友好を象徴する夫婦の血を受け継ぐハルベルトは、アヴロニアの皇位継承権こそ無いものの、妖精たちから尊重されているという。
「レースの妨害と第四階層でのテロ、だいぶ方針が違うように思いませんか? 敵は複数の勢力が徒党を組んだがゆえの脆さを抱えているように思います」
ミルーニャの意味ありげな言葉の意味はじきに明らかになった。集落から離れた位置に隠れて待機していた私たちは、首尾よく潜入に成功したローザからの通信を受け取った。どうやら通信妨害などはされていないらしい。
「報告です。難民のみなさん、しっかり無事です。普通に生活してますね、軍隊っぽい人たちに物資を接収されてるぽいですが」
ローザは特に怪しまれることなく集落に入ることに成功。同じ蜜蜂系のアヴロノ家族を邪視で催眠状態に陥らせ、その家人として振る舞っているようだ。狭い集落でそれは怪しまれるのでは、と思ったが口には出さない。最初から長居する予定ではないのだ。
「みんな、自由を制限されてるわけでもなさそうですよ。近くの森で狩りや採集をすることも許されてます。ゆるっゆるですね」
とりあえずは不幸中の幸いだ。想定していた状況の中では一番ましなケースと言える。
この裏面に住み着いた難民アヴロノたちは虫態、すなわち虫の形質が強く発現し、それを隠しきれなかった者たちだ。逃げ場を求めてパレルノ山に隠れていたプリエステラたちとほとんど同じ境遇だと思うと胸がざわついてしまう。
彼らが苦境に置かれているのなら助けたい。
箒レースがこの裏面を実質的にガロアンディアンの領土であると宣言するためのセレモニーだとするなら、ここで第六階層勢力を相手に退くことはできない。
問題は、虫態アヴロノたちが自分の意思で第六階層側に付いていた場合だ。
「んん。ちょっと微妙そうな気配。騎士団は頼りにされてる感じ? むしろ厄介者扱いされてるのはキノコ人かも」
「どういうこと? 手を組んでるんじゃないの?」
「虹犬たちは奴隷のキノコ人を解放するとかで奪っていったそうですよ。そこに駆けつけたのが黒蟲騎士団。怖い虹犬たちを追い払ったそうです」
「敵対してたの? じゃあ虹犬たちがこっちに逃げていったのはどうしてなんだろう」
「うーん、わかりませんねー。もうちょっと騎士団の偉い人を探ってみます」
当然すぐに正体が露見した。
集落内を巡回している騎士団員に怪しまれて連行中、という短いメッセージが届いた直後、私たちの目の前に立体幻像が出現する。ぶうん、という小さな羽音。どうやらローザは使い魔の蜂を背後に飛ばして映像と音声を送っているようだ。
連れて行かれたのは集落の中心に存在する大きな建物。木造だが彩色された柱などが配置されており、集落では重要な意味を持った場所に見える。
内部は広いホールになっていた。宗教施設か集会場といったところだろうか。最初に目に入ったのは対峙する二者の姿。虹犬の貴婦人と、漆黒の背広に身を包んだ眼鏡の長身男性だった。
虹犬の背後には巨大な鳥籠が置かれており、虹を固めた幾つもの境界線が内と外を完全に遮断している。囚われているのは目を引くような美しさの男性、いや女性、うーんどっちだろうあれ。
中性的、というより男性性と女性性の美質を足し算したようなアヴロノだった。体の線が分かりづらいユニセックスなデザインの衣服に、とびきり長い脚を包むデニムパンツの腰にラップスカートを巻いている。
「よし、消息を絶っていたマラコーダです。マレブランケのリーダー」
ミルーニャは興奮した様子で言った。思惑通りの展開だったのか、勢い込んで端末を操作し始める。
「捕縛してるのが虹犬側ならこっちから動ける。全員、合図したらすぐ突入できるように準備を。今、ガロアンディアンの増援に協力を要請しました。移動を開始しましょう」
なんとなくわかってきた。
今の時期、第六階層と正面切ってやり合いたくないのは第五階層も同じだ。
だからこそ、これは『上』にとっても『下』にとっても必要な、対テロの作戦である必要がある。そして実際、これはそういう状況なのだ。
と、そんな私の思考を断ち切るような怒号が響く。
強烈な打撃音。というより破裂音か。
重さの無い、軽く派手な打擲。
平手だった。威嚇のためだけにするような暴力の誇示。
「おう。てめえライラ、俺らを舐めてんのか?」
虹犬の頬を張ったのは、正面で対峙している背広の男性ではない。
その脇に控えている部下らしき四人、そのうちとびきり大柄で柄の悪そうな刈り上げの巨漢が暴力担当のようだ。髑髏や時計といったアクセサリで身を飾っているのが不吉に思えてならない。
男たちはいずれも外見に昆虫の特徴を有した虫態アヴロノで、一様に真っ黒な背広で身を固めている。その眼光は鋭く、明らかに一般人ではないオーラを発している。
「なんじゃそこの娘っこは。ふざけた真似しくさった挙げ句、この上まだ人質を連れてこようってか? 儂らの触角がそんなに鈍そうに見えるか? ああ?」
「馬鹿な、ケアヴ夜公は何を、いえ違います。彼女は我々とは無関係です」
「ここにきて言い訳ですか、見苦しい。団長、やはり虹犬の毒婦などと交渉の席を設けるべきではなかった。即刻この無礼者を処断すべきです。俺がやりましょう」
天道虫のようなドット柄ネクタイを緩めつつ、細身のソフトモヒカンが言った。丁寧な物腰で顔立ちも柔和だが、ひどく好戦的な態度だ。
血色のネクタイをしたツーブロックが鋭い歯を剥き出しにして笑い、顔の半分を覆い隠すような長髪が腰に提げた一対の小鎌をカチャカチャと揺らす。
暴力をちらつかせる四人を無造作な手の一振りが押し留める。
途端、四人はぴたりと恫喝を止めて姿勢良く直立不動の姿勢をとった。
一歩前に進み出たのは真ん中にいた眼鏡の男。
特注らしき背広は縦のスリットと三枚布を固定するためのボタンを持ち、二対の蜻蛉翅が真横に向かって伸びている。整髪料で固めた七三の頭髪には隙が無く、縦の長身と横の虫翅、かっちりとしたシルエットは荒くれたちの中央にあってなお存在感を主張していた。そんな男が、眼鏡のブリッジを押さえながらゆっくりとしかし流暢に言葉を紡いだ。
「ライラ・ラプス。私は最初に言ったぞ。共闘は無い。対等な関係などあり得ないと。お前たちがこちらの傘下に加わりたいと頭を下げるのが筋だ。以前に決裂した時とこちらの立場は変わっていない。それが分からないお前でもないだろう」
「もちろん! 私は先日の非礼を詫びに来たのです。マイコニド解放戦線のやり方は確かに一方的であり、同じく弱者でもあるこの地のアヴロノたちを窮地に追いやるものでした。だからこそ私は歩み寄るべくこうして遺物を手に戻って来たのです」
暴力に包囲されながらも余裕を保ったまま話し続ける虹犬の貴婦人。ライラ・ラプスと呼ばれているこの女性の周囲にキノコ人武装勢力こと『マイコニド解放戦線』はいないようだが、どこに隠れているかわからない。ローザが言っていた伏兵も気になる。
蜻蛉翅の男は眼鏡の奥からライラを睨め付けた。あるいは邪視者なのだろうか、その眼力で虹犬の表情が少し硬くなった。
「嘘を吐くなよライラ。俺は騙されるのが嫌いだ。俺の前で虚偽を吐いた口はすべて縫いつけると決めている」
「あら怖い。では時間も無いようですし、茶番はこのくらいにしましょうか。確かに私たちは戦力を欲している。キノコ人が掌握しやすい、操るのにうってつけの力。それが黒蟲騎士団であったことは認めましょう。前回はそちらを侮っていたことも」
ライラはこれ見よがしに背後の檻を揺らし、中のマラコーダなる人物の存在を示した。
第五階層の住人がどうして第六階層に対する人質になり得るのか。
現在、虫態アヴロノたちは箒レースの運営側に大事にならない程度の嫌がらせを続けている。逆に言えば大事になることを恐れているのだ。
もしライラが第五階層に向けて犯行声明を出せば、ガロアンディアンはこの場所に武力介入する口実を得る。それは黒蟲騎士団にとって望むところではないのだろう。
そして、既に私たちはこの事実を確認している。
「ミルーニャ、まとめて倒しちゃう? 好機だけど」
「いえ敵戦力の詳細をもう少し、ちょっと待って、うるさいですよこのチビガキ」
いきなりチビガキと言われてびくっとなってしまった。ミルーニャは言い訳するようにこちらをみてあわあわと手を彷徨わせた。
「いや違、アズーリア様じゃないです、『心話』です別の話。いやライラ・ラプスを侮っているつもりは、え? あの双頭トロルと同格? 冗談ですよね?」
双頭トロルって誰の事だろう。ミルーニャが話しているのはガロアンディアンかクロウサー家の誰かだと思うのだが、どうも様子がおかしい。
表情が強張っている。こちらを見て迷い無く断言した。
「予定変更。黒蟲騎士団と共闘の流れに持っていきたいです。ライラ・ラプスは最強の虹犬と言っても過言では無い怪物だそうです。黒蟲騎士団と同時には敵に回せない」
「わかった。ローザからの合図はもう人質には伝わってるんだよね?」
「ええ。『道化師』を送り込めました。あとはマラコーダを媒介にあの男を顕現させればかなり有利な局面を作れます」
作戦を聞いた時、正直かなりの驚きがあった。
そんなことできるの? そもそも『シナモリアキラ適性』って何?
私の知らない間に、彼はいったいどうなってしまったというのだろう。
ミルーニャの端末に表示された逆さまの道化師を複雑な心境で眺める。
その間にもライラと黒蟲騎士団との間では緊張が高まっていった。
「ええ、もちん今回は油断はしません。入念な準備を重ねて制圧します」
ライラはそう言って無造作に何かを取り出した。
それは虫型の宝珠、というか小さな彫像だった。
呪力を宿した古代の遺物。どうも『卵』とは違うようだが。
「これこそが本命の遺物!! 『虫王の印章』の権威はあらゆる虫態種族に頭を垂れさせる! 呪的抵抗力が減少した黒蟲騎士団は労せずしてキノコ人たちの奴隷になるというわけです! 神の奴隷たる虹犬がキノコ人を従え! キノコ人が虫どもを従える! これこそが正しい序列、奴隷種族の秩序!」
遺物が禍々しい紫の光を放ち、ライラの邪視が周囲の空間を塗り替えていく。
室内は青い空と白い雲、縦横無尽にそれらを繋ぐ虹の橋で埋め尽くされてしまう。
圧倒的な呪力を前に、黒蟲騎士団は為す術なく奴隷化するかに思われた。だが浄界の浸食は広がった直後に強引に押し返されていった。
何かが壁になっている。不完全な世界改変。失敗した邪視が砕け、あるはずのない世界は塵となって消えていった。
「私がそんな骨董品で言いなりになると本気で思っていたのか? だとしたらお前はただの馬鹿か自信過剰だ、ライラ・ラプス」
蜻蛉翅を振るわせながら、男は眼鏡のブリッジをもう一度押し上げた。
男を中心にして、透明な何かが放射状に広がっている。
翅脈だ。翅のアストラル体を空間全域に拡張させている。
周囲に張り巡らされた仮想神経こそが彼の邪視部位。キチン質の筋が葉脈のように広がってライラの浄界に干渉していた。
「神族の直系が自分だけだとでも? アルトに玉座を譲ったのは奴に王としての風格を見出したからに過ぎん。貴様にはそれが無い。暴風の五王を甘く見るな、長く生きているだけの小娘が」
翅が振動するのと同時、暴風が吹き荒れる。
虹犬の身体が引き裂かれ、その首が宙を舞った。
時を巻き戻すように血と肉が接合し瞬間的に蘇生したライラはくすりと笑う。
「参りました。この私の必勝の策が失敗するなんて長い人生の中でも」
ふと考えこむライラ。その間にも周囲からの攻撃で数回は殺されているが、死にながら考え事をして血塗れで喋っている。隙を見てローザがこっそり鳥籠に忍び寄り、人質を救出するべく動いていた。私たちも警備をかいくぐりながらすでに走り出している。
「結構ありました、思い返すと。その度に力業で乗り切ってきましたし、いつも通りねじ伏せればいいでしょう。さあ皆さん、群の長として命じます。この連中を制圧なさい」
ライラが傘を開く。円形の虹が内部に構築され、『扉』となったそこから恐るべき呪力を放つ男たちが吐き出されていった。炎を纏った赤肌のラープ人、影を操る漆黒の夢馬、岩肌の僧侶、サーベルを構えた軍人。
続いて緑光を周囲に漂わせるキノコ人のリーダーに、彼が守っていた地位の高そうな老キノコ人たちが続く。老人たちの手に石の卵がくっついているのが見えた。
「さあ、今こそ残りの卵を解放する時! 存分に暴れなさい!」
ライラの命じるままにキノコ人たちが卵を砕く。
溢れ出した瘴気が緑色の燐光に導かれ、老人たちの体内に吸い込まれていった。
濁った絶叫が響く。
助けを要求する老人たちの断末魔が途絶えた時、その場には虫とキノコが融合したかのような怪物が出現していた。
二つの勢力が激突し、壮絶な呪力を撒き散らす。
建物が倒壊していく中、ローザは落ち着いた様子で鳥籠の中に手を伸ばして囚われの人質に触れようとしていた。そこに投げかけられたのは到着したミルーニャの言葉。
「さあ、滅茶苦茶にしちゃっていいですよ、グレンデルヒ!」
私たちは戦力の均衡が崩れたまさにそのタイミングを見計らって戦場に乱入。
合流したのは同じくその機会を狙っていたマラコーダ、ではない。
その中に入り込んだ形の無い紀人。ローザが運んでいた『シナモリアキラ』の名を冠するある英雄存在の情報体とかなんとか。
「では遠慮無く。ゲームの時間だ、楽しませてもらおうか」
いや本当に、なんで彼は逆さまで宙に浮遊する道化師姿の男性ということになってしまっているのだろう。魔将討伐の功績が認められて英雄扱いされる、という段階を通り越して何か全く違う英雄が彼ということになっている。
グレンデルヒ・ライニンサル。
万能の才人と称えられる男がそこにいた。




