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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り

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5-10 夜明け前の沈黙




 屹立する巨影はさながら陽光を遮る傘頭巾パイリアス

 しかし彼らに降り注ぐのは燦々とした日差しなどではなく、放し飼いにされていたハエの使い魔たちだ。殺到する獰猛な呪的生物たち。だがどうしたことか、誘われるようにキノコに殺到した虫たちの羽音は唐突に途切れてしまう。ふらふらと落下して、無数の巨大ハエたちはことごとく絶命していった。


「気をつけな、奴らは毒と瘴気を使う!」


 セラメルが霊薬を飲み干しながら叫んだ。ユディーアは抗毒呪符を取り出しつつ迫り来るキノコ人たちの成れの果てを迎え撃つ。

 巨大化したキノコの怪物たちは半球状に膨らんだ頭部を風船のように膨張させ、大きく跳躍した。着地と同時、キノコ人たちは帽子を被り直すかのように傘を下げる。傘裏のひだから散布された黒紫の煙は必殺の呪毒。吸い込めば命は無い。呪符が展開する障壁で頭部を保護しつつ、ユディーアは『空圧』の呪文を鉤爪に纏わせる。両腕を振るうたびに突風が吹き荒れて毒煙が散っていくが、重量のあるキノコ人たちはびくともしない。


「燃えろっ」


 『炸撃』を次々と放射していくセラメルだったが、何かが飛翔して熱線を遮った。先ほど引き寄せられて毒で死んだはずの巨大ハエたちが動き出し、襲いかかってきたのだ。散布された黒紫の呪毒を浴びた虫の身体の一部が隆起して脈動している。奇妙な既視感。あの瘤が虫たちを使い魔に仕立て上げているのだろうか?

 再び跳躍の姿勢をとるキノコ人たち。これ以上は毒の散布を許すわけにはいかない。操られている巨大ハエをセラメルに任せ、ユディーアは一気に踏み込んだ。無造作に放った突き、踏み出した足による打撃、重量バランスの悪いキノコ人は重心を崩せば容易く倒れる。落ちてきた傘を切り裂いて灰に変える。刃がキノコ人たちを引き裂くたび、鈍い絶叫が響き渡る。後味の悪さに思わず顔を顰めた。これは罠だ。しかし抜け出すことができない。 


 キノコ人マイコニドという種族はティリビナ人の一種とされているが、その生態は樹木系のそれとは大きく異なる。傘と柄のような物理的実体はキノコ人たちの本体ではない。彼らにとっての核はその足下、影の中に広がった霊的菌糸体である。

 この夜の民にも似たあり方と暗所を好む性質から、彼らは多数派の樹木系ティリビナ人から陰花族と蔑まれていた。加えてキノコ人たちには長老樹エルダーの根に取り付いて養分や穢れを吸い取るという習性がある。古くから種族の使命と定められていたのはゴミ処理や埋葬などの汚れ仕事で、それらを埋めた土から呪力を得る姿は多数派にとっては軽蔑の対象であった。


 『穢れ吸い』、『死体喰らい』、『寄生虫』、『毒持ち』。キノコ人を示す差別用語は多い。最初期には共生という形で対等とされていた立場は長い歴史の中で職業差別と種族差別に墜ちていった。地位向上のための運動はことごとく失敗に終わり、キノコ人の偉人や英雄たちは志半ばで美しい茨に絡め取られて落命した。

 親から子へと呪いのように受け継がれてきた苦痛の記憶に息が詰まる。振るわれた長い腕を交差した鉤爪で受けた瞬間、ユディーアは怪物たちの過去を瞬間的に体験していた。


「やっつけてやる、おめえら皆、やっつけてやる!」


 洞窟じみた丸い口を開いて巨大なキノコが吼えた。太い胴体から枝分かれした幾つもの小さな傘と柄が鈍器のように振り回される。

 セラメルが毒づきながらその一撃を受け止め、両腕を蝕む黒紫の呪力に顔をしかめた。穢れに肉体を蝕まれているのだ。燐血の民としての加護によって白い炎が全身を覆って瘴気を払うが、セラメルの顔には疲労の色が窺えた。


 ユディーアは態勢を立て直しながら過去視で得た知識を咀嚼しきれずに歯噛みした。キノコ人たちの過去から、彼らがどうしてこの場所に囚われているのかを知ってしまったからだ。拉致などではない。彼らは友人に裏切られていた。

 『十戒』はアヴロノによって構成された犯罪組織だが、主に二つの氏族で成り立っている。黒肌のネビロン氏族と吸血鬼混じりのカマソッソ氏族だ。下水道で暮らし、死体処理など穢れ関係の仕事を担うカマソッソ氏族はアヴロノ社会ではキノコ人と似たような扱いを受ける『コウモリ妖精』である。彼らが裏社会に吸収され、ネビロン氏族の手足となるのは必然だった。


 キノコ人とコウモリ妖精、二つの被差別種族は互いの境遇から共感し合った。ある日、カマソッソ氏族は友人となったキノコ人が迫害され困窮していると聞いて彼らの共同体に住まいと仕事を紹介すると持ちかける。その結果がこれだ。友人たちからも食い物にされたキノコ人たちは世界の全てを憎んでいる。

 

 紡ぐべき呪文があるはずなのに、ユディーアはそれを選ぶことができなかった。キノコ人たちを裏切ったカマソッソ氏族、あれはもしかするとドラトリア系のアヴロノではなかったか?

 『十戒』の中で弱い立場に置かれているであろうカマソッソ氏族たちの内心を『代弁』してみせることはできる。しかし、とユディーアは迷いを抱く。隠し持ったニアホンことセリアック=ニアのすぐ傍でそのような欺瞞を口にすることに強い抵抗があった。

 ドラトリアは言震に襲われ、聖俗のバランスをとる象徴としての巫女姫を失い、いま困難に見舞われている。この事態の遠因に『呪文の座』が関わっていないとは言い切れない。


「憎め、殺せ、世の中の全てがおめたつの敵だ! 味方なんていねえだよ。間違った世界をぶっ壊せ!」


 背後で憎しみを煽り続ける呪術師を一刻も早く倒すべきだが、立ちはだかるキノコ人たちがそれを許してくれない。恐るべき力を手に入れたキノコ人たちを無力化するのは至難の業だ。

 もう殺すしか無いのだろうか。ユディーアは鉤爪で穢れを纏った『槌』を切断しながら後退する。キノコ人の傘状槌は次々と生えてくるし、穢れは影の下にある本体から無尽蔵に供給される。滅びの呪文を足下に叩き込んで致命傷を与えなければこちらの体力が先に尽きてしまう。そして、やろうと思えばやれてしまうのだ。彼らを皆殺しにできるだけの殺傷力がこの鉤爪にはある。


 だが、とユディーアは奥の岩肌種を睨む。

 おそらく敵の狙いはキノコ人たちを殺させることだ。

 あの言語魔術師は魔将ベフォニスの関係者だ。こちらがユディーアだと知られている以上、その実力も把握済みと見るべきだろう。だとすれば、このキノコ人ではユディーアを倒すことはできないと理解しているはず。

 邪悪な怪物として自らを位置づけ、弱者を異獣化させてけしかける。正義の側として怪物たちを退治するユディーアとセラメルは定番の構図に吸収されることだろう。どう考えても呪術の型だ。古典的ながらノゴルオゴルオは呪術師としての正攻法で仕掛けてきている。


 殺さなければ殺される。殺してしまえば術中にはまる。

 八方塞がりの状況でユディーアは迷い、決断できないまま時間が流れていく。穢れが大気を埋め尽くし、猛烈な暴力が床と壁を粉砕した。前後左右から攻め立てるキノコ人たちは亜竜人に決定打を与えられない。ユディーアは呼吸法と点穴で大気の毒を浄化し、鍛え上げた技と身体能力に任せて苦境をどうにか凌ぎ続けることができてしまう。

 結果としての膠着した窮状が維持されてしまう。


 あるいはユディーアに余裕が無ければもっと早く決断できていたのかもしれない。

 だがそれは仮定の話だ。ユディーアは選べない。それとも、外で待機させていた使い魔たちの到着まで時間稼ぎをしていると言った方が聞こえがいいだろうか? しかしそれは言い訳に過ぎないとユディーア自身が理解していた。

 だからその結末は、ユディーアが予想した上で受動的に望んだ未来。わかった上で、甘えによって決断を託してしまったのだ。


「いつまでも何やってる! こいつらはもう化け物だ、楽にしてやるしかないんだよっ!」


 四方から襲う傘状槌を焼き払う猛火。両腕に炎を纏わせたセラメルが鬼気迫る表情で叫び、キノコ人の胴体を焼き尽くす。その身に纏った炎は穢れを寄せ付けず、キノコ人たちは苦悶の声を上げながら崩れ落ちていく。セラメルは手を振り上げながら跳躍する。


「来い!」


 呼び声に応じて飛来したのはノゴルオゴルオに投擲したあの金槌だった。セラメルは空中で掴んだ金槌を巨大化させると、激しく燃え立つ炎を纏わせて床に叩きつける。

 瞬間、猛火に照らされた影の形が激しく歪み、魂を振るわせるような絶叫を上げた。

 影中に存在するアストラル体が打ち据えられる。炎が穢れを焼き尽くし、伝播した呪力が物理的実体ごと霊体を崩壊させていった。

 熟練の探索者に迷いはない。彼女にとって異獣は駆逐すべき敵でしかないのだ。繰り返し振り下ろされる炎の金槌が穢れた怪物を燃やして清め、その魂を浄化していく。

 やがて周囲の床面には焦げた陥没痕が幾つも残されることになった。最後のキノコ人が断末魔を上げて世界への憎悪を叫ぶ。横たえられた異獣の目とおぼしき空洞から、黒い雫が滴り落ちていった。


「なんちゅうことを! 折角おらたつが傲慢な太陰の標準語中心思想から解放してやったのに。可哀想なキノコども、報われねえ人生の結末がこれとは涙が出そうだよ」


「いけしゃあしゃあとぬかしやがる、この外道。あんた恥ずかしくないのかい」


 怒りに燃えるセラメルは巨大な金槌を肩に担ぐようにして構えているが、ノゴルオゴルオに迂闊に手を出すことはしない。隙だらけに見える相手の力量を推し量っているのだろう。対する岩肌種は洞窟のような口を大きく開いて笑った。


「グハハハ! あんま笑わせんなや。こいつらはハズレだ、大して惜しくもねえ。聖なる祭司の素質があれば幻覚を見せられたはずだよ。穢れた毒持ちなんぞここで使い捨てられんのがお似合いってもんだべや」


 下劣な笑いは挑発か、品性の卑しさの発露か、あるいはその両方か。いずれにせよセラメルが外世界型の邪視者であればこの方言使いは焼き尽くされていただろう。

 一方、他人に呪いを押しつけて助かったユディーアの思考は冷えていくばかりだった。陰鬱に沈んだ思考の中で、敵の狙いが幻覚毒を有したキノコ人聖職者であることを記憶に焼き付ける。今のは迂闊な発言? あるいはそれを教えに来たのか。だとすると何故?


「それにしてもユディーア、おめえは変わらねえなあ。まーた決断できずに先送りか。昔っからおめえは基礎能力のスコアばり高くて精神面が柔くていけねえ。そのまんまじゃあアルティウスの相手としてはちっとばかし足りねえぞ?」


 瞬間、ユディーアの思考が空白で埋め尽くされた。

 一方的に自分のことを知られている理由は何か。

 決まっている、『幼いキニス』は博物城で調整された作品だ。

 記憶の中にあるのは遠くからこちらを観察する大勢の血統魔術師、顔もおぼろげな大人たちのシルエット。ディスケイムとは複数系統の秩序派血統魔術師によって『純血の多様性』を維持しようとする思想集団だ。含まれる種族は多く、岩肌種がいてもおかしくはない。

 その可能性に思い至ったユディーアは自分でも意外なことに『まさか』とは思わなかった。むしろ『やはり』という納得がすとんと胸に落ちるほど。

 沈黙したままのユディーアを横目で見ながらセラメルが声を張り上げる。


「ノゴルオゴルオ。あんたの長ったらしい姓の中に混じってる『ディスケイム』ってのは、このお嬢ちゃんと同じ由来のもんかい?」


「ほーう、さっすがは大した目ん玉でねえか。その通りだよ、とんかちセラメル。『上』のおなごが良く気づくもんだ」


 本気で感心した様子の双頭人は両手をひょいと挙げてユーモラスに驚きを表現してみせた。セラメルの眼光は一層鋭さを増していく。


「私がそのディスケイムって姓を見たのはこれで三度目だ。あんたたち二人と、ずっと前に第六階層で遭遇しちまった大魔将イェレイド。奴はその名を持っていた」


「は?」


 完全に予想外の方向に話が逸れたことで、ユディーアは思わず声を出してしまった。知らない。ユディーアはそんな話を聞いたことが無かった。あろうことかディスケイムの血族であるユディーアがだ。しかしノゴルオゴルオは平然とそれを肯定し、あまつさえそんなものは前提知識だとばかりに話を続ける。


「ああ、イエレドか? あれはおらたつの傑作のひとつだよ。紀源分離と基礎構築はレストロオセとガドールが、異獣化はおらほの祭壇で仕上げた。まだ見所のある言語支配者どもがいた時代の話だよ、懐かしいなあ」


「はっ、クソッタレ魔将の生みの親ってわけかい。あんたのお陰でこっちは大迷惑だよ」


「そうつれなくするなや。異獣どものお陰でおめたつはボロ儲けできてるはずだど? 天地問わず、全ての戦士はおらたつに感謝すべきだよ」


「何を腐ったことを言ってやがる。私はねえ、迷宮攻略合戦が終わって武器が売れなくなっても誰も恨みやしないよ。日用品と伝統工芸としての武具で食ってくからね!」


 ノゴルオゴルオの毒のような言葉に対してセラメルは一歩も引かなかった。勢いを絶やさない松明の火が洞窟の闇を照らし、恐ろしい怪物に勇敢な戦士が立ち向かう。

 善悪、私欲と道徳を巡る問答はさながら訓話じみた英雄譚だ。ユディーアはセラメルのあり方を立派だと感じていたが、だからこそ悪い流れだと確信していた。彼女は呪具制作における呪文に通じているが、文脈操作に関する呪文的素養が無いのだ。


「グハハハ、逞しいおなごだこと! だが世の中は強いもんばっかでねえぞ?」


「だから余裕があるやつが助けてやるんだろ。馬鹿になったら殴って止める。無理ならぶち殺して次にご期待だ」


「そこらへんが『上』の限界だ。槍と翼に覆われたおめたつのな」


 方言使いの声が低く沈む。空洞の眼窩はどこを見ているのか、不気味に佇む姿はひどく恐ろしげだった。呪わしい声がセラメルの足を引こうと地を這っていく。


「だが悪くねえ結果だ。ああ、まったくおめえは掘り出し物だよセラメル。それにまだユディーアにはティリビナの巫女の流れがある。焦ることはねえ」


 のそりと巨体が動いた。二人は迎撃の構えをとるが、双頭の男は両手を振って戦意が無いことを示す。


「やめだやめだ。これ以上なにを巡って争うだよ? おらたつには戦う気はねえ。それとも無抵抗のジジイを一方的にいたぶるつもりだか?」


「情報が欲しい。あのコはどこにいるの?」


 大げさに怯えてみせる巨漢を睨みつけ、ユディーアは鋭く詰問した。


「教えるわけねえべ? ああ、過去視は無駄だ。おらたつは知らね。安心しろ、聖女はアルティウスが守ってる。祝祭の終わりまでは誰にも渡さねえし傷つけさせねえ」


 相手の目的はほぼ確実に救世主の確保だ。ならばクナータの安全は守られていると信じるしかない。だがそれは理屈だ。理性でわかっていても不安と怒りは消えたりしない。


「それより今のでおらたつの背景には察しがついたはずだ。獅子王や竜巫女連中の手前、聖女探しは続けた方がいい。その上でおめえは自分を灰色に使い分けるだよ、キニス」


 ノゴルオゴルオはディスケイムとして語りかけてくる。砕けた口語としての方言は、いつの間にか身近な親戚からの語りかけじみた柔らかい言葉に変容していた。


「おらたつはおめえと取引がしてえだ。銀貨をおらたつに渡せ。このノゴルオゴルオの名に賭けて、裏切り者になってやるだよ」


 虹犬の貴婦人ライラと交戦し、過去の一部を読みとったユディーアにはわかる。襲撃してきた四人の神の子は、一時的な利害の一致から手を組んでいるだけにすぎない。仲間同士とは言えない関係なのだ。


「ライラの記憶では、あなたたちは偶然に遭遇し、救世主を巡る争奪戦の過程で共闘を選んだ。共闘を持ちかけたのはあなただったよね、ノゴルオゴルオ」


「おらたつディスケイムにはアルティウスって切り札があったからな。厄介なあの二人は敵に回すより引き込んだ方がいいと判断しただよ」


 救世主を巡る様々な思惑と流れの中でノゴルオゴルオたちの勢力は生まれた。アルティウスという王候補を旗印として結束した彼らだったが、その臣下たちは互いを蹴落とす機会を狙って暗闘を続けている。


「おらたつ、ライラ、スーリウムは『竜牙槍』のアルティウスをガロアンディアンの王に戴くつもりだ。そして聖女は真の亜竜王に守られ、救世主を産み落とすわけだな」


 方言使いがそこまで言った時、傍観者であるセラメルがわずかに表情を変えた気がしたが、今はより危険な相手に注目するべきだと考えたユディーアは違和感を放置した。


「最終的に他の二人は用済み?」


「三人ともそこだけは意見が一致してるだよ。おらたつにとってもライラとスーリウムは容易ならざる相手だ。そこでおめえの力が欲しい。正面から聖女奪還に動くおめえを背後から密かに手助けしてやる。おらたつとおめえで邪魔者を挟み撃ちにするだ」


 三者の実力は拮抗しており、全力で戦えば誰かが漁夫の利を得ることになる。

 いや、元々アルティウスはノゴルオゴルオが王候補として連れていた駒なのだから、この二人が組んではじめてライラやスーリウムに対抗できるパワーバランスなのだろう。つまりこの方言使いは三者の中ではやや実力が落ちる。ゆえにその差を埋めるための手札が欲しいのだ。


「あたしの銀貨を受け入れることの意味はわかってるの?」


「当然だ。それはおらたつでも抗えねえ。だが問題はねえだ。おめえの勝利はディスケイムの勝利。ディスケイムは同胞だ。最終的な利害は一致する」


 しばらく沈思黙考して情報を整理する。ノゴルオゴルオは全ての情報を開示しているわけではないが、嘘は言っていない。おそらく彼はユディーアが勝利してその使い魔になったままでも構わないと思っている。


「ペラティアの血か」


「んだ。ライラとスーリウムにはおめえのことはアルティウスにとっての試練としか説明してねえ。まさか亜竜王候補の本来のプランがこっちとは夢にも思ってねえだろうよ。おめえはその油断を突けばいい」


「アルティウスはあたしの予備なんだね」


「ディスケイムの計画には幾つもの保険が掛けられてる。亜竜王の落とし胤から脈々と受け継がれてきたペラティアの血統と、似せた名の死体に亜竜王の鱗を移植した紛い物の器。失敗した方は成功した方の全てを奪い、その『天眼』で救世主誕生を見届ける。どっちが亜竜王になっても問題はねえっちゅうわけだ」


「アルティウスがあたしを殺せば裏切りの契約は消えるし、あたしが勝てばそのまま臣下としてガロアンディアンを裏から操るだけ。あなたが今までそうしてきたように」


「そういうことだ」


 ユディーアの直感が警鐘を鳴らしている。これは危険な取引だ。まず間違い無くノゴルオゴルオは罠を仕掛けている。そもそもユディーアには亜竜王になるつもりがない。

 ノゴルオゴルオはディスケイムの血族であるユディーアを駒として制御するつもりだろうが、当のユディーアは救世主が降臨した時点でディスケイムを離反するつもりでいる。

 しかしそれをここで明かすわけにもいかない。ここは面従腹背で敵の手を取るべきだろうか。いずれ敵対するにしても、ライラとスーリウムという強敵を倒すまでノゴルオゴルオと休戦できると考えれば悪い選択肢ではない。思い悩むユディーアに判断材料を与えようと、岩肌種は更に言葉を重ねていく。


「まずは祝祭前半のレースだ。スーリウムが独自に機械女王暗殺を企ててるのはこっちでも把握してるが、おらたつの考えは違う。王国は正面からでっけえ力で打倒したほうがいい。正統な王としての威厳を示す必要があるからな。おめえが暗殺者をやっつけてる間、おらたつがスーリウムを抑える。ついでにどう動くかわかんねえパーンの奴もどうにかしてやる。どうだ、悪くねえべ?」


 ノゴルオゴルオは隙あらばレース開催中にスーリウムを仕留めるつもりなのだろう。今回のキノコ人たちへの接触も、ティリビナ人たちの英雄であるスーリウムに対抗するための手駒を増やす狙いだとすれば納得がいく。

 

「未来回想によれば、祝祭の中三日は亜竜王祭の再現になるだ。おめえとアルティウスはそこで王位を巡って争う。完成した亜竜王が聖女を守り、最後の三日間で他の勢力からの妨害を凌ぎきる。スーリウムとライラはその中で背後から刺せれば理想だが、そう容易い話でもねえ。恐らく何もかもが上手く行くことはねえだよ」


「救世主を狙う勢力は多い。その全てを敵に回して勝算があるの?」


「ある。だが絶対ではねえ。それはどいつもこいつも同じだ。この局面はあらゆる勢力の思惑が渦巻く混沌だ。思い通りに行くことばっかじゃねえだろう。だがそれを承知の上で動かねば得るものも得られねえ。違うか?」


 ノゴルオゴルオもまた絶対の自信を持ってこの戦いに臨んでいるわけではない。

 だからこそ絶対の未来、救世主の奇跡を望んでいるとも言える。


「おめえが王位なんぞ求めてねえのはわかってる。だが、血が目覚めれば自ずからそれを望むようになる。そういうふうに最初から決めてあるだよ。闘争と流血、力の証明こそが亜竜王に必要な権威だ」


「それがこの呪いの意味ってこと?」


「んだ。わかってねえみてえだから教えとくが、そいつはおめえが『血』を活性化させるたんびに進行する。その『鉤爪』ばっか使ってっとさっさと縮んでしまうからやめとけ。アルティウスと競い合う前に完成されても困る。物事には適切な時機っちゅうもんがあるだよ」


 ぎょっとして鉤爪を引っ込める。鱗に覆われた腕が無徴の白い肌に変化していく。

 セラメルの見立てとノゴルオゴルオの言葉を併せて考えると、ユディーアは今までかなり不用意で軽率な行動を重ねていたことになる。どうやらこの方言使いはアルティウスとの戦いという全力を出さざるを得ない状況で呪いが進行することを望んでいるようだ。

 共闘を望むようなことを言ってはいるが、この怪物はおそらくディスケイムの上層部にあたる強力な言語支配者だ。ノゴルオゴルオにとってはユディーアもアルティウスも等しく駒に過ぎない。視線に不信を滲ませるユディーアを諭すように方言使いは言葉を弄した。


「まあ聞けユディーア。わざわざアルティウスなんて紛い物の死体を強引に亜竜王の器に仕立てたのはな、おめえをその気にさせるためでもあるだよ。おめえが何を選択しようとも、この計画に拒否権はねえだ。死ぬか殺すか、それだけは自分で決めろ」


 恫喝に近い宣告。ノゴルオゴルオは既に自分の中で結末を決めている。いずれにせよアルティウスとの決戦は不可避だ。ならば銀貨を渡しておいてノゴルオゴルオが裏切ることを予防しておくのは悪い選択肢ではない。


「にあ! にあにあ!」


 小さな警告が先程からユディーアには聞こえていた。

 指の中で転がしていた残りわずかな銀貨。迷いながらもそれを握りしめる。

 銀貨はユディーアの切り札だ。

 強敵の誘いだろうと自信をもって切ることができる。


「にあ! 完全に罠! 過信だめ! こいつ犬よりやばやば!」


 などとはまるで思えなかった。話がこちらに有利過ぎる。『ユディーアの銀貨』を手に入れて『裏切り者』になることが計画の一部だとしか思えなかった。ノゴルオゴルオは確かにライラやスーリウムと比べて実力で劣るかもしれないが、その分を補うべく搦め手を使い策謀を巡らせるタイプだ。絶対に相手の言うことを信じてはならない。


「銀貨は渡さない」


「警戒されたもんだ。なら一時的な休戦だけでいい。おめえがスーリウムとライラを先に狙ってくれるだけでこっちは大助かりだからや」


 要するに囮になれ、という提案だ。ユディーアが警戒を露わにしながら答えようとした時、タイミングを見計らっていたかのようにセラメルが口を挟んできた。


「あんたたちの話、詳しい事はわかんないんだけどさ。その、まさかだよ? さっきから話に出てたアルティウスってのは、あの『竜牙槍』のアルティウス? 死体とか言ってたけど、同名の別人とかじゃなく、前に守護の九槍やってたあいつなのかい?」


 ユディーアは虚を突かれて思考停止し、ノゴルオゴルオはにたりと笑った。

 これは意図された流れか?

 答えは明白だ。ノゴルオゴルオは既に先読みの聖女を確保している。


「んだ、そのアルティウスだ。大地の眷族に伝わる『死の地霊』の力で復活させた。火葬される前に遺体を確保できたのは幸いだっただよ」


「あんたが盗んだのかっ」


 セラメルは激昂した。文字通りに目から火が吹き出ている。飛び散った唾と怒声が瞬間的に蒸発していき、両足で踏みしめた床が高熱によって溶解していた。守護の九槍アルティウスは大魔将ズタークスタークとの戦いで死亡したとされている。修道騎士として戦っていた以上、迷宮内で探索者であるセラメルと知り合う機会もあったのだろう。


「遺されたあいつの家族がどれだけ悲しんだことか! いや、それより待ちな。いるのかい、あいつが、いま、この街に?」 


 怒りに満ちた声が、次第に震えていく。

 そこに込められた感情は怯え、不安、悲しみ、そして期待。

 強靱な意志力を持っているはずの熟練の探索者が、あっさりと心を揺さぶられていた。


「んだからや。地獄で蘇らせた動く死体、紛い物に混ぜ物を繰り返した出来損ないだが、おめえの愛しのアルティウスには違いねえ。会いたいだか?」


「ざけんな、誰が愛しいだって? あいつはただの常連で、何度か共闘したことがあるだけで、ついでに恩があるってだけの、勝手に死にやがったクソ野郎さ。顔も見たくないね!」


 ユディーアは何も言わなかったが、内心では『うっそだ~』と混ぜっ返しそうになる邪悪な衝動を必死に抑え付けていた。いまはそんなことをやっている場合ではない。だがセラメルの表情はそれほどまでにわかりやすかったのだ。

 説得力がないという自覚はあったのだろう。セラメルは俯いて震える手を握りしめる。爆発しそうな感情を少しずつ零すように、言葉を紡いでいく。


「もう終わった話だ。そう思ってた。けど、言ってやりたいことは山ほどあったんだ」


 これは駄目だ。悲哀に満ちたセラメルの表情と愉快そうに嗤う双頭を見てユディーアは流れを察した。ノゴルオゴルオはクナータから得た情報でここまでの流れを把握していたはずだ。ならばここでユディーアがどう決断するかは誤差の範囲でしかない。重要なのはセラメルの方だったという事実が、今ようやく理解できた。


「条件を呑めば会わせてやってもいいだよ、セラメル。おめえがおらたつに協力するだ。そこのユディーアに最高の魔槍を用意しろ。あの伝説の魔槍、氷血のコルセスカに対抗しうるとびっきりの逸品。おめえの人生で最高の武器を鍛えるだよ」


「そんなことで? 私はそもそもこのコにはいい武器を作ってやろうって思ってたんだ。そんなの交換条件にもなりゃしないだろ」


「ああ、それでいいだよ。どうやらユディーアはおらたつを警戒しちまってるみてえだし、せめてうっかりおっ死んでしまわねえように鍛えてやってけろ。ああ、それでも手抜きはしねえで欲しいだよ。アルティウスに生き残って欲しいからとやわな武器を持たされたんでは王の試練にならねえだからな。そこは『魂の誓約』で呪縛させてもらう」


 ノゴルオゴルオの目的はユディーアではなくセラメルと組むことだ。その上で間接的にユディーアに干渉し、アルティウスと競い合わせて亜竜王に至る道へと誘導する。セラメルには譲れない事情があり、ユディーアが強引に止めてもどうにもならないだろう。半端な力押しが通用する相手ではないし、ユディーアの心情的にも強い抵抗があった。

 そうして全てはノゴルオゴルオの掌の上で進行していく。

 セラメルは威勢良く承諾の意思を示し、呪文的な誓約の準備が整っていった。


「舐めンじゃないよ二つ頭。私を誰だと思ってる。鍛冶師として手抜き仕事はしない。魂なら最初から賭けてるよ。氷血のコルセスカに対抗? 抜かせ、それ以上の魔槍を見せてやる」


 その誇りはセラメルをセラメルたらしめる核心だ。

 ユディーアを害するような内容でもない以上、断る理由が微塵もない。

 もはや流れを止めるものはどこにもなかった。


「ついでに言うけどね、アルティウスの馬鹿も手抜きなんて喜ばないよ。それが生死を賭けた戦いならなおのことね。あのコスプレ野郎は今どき珍しいくらいに正々堂々が大好きな武人馬鹿の亜竜王オタクだから」


 そうして誓いは呪文の鎖として拘束力を発揮し始める。方言使いにとって話し言葉は書き言葉に優越する。正式な書面や血文字による誓約儀式などが無くともノゴルオゴルオは口約束のみで相手の魂を呪縛することが可能なのだ。


「グハハハ、誓いはここに成っただよ! したらセラメル、あとでアルティウスをおめえんとこに行かせるだ。決戦の日までは好きにしろい。ユディーア、おめえの聖女はアルティウスとの決戦を首尾良く勝ち抜いたら渡してやる。あんまり妙な考えは起こすんでねえぞ? ディスケイムの手足はおらたつだけじゃねえからな」


 ノゴルオゴルオの言葉はディスケイムの意思そのもの。最初からユディーアは血と家という巨大な歯車の中に組み込まれていた部品のひとつに過ぎない。『攫われたクナータを取り戻すための戦い』などという目的は既に破綻している。黒幕は他ならぬユディーアの血族。この身体に流れる来訪者の血、ディスケイムという呪いこそがクナータを苦しめ、救世主トリアイナを汚染しようとしている元凶だったのだから。


 『守る』などと良く言えたものだ。ユディーアは自嘲する。

 敵がいるとすればそれは自分。

 ユディーアがクナータの傍にいること自体が罪深い過ちだった。

 ディスケイムの裔である自分は、クナータにとって脅威でしかなかったというのに。


  


 ノゴルオゴルオがその場を去ったあと、目的の霊木を手に入れたセラメルは工房に戻って箒用の鎧を作る作業に入った。現在ユディーアはセラメルの協力を得られたことを報告すべくレナリアとゴーリーの元に戻る途中だ。歩きながら考えるのはセラメルのこと。魔槍の構想を膨らませながら嬉しそうに話す表情を思い出す。


「とりあえず魔槍の基本機能として、投げると照準を自動補正、念じるか命じるかすると戻ってくる、拘束されてると自動で鎖とか縄を切断してくれる、空間操作で見た目よりも長く重くなる、取り回しの良い短剣モードから重い一撃の短槍モード、大質量の長槍モードまで自由自在ってとこまでは当然ぜんぶまとめて搭載するとして、あとは属性と拡張性かな。石突きに呪石嵌められるようにして、状況に応じてスキル切り替えで戦う感じでいこうか」


 仕組まれた状況と分かっている以上、気持ちはありがたいが素直には喜べない。

 ノゴルオゴルオと約束した魔槍の製作期日は祝祭の六日目まで。セラメルにはある程度の事情を把握されてしまっている上に、彼女自身がユディーアを気に入って協力してくれようとしてくれている。完全な善意によって成り立つ関係性だ。

 セラメルの助けを拒む理由は無い。強力な武器は必要だし、それを作るのがセラメルであるならば武器自体は問題無くユディーアの助けになってくれるはずだ。

 しかし、そこを含めてノゴルオゴルオとディスケイムの掌の上というのが気にくわない。


「実家と縁切りたい」


「にあ。わかる」


 しばらく静かだったちびニアがぴょこんと収納袋から顔を出してコメントした。ユディーアは小さな相棒の頭を撫でた。ささやかな共感は無意味だが、少なくとも慰めくらいにはなる。


「ていうかニアちゃんは切ったよね、実家との縁」


「追っ手がいっぱいで大変! 本気で立ち向かうならずっとがんばる! にあ!」


 経験者の言葉は重い。

 主君の言葉を思い出す。クナータを守り、救世主トリアイナを悪しき企みから切り離すためには来訪者と呼ばれる上位存在との対決は避けられない。

 クロウサー、リーヴァリオン、そしてディスケイム。

 ユディーアの宿命は、ひとつの決断を求め続けていた。


「荷が重いよー」


「手伝う! もうすぐ回復する! アズーリアたちもすぐに来る! へたれユディーアに一人で解決はむり! 頼り下手な子は潰れて死ぬ!」


「はい。へたれです。だめだめです。助けてお猫様ニア様」


「にあ。助ける!」


 ちびニアちゃんは頼もしいなあー、と二頭身のマスコットを撫でさすることで精神を落ち着けるユディーア。色々限界なのは自覚しているが、それはそれとして現実は待ってくれない。

 小さな相方の言うとおり、現状はユディーアひとりでは手に余る。本来は仲間であるはずのクレイやカーインも生きてるんだか死んでるんだかわからないし、こうなれば『呪文の座』を巻き込んで来訪者たちに立ち向かうしかないだろう。

 そう考えると、方言使いノゴルオゴルオという敵は『呪文の座』にとっては相性が悪くない。なにしろ絶対言語を求めるハルベルトの対極に位置するような思想の持ち主だ。


 だが油断はできない。ノゴルオゴルオは嘘は吐いていないようだったが、先刻の言葉を全て信用するのも危険な気がする。そもそもあの方言使い、ディスケイムの忠実な手足などで満足するような手合いには見えない。何らかの野望を胸に秘めて来訪者ディスケイムを利用しているだけということも考えられる。


「姉様とハルベルトなら余裕! 言語魔術師、こーいう時のためにいる」


「まあ確かにそうだね。キノコ人に関してはエストの話も聞いてみたいけど」


 達人級の方言使いは地域の独立性を高め、局地的な言震すら引き起こせると聞く。第六世界槍における最大の厄災と言われる『バベル事変』で破滅的な内戦を次々と誘発させた元凶としてその危険性が認識された方言使いは、太陰によって大半の術者が抹殺され禁術に指定された。その後に流行した言語統制論や視座統一派に影響された『狂王子』が大規模な虐殺や民族抹殺を実行したことで太陰は方針を転換。地域言語文化の保護に重点を置くようになるのだが、方言に関する言語魔術の取り扱いは未だに禁術指定のままだ。


「正統な言語魔術師は小規模な言震を察知して未然に防ぐのが仕事だし、『呪文の座』のライブはそうやってこの地に平和と安定をもたらすっていう目的も兼ねてるからね」


「にあにあ。歌でみんな仲良し! ハッピーエンド! ゴルゴルは死ね!」


 しかし、現在の第五階層に渦巻く種族と共同体の混沌はもはや制御不能だ。

 二つの種族が隣り合えば諍いが発生し、そこに歴史的な遺恨があれば衝突は避けられない。

 人の意思が衝突すれば、言語もまた衝突する。

 言語の衝突とは文化の衝突であり『世界をいかに切り取るか』という視座の衝突でもある。

 ノゴルオゴルオはそこを突くことができる。

 方言使いはわずかな歪みを増大させることに長けた言語魔術師だ。

 仮に対立する両種族の居住地域に地理的な連続性が無いとしても、植民地支配の歴史があれば方言連続体が描くグラデーションの一翼を担うことは可能だ。ガロアンディアンの多種多様な種族すべてが無関係ではいられないだろう。


 北辺帝国の植民地であった書架都市ザドーナが言震一歩手前の事態に陥ったように、民族的アイデンティティと密接に結びついた言語の扱いは困難を極める。賢天主がいなければザドーナは先住トカゲ人と哲学的ゾンビ移民の内戦で滅んでいた、というのはかの偉大な魔女を褒め讃える際によく言われることだ。その言葉は方言か、それとも個別の言語なのか。それを決定するのは言語的特性よりも地理的要因や政治的理由であることが多い。


「そうなると『ティリビナ同胞団』が独立を目指してるのが大きなリスク要因になってて、その背後にいるっぽいスーリウムを倒さなくちゃいけないけどそのためにレースに参加して暗殺計画を阻止しようとするとノゴルオゴルオの思惑通りで、ライラの動きも気になるしクロウサーもやばいし実家は毒親だしラズリとポルガーお姉様に報告してそれからそれから」


 ユディーアは顔が発熱しているのを感じた。視界が歪み、目がぐるぐると回っていく。

 許容量を超えた情報を処理しきれず頭から湯気が噴き出す。

 

「きゅう~」

 

 ばたん。ユディーアは妙な鳴き声を上げながらその場で倒れた。ちびニアがドン引きしながらぺちぺち頬を叩く。


「にあー?! 予想を超えたぽんこつ! ユディーア、しっかりする! 道端でお目々ぐるぐるは危ない!」


 遠ざかっていく世界と闇に沈んでいく意識。

 次に目覚めた時、ユディーアはゴーリー邸の寝台の上でちびニアに甲斐甲斐しく看病されていた。濡れタオルや氷をせっせと運ぶ仔猫を横目で見ながら感謝の言葉を述べる。猫姫はえっへんと胸を張ってみせた。

 

「状況は把握しているわ、ユディーア。私がクロウサーを監視している間にディスケイムが動いたのね? 双頭の方言使いとは、厄介な大物が出てきたものだわ」


 可愛らしい口から発せられている「にあにあ」という鳴き声はきちんと聞こえていた。しかしユディーアの意識が捉えているのはそれと並行したもう一つの現実だ。

 どこからともなく聞こえてくる姿無き声。偉大なる姉ポルガーがここに来ている。


「すみません、お姉様。不甲斐ない姿を」


「呪いの進行ね。かなりの負荷がかかっているわ、今は無理しない方がいい」


「でも、ディスケイムを何とかしないと」


「そうね。けどジャッフハリムとして言わせてもらうと、あの来訪者はクロウサーやリーヴァリオンほどの脅威ではない。油断ならない相手ではあるけれど、場合によっては共闘できるし、これまでもそうしてきた。あなたが好例でしょう?」


 様子を見に来たゴーリーやウルムゾリムが口々に声を掛けてくる。セラメルの協力を取り付けたことで彼らの信頼を得られたようだ。ゴーリーにはユディーアの不調を『十戒』との戦闘で負った傷が原因だとちびニアが説明したようで、ギャングの頭目はしきりに労いの言葉を口にし続けていた。


「レストロオセ四十四士として、ノゴルオゴルオやディスケイムとは共闘するべきというのは理解しています。ただあたしにも『呪文の座』としての建前があるので」


「それは理解している。過程は問わないわ。最終的にあなたがトリアイナの傍にいればそれでいい。けれど今のところ最優先で討伐すべきはクロウサーよ。想像以上に力を増している。ノゴルオゴルオと共闘してもまだ届かない可能性が出てきた」


 続けてやってきたレナリアは部屋に入った途端に思い切り眉根を寄せた。ポルガーがクロウサーへの警戒を口にしたあたりで手で口もとを押さえて沈黙する。また出直すと手短に言ってさっさと退出していく少女の姿を、ゴーリーたちは不可解そうに眺めていた。


「来訪者たちのスタンスを覚えてる? クロウサーは混沌に満ちた世界に己の血を行き渡らせることを。リーヴァリオンは秩序の光で満たされた神の王国を。ディスケイムは英雄と怪物が相克する正しさと醜悪さを曖昧に許容する灰色の物語を。それぞれの望みはこんな感じに解釈するとわかりやすい。はっきり言って、ディスケイムは私たちレストロオセ四十四士のスタンスに近いわ。当然だけどね」


「救世主以後の世界で、ディスケイムだけは排除せずに共存できる道もある、ということですよね。それはわかります。けれどあたし、大魔将イェレイドまでディスケイムの作品だなんてこと知りもしなかった」


「あなたが自分の生家に対して複雑な感情を抱いていることは知っているわ。つらい思いをさせたわね、ユディーア」


 よしよしと頭を撫でてくれるちびニアの優しさに頬が緩む。一人ではないという実感がユディーアに落ち着きを取り戻した。

 仮初めの自由の中で、ユディーアは家の外での繋がりを得た。裏切りの罪悪感を抱えた胸がちくりと痛むが、このあたたかな感情を嘘だと思いたくない。感謝の言葉は重なって響いた。


「ありがとうございます、お姉様」


 思考が徐々に冴えて、レストロオセ四十四士としての自分が冷静さを取り戻していく。

 竜王国はかつて黒竜ダエモデクを外敵と定めることで共同体を維持していた。

 亜竜王と黒竜の戦いが終わったあと、旧四十四士の原型となった最初の勇士たちは民を纏め上げるために何をしたか?

 全く同じことを繰り返したのだ。

 ジャッフハリムの暴君にして狂怖の女王『呪詛レストロオセ』こそ世界の敵。

 邪悪な魔王に対抗するため、理想の下に集えと中原に呼びかけた結果として現在のジャッフハリムが生まれたとされている。倒すべき邪悪として定められた異獣は大魔将イェレイドと名を変え、ジャッフハリム国民の敵意と憎悪を集め続けている。

 その構図は現代のジャッフハリムでも変わっていない。否、義国圏も鈴国圏も『敵を異獣』と規定してまとまっている点で差はないのだ。異獣とは言震を回避するために呪祖レストロオセが創造した偉大なる発明、人に望まれた呪いである。


 ノゴルオゴルオは異獣の始祖たるイェレイドを創造した言語支配者たちの一人。

 方言使いは殊更に自分自身を怪物化して邪悪に振る舞っていた。

 彼もまた、魔将のように自ら罪を背負って人々が結束するための敵になろうとしているとでも言うのだろうか? 暴動、内戦、言震に発展しかねない呪文テロは『試練』だとでも?

 目的が崇高だとしても、手段は邪悪だ。しかし魔将だって本来はそういうものだ。


「お姉様。あたし、小さいときの経験から過剰にディスケイムを忌避していたかもしれません。けどもう少しだけそのやり方を信じてみようかと思います。ジャッフハリムのやり方は少なくとも天獄よりは救世主の示す未来に近いはず。その中にディスケイムが含まれていてもいいのかなって考えを改めました」


「それでいい。偉いわね、わたしのユディーア。冷静になればあなたは正しい道を選び取れる。でもね、面倒なことを言うけどディスケイムとは別にノゴルオゴルオに対しては警戒を緩めないで頂戴。クロウサーを探る過程でパーンの動きも把握できたのだけれど、数日前に両者は交戦しているわ」


「どういうことですか?」


 突然身を起こしたユディーアに、刺青彫りウルムゾリムが驚いて仰け反った。謝罪して刺青による呪力強化についての説明を続けて貰いつつ、ポルガーに続きを促す。


「そのままの意味よ。パーン・ガレニス・クロウサーは勇士ミシャルヒ及び勇士ベフォニスと行動を共にしていたんだけど、ノゴルオゴルオとアルティウスに襲撃を受けてベフォニスを奪われてしまっている。生死不明の二人はさっきあなたのお友達のところで見つかったわ」


「あー、もしかしてリーナが助けたとかそういう流れですか」


「いえ、ミルーニャの方ね。どういうわけかリーナとは未接触よ」


 小さく首を傾げる。ミルーニャの意図がよくわからない。

 いずれにせよ、パーンとミシャルヒはミルーニャと行動を共にしているらしい。

 同じ下側の勢力とはいえ、ノゴルオゴルオは四十四士に攻撃を仕掛けてしまっている。おそらくベフォニスを連れ戻しただけでありトロルの問題に干渉は無用と強弁するつもりだろうが、こんな相手と協力するのは難しいと言わざるを得なかった。


「奴は大魔将イェレイドを生み出した言語支配者たちのひとり。北の王ベフォニスをトロル種族の君主として擁立し、ジャッフハリムと渡り合ってきた洞窟の怪物よ。我々の同盟者ではあるけれど、油断ならぬ古い北狄ほくてきでもある」


 現在はレストロオセ四十四士として結束している諸侯たちだが、その中でも『四方の王』とされるベフォニス、クエスドレム、ハルハハール、ダエモデクといった有力な君主たちは元々中原の鈴国圏を脅かす敵対者だった。

 ユディーアも歴史的な知識としては理解している 上方勢力に対抗すべく結束しているとはいえ、ジャッフハリムもまた遺恨や地政学的な必然による対立からは逃れられない。

 

「救世主降臨を前にして、四十四士を種族統合の象徴としてまとまっているジャッフハリムは崩壊してしまうのでしょうか」


「そうさせないためのトライデントでしょう。ディスケイムの理想とノゴルオゴルオの野望は一致していない。あの怪物に『子宮』を奪われたままというのはまずいわ。ディスケイムが救世主を確保するのなら傍にいるのはあなたであるべきよ、ユディーア」


 ユディーアの負傷はじきに回復すると知って安心したゴーリーは力強い激励と共にレースの出場権を委ねてきた。頷いて決意を示す。


「わかりました。あたしに任せて下さい」


 力強い言葉に破顔するゴーリー。心配そうに見上げるちびニア。仔猫はとにかく今は休むべきと主張して男たちを追い出しにかかった。吸血鬼すら殺すという聖なる爪が振り上げられたのを見て、見舞いを終えたゴーリーたちは退散していく。


「かわいそうなユディーア。きっとこれから始まる祝祭はあなたにとってつらい試練になることでしょう。けどね、覚えておいて。永遠を生きる私たち『塔』の魔女はあなたの姉妹よ」


 ちびニアを撫でながら、ユディーアは向けられている優しさを噛みしめていた。

 ポルガーは真の意味でユディーアを妹と呼べる日を心から楽しみにしている。本当にその時が来ればいいと、柄にもなく祈りたい気分だった。


「師弟愛、疑似的な親子愛などあなたには重荷でしかないでしょう。だから私は隣に並び立つ姉妹としての愛をあなたに向けるわ、ユディーア。その未来は必ず来る。救世主がもたらす奇跡を信じましょう」


「はい、お姉様。あたしも未来を信じます」


 そのやり取りを最後に、ポルガーの気配は薄れて遠ざかっていった。

 扉が開いてレナリアが顔を出す。


「もう行った?」


「はい。入って来ても大丈夫ですよ」


 げんなりした様子で息を吐くレナリアと、不思議そうな顔をするちびニア。

 それからレナリアはゴーリーとしたように見舞いと状況報告を兼ねた会話を済ませたあと、働きを労って退出していった。ユディーアはちびニアと今後の計画を話し合い、今日は休養にあてることに決めた。無理な戦いは呪いの進行を早めてしまう。クナータ救出のために必要な条件はひとまず出揃ったのだから、無理は禁物だ。

 

「にあ、ユディーアが休んでるあいだ、こっそりクナータの居場所探す! ゴルゴルが大人しく返すかどうかわからないし、他の変なのにまた攫われるかも! とりあえず『ハルムシオンの風』と『ティリビナ同胞団』にこっそり忍び込んでみる」


「大丈夫? 危なくない?」


「無理はしない。ニアホンを置いていくから平気」


 そう言ってちびニアはタオルケットの中に潜り込んでごそごそと蠢き、出てきた時には三匹の仔猫になっていた。一匹が猫型端末になって寝台のそばに残り、あとの二匹はそれぞれクナータを捜索するため窓から飛び出して行く。

 便利な体質だなあと感心しつつ、ユディーアはなんとはなしに窓の外を眺めた。

 随分と長く気を失っていたのか、既に日が落ちている。

 心なしか身体も縮んでいる気がした。呪いは想像以上に深刻な影響を及ぼしているようだ。


 短い期間に目まぐるしく状況が移り変わっていく。

 クナータが攫われ、倒すべき敵の黒幕はディスケイムと判明した。

 だがディスケイムとはユディーアの生家であり、所属するジャッフハリムの同盟相手だ。

 恐るべき来訪者だとしても、その全てを一度に敵に回すのは危険に過ぎる。

 何事にも妥協は必要だ。現実的にはディスケイムの力を受け入れるしかない。

 わかっている。ユディーアは本質的にはあの家から自由になってなどいない。

 父が死に、外に出ることを許可された瞬間、幼い少女が夢見ていた広大な世界は檻に変わってしまった。果てしない冒険が待っているはずのまだ見ぬ世界の至る所に来訪者たちは根を張り、上位存在として操り糸を垂らしている。


 仕方無い、諦めよう。大人になってこの灰色の現実を受け入れて戦っていこう。

 この世界だって悪い事ばかりじゃない。自分には仲間がいる。心配してくれる師がいる。レナリアやセラメルたちだって新しい仲間として信じられるようになるかもしれない。

 ユディーアは人差し指と中指を立てながら深く息を吐いた。

 そして、突く。


「思則気結、うじうじパンチ」


 瞬間、心の中に溢れていたあたたかな感情が雲散霧消し、陰鬱な気持ちが重苦しくのし掛かってくる。考えれば考えるほど、ユディーアの心は追い詰められて悲鳴を上げる。

 だがそれでいい。

 ポルガーの言葉で奮起したユディーアはディスケイムに対する警戒を解きつつもノゴルオゴルオやアルティウスと対決する決意を固めた。

 我ながらあっさりと絆されたものだ。『お姉様』に対する情愛が再び湧き上がる。このあたたかな気持ちは紛れもなく本物。自分に魔女としての在り方を教えてくれた師を信じたい、ジャッフハリムの理想のために戦いたいという気持ちは真実だという確信があった。

 だからこそ下腹部に打撃を入れる。苦痛と共に経絡の流れが乱されるが、反対にユディーアの思考は冴え渡っていく。いま、自分は解呪を行っているだけだ。

 他愛ないマインドコントロール。ユディーアは己の弱さに感謝していた。この精神的惰弱さはノゴルオゴルオにとってもポルガーにとっても自明で、だからこそ彼らはユディーアごときならば容易く手綱を握れると考えて接近してきた。

 ゆっくりと息を整える。

 大丈夫。どれだけ迷っても、自分の本当の気持ちをユディーアは見失ったことがない。


 指の間を硬貨が転がっていく。『十戒』の警備員たちから回収した硬貨を重ねて、ユディーアは自分の戦い方を再確認していった。

 これは絶対の武器ではない。ノゴルオゴルオのような実力者に通用すると自惚れるほど愚かではない。だからもっと考えよう。遠回りに遠回りを重ねて周到な準備を重ねよう。

 ユディーアが投擲した銀貨が放物線を描いていく。

 落下する途中で軌跡が散らばって、床に落ちたのは幾つもの銅貨だった。

 指の間で弄んでいた銀貨を纏めていく。重なり合った銀色の輝きが金色に変わり、一枚の金貨がその指に挟まっていた。


「運命に抗う決心はできた? よーし、わたしはこの瞬間を待っていた!」


 脈絡の無い声が明るく室内に響く。

 ユディーアの表情は変わらない。相手が出現したのは銅貨が囲んだ円の中心。

 自分で呼び出したのだ。

 最初の接触はこの第五階層ではなく、地上の第一階層でのこと。

 声と同時に光の中から現れたのはひとりの女性。改造された修道服に頭巾がわりの大きなヘッドフォン。夜のような黒髪がわずかに目にかかり、その瞳に浮かぶ感情を窺わせない。深いスリットから覗く足は長く、女性としては高めのユディーアよりも少しだけ長身だ。

 守護の九槍第五位『詠唱者』テッシトゥーラ・ティータ。

 聖女派最強の修道騎士。クナータの本来の護衛である。


「テッシトゥーラさん、何を考えていまさら連絡を?」


「うん。ディスケイムが射程に入ったみたいだから、そろそろ教えとこうかなって」


 緩い口調で語るテッシトゥーラの表情に奇妙な既視感を覚える。

 誰かに似ているようで、それほどでもないような感じ。

 違和感は膨れあがり、意図が読めないことと相まって苛立ちを誘う。

 この女性は護衛任務をユディーアに任せて何かをしていたはずだ。

 その理由がまるで読めない。


「大丈夫だよ。クナータの未来回想は本当は何も変化していない。表のクナータがあなたに教えてたやつはちょちょいっていじった記憶だからさ」

 

「あの子の記憶を操作したの?!」


「わたしじゃないよ? クナータがやったの。裏側のリーヴァリオンが。ここまではわたしたちの予定通りなんだよね、実は。あの子は自分からディスケイムへの釣り餌になってくれたってわけ。表の方には自覚が無いけどね」


 また来訪者だ。ユディーアは上位存在同士が盤面を挟んでゲームをしている光景を想像した。人の運命を操る異界の神々。それぞれ性質は違えど、傲慢さと邪悪さには大差がない。


「リーヴァリオンの本体は北辺帝国の皇族でしょう? クナータにそこまで強い影響力を及ぼせるものなんですか?」


「あれに本体なんて無いよ、クロウサーじゃあるまいし。新しき美の神ミエスリヴァや最強の妖精王ラータエルスが最も有力なリーヴァリオンで、帝国がその棲家ってだけ。わたしやクナータみたいな妖精王の資格者は来訪者リーヴァリオンと一体化し、その光を身の内に取り込めるの。そうやって生まれた端末個体は『麗蝶の翼翅』として世界各地に散らばってる」


 不意に、その気怠げな口調で気付いたことがあった。

 既視感の正体はハルベルトだ。

 美しい容貌の輪郭や気配が、どことなくあの太陰の王女と重なるような気がする。

 似ていると言うほどではない。だがあの少女がもっと大人びた女性であったなら、もっと陽性の感情を表情に乗せていたら、それでいて眼差しに独特のアンニュイさを滲ませていたら。少しだけ似ている姉妹だと言って二人を並べたら、チョコレートリリーの半分くらいは頷くがあとの半分は否定する、そのくらいの感覚的な近さ。


「わたしたちリーヴァリオンの望みはふたつ。クロウサーとディスケイムの排除。祝祭の混乱を利用して他の来訪者たちを討ち、未来に安寧をもたらすことが目的」


 だがテッシトゥーラはハルベルトとは根本的に異質な存在だ。

 来訪者リーヴァリオン。聖女クナータの内側に潜むものと同じ、アヴロノ種族を支配する絶対的上位存在の御使いこそが彼女の正体。


「あなたはディスケイムの支配から逃れたいはず。そして友達であるリーナをクロウサーの呪縛から解き放ちたいし、クナータをリーヴァリオンから解放したい」


「やっぱり、リーナはクロウサーの影響下にあるんですね」


「あれ確証なかった? なら気づけて良かったね。そろそろ彼女の中から出てきて暴れ出すんじゃないかな。パーンを上手くぶつければ勝算はあると思うし、三つ巴なら一番強いクロウサーを最初に狙うのが定石。できればレースで潰したいね」


 気軽に言うテッシトゥーラだが、当人には協力するつもりはなさそうだ。

 

「ま、それは置いといて。あなたにとって残念なことにリーヴァリオンにとってクナータの犠牲は必要なもの。そこであなたが納得出来る解決法を提示しにきた」


「そんなの、仕方無いことじゃ」


 それがそうでもないんだなーと片目を瞑りながら指を振ってみせるテッシトゥーラ。

 軽薄ともとれる態度だが、リーヴァリオンの名前まで出しておいて完全なでまかせを口にしているとは考えにくい。相応の交渉材料は実際に持っていると考えるべきだ。

 事実、修道女はそれだけの力を有する『特任司教』である。


「クナータという存在は生贄に捧げられ、その魂は転生して救世主に至る。その未来を変えることはできない。でも呪文的に解釈を変えることはできる。あらかじめ用意しておいた人工妖精の素体に『ティエポロス』として定義した魔女の存在を分離して封じれば、意識を継続させたままあなたの友達は生存が可能ってわけ」


「ティエポロスとして、生かす?」


「そ。けど新しいティエポロスは異能を失って通常の時間認識を持った人格になるから、その記憶も人格も変わってしまうかもしれない。この条件を受け入れられるなら、わたしたちリーヴァリオンはあなたと手を組めると思う」


「そのために家を裏切って、友達を殺せってことですか」


「リーナ・ゾラ・クロウサーなら足止めでいい。血の中に潜む来訪者だけを殺す手段を私は持っている。これだけでも私に協力する気になったんじゃない?」


 ノゴルオゴルオもテッシトゥーラも、ユディーアにとっては似たようなものだ。

 ディスケイムに付くか、リーヴァリオンに付くか。

 どの来訪者が残っても救世主トリアイナが無事に生まれる事ができるとは思えない。

 この危険極まりない誘いをどのように凌ぐべきか、ユディーアは必死に考え続けた。


「安心してくれていいよ。わたしの立場はあなたたち『呪文の座』に近い。世界が平和で秩序が維持されている状態を望んでいる。調子に乗った言語テロリストたちは救世主の降臨を待たずに始末してあげる」


「あなたの立場っていうのは? リーヴァリオンや北辺帝国のこと?」


 テッシトゥーラは指を振って否定の意を示した。

 それから歌うように続けていく。


「全体の調和を乱す身勝手さがわたしは嫌い。ルッキズムと選民思想に偏った民族主義者、信仰を盾に愚行を正当化する神の走狗、地方と中央の対立と分断を創作する扇動者。そして一度痛めつけられたくらいじゃ懲りない聖女のストーカー。未来回想の記述通りにあなたたちが事態を収拾できなくても、わたしがちゃんと軌道修正してあげるよ」


 いつの間に出現していたのか、奇術のように修道女の片手には槍が握られていた。

 それは二叉の槍。音叉を巨大化させたような奇妙な武器だった。

 ぐるりと穂先を巡らせてから、二つの穂先を天井に向ける。


「秩序を乱すテロリストや暴徒、叛徒たちの暴走が頂点に達して、もしも言震が起こりそうになったら、その時はきちんと未然に防いであげる」


「どうやって、ですか」


 予感のような悪寒があった。

 このテッシトゥーラという女性は、どこかおかしい。

 前髪で見えづらい瞳の色が、妖しく変幻しているように感じられた。


「言震って本質的には人が引き起こすものでしょ? わたしの音響兵器は太陰で作られた特別製だから、原因になってる人たちを全員まとめて黙らせることができる」


「それ、脳とかにダメージが行きません? やむを得ない措置なのはわかるけど」


 不安から質問したユディーアに対して、テッシトゥーラは笑顔で答えた。

 狂気の沙汰としか思えない、異常な結論を。


「やだな、物理的に黙らせるわけじゃないよ。喉が振動しなくても言語は文字や身体で使えるでしょ? 魂を揺さぶって言語を奪うの。世界を切り分ける視座ごとね。多分、第五階層の全人口をまとめて処分することになっちゃうかな」


 テッシトゥーラの言葉は常に軽やかで重みがない。

 だから内容に比してそこに深刻さは感じられなかった。

 そのぶんだけおぞましいとユディーアは感じた。

 最悪の事態が発生した場合、第五階層の住人を皆殺しにすると彼女は言ったのだ。


「そんなの、許されるわけがない」


「だからー、そうならないように頑張って。私はほら、もしもに備えた儀式呪術の準備で忙しいし? さすがにクロウサーやディスケイムとの決戦となったら片手間に助けてあげることはできるけど、あんまり手抜きすると鎮圧漏れが出ちゃうかもしれないから。まあ必要無ければそれでお終いってだけの、平和のための備えだよ」


 何が平和だとユディーアは内心で毒づいた。そんなものは解決とは呼ばない。都合の悪い現実を力尽くで無かったことにするなんて、『呪文の座』はそんな考え方は決してしない。この女をハルベルトに似ているなどと一瞬でも考えた自分を恥ずかしいと思った。


「これは来訪者リーヴァリオンの決定であり、同時に太陰の決定でもある。異界が隣接する特異点となった第五階層での言震は致命的な事態を引き起こしかねないからね」


 ぎょっとするような事実の開示に呻きそうになる。 

 守護の九槍にしてリーヴァリオンのしもべ。その正体が太陰の工作員?

 人の事は言えないが、このテッシトゥーラという女性、幾つの顔を持っているのだろう。

 それ以上に、言震を予防するために住民を皆殺しにすることを太陰が本当に望んでいるのだとすれば、とんでもない事実だ。

 ハルベルトはきっとそんなことは夢にも思っていないだろう。彼女は太陰の理想、平和のための理念を信じている。

 しかし理想は時に残酷なまでに歪んでしまう。それを知っているから、ユディーアはテッシトゥーラの言葉を戯れ言と一蹴できない。


「あなたは、太陰の言語魔術師?」


「ハルベルトと同じく、槍神教との橋渡し役ってところかなー。おっと、わたしの立場は内密にね。ついでに明かすとわたしもトライデントの細胞だったりするんだよ。救世主が生まれたら仲良くやってこーね!」


 意味がわからない。次々に内情を明かしてくるこの女はユディーアをリーヴァリオン側に取り込みたいようだが、このようなやり方が通用すると本気で思っているのだろうか。

 それでもユディーアには他に道が無い。

 クナータを救い、リーナも救う。来訪者たちに対抗するためには力が必要だ。

 それに、一つの階層をまるごと滅ぼせると豪語するような怪物を相手に正面きって反抗するような力はユディーアには無い。

 彼女の言葉ははったりなどではない。何せ前例がある。このテッシトゥーラという修道騎士こそ、九槍の中で最も広域殲滅呪術に秀でた言語魔術師だった。


「今、この瞬間にも。わたしが詠唱したオルガンローデたちは相互に参照し合いながら新しいオルガンローデたちを紡ぎ続けている。自動化した呪文竜たちの防火壁おへやを構築するのに数日。祝祭が始まったら一日ごとに『キューブ』を組み上げて、九日目にきちっと完了する予定かな。ちなみに必要無ければ六層に投げるだけだから、無駄にはならないよ」

 

「自己増殖する滅びの呪文。最強のオルガンローデ使いっていう噂、誇張でもなんでもないんですね」


「さーどうかなー。いつか見た歌姫モードスピスピの呪文構成は凄く綺麗だった。あれと比べ合ってみたいとはちょっと思うよね」


 自分の鉤爪など問題にもならない。

 オルガンローデは詠唱の長さと複雑さに正比例して威力を増大させつつ性質を変化させていく最高の呪術である。ゆえにその強さは術者の力量に大きく左右される。

 同じ長さの詠唱でオルガンローデをぶつけ合ったなら、より優れた構成を組み上げた方が勝利する。強いオルガンローデ使いとは優れた言語魔術師であることとイコールだ。

 ある意味では武術に通ずる。

 強いと評判の流派で修行し、奥義と呼ばれる技を修めても、本人の技量が追いついていなければそれは宝の持ち腐れだ。テッシトゥーラは間違い無く呪術の奥義を最もよく使いこなしている達人と言える。


「わかりました。第五階層の人たちを皆殺しになんてしたくないし、クナータとリーナを犠牲になんてしたくない。テッシトゥーラさんの言葉に従います」


「うんうん、物分かりが良くて結構。それじゃあ友情の証に銀貨を一枚、貰っていくね?」


「どうぞ。銅貨十枚が銀貨一枚分です。軍勢召喚の門にもなっているので、何かあればそれを使って来て下さい」


「ありがとー。それじゃあ、あなたの使い魔になったテッシトゥーラをよろしくね」


 女は薄く笑って銅貨のサークルと共に光に包まれて消えていく。

 どうしようもない敗北だ。暴力をちらつかされて恫喝に屈し、ノゴルオゴルオには渡さずに済んだ硬貨をみすみす渡す事になってしまった。

 聞き心地のいい誘い文句、誰もが救われる素敵な未来。

 そんなもの、信用する方がどうかしている。

 だがあの状況では受け入れるしかなかった。

 ディスケイムとリーヴァリオン。上位存在たちの間で、ユディーアはどっちつかずの態度を続けるしかない。破滅と隣り合わせの綱渡りは、ユディーアに利用価値が無いと判断された瞬間に終わるだろう。


「あはは」


 情けなくて笑ってしまう。

 自嘲するまでもなく、事実としてユディーアは弱い。

 来訪者、言語支配者、キュトスの姉妹。超越者たちに正面から挑んでも勝算は無い。

 アルティウスにしても同じだ。偽物とはいえ元守護の九槍。その上で伝説の魔槍まで所持しているとなれば、いかにセラメルの腕が優れていても勝ち目は薄いだろう。

 だからユディーアは正面から勝ちに行くという選択肢を最初から捨てていた。

 操りやすい駒でいい。中途半端な位置で揺れ動く裏切り者で構わない。

 事態を打開するのが自分である必要など無いのだ。

 

「あたしの戦いは、第五階層の運命とは別の物語だ」


 大きな運命のうねり、言震を巡る戦いで主役を張るのはハルベルトやアズーリアたちになるだろう。だから無理に前に出なくてもいい。裏で密かに這いずり回って、最後の最後でアズーリアとトリアイナを巡り合わせることができればそれがきっと正解になる。

 だからユディーアが戦うべき相手は最初から決まっている。

 この戦いは血の宿命との対峙。

 来訪者たちの魔手からクナータを救い出すための抵抗だ。

 だとすれば、きっと最後に行き着く先はひとつになるのだろう。

 自分自身との戦い。

 言葉にすると陳腐な、けれど切実な願い。

 

「セラメルさんにお願いしよ」


 ニアホンを手に取って交換したばかりの連絡先にメッセージを送る。

 必要な魔槍の機能、それは邪視を強化するものでなくてはならなかった。

 ユディーアの浄界は不完全だ。その時空停止は別系統の呪術と複合させて強引に作り出した偽りの氷血呪。なまじ小器用だから取り繕えてしまった無様な欠陥品。

 だがそれでは足りないのだ。何かで補う必要がある。


 どのような発動原理だろうと、『自分だけの世界』を求める行為は究極的に『氷血呪』という名の『紀』に繋がっている。

 ユディーアはアルティウスと固定された世界観を奪い合い、敗北した。

 融血呪は他我と融け合うが、氷血呪は逆に個我を固体化・確定させる。

 早い話が『自分の世界』をより強固に確信するだけで氷血呪の第一歩と言える。

 『自分だけの世界』を望む者同士が衝突すれば勝利者が世界と未来を手にすることになる。時間停止能力者同士の戦いが一時的に拮抗するのはそのためだ。


「あたしが奪われたのは、運命」


 身体が過去に遡る呪い。それが意味するところの意味はひとつ。

 解呪のために必要なのは、より強い『自分の未来』を示す確信に他ならない。

 ならばユディーアは未来を取り戻す必要がある。

 自分の世界、自分の運命、自分の道。

 強引に点穴を突いたことで覚悟は決まった。ディスケイムの思惑に乗ってやろう。

 それが仕組まれた計画、定められたレールの上であっても。

 その上で奴らを破滅させてやると、ユディーアはあの日に願ったはずだ。


 父が母に殺されたあの時からどれだけ経っただろう。

 ユディーアとして成長した少女は何も赦してなどいない。

 弱い少女は優柔不断。怒りと憎しみと怨恨と復讐には向いておらず、その気質は年齢を重ねても変わらない。母をはじめとした生家の大人たちの前では萎縮して縮こまり、言いなりの使い魔として自分を出せないまま。


 だからといって都合良く感情が消えていくはずもない。

 踏みつけられ続けたキノコ人たちがティリビナ人への恨みを忘れたか?

 答えは否だ。

 ノゴルオゴルオは強力な呪いで彼らの感情を形に変えた。

 しかしそれまではどうだったのだろう?

 キノコ人たちは声に出すことすら許されない怒りをずっと押し殺してきたはずだ。信じられるかも知れないわずかな希望に縋り、そのたびに裏切られながらも必死に生きてきた。


 ディスケイムは隠されていた心を弄んだ。

 それすら奪われたら、この名付けてはならない感情はどこに隠せばいいのだろう。

 どれだけ時が巡り、世界が新しい夜明けを迎えても、過去が変わることはない。

 形にすらできなかった感情は、静かに心の底に堆積し続けていく。

 ディスケイムは父を殺した。

 ディスケイムはキノコ人たちを殺した。

 ディスケイムは最後の聖域に土足で踏み込んだ。

 その過去の上に、現在がある。確かな事実はそれだけだ。


 勇ましく運命に抗う主人公の物語。そういうのはリーナとかミルーニャあたりに任せよう。

 向いてないことはやらない。ユディーアは結構ものぐさでのんびり屋だった。

 だから、やるならこっそりと。

 黙っていればわからない。過去視にだって痕跡を残さなければ、それは無いのと同じ。


 要はばれなきゃいいのだ。

 母の前ではしおらしく。師の前では従順に。脅しつけてくる乱暴な親戚のおじさんの前では逆らえない無力な小娘を演じよう。

 どいつもこいつも死んでしまえなんて思っていない。

 ディスケイムなんて滅びてしまえと考えたこともない。

 窮屈な家だと友達に愚痴を零すこともあるけれど、せいぜいその程度。

 軽い反抗期のようなもので、本心では家族と争うことなんて望んでいない。

 だってユディーアにはそういうのは向いていないのだから。


 ただ、『誰か』が代わりにそれをやってくれたなら。

 ユディーアの心には家族を殺された恨みや憎しみなんてこれっぽっちも湧き上がりはしないだろう。だってユディーアにはそういうのは向いていないのだから。

 ずっと『誰か』を望んでいた。

 待つだけでは駄目だと気付いたのは、世界を知ってから。

 銀貨遊びを覚えたのは、たぶんそれからだったように思う。


「夜明けなんて来なくたっていい」


 消えそうな呟き。

 ユディーアは知っていた。

 暗くつらい日々が続いても、それがこれからもずっと続くと知っていても。

 それは消えない。

 たとえ強引な救いが全てを光の下に連れ出してしまったとしても、隠され続けていたものは確かにそこにあったのだ。少なくとも過去視によって他者の心を暴き続けてきたユディーアは、そう思わなければ誰も救われないと信じていた。

 代弁される必要の無い願い。

 心の底、過去の墓標の下で永遠に眠り続けるもの。

 ユディーアはそれを言葉にする術を知らない。

 呪文なんていらない。

 美しい言葉に変えてしまうことで、醜い感情に変えてしまうことで、世界は決定的に変質してしまう。優柔不断なユディーアはその歪みを恐れていた。


「だから、あたしは」


 その先に続く言葉は存在しない。

 今はまだ?

 いいや違う。これからもずっと、その続きは沈黙だけ。

 それだけが、ユディーアに向いている唯一のことだった。




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