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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り

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5-9 怪物退治




 鍛冶師セラメルの工房は驚くほど真っ白な彩域だった。

 もっともユディーアは白神(グリア)の乏しい工房など見たことが無かったし、白の色号使いでない職人(クラフツマン)にも心当たりが無かった。

 

 こもるような熱気と独特の金属音が広い工房の空気感を形作っている。来訪者を見咎めた亀のような炉獣たちが低いうなり声を発するが、額に皺を寄せた職人たちはこちらを見向きもしない。朝早くから工房入りしている職人たちは武具や金物などの鍛冶仕事、金獣や知性武具の診療で忙しいのだ。

 髭をたくわえたいかめしい顔つきの職人は骨槌を握りながら「この鉄は正直だな」とつぶやき、眼帯をした初老の岩肌種は「この槍、いい面構えをしてやがる」などと嬉しそうな顔で足を砥石に変化させる。


 古典的な職人は対象を擬人化する。経験によって己の内側に積み上げた暗黙知を、独自の感性や世界観によって呪術的技法に昇華させているのだ。

 古来より『杖』の製造技法は精緻な工学と神秘的な徒弟制度の狭間で曖昧に発展してきた。『職人ギルド』と『白魔術結社』はほぼ同義で、古代の『杖』ほど純粋な自然科学で割り切れない領域を有している。ゆえに白の色号は『塔』の分類で言えば『邪視』と『杖』の中間に位置する呪術だとされていた。

 

 熟練の職人が作り上げた呪具は近代呪術文明が製造する工業製品以上の品質を有する。擬人化された『モノ』には呪力が宿り、活発な白神(グリア)が多量に含まれた呪具ほど上質に仕上がる。伝説級の武具というのは、そのほとんどが熟練した白の色号使いである職人が全身全霊を込めて白神(グリア)を定着させた『彩域の凝縮体』だ。


「仮に、あたしが伝説級の武具、たとえばメクセトの神滅具とかの使い手と戦ったとして、この爪だと何度まで打ち合えると思いますか」


 言われるがままに引っ張られてきたユディーアは、ふと思いついたように言った。このセラメルという女性はどういうわけか『剥落の鉤爪』の存在に気づいている。いちいち誤魔化しても無駄だろうし、こちらから話題の中心にしてしまったほうがいい。問われたセラメルはふんと鼻を鳴らして言った。


「あと十合持ったら大したもんだね。その程度にはボロボロになってるよ。やりあう予定でもあんのかい?」


「はい、ボロボロなのはさんざん打ち合ったからです」


「なら手入れの仕方を教えてやる。覚えな」


 面倒見のいい人だなあと暢気なことを考えていたユディーアは、露骨な舌打ちと「私の前で舐めた爪見せやがって」という憎々しげな呟きを聞いて震え上がった。

 喧嘩別れしたというゴーリーの代理で箒レース用の鎧を依頼しに来たというのに、むしろ心証を悪くしてしまった。こんな状態で果たして頼みを聞いてもらえるだろうか? いざとなったら『銀貨』で買収してしまおうかな、と考えてしまう程度にはセラメルの背中から放散されている熱気は凄まじい。燐血の民は怒ると本当に血が加熱するのだ。


「うわー、光栄だなあー、あのセラメルさんに鉤爪を見てもらえるなんてー」


 場を和ませようと精一杯へつらってみたが、当のセラメルは冷ややかな一瞥をくれただけで無言だった。気まずい。そうこうしているうちに一番奥の作業場に到着する。待機していた鼻先の丸い炉獣が喉をごろごろと鳴らしながら背中に載せた大きな炉甲を加熱させた。金鋏の傍に放置されていた槍がカタカタと動いて「可愛いお嬢さん、どうか俺を握ってみませんか、ちょっとだけ、呪ったりしないから」と囁く。セラメルは喋る槍を蹴り飛ばして黙らせると、作業場の中心にある金床の前に立った。


「手ぇ出して、腕だけ亜竜化させな。滅びの呪文の詠唱段階は可能な限り引き上げて」


 セラメルは『剥落の鉤爪』の存在のみならずその性質まで正確に見破っていた。おどろくべき眼力だ。やはり尋常な職人ではない。

 『鉄亀砕き』セラメルといえば上方勢力ではいわゆる準英雄級の探索者として知られている。『死霊使い』ガルズ、『白眉の』イアテム、『逆鱗喰い』モッカー、『砂紋の拳士』アサブなどといった、英雄には数えられないがそれに次ぐ優れた実力者たち。たしか、探索者協会が発表している探索者ランク上位百人にも名を連ねていたはずだ。

 周囲で穏やかに夢を見ている白神(グリア)の数を見るに、『下』の基準でも傑出した白の色号使いと判断できる。星天主(アストラルドミナ)の工房でも即採用のレベルだろう。


「思った通り、とんだじゃじゃ馬だね。よくこれで暴発しないもんだよ」


 露わになった両腕の鉤爪を見ながら、複数の霊薬を取り出していくセラメル。魔導書型の端末を並列で制御しながら紙ヤスリで爪を整えていく。よく見ると紙ヤスリは無数の細かな呪文が記さた呪符だ。


「呪文武器の整備ができるってことは、『塔』か太陰での修行経験があるとか?」


「そんなとこさ。地上にいた頃はあちこちで修行したからね。カレルヘインでは妖精鍛冶を、ダイベルムでは呪文刻印を、トルクルトアでは錬金術を。亜大陸で霊木の扱いを教わったこともあるし、エジーメ家の付与術師に知性武具の調教術を叩き込まれたこともある」


 セラメルの経験は驚嘆すべきものだった。生きてきた歳月はユディーアの倍ほどだろうが、その密度が職人として理想的な高みに達している。現代呪具の作成に必要なだけの知識と経験、関連した複数の分野に手を広げられる視野。己の武具を預けるのにこれほど信頼できる相手もいないだろう。


「あんた、名前は」


「メイファーラ・リトです」


「ユディーア、それからキニスね。このディスケイムってのは来訪者の血脈かい? ふうん、亜竜人の王統。それでこの爪の構造は、ああなるほど。使い捨てか。道理でろくに手入れも教えてないはずだ。くそったれめ、胸くそ悪いったらないよ」


 セラメルの目は異様だ。きっと見ている世界が他者とは根本的に違う。

 今、『ユディーアの銀貨』は使っていない。表出させている自己は『メイファーラ』のみだ。仮に状況証拠からユディーア=メイファーラが露見したとしても、『キニス』まで見破るのは異常としか言いようがない。


「あなたは何者なんですか」


「セラメル。ただの鍛冶職人さ。モノの良し悪しを見極める眼力には自信があるが、職人には多かれ少なかれそういうところがある。鑑定スキルくらい、驚くようなことじゃない」


 それより作業手順を覚えろと注意されてしまう。ユディーアは戸惑いを隠せなかった。思いもよらず重要な知識を獲得できてしまっている。これは幸運と言っていいのだろうか。


「血統魔術ってのはヒトを素材として扱い、イエを部品として見立てるまじないだ。整備方法を教えられてないってのは、たぶんあんた、親から壊れてもいいと思われてるよ」


「消耗品か生け贄でしょうか。ここで壊れることに意味がある祭具?」


「さあね。それにしても妙な子だよ。今ので少しも動揺してない。呪力を宿した『まことの名』が幾つもあるのもそうだけど、あんたの核はどこにあるんだい?」


「どうなんでしょう。たぶん、決まっていないんだと思います。少なくとも、今はまだ」


 それはユディーアにとって奇妙な体験だった。

 初対面にもかかわらず会話は奇妙なほど弾んだ。何かを偽る意味が無い眼力の持ち主という相手の特性が、いつの間にかユディーアに警戒を解かせていた。

 ユディーアと繋がっている悪竜が言っている。セラメルは何の因縁もない、ただ偶然に出会ってしまっただけの無関係な実力者だ。今後、彼女と自分の道が交わることはきっとない。二人の物語が別のものだということが直観的に理解できたからこそ、ユディーアはこの寄り道のような時間を落ち着いて過ごすことができた。


「あんたさ、自分にかけられた呪いがどういうものかちゃんとわかってる?」


 セラメルには多くのものが見えていた。ユディーアに見えていないものさえも。


「死ぬよりも恐ろしい呪い、と言われました。確かに死とは逆方向ですけど、実質的には同じ結果になるだろうということも理解しています」

 

 問いかけに対してユディーアは当然とばかりに頷いてみせたが、セラメルは露骨に顔をしかめてみせた。

 

「ああ、そういう理解をしたんだね。なら不正解だ。あんたちょっと楽観的だよ」


「え」


「『死より恐ろしい呪い』が消滅で済むはずないだろ」


 ユディーアは自分に残された時間があと僅かだと考えていた。タイムリミットまでに仮面の槍使いアルティウスを倒さなければ自分には未来が無いのだと。


「あんたには未来が無いんじゃない。過去に落っこちてんのさ。後ろの方から引っ張られて厄介な血に飲み込まれちまう。きっとこの脆い鉤爪は導線だね。血脈の中で安全弁をやってるあんたを取り除くための」


 すべてを見透かすような瞳がユディーアの魂の奥底をのぞき込んでいた。ユディーアは相手の言葉を咀嚼しながら沈思黙考する。ややあって、自信なさげに言葉を返した。


「たぶん、理解できたと思います。この呪いの意図も少し見えました。敵はあたしをペラティアとディスケイムに連なる存在だと認識している。古代の王権と来訪者の神権、そのふたつが望まれているんだと思います」


「はーん、あんた『大断絶』のとばっちりで滅んだ国の王族か。そりゃ難儀だ。まあ因縁背負った王族なんざ珍しくもないがね」


 他人事のようにセラメルは言う。事実、他人事なのだ。このやりとりはこの場限り。どれだけ事情を理解していても、セラメルがユディーアの物語に深く立ち入ることはない。


「あの、また来てもいいですか。鎧とか槍とか、セラメルさんに頼みたいなって」


「好きにしな。ただ私は気まぐれなもんでね。気に入った相手、気分が乗ってる時にしか仕事をしないよ」


「それでもいいです。また寄らせて下さい」


 浮ついた気分になっている。

 ユディーアは自分がおかしくなっているという自覚があった。こんな気持ちになっている場合ではないと理性が叫んでいるが、これも必要なことだという感性もまた存在していた。

 この安心感はなんだろう。

 それとも逆なのか。

 普段の自分が、張りつめすぎているのか?

 ふわふわする。

 炎と鉄が刃を鍛える剣呑な場所には似つかわしくない穏やかな気持ち。ユディーアはしばしの間、そんな安らぎに浸っていた。





「箒レースの装甲? なら任せな。ゴーリーのアホは死ねばいいけど、あんたが出場するってのはおもしろそうだ」

 

 鉤爪の整備が終わったあと、ユディーアは慎重に言葉を選びながら本題である『箒のための鎧』を依頼した。結果としてセラメルは快諾したが、そこには条件が付けられた。


「ただし、問題がある」


「というと」


「必要な素材が無いのさ。箒レース用の装甲板となると霊木や青銅系の伝承合金(オリハルコン)が必要だが、霊木の伐採にはティリビナ人の許可がいる」

 

 話を聞いてみると、厄介な事情があった。

 元々、セラメルの工房はティリビナ人とは友好関係にあったという。燐血の民とティリビナ人は歴史的経緯から不仲というのが常識だが、セラメルは例外として扱われていた。人種の区別なく気に入った相手に武器を作るセラメルはそれゆえに槍神教に目を付けられて迷宮に追放された異端者だ。ティリビナ人の武装勢力がセラメルの武器を使用していた事実は彼女への心証を良いものにしたらしい。


「事情が変わってきたのは、空に逆さまの森が現れて『ティリビナ同胞団』の動きが活発になってきたあたりからだ。いや、ロードデンドロンのせいと言うべきか」


 友好関係とはいえティリビナ人の意識が均質なわけではない。燐血の民に対する敵意は確かにあった。セラメルはそれを気にしない者と仕事をしていただけだ。

 友好的な同胞たちの手前、敵意を持つティリビナ人たちも強硬手段には出なかった。怒りを抑え、憎しみを上手に隠して第五階層での平穏な暮らしを守ろうとしていた。

 しかし、緑天主ロードデンドロンは隠されていた敵意と怒りを顕在化させた。


「私はそれまで主に辺境のティリビナ人たちと取引をしていた。中央の主流派から弾かれた陰花系の種族、特にキノコ人たちとね」

 

 ところがある日、事件は起きた。

 キノコ人たちが生活の糧としていた果樹のひとつ、ナツメヤシ。ささやかな果樹園は法によらず曖昧な占有がなされていたが、あるときティリビナ同胞団に所属する樹木系の若者たちが暴力によって強奪、占拠した。キノコ人は一人が殺され二人が手足を奪われた。

 こうした暴力的な若者たちの振る舞いは、全てロードデンドロンが主導する運動に影響されたものだ。彼らは『顕花系』とされるティリビナ人の優越性を主張している。

 暴力は暴力を呼んだ。

 セラメルの工房に駆け込んできたキノコ人はかき集めた金で武器を作ってくれと頼んだ。狩人や探索者にそうするように、セラメルは彼に武器を作ってやった。すると同胞団の一人が死に、相打ちでキノコ人も死亡した。

 

「武器の銘から私の作品だってのが明らかになってね。同胞団は報復として工房を襲った。うちの職人がひとり死んだよ」

 

 泥沼の報復合戦が始まるかに思われた。事実、そのあとセラメルは同胞団に殴り込んだ。『ロードデンドロンとサシで話をさせろ』と騒ぎ、発端になった若者たち五人を殺害。ロードデンドロンも大火傷を負うこととなった。


「まあこっちの命数もごそっと削れたけどね。いやあ殺されに殺されたよ。しばらく光輪も炎翼も出せないね。痛み分けってとこさ」


 中央からやって来た紀神ガリヨンテの祭司や勇士オファグリートの弟子を名乗るティリビナ人たちが仲裁に入ったことでそれ以上の血は流れずに済んだが、当然ながらセラメルの工房とティリビナ人の関係は急速に悪化した。

 今まで霊木を融通してくれていたキノコ人グループはこれ以上『ティリビナ同胞団』に目を付けられることを恐れ、セラメルとの関係を解消。


「こっちとしてもこれ以上あいつらとやり合うのはきつい。ロードデンドロンだけでもやばいってのに、近頃は伝説の英雄スーリウムやら第六階層のラフディからハタラドゥールまで出入りしてなにかたくらんでいやがる」


「第六階層のラフディって、紫の天主を名乗ってるアルト・イヴニルの?」


「ああ。辺境区や周辺の森林部やらをこそこそ動き回ってるらしい。いよいよガロアンディアンに仕掛けるつもりなのかって噂も流れてるくらいさ」


 ユディーアは事態が面倒な方向に転がっていくのを感じていた。ここでもまた『ティリビナ同胞団』が関わってくる。その上、第六階層までなにやら動き出していると来た。


「ガロアンディアンの内側と四方には『古き巨獣』が眠る。内憂外患は古代でも現代でも変わらないってね」


 冗談めかして言うセラメルだが、状況は冗談どころで済みそうにない。噂を聞く限り、『同胞団』はかなりの武闘派だ。穏健派に仲裁されたとはいえ、彼女だけでなくこの工房の立場もかなり危ういように思える。心配するユディーアの視線をなんでもないことのように受け流しつつ、セラメルはとにかくと話を続けた。


「材料が無いんだ。どうにかして仕入れないとね。なら別ルートならどうだって話になる」


「『影走り』か『ガリヨンテの鎌』はどうです?」


「あのへんは同胞団とは昵懇の仲なのさ。穏健派ではあるけど、ロードデンドロンが随分と強く釘をさしたらしい。私のことを考えると夜も眠れないってさ」


「なら、ゴーリーさんのところは」


「伝承合金ならともかく霊木の仕入れはあいつらには無理。なにしろ地上との繋がりがほとんど無いからね」


 『同胞団』を恐れない勢力の協力が必要だった。

 あるいは第五階層外で霊木を伐採してここまで運び込むか。『公社』なら条件を満たしているが、迂闊に動いてティリビナ人との関係が悪くなることは避けたかった。


「そこでさっき追い払ったゴミどもの話になる。黒アヴロニアンってやつは密輸と密売くらいしか能がないってのは知ってるだろ」


「いまどきはアヴロニアンって言わないんですよ」


「旧時代の『黒っこ』どもを普通のアヴロノと一緒にしたら逆に失礼ってもんさ」


 世代と文明圏の差異がもたらす気持ち悪さを押し殺しつつユディーアは曖昧に笑う。『下』では許されない言動や価値観にはもう慣れた。尊敬できる年輩者のこうした言動は落ち着いて飲み込み、人格とは切り離して評価するべし。『彼ら』の価値観をまとめて邪悪と嫌悪するほうが短絡的で危険な思想であるとユディーアは経験的に知っていた。『下』の過激な啓蒙教化思想や殲滅主義もまた、『救世主』にとっての敵だからだ。


「ネビロン氏族やカマソッソ氏族からなる犯罪組織ですよね。噂では『豚好きハデス』という幹部が仕切っているとか」


 巨大犯罪組織『十戒』。そのルーツは『ヒュールサス』のアヴロノ氏族が形成していた『祭司・自警団・集団婚斡旋者』を兼ねた集団にまで遡るという。

 犯罪組織と闇市場の物流を切り離して語ることはできない。麻薬、武器、違法使い魔、汚染呪物、そして人間。彼らが密輸する商品は多様だ。


「霊木から呪鉱石、通信用のグロートニオン化した水晶までなんでもござれ。普通の水晶ならともかく、占術加工はウサギの高度技術がないと無理だろ? そういう加工技術や設備も含めて、ああいうでっかい組織ってのは強いんだよね。そこで提案なんだけど」


 とセラメルは指を立てて言った。嫌な予感がしてならないユディーアだったが、どうせあらがえないという強い確信が逃げることを許してくれなかった。


「ちょっとあいつらの倉庫に忍び込んで必要な素材を拝借してこようかと思うんだよ。手伝ってくれるだろ?」


「え、盗み? 犯罪をしろと?」


「いいだろ、どうせあいつらも犯罪者だし」

 

 そういう問題ではない。確かにこの辺境区では法などあってないようなものだが、ユディーアはセラメルとの間にある倫理観の断絶に愕然としていた。普通、こうまで気軽に初対面の相手に強盗の誘いができるものだろうか?


「ほら行くよ。表の標識から隣の地区までファストトラベルだ」


 セラメルは有無を言わせずにユディーアの腕を引っ張って歩き出す。凄まじい腕力と強引さだった。ユディーアはわたわた戸惑いつつ、内心で「ちょうどいい」とも思う。最初から辺境区の四大勢力には探りを入れるつもりだった。同時に、都合の良い作劇だとも思う。運命や上位者の意図を感じつつも、ユディーアはひとまず流れに身を任せることに決めた。




 中央区の外周部にへばりつく幾つもの建造物は、未成熟な紀人都市シナモリアキラが垂れ流してい神話的規模の呪力にフリーライドする目的で『創造』された一種の変呪施設だ。辺境区の匿名言語魔術師が図面を公開してから爆発的に増えたこの『第二の外壁』は、その大半を辺境区の四大勢力が占有していた。


 牢獄街を出たセラメルは標識で行き先を確認したあと、迷いのない足取りで『十戒』の支配地域に向かった。牢獄街と接続する形で変呪施設を建てていた『ゴーリーズ』と異なり、『十戒』の変呪施設は辺境の森と融け合わせるようにシナモリアキラに寄生している。


「通称『左手地区』。都市であるシナモリアキラの左手に相当する地域だと『十戒』の連中は主張しているらしい。地脈がどうこうとかで、いい呪力が盗める地区なんだと」


 歪に生長した妖精樹が外壁に根を這わせ、堆積した獣骨や昆虫の遺骸が基礎と柱の隙間を埋めるその様は古代の呪術性をこれ見よがしに主張するかのようだった。至るところで串刺しにされた動物が生贄の呪力を生み出す道を二人は歩く。蠅の羽音と物乞いたちの声を振り切って進むと、やがて人骨ばかりが積み重なった巨大な建造物が見えてきた。

 倉庫は中央区の外壁に貼りついた変呪施設と一体化している。保管と汚染を同時に行う前時代的なやり方だが、紀人都市の呪力が唯一無二である第五階層では有効と言えた。


「あそこだ。見ての通り警備は厳重。二人で突っ込んでゴリ押しってのも悪くはないが、あんまりスマートじゃあないね」


 少し離れた位置からセラメルが示した通り、目的の倉庫周辺には浮遊する宝珠、使い魔の巨大蠅、呪動装甲で武装した警備員などが配置されている。押し込み強盗の真似をするのは潜入が失敗した時の最後の手段と考えた方が無難だろう。

 ユディーアは天眼を研ぎ澄まして警戒の網に隙を探した。わずかでも穴があれば周囲の時空間を停止させて忍び込めむという手段もある。巨大な搬入口には絶えず物資が運び込まれていおり、『影走り』の悪霊(レゴン)たちがコンテナをせっせと運んでいく際には厳しく入退出がチェックされ、呪文マーカーで記録されていた。


「搬出口はあっちだ。そっちの警備も同じように厳重。二階にある窓から潜入するならドローンやオーブの無力化は必須。あんたに呪文での侵入スキルがあるならくそったれ機械どもを騙すのもいいだろう。鮮度のいい死体を吊してるおかげで死誘蝿が元気になってるし、そっちの対策も必要だ。一撃で仕留めるか、他の死体を引っ張ってきて奴らを誘うか」


 侵入ルートはひとつでは無いし、場合によっては強引な手を織り交ぜても何とかなりそうではある。あるいは手元のニアホンで誰かに相談するか。そんなふうに思案していたユディーアは、セラメルが意味深な笑みを浮かべていることに気付く。妙案があるのだろうか?


「実は私にいいアイデアがある。あんたの特技を活かすのさ」 


 この為に誘ったのだとセラメルは得意げに語った。見た瞬間にぴんときたらしいが、普通はぴんと来たからといって初対面の相手を窃盗のパートナーにはしない。

 

「外部の業者と比較して『十戒』の『黒っこ』連中のチェックはちっとばかし甘いだろ? 顔パスの奴もいる。それなりの地位なんだろうね。あいつらの骨牛車や大型箒に紛れて侵入できたら楽だと思わないかい?」


「買収ですか」


「そういうこと。使えるんだろ、『鋳造(キャスティング)』みたいなまじないがさ」


 鋳型に融解した金属を流し込んで器物を作ることを鋳造というが、それと同じ現象を引き起こす呪術基盤もまた同じ名を持つ。セラメルが言っているのは呪術のほうだ。

 確かにユディーアは『鋳造』を習得しているが、それを言ったらセラメルも同じのはずだ。燐血の民は火の文明の申し子とも言われている。基幹学校や実科学校の段階で鍛冶と鋳物が必修になっているのは有名な話だ。


「偽造なら燐血の民のセラメルさんがやって下さいよー。あたしのは天眼の民が使う傭兵契約の応用でしかないので、信用が無いっていうかー」


「嘘吐け。あんたのは極めて高度な『呪的価値の操作』。普通の鋳物屋にはできない仕事だ。そんだけスキルレベル上がってんのに誤魔化せるわけないだろ。観念して銀貨を出しな」


 言葉の意味は不明だが、やはりセラメルの前では能力を隠すことができない。ユディーアは弱気な表情になりつつも食い下がった。どのような共同体であろうと貨幣の偽造は重罪だ。


「あの銀貨(トークン)は紀竜の恩寵で毒や穢れを払う神聖なものなんです。宗教的な秘儀でもあって、悪いことに使うためのものではないんですが」


「なーにいい子ぶってんだい。そんな便利な特技、ばれない限りはおもしろおかしく自分のために役立てなきゃ損ってもんだろ。それとも正面から突っ込む?」


 眉を下げて困り顔になったユディーアは、葛藤するふりをしながら実際に買収が可能かどうかを検討していた。


「そもそもですよ? 果たして買収されたくらいで彼らが『十戒』を裏切るでしょうか。ばれたら殺されちゃうんですよ?」


「鋳造呪術は私も使えるが、あんたの価値操作とは根本から違うものだ。すっとぼけんのはやめな。あんたが裏切らせようと思ったら相手は必ず裏切るよ。死なんて恐れるもんか」


 セラメルの眼光は鋭く、ユディーアはこれ以上のごまかしは不可能だと判断した。言うほど便利でも万能でもないし過大評価ではあるのだが、現状をどうにかできるのは確かだ。


「わかりました。けど念のため、セラメルさんも手伝ってくれませんか。偽造じゃなくて、天界に奉納する神聖貨幣でお願いします。もし不足したら補って下さい」


「はいよ。それじゃあちゃちゃっと済ませるか」


 そうして方針は定まった。二人は倉庫から離れた位置に移動すると呪術を発動し、その手に硬貨を創造していく。実際に鋳造を行っているわけではない。その形式をなぞった呪術だ。

 労働が価値を生み出すように、時間や命数から硬貨を削り出す。ユディーアは指の間に数枚の銀貨を創造し、セラメルは噛み切った唇から滴り落ちた燃える血の雫から黄色に輝く硬貨を創造した。血とは贄、神に捧げる価値そのもの。血混じりの硬貨は生贄や祈祷道具といった聖別商品の販売、教会税を納める際に使用される神聖貨幣だ。両替の際に上乗せされる利益や仲介手数料は槍神教の資金源のひとつである。


「なんかセラメルさん、手慣れてませんか?」

 

「昔は敬虔な槍神のしもべだったのさ」

 

 かつて、多くの地域では貨幣といえば硬貨だった。太陰で確立された高度印刷技術や呪文加工技術が第六世界槍の文明圏外に伝播するのは近世に入ってからである。

 多くの地域で古い貨幣は『記された数字』よりも『含有される品位と量目』、すなわち鉱物の含有率と重量で価値を保証されていた。だが槍神教の聖職鍛冶のみに製造が許された特殊な貨幣には燃える血液が混ぜられている。


 火の扱いに秀でた燐血の民は天使の末裔として槍神教、修道会と深く結びつき、この秤量貨幣(ひょうりょうかへい)の鋳造を国家から請け負ってきた。鍛冶にも優れていた彼らが鍛えた武具は騎士修道会の軍事力を中原で随一の高みへと押し上げ、槍神教は拡大を続けた。

 世界中に伝播した教会の神聖貨幣は物質化した神の恩寵だ。天使の血は奇跡や加護の対価であり、神との契約に用いれば『神働術』が物質界に影響を及ぼす。


「天意よ、羽ばたけ」


 セラメルの命令に従い、硬貨に炎の翼が生える。

 これから行われる行為は通常の買収ではない。

 超越的な神格の力を借りた権威による思考の制圧、あるいは洗脳に近い呪いである。


「イベントと戦闘をスキップ。成功判定ごと跳ばせ」


 セラメルの小さな呟きの意図が読めず、ユディーアは首を傾げる。

 結果として買収は滞り無く成功した。呪術発動から間もなく、ユディーアが天眼で捕捉した貨物箒を襲撃。運転手を買収した上で数枚の銀貨を握らせ、自分たちは荷物に紛れただけであっさりと倉庫内に侵入できたのだった。二人はいま、コンテナが並んだ倉庫の奥に隠れながら小声で言葉を交わしている。


「いや、少し驚いた。あんたの銀貨、自分で手渡す必要は無いんだね?」


「あたしの『ユディーアの銀貨』を握りしめた裏切り者はあたしと同じ属性を有するようになるので、同じ術が使えるんです」


「裏切りを連鎖させる使い魔か。とんでもない反則だ」


「そんなに便利なものでも無いんですけどね」

 

 ユディーアにとってこの術は使い魔系統の奥義『軍勢』に相当する切り札のひとつだ。使い勝手はいいが、気軽に使える呪術ではない。自分という存在がごっそりと削り落とされた喪失感と不安感を誤魔化すように深く息を吸い込んで精神を整える。


 二人は敵だらけの倉庫内を慎重に進んでいくが、道中でユディーアは別世界に迷い込んだような感覚に陥った。死骸と腐った樹木で構築された空間はひどく気味が悪い。足下を這い回る長虫や鼠、飛び回る蝙蝠。生贄らしき屍肉を蛆や白色のキノコが覆い尽くし、あちこちに落ちた糞を養分にして白いカビのようなものまで生えていた。

 更に通路も複雑怪奇に歪んでいる。コンテナが規則正しく積み上がっているだけかと思いきや、不自然に崩れて道が閉ざされていたり、のたうつ大樹の根が壁を作っていたり、堆積した屍とコンテナが事実上の二階部分を構成していたり、倉庫内は立体的な迷宮と化していた。


「よし、私が足場をクラフトするから、あんたはあそこのゴーレムの頭上から忍び寄って一撃で仕留めるんだ」


「はあ」


 ユディーアの使い魔となった者たちは倉庫内から一時的に退去しているが、巡回している警備用のゴーレムや巨大昆虫などはそのまま残っている。騒ぎにならないようユディーアは背後や頭上から敵を屠り続けていく。足場や階段、時にはワイヤーフックなどを瞬時にクラフトして移動を手助けしてくれるセラメルの存在はありがたかったが、この妙な探索を楽しんでいるような気配があるのが引っかかった。


「松明か。泉があれば瓶の補充が出来たんだけど、贅沢は言えないね」


 上に行ったり下に行ったりレバーを倒して昇降機に乗ったり吊り下げられたコンテナを落として無限再生する食人樹木を押し潰したり、やり過ぎなくらいの冒険を乗り越えた先に二人を待っていたのは道端に直立する三脚の松明だった。


「えっと? なんでこんな倉庫内にぽつんと松明が?」


「ここが中間地点、いや違うな。多分ボス前だ。用心しな」


 言いながらセラメルは松明の前で膝を突いて祈り始めた。

 ユディーアは何か自分にわからない呪的ルールが働いていることには薄々勘付いてはいたが、その性質までは理解できていないままだ。困惑するユディーアにセラメルは言った。


「少し前から『適応者』はこんな感じだよ。冬の魔女との相性っていうのかね。邪視者のスタイルによって個人差があるけど、巨大な浄界ってのは拒絶するか上手く付き合うかの二択になるだろ。私は歓迎派なのさ。鑑定スキルも便利になったし」


「これって冬の魔女の浄界関係?」


「そう。英雄グレンデルヒを圧倒したって評判の奴さ」


 浄界とは邪視者個人の世界を拡張する行為だ。

 言うなればたった一人だけのためにある世界。

 疑似浄界にして限定的に氷血呪を再現するという触れ込みのユディーアの時空停止も基本的には自分だけに都合の良い世界として設定されている。

 しかし冬の魔女コルセスカの浄界は当人以外がこうして気軽に活用し、その恩恵に与っているという。それは恩寵、あるいは加護と呼ばれるものに似ていた。


「さ、行くよ。きっと目当ての霊木はボスドロップかその奧のコンテナだ」


「なにこの展開」


 胡乱なことを言いながら先導するセラメルを半眼で見つめながらユディーアは流されるようにしてついていった。空気は次第に張り詰めていく。ユディーアは首筋にじっとりと嫌な汗が滲むのを感じた。ここは既に尋常な倉庫などではない。かつてはシナモリアキラという都市にへばりついた変呪施設だったもの。それを邪悪な意思によって改造した巨大な寄生虫の体内とでも形容するべき魔窟なのだ。


 不意にセラメルが足を止めた。同時にユディーアも気付く。奧から何かの音が響いている。人の呻き声だ。それもひとつやふたつではない。無数の呻き声が折り重なって、まるで洞窟の奧で吹きすさぶ風音のように恐ろしげな旋律を奏でているのだった。

 不自然に生長した樹木によって視界を制限されながら、二人は開けた空間に辿り着く。

 そして、呻き声の正体を知る。


「こいつは、キノコ人かい?」


 手足の付いた大きなキノコ型のティリビナ人たちが、寝台に拘束されて呻き続けている。

 ユディーアは最初、それを点滴治療の光景だと誤認した。

 違う。この苦悶の声は逆だ。

 手首や足、小さなパーツがまとまった顔の側面に太い管が挿入され、そこから何かを吸い上げている。管が向かう先は奧に設置された巨大な鋼鉄製の円筒形容器だった。


「マイコニドがここでも? だとしたら、もう」


 意識が混濁している様子のキノコ人たちの顔を覗き込みながらユディーアは小さく呟いた。不機嫌そうに顔を顰めているセラメルの方を振り返って、目を見開く。

 瞬時に亜竜態になった両手から鋭利な鉤爪が伸びる。覚醒した天眼が周囲の全てを掌握し、時が引き伸ばされて灰色に染まる。時空間の停止。警戒態勢に入ったユディーアは即座に浄界を構築、漲る殺意を双爪に宿して大地を蹴ろうとする、その寸前。


「おおう、おっかねえ」

 

 ぴったりと重なり合う二人分の声が響き、ユディーアの頬を鋭い風が掠めていった。

 先手必勝で掌握したはずの灰の彩域が粉々に砕け散っている。

 壮絶な悪寒と共に声がする咆哮に視線を向けると、並んだ二つの頭が欠けた歯を剥き出しにして悪童のように笑っていた。


「また会ったなあ、ユディーアの娘っこ」


 クナータを攫った四人組のひとり、ノゴルオゴルオ。大岩を背負った猫背気味の巨漢は拳大の石を手の上で弄んでいる。先ほど視界の端を通り過ぎていったのはあれと同じ石だ。ユディーアは硬直したまま動けないが、それも無理からぬことだった。初手の攻防で完全な敗北を突きつけられたのである。ただの投石という単純な牽制で切り札が無力化されていた。


「初手から『巨人の投石』とはね。しかも命数(ヒットポイント)が十三万? あんたこのバケモンと知り合いかい?」


 セラメルが気持ち悪そうに岩肌種を観察しながらユディーアに問いかける。

 ぎこちなく首肯したユディーアに同情するような視線を向けたセラメルは、無造作に床を踏み鳴らす。床の表面が歪み、波紋が広がっていく。しかし直後に岩肌種の巨腕が目にも留まらぬ速度で閃き、真下へと石を投げつける。それだけで発生するはずだった神秘は消失し、セラメルによる反撃の一手は封じられてしまった。


「落ち着け。別にやり合う気はねえ。今回はそこで寝こけてる連中を助けに来ただけだ」


 今しがた必殺の呪術を打ち消したばかりとは思えぬほど落ち着いた様子で岩肌種は歩みを進めていく。それを止められるものはもはやこの場には存在しなかった。

 投石。原始的な投射攻撃は銃規制を司る竜であっても妨げることはかなわない。

 神話の巨人は時に山や大陸を投げて敵対する神族を殺してのける。呪術基盤としての『力強い投石』は伝承を概念的に再現し、神の所業たる浄界の成立を強制中断させるのだ。

 時空停止の疑似浄界は完璧な応手で潰された。その気になればこちらの頭蓋を粉砕できたという意思表示付きでだ。


 絶望的に力が足りない。今のユディーアではこの怪物に勝てない。浪費が過ぎたのだ。外に出している使い魔たちを呼び戻そうにもここに到着するまでには時間がかかる。

 目の前に敵がいて、攫われたクナータの手がかりが掴めるかも知れないというのに、現実には手も足も出せないでいる。己の不甲斐なさと浄界への過信が招いた失態だった。警戒対象は氷槍使い(アルティウス)だけではない。敵の一味には時空停止が通用しないと考えるべきだったのだ。

 ノゴルオゴルオが真横を通り過ぎていく瞬間、ユディーアは身動ぎ一つできなかった。

 顔の片方がすれ違いざまに見下ろして、じっとりとした視線で睨め付ける。


「悪くねえな。アルティウスの完成までには仕上がりそうだ」


 それだけ言って遠ざかっていく。ノゴルオゴルオの関心はキノコ人たちに移っていた。

 大男は左右の頭を別々に巡らせながら寝台に拘束されたキノコ人たちに視線を向ける。妖しく輝く眼光が現実を改変し、哀れな虜囚を縛る帯を石化させていった。


「可哀相になあ。おんなじ洞窟の種族としては放っとけねえだよ」


 岩肌の巨漢が軽く腕を振ると、石になった拘束帯や枷が一斉に砕け散った。

 更に彼の影から湧き出した複数体の使い魔がキノコ人たちを寝台から運び出していく。術者を模した石人形たちは丁寧な手つきでキノコ人の身体から管を引き抜いて、傷口に呪符を当てて治療を行っていた。


「なんだい、見かけによらずいい奴じゃないか。あんたが剣呑な態度で仕掛けるから悪党かと思っちまったよ」


 セラメルは拍子抜けした様子だった。ユディーアはクナータが誘拐されたことを持ち出してそれに反論することもできたが、口には出さなかった。

 そもそも、この岩肌種がどのような人物であるのか、どのような目的で行動しているのかすらユディーアは理解できていない。ライラ・ラプスやスーリウムも英雄と呼ばれる傑物だ。その行動には崇高な理由があるのかもしれない。


 もちろん、そのような事情はユディーアには何の関係も無いことだ。

 しかし敵を知ることで得られるアドバンテージは大きい。

 砕かれた灰の彩域を確認する。周囲の死骸と相手が用いる石の呪力から再構築は可能だろうか? 時空停止の浄界は警戒されている。だが直に接触してからの過去視ならば。 

 接近するための攻防の組み立てを瞬時に構築して立ち位置をセラメルの近くに寄せていく。敵の注意がキノコ人に向いている間に不意を突ければ、あるいは。

 そこまで考えた時、セラメルの異変に気付く。表情と口調では警戒を解いているにもかかわらず、その目と立ち姿が未だに敵と相対する時のままなのだ。 


「いやあ、流石はトロルだ。洞窟種族の王と言われるだけのことはある。ところであんたさ、そいつらを保護してどうするつもりなんだい?」


 セラメルの問いかけに、ノゴルオゴルオはごく自然に答えた。


「決まってるだよ。こんな粗悪な精製施設から救い出して、もっと効率的に搾り取れるとこさ連れて行くだ。卑しいキノコどもがおらたつに奉仕するのは当然だからなあ」


 その言葉に舌打ちしたセラメルは不愉快そうに顔を歪めて叫んだ。


「やっぱりそうかい。噂になってんだよあんた。私の客も何人か行方がわからないままだ。拉致したキノコ人たちの居場所を教えな、この悪党!」


 鍛冶師は腰の後ろに手を回し、吊り下げていた金槌を片手で構えた。

 『創造(クラフト)』ではなく、あらかじめ持っていた道具の使用。

 この状況で頼みにする武器がただの金槌であるはずもなかった。


「燃えろ」


 セラメルは豪快に腕を振りかぶってぐっと力を込めた。二の腕が盛り上がり、赤々と燃え上がる炎が肩から肘へ、手の甲から金槌へと伝っていく。あらゆるものを見透かす眼光が邪悪な呪術師を射貫き、裂帛の気合いと共に猛火の塊と化した金槌が投げ放たれる。

 爆発。

 凄まじい衝撃破が大気を鳴動させた。回転する金槌が猛火を推進力にして一直線に岩肌種の大男に迫る。ノゴルオゴルオは動じずに岩石の腕を前に出して、直撃の瞬間に四つの目を見開いた。金槌が一気に膨張したのだ。赤熱する鉄塊は岩肌種をたやすく押しつぶせるほどのサイズになって熱と衝撃を叩きつけた。


「グハハハ! 熱い、熱いだよ!」


 それでもノゴルオゴルオの防御は破れない。邪悪な笑みを浮かべる二つの顔は意思をひとつにして二重に防御呪術を維持している。完全調和した呪力強度はセラメルを圧倒していた。

 巨漢はのし掛かってくる巨大金槌を生来の剛力で吹き飛ばした。金槌は壁面にめり込んだ途端に縮小して落下、小さな音を立てる。


「ひでえことするなあ。おらたつは当たり前のことをしてるだけだべ」


「何が当然だい、この外道。あんたみたいなカビ臭い田舎者は洞窟から一生出てこない方が世の中のためってもんだよ」


 怒りを込めて石人形たちに連れ去られようとしているキノコ人たちを指差すセラメル。たとえ異種族であっても彼女にとっては無関係な間柄と見なすことは出来なかったのだろう。燃え上がるような義憤を闘志に変えるその背中を見て、ユディーアは構えをとり直した。足りなかったら追加しようと思っていたが、その必要は無さそうだ。

 ノゴルオゴルオは素朴な正義感の発露を嘲笑するように胴間声を上げた。


「じきにその洞窟(いなか)の道理が常識になるだよ。岩石の眷族こそが全ての頂点、それ以外の下等種族は全て奴隷だ! ラフディ人やキノコ人、地底妖精や熊人なんかは二等市民として認めてやってもいい。だどもおめーは駄目だ、燐血ども」


 松明を掲げる聖なる種族と闇に潜む邪悪な洞窟の種族。それは槍神教の訓話に良く見られるステレオタイプな対立の構図を引き写したような対峙だった。

 セラメルの眼力は物事の本質を照らし出す。

 彼女をこれほどまでに激昂させるノゴルオゴルオの性根は間違い無く醜悪極まりないものだが、その一方でユディーアの思考は冷えていた。


 あまりにも典型的過ぎる。いや、戯画的と言うべきか。

 両種族が象徴するのは松明と洞窟。

 燐血の民の修道騎士が洞窟の奧で邪悪な岩の怪物を退治するという昔話は世界各地で見られるものだ。それほどまでにこの構図は出来過ぎている。

 もちろんセラメルの目は疑いようもなく優秀だ。

 ノゴルオゴルオもまた邪悪な呪術師ではあるのだろう。

 それでもユディーアの呪文使いとしての直感が告げていた。

 『この構図は呪いだ』と。


「待ってセラメルさん、もしかすると奴は」


「気付くのがおせえ。言質は取ったど、『田舎者』と確かに聞いた!」


 叫んだ怪物の胸から腹にかけての部分が、ごっそりと抉れて消失する。

 突如として生じた人体の落とし穴。貫通するほど深いにもかかわらず、向こう側はまるで見えない。底の見えない暗闇がどこまでも続いているようだ。

 いつの間にか四つの眼球は落ちくぼんで消え去り、深い闇を内包した眼窩と真円を描く口が不気味な風音を彼方から響かせる。怖気をふるうような唸り声にユディーアとセラメルは一歩退き、その忌避のまなざしに呼応するように怪物はその身を振動させた。


「感じる、感じるだよ、おめたつの自文化中心主義(エスノセントリズム)にまみれた『まなざし』を! おらたつの『郷里ことば』を蔑み、品のねえ田舎モンって馬鹿にしてんだろ? 気持ち悪い傴僂(せむし)の怪物、とっとと田舎に帰れってなあ!」


 呪わしい言葉と共に、底の知れない暗闇の中から這い出すものがあった。

 それは触手だった。それは吸盤だった。それはカビまみれの屍肉だった。

 豚と狼が融け合いながら床を這い、十本指の小人と結合したカラスがじたばたと蠢きながらキノコ人たちに近付いていく。イカの頭を乗せたヒト型がのそりと姿を現し、全身に眼球を貼り付けた蛇が身体を撓めてはバネの要領で進んでいく。


「狂怖(ホラー)が第五階層に?」


 熟練の探索者であるセラメルが恐怖の感情を隠し切れていない。

 本来この地には存在しないはずの異形の怪物たちの出現によって事態は最悪の方向に進もうとしていた。異獣たちは石人形に捕まっているキノコ人たちに近付くと、それぞれの触手や口吻を伸ばして接触。どろどろに溶けながらその体内へと入り込んでいく。

 『ホラーという生物』という認識が虚構であったかのように、異獣たちは掻き消えた。

 キノコ人たちが目を覚ましたのはその直後だった。


「何があっただ? なしておらは」


 違和感が膨れあがる。セラメルも同様の感想を抱いたようだ。目覚めたばかりで意識があやふやなキノコ人たちの言葉づかいが、以前聞いたものと違って聞こえる。

 ありえない、と理性は叫んでいた。

 だが現実にそれは起きている。これは翻訳の問題だ。


「方言連続体の境界操作? まさか太陰の目を欺くなんてことが」


 ユディーアは確信した。ノゴルオゴルオは『方言使い』だ。

 俚言(パトワ)、そして方言(ディアレクト)。

 太陰(イルディアンサ)による言語の調律は自動的だ。日本語の影響下に置かれている現代ガロアンディアン語では『標準語から想定される周辺言語変種』が役割語や訛りの表現として選ばれ、それらしく翻訳されている。


 ある程度の訛りならば自動的な補正がかかる程度だが、ノゴルオゴルオが使用する言語のニュアンスはわずかずつだが補正の範囲を逸脱しつつあった。『それっぽい訛り』から徐々に逸脱し、翻訳で捉えきれないニュアンスが感じられるほどに。

 この言語魔術師が己に付けたラベルは醜悪に振る舞う『怪物』の役割だ。

 倒されるべき敵、正義と道徳に敵対するもの。

 それが種族的特徴のみならず、地方言語や方言と結びつけられた時、何が起きるか。

 民族的アイデンティティや政治・信仰・教育・行政の境界を分かつ『独立の芽』。

 太陰が最も危険視する不和の要因であり、言震の火種となり得る『土地の呪文』。

 大衆の分断と対立を煽り、郷土愛を憎悪に変換するデマゴーグ。

 方言使いノゴルオゴルオは世界の言語秩序を破壊する言語テロリストなのだ。


「おらたつの素朴な『当たり前』を、おめたつはせせら笑って見下し、嘲る! やっぱ都会もんは信用できねえ。真面目に働いてたこいつらをこいな目に合わせるこの街を許しちゃなんねえだよ」


 ノゴルオゴルオはまだ夢見心地のキノコ人たちに言い聞かせるように呪文を唱え、呪力を注いでいく。洞窟の奧から響く恐ろしい声に哀れな犠牲者たちが震え上がり、しかしその意思だけが怒りに奮い立とうとしていた。


「そ、そうだそうだ! あの黒っこどもを許しちゃなんねえ!」


「あいつらだけでねえ! おらたつの土地を奪った枯れ木っこ共もだ!」


「この街の連中はみんな同じだ! 誰もおらを助けてくれねかった!」


 吹き上がる怨嗟の声を聞いて、双頭の怪物は満足そうに笑った。

 それからユディーアとセラメルを指差して、こうけしかけた。


「そうだ。そして見ろ。あのおなごどもの目! おめたつを馬鹿にして、まるで怪物と蔑む『まなざし』を! あれが異獣、おめたつにとっての敵だ!」


 例えばユディーアには、呪文使いとしてフィリスの名を呼び、異なる解釈でその呪いに抗うという選択も可能だった。

 だがどのような言葉で彼らの敵意を誤魔化すべきなのか。

 幾つか思い浮かんだアイデアは、向けられた無数の敵意を前にした途端すべて吹き飛んだ。

 所詮、ユディーアにとって言理の妖精という神秘は誤魔化しの手品でしかない。

 露呈した限界に打ちのめされている余裕すら無く、現実がその牙を剥く。

 キノコ人たちの肉体が膨張し、見上げるような巨体へと変容していった。

 地面をカビが覆い、胞子が宙を舞う。

 新たな傘を伸ばして腕や頭を増やしたキノコ人たちの姿はその異質さが誇張され、よりおどろおどろしい怪物じみたものになっていく。シンプルな目と口がどろどろに溶け落ちていき、わさわさと蠢く無数の手が赤子じみた動きで胴体の下で潰れている。異形の触手が頭蓋骨や昆虫の死骸に巻き付いて融合していく。

 

「異獣化? 嘘でしょ、よりによってガロアンディアンで」


 まるで悪夢だとユディーアは呟く。だがどれだけ目を擦っても夢が醒めることはない。眼前で狂怖(ホラー)に成り果てたキノコ人たちは確かな現実だ。迫り来るおぞましい怪物たちを前に、ユディーアたちは武器を振るうしかなかった。

 かくして戦いの幕が上がる。

 冒険の最後に待っていたのは、型通りの怪物との決(ボス)戦であった。




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