5-6 神話の子供たち
天蓋の大樹から灯火が消えると、今度は逆さまの森が一斉に淡い光を纏い始めた。
偽りの太陽と星空が入れ替わり、昼が眠り夜が目覚める。
街が昼とは質の異なる賑わいを見せ始めた頃。占い師たちは逆さまの森が灯す不可思議な光を使った『第五階層だけの星読み』で顧客を獲得しようとそれぞれ裏路地や四つ辻に陣取って競い合うように商売を始めた。
未来。先の見えない暗闇の中、誰もがそれを求めている。
流れ星に願いを託し、星辰配置に意味を見出す。それはある種の祈りの形だ。
第五階層辺境区においても、それは変わらない。
紫の軌跡を描きながら落下した未来は、あまりにもあっけなく砕け散った。
無数の欠片となって飛散した紫水晶。『今ならおまけで占い無料♪』が売り文句のクレープ屋台の前で、怒号と暴力が吹き荒れる。
暴漢、と一括りにしてしまうには屋台を取り囲む男たちには『色』が付きすぎていた。数は五人、いずれも黒い肌に尖り耳の半妖精、手の甲には共通した黒豚の刺青、同じ共同体に属するもの特有の同質性の高い気配。脅し文句もまた判に押したようにありきたり。
「お嬢さん、同じ事を言わないとわからねえか?」
「一度でわかりましたわ。あなた方は私が欲しい。けれど私は勤務時間中に持ち場を離れるわけにはいかない。待つのも無理なのですよね? 困りました」
店員はどうしましょう、と頬に手を当てる。表情はヴェールに覆い隠されて判然としないが、惚けた雰囲気は相対する者たちの感情を逆撫でした。
「店に迷惑かけたくねえならさっさと来い。ボスは俺たちほど気が長くねえんだ」
「『豚好きハデス』様のお噂は耳にしておりますが、私、アダルトなケモノ映像に出演するのはちょっと。豚ではなく鹿ですし。それに闇っぽい方々のシノギは宗教的に遠慮したいです」
「あんたが巫女で占星術師だってことは調べがついてんだ! すっとぼけてんじゃねえ!」
男は口から唾を散らしながら威嚇するように移動式の屋台を蹴り飛ばした。
「ほぎゃあ!」
素っ頓狂な声に空気が凍る。誰かが屋台の下に隠れているのは明らかだった。
「誰かいるのか?」
「ば、ばれてしまっては仕方ありませんね」
震える声は女のものだ。カウンターの下からゆっくりと立ち上がったのは店員と比べて頭ひとつぶん以上は小さな少女。横の扉から屋台の外に出て、よいしょっと気合いを入れて屋根のへりに手をかける。屋根によじ登ろうとするが体を持ち上げるための腕力が足りない。じたばたと足を振りながら少女がわめく。
「ラズリ! ラズリ! どうしましょう!」
「はいはい、お手伝いしますねー」
店員が足を掴んでぐっと押し上げたことで小柄な少女はやっとのことで屋台の上に到達。唖然とする男たちを見下ろしながら胸を張って見せる。浅黒い肌にウェーブのかかった肩までの黒髪、高い鼻梁が目立つ彫りの深い顔立ち、そして透け感のあるエメラルドグリーンのチュールワンピースという外見の少女は居丈高に言い放った。
「控えなさい! 私たちを誰と心得ますか! 今は流れのバイト占い師に身をやつしてはいますが、その正体は栄えある創世竜の巫女! 世界を統べる竜神の天罰を恐れるのであれば速やかに立ち去りなさい!」
「なんだこいつも竜の巫女か。質のいい霊媒が増えて助かるぜ。ボスも喜ぶ」
「あれっ逆効果っ?! どうしましょうこの人たち巫女の権威にひれ伏してくれません!」
偉そうに胸を張っていた少女は一瞬にして涙目になってすがるように下に手を伸ばす。助けを求められた店員は小首を傾げた。
「エメちゃんは何がしたかったんです?」
「だってだってこうすればドラゴン権威パワーで基本みんな敬意を払ってくれるはずなのに! 竜帝さんの権威を恐れないなんて、さては皆さん反権力でロックな方々ですねっ?」
「ここはガロアンディアン中央政府の目が届かない辺境区ですからねえ。エメちゃんの権威はわりと無力です。紀竜を信仰しているかたも『下』ほど多くないですし」
縮こまる少女と暢気な店員、動かない状況に焦れてきた男たちは強引に二人を拉致しようと懐から武器を取り出そうとする。店員が小さく息を吐き、少女が絶叫した。
「ひぎゃああああこわいこの人たちこわいです! 何ですかこういうのは私の担当じゃないです祝祭はレースとかダンスとかライブとか平和的で楽しいイベントだから大丈夫って言ってたのにラズリの嘘つきいいいいい!」
泣き叫ぶ声を合図に戦いの火蓋が切って落とされた。店員が足下の影から巨大な杖を取り出すのと、男たちが一斉に飛び退いて距離をとったのは同時。リーダー格らしき男が呪符を用いて『霧の防壁』を展開する。
「頭が残ってればあとはボスの死霊術でどうにでもなる! トーナメントの動画は見たな、例の格闘術の間合いの外から徹底的に撃ち続けろ! 目から出てくるビームは俺が防ぐ!」
立ちこめる霧を盾にしながら四人の男が空中に無数の鏃をばらまく。半妖精の集団が戦意を込めて小片を睨むと、瞳に宿った輝きに呼応するように鏃の後ろに光の矢が出現。マジックミサイルと呼ばれる呪力矢が横殴りの雨となって店員とその背後の屋台に襲いかかる。
「だから目からビームでは無いとっ、くうっ」
矢の群を防ぐために自らの影を引っ張り上げて障壁に仕立てた店員は衝撃の重さに呻いた。切れ間無く追加される矢が建て直しの機会を与えてくれない。流れ矢が背後の屋台に直撃し、腐敗の呪詛をまき散らして崩壊させていく。「ふぎゃあああああ」という叫びが聞こえるがフォローできるほどの余裕が無い。
予想していた以上の苦境に店員は歯噛みした。このままでは自分はともかく背後の少女を守りきることができない。後悔に顔を歪める一方で、準備運動をするように左手を開いたり握ったりする店員。そんなときだった。彼女の前に思わぬ助けが現れたのは。
「いや、何これ?」
障壁を構築していたリーダー格の男、その胸を素手で背後から貫きながら女が首を傾げた。
髪の毛を頭の片側で纏めた眠たげな目の女。
どうということのない細身の小娘。女は頬の近くを飛んでいた羽虫を見つけて無造作に指でつまんで潰した。その仕草を見た男たちの表情から血の気が引いていく。
脱力した立ち姿にはおよそ気迫というものが無かったが、それゆえに男たちは何の前触れも無く自分たちのリーダーを殺害した女を『怪物』だと判断した。
「ユディーア?」
店員が驚いたように女の名を口にした。呼びかけというより、本当にその人物なのかどうか確信が持てないというニュアンスの問いかけに近い言葉。
だが確かに女はユディーアだった。
それ以外に相応しい呼称など、今はどこにもありはしない。
片腕のみを亜竜態に変異させた『鉤爪』持ちのユディーアは無造作に腕を引き抜くと、向けられた矢の射線から素早く逃れる。男たちは同士討ちを恐れて鏃を真上にばらまいた。頭上から斜め下に降り注ぐような矢の雨。背後から迫るそれを『霧の防壁』で、前から迫るそれを最初にしとめた男の死体を盾にして凌ぎつつ、次の首を一撃で斬り飛ばす。もう一人が吐いた呪詛を『妖精』で解呪しつつ踏み込んで腹腔に打撃。途端、我を失った男が絶叫しながら走り出した。増幅された感情が暴走し、男が全身の血を沸騰させながら味方に突っ込む。
「驚則気乱、わたわたパンチ」
混乱した仲間に襲撃されるという異常事態に一人が対応している隙にもう一人に肉薄。相手の邪視による『矢の如き視線』を天眼で捉えて受け流し、袈裟懸けの斬撃で息の根を止める。流れ作業のように混乱させた男の背を抜いて最後の一人に一撃を入れた。
肉と骨は粘土じみたつくりもので、臓物は映像作品の小道具。
そう説明した方が現実感のある殺戮の光景ではあったが、ユディーアの『剥落の鉤爪』は本来この程度には無体な暴力だった。個々人が咄嗟に発動させた『報復』の防御術など容易く貫き、瀕死の状態で使った『修復』の治癒術は傷痕に残留した高濃度の呪詛により阻害されて迫り来る死を遠ざけることは叶わない。
「一人くらいはギリ生きてる? ちょっと過去覗かせてね。嫌だって言っても見るけど」
ユディーアは無造作に半死体の男の頭髪を掴んで持ち上げると、投げやりさと苛立ちの入り交じった口調で言った。だが灰色の『窓』が開こうとしたその瞬間、死にかけの男が奥歯で何かを噛み潰す。灰色の彩域が歪む。時空が早回しで進み、男が急速に老けていったかと思うと朽ち果てる。骨と皮ばかりの老人から風化した白骨死体、最後は風に舞う塵に。他の四人の男たちも同様に消滅したのを見て、ユディーアは目を細めて息を吐いた。
「一人でも生きてればいいかなって思ったんだけど。自害と同時に加速符で証拠隠滅? 訓練され過ぎてない?」
手を払って灰を捨てると同時に鉤爪を収納する。物質化していた滅びの呪文は使用者の意思に呼応して血の中に還っていった。戦闘を終えたユディーアはぎょろりと視線を巡らせて店員を見た。まばたきのわずかな時間、目蓋の内側で半透明の保護膜が水平方向にスライドする。爪と角は隠されているが、亜竜人特有の瞬膜はそのままだ。ユディーアは戦闘態勢を完全に解いてはいない。店員は眉をひそめた。崩れた屋台の傍で少女がまだぶるぶると震えている。
「ラズ、頼みがあるんだけど。急ぎで。人探しできる? 押しつけがましくて悪いけど今のお礼ってことで手を打ってくれると助かるかなあ」
急かすような口調と足取りだった。店員はしばし沈黙したあとでふらりと踵を返すと背後でうずくまっていた少女の傍に向かう。無視されたユディーアは険しい表情で口を開こうとするが、機先を制するように店員の言葉が差し挟まれる。
「この子の前で血を流すことを迷いませんでしたね。私、少しあなたを見損ないました」
ユディーアの表情が強張る。言葉を探すように口を動かし、見つけられないままに時間を取りこぼしていく。振り返った店員はその様子を眺めてから満足そうに言った。
「でも先読みの聖女が攫われたくらいで『あのユディーア』がこんなに取り乱すだなんて、けっこう激アツ情報ですよね♪ 私個人としては燃料供給感謝でーす♪」
「性根だけじゃなくて思考能力まで腐ってるの?」
「いえいえ、甘えで他人をコントロールできると思ってる人ほどではないですよ♪」
にっこりとした笑顔を向け合う二人。助けた者と助けられた者が笑い合って形作るあたたかな空気は、加熱のあまり焦げ付き始めていた。
無言で睨み合う。互いに二の句を継ごうとしているようで、そのじつ相手の脱力した立ち姿を観察しながら隙を見せ合っている。露骨な誘いだ。が、どちらも自分から踏み込むことはしない。決して行使されない暴力の気配を両者合意の上で膨らませていると、緊張に耐えきれなかったもう一人が大声で割って入った。
「ここでシリアスな本編からちょっと離れましてー! 楽しい気晴らしをご覧入れましょうー! 悪漢共を打ち倒した英雄と救われた巫女! 見つめ合う二人を旅の踊り子が囃し立て、歓待の舞を踊るのですっ!」
戦闘に怯えて震えていた少女が手をわたわたさせながら二人の間に飛び出した。やけくそ気味の口上と共に歌と踊りによる即席の舞台を上演、険悪な空気を無理矢理に作り替えようとしているのだ。ユディーアは不安を押し隠そうと必死な少女の顔を見て、視線を逸らす。
「ごめん、エスメラルダ」
少女はかえって恐縮し、店員はようやく作り笑いを引っ込めた。無言で足下の影を蠢かせ、使い魔の悪霊たちを使役して崩壊した屋台をどこかへ運搬したり辺り一帯を闇の帳で包み込んで情報を遮断したりと必要な作業を実行していく。エスメラルダと呼ばれた少女は舞を中断してからとてとてユディーアに近付くと、身長差のある相手を真っ直ぐに見上げながら胸の前でぐっと両手を握って捲し立てた。
「えと、ユディーアたちがそういう戦いをしてるのは知ってますし、ほら舞台でも悲劇には戦いや死、無情な行き違いなんかを題材にしたものはいっぱいありますし、私もそういうの表現しますし! へいきへいき! よっしゃー第五階層どんとこーい!」
「前向きだね。リーナのノリと相性が良さそう。だからかな」
「ほへ?」
良くわからない、という表情で小首を傾げている少女。
彼女こそ、竜神信教における第五の巫女エスメラルダ。
間もなく始まる『祝祭』に備えて呼び出された竜神信教派の切り札である。
「その話は後でしよう。ラズ、状況をどこまで把握してる?」
『公社』はセリアック=ニアが籍を置いている関係で、リーナとミルーニャの二人も含めた『空組』たちの第五階層における活動拠点として用いられていた。『メイファーラ』がまず『公社』に足を運んだのはそのためでもある。
今回の襲撃者は『杖』と『呪文』の同盟を真っ向から敵に回した上で『聖女』という『使い魔』の中核を奪取してのけた。末妹選定の構図を理解していなければ事態を把握するのはまず無理だが、それは同時に敵が関係者であるという可能性を示唆していた。
最も怪しいのは『使い魔』だ。トライデント内部の勢力争い。
故に、ユディーアは敗北後に意識を取り戻してからリーナたちに連絡を取っていなかった。
敵がクロウサーである可能性が存在するためだ。
そしてもう一つ、より悪いケースも考えられる。
末妹選定における第四の勢力。
すなわち『真なる邪視の座』が介入してきたケースだ。
『アルティウス』という名乗りを思い出す。彼が『本物』なら、『槍の民』が動き出したということも有り得た。
いずれにせよ、敵の正体を知ることが必要だった。現時点では情報が足りない。行動可能になったユディーアが真っ先に占い師を頼ったのは自然な流れと言えた。
「『公社』襲撃の報せなら噂になっています。『レオくん』は中央でトリシューラの庇護下に置かれていますが、彼は忠実な側近を失ったとか。ただ襲撃の目的は不明とされています。これが『杖』と『呪文』の同盟への攻撃、そしておそらく『使い魔』内部での勢力争いだと推測できるものはごく少数でしょうね」
攻撃されたのが『脳』の一派であるという事実は露見していない。ユディーアはまずその事実を確認してから自問する。あの襲撃者たちは『脳』を認識していたのだろうか?
「お陰で今まで大人しくしていた組織が勢力を広げようと動き出しました。先ほどの『占い師狩り』もそうした動きの一部かもしれませんね」
暗に『お前の失態が原因だ』と指摘しつつ、店員の仮面を外したラズリ・ジャッフハリムは巨大な錫杖にカードを差し込んでいった。円盤状の杖先から光の粒子が舞い上がり、中空に星空が投影される。占星術師の女は決められた手順に則ってカードを機械のスリットに挿入し、抜き取り、重ねてたり配置を入れ替えたりしていく。
「幾つかの弱小勢力が『今なら公社を攻め落としてレオきゅんを独占できる!』と勘違いして突撃、直後に全滅。呪的侵入を試みた低級の言語魔術師も同様の末路を辿りました。『デーデェイアの鏖視』に引き摺り込まれて今ごろアストラル海の藻屑でしょう」
さすがは海魔の巫女、と心にも無い賛辞を述べるラズリ。
ユディーアはそこまでわかっているなら話は早いと言葉を繋いだ。
「そう、皆殺しの戦神デーデェイアの呪いは生きている。問題は、襲撃してきた四人がそれを平然と突破してきたことだよ。『聖女』の居場所もだけど、ラズには襲撃者の正体と背後関係を占って欲しいんだ。まあ、できないなら無理にとは言わないけど」
「ユディーア! そういうのやめましょう! ね? ラズリもニッコニコやめて怖い!」
真面目な会話をぼへーっと聞いていたエスメラルダはまたしても剣呑になっていく雰囲気に泣きそうになりながら叫んだ。ラズリはわざとらしく唇を震わせて笑う。
「いいんですよエメちゃん。ユディーアったらこういう態度と物言いが許される相手が他にいないからって甘えてるだけなんですから。いいでちゅよー、他ならぬ親友の頼みでちゅからー、優しくて友達甲斐のある私がー、なんでもやってあげまちゅからねー、ばぶばぶー♪」
「だから! そういうの! やめて! こわいから! 二人とも笑顔禁止! 真面目な話するときはシリアス顔で用件だけにして! 虚ろっぽい友情ごっことか恐怖しかない!」
とうとう涙目になるエスメラルダ。二人は顔を見合わせ、
「じゃあやめよっか」
「ですね。エメちゃんからかうのは楽しいですけど」
と言ってさっさと一触即発の空気を引っ込める。
何が何だかわからずにいるエスメラルダを放置して、ユディーアとラズリは話を続けた。
「というわけで、囚われのお姫様救出作戦ですね! 燃えるシチュエーションです!」
「あのね」
「冗談です。それにしても、これは大きな失態ですねユディーア。私が聖女様の居場所を特定できたら、トリアイナ様への貢献度稼ぎになるでしょうか?」
「ラズ」
「じょ、う、だ、ん、です♪ けれど、可愛い救世主様に懐かれたら嬉しいな、くらいの下心はあってもいいでしょう?」
深く息を吐いたユディーアは半眼になってラズリを睨め付ける。
いちいちまともに取り合うからいけない。冷静になれ、情報の交換に徹しろ。
己に強く命じてから、気を取り直して説明を続ける。
「探して欲しい襲撃犯は虹犬種、岩肌種、古代半妖精に天眼の民。実行犯はこの四人だけど、他にも仲間がいる可能性はある」
ユディーアは目の前に広げた『窓』から少量の灰神を掬い取り、ラズリの前に散りばめた。過去の情報に目を通しながら占術の工程を重ねていくラズリ。
「『先読みの聖女』と同等以上の時空干渉力を持った術者ですか。冬の魔女コルセスカや賢者オルヴァが黒幕というオチでなければ、そのクラスの怪物が他にもいるということ。私の見透かした未来が安定するかどうか少し不安ですが、やってみましょう」
ラズリの杖が発光し、輝く瞳が星空を映し出す。
中空に投影された星図とその下に配された札による占術は古代ワリバーヤ王朝で盛んに行われていた形式である。星々を擬人化した神として崇めていたワリバーヤにおいて占星術とは神託を受けるための祈りでもあった。ゆえに『託宣』が示す未来の強度は高く、多種多様な占術の中でもとりわけ妨害呪術に強いとされている。
しかし、定説を覆すような例外は常に存在する。
ラズリの目の前に現れた未来。それは不安定に揺らぐ複数の幻像だった。
「確定しない、というより分岐してる?」
ユディーアが眉をひそめる。ラズリは首肯した。敵は当然のように占術や未来予知の対抗策を準備してきている。この結果が示しているのは、ただ『わからない』よりも厄介な妨害工作をされているということだ。
「これ、敵の呪術師は想像以上の怪物ですね。複数の時間軸、確定していない可能性の道を同時に構築して『未来回想』に重ねている。『塔』だとノエレッテお姉様やカネッサお姉様が得意な『時間樹』を渡り歩く古代テテリビナの秘術です」
古代テテリビナの秘術。ユディーアは薔薇の麗人の姿を思い出す。あの人物が本物の『テテリビナ』であるとすれば、その力量は現代呪術師の想像を超えている。
「『先読みの聖女』は同時に複数の位置に存在する、ということ?」
「複数の位置に存在する可能性がある、ということです。蓋を開けてみないとわからないし、『そこにいない可能性』をひとつひとつ確定させなくては辿り着けない仕掛けです。ついでに言えば、術者たちの正体はさっぱり占えませんでした。これも素性が確定しないからですね」
ラズリは揺れ動きながら複数に分岐している立体幻像を整理するように四つに切り分けて順番にユディーアに示していく。
「可能性の枝は四つ。ああ、話が繋がりました。聖女様の居場所は『占い師狩り』を意欲的に行っている方々の拠点。『公社』に抵抗を続ける辺境区の四大ギャングたちですね」
該当する組織の概要と位置情報を併記しつつ、ラズリはユディーアに進むべき道を示した。
迷宮刑罰者が結成した探索者集団、『ゴーリーズ』。
ネビロン氏族の半妖精が結成した組織犯罪集団、『十戒』。
黒檀の民による互助組織、『ハルムシオンの風』。
ティリビナ人たちによる自治独立を訴える組織、『ティリビナ同胞団』。
「辺境区の組織も『流れ』が変化することを察知しているのでしょう。地上における『過去』のライブ、先だっての『死人の森』事件。ああした『階層全体の大規模変容』に備えるべく、未来の情報を欲しているのでしょうね」
「これ、襲撃者たち四人の所属がそれぞれバラバラって可能性はある?」
「四大勢力が結託して聖女を誘拐したと? まず無いですね。確実に話がまとまりません。特に『ハルムシオンの風』と『ティリビナ同胞団』が共闘することはありえません」
ティリビナ人と黒檀の民は歴史的経緯から仲が悪い。一時的に目的を同じくすることがあったとしても成果を巡ってすぐに争うことになるだろう。今のところ四大勢力同士での抗争は起きていないが、『公社』の弱体化に乗じて辺境区の勢力図が書き換わる可能性はある。
「薔薇のアヴロノが古代種だったことを考えると、真っ先に調べたいのは『ティリビナ同胞団』なんだけど。『呪文の座』やプリエステラの動きを考えると明確な敵対はしたくない。独立派ってことは、トリシューラからのアプローチも危険だよね」
「『同胞団』に関しては私に任せてください。竜神信教はティリビナ人コミュニティへの布教も行っていますので、こっそり内情を探るくらいのお手伝いはできそうです」
最終的にどの勢力が黒幕として確定するにせよ、ティリビナ人コミュニティとの関係悪化は回避すべき重要事項だ。無策で突っ込むには情報不足、ここはラズリに頼るのもやむを得ないだろうとユディーアは判断した。
「ありがとう、じゃあそっちはお願い。あたしは他の三つを当たってみる」
「いえいえ、わたくしにとっても一大事ですし、親友の頼みですもの」
協力態勢をとることを決めてユディーアはその場を足早に離れようとした。焦っても仕方がないが、のんびりしていられるような精神的余裕は皆無だ。そんな時だった。
灰色の窓からユディーアの過去視映像を眺めていたエスメラルダが出し抜けに目を輝かせる。頭頂部のくせっ毛が意思に呼応してぴんと立っていた。
「しゅぴんと託宣来ました! 竜帝様がその四人の名前なら帝城の宣名碑に刻印されてるって教えてくれましたよ!」
驚愕の視線がエスメラルダに集まる。ラズリにもユディーアにも無い彼女だけの異能、すなわち竜の巫女として超越存在と交信する能力が発揮されたのだ。彼女が司るのは第五の創世竜、竜帝ガドカレク。『最も偉大』とされる帝王の紀竜である。
「待って。竜帝ガドカレクが個別に認識してるレベルの名前? そんなの名乗った方が確実に権威ブーストかかるのに、どうして一度も宣名をしなかったの」
何らかの制約があったのでなければ、アルティウス以外は宣名の必要すら無いほどの実力差があったということになる。権威者による宣名は敵を威圧し、世界に己の存在を知らしめ、信じさせるという有力な『呪術基盤』だ。竜帝が司るこの『権威』や『名声』といった呪力はその人物が高名な英雄や偉人であればあるほど高まる。
果たして、エスメラルダが口にした名前はいずれも英雄や賢者と呼ばれた人物の名前だった。ユディーアも詳しくはないものの、一般常識として名前は耳にしたことがある、というレベルの知名度である。
「虹国の言語支配者、『傘の魔女』ライラ・ラプス。ベフォニス王家の千年摂政、『双頭』ノゴルオゴルオ。ティリビナ人の大脱出を成功に導いた英雄、『花のアヴロノ』スーリウム。そして守護の九槍『元』第六位、『竜牙槍』アルティウス。ただアルティウスは故人で、騙りか再生者かわからないです」
託宣が確かなら敵の正体は『下』の賢者と『上』の英雄だ。そしてこうした状況での彼女の言葉が信用に値するとユディーアは経験的に良く知っていた。重い溜息を吐く。
「トロル王国の双頭政治って世界史で習ったけど、比喩じゃなかったんだ」
「心が二つでも身体が一つだとあまりぴんときませんね。一心同体はいい素材なのに。『騒がしい押しかけ人格』とか『迷惑な憑依霊』とかのカプならおいしくいただけるのですが」
「あの、お二人とも突っ込み待ちです? これ私が突っ込むんですか?」
見当違いの方向に関心を寄せるユディーアとラズリを、エスメラルダは半眼で睨んだ。
ユディーアはごめんと言って端末で情報を集める。
「ありがとう。おかげで対策が立てやすくなった。敵の背後関係は更に予想がつかなくなってきたけど。でも虹国の情報はアストラルネットだとよくわからないな。あそこ朱の彩域が文明基盤だから一度眠って夢界に潜った方がいいかも。『傘の魔女』、虹犬の五大英雄だっけ。虹犬の人なら詳しいんだろうけど」
いくら著名人とはいえ、ユディーアは異国や異種族の英雄にはそこまで明るくない。現代がネット社会とはいってもアストラルネットで何もかもがわかるというわけではないし、その情報が正しいものかどうかも精査が必要だ。あのプーハニアという虹犬の警備主任に尋ねてみようかと思案していると、エスメラルダが自分の知る限りの知識を提供してくれた。
「えと、『犬と猫の結婚』ていう五百年前に書かれた戯曲があるんですよ。主人公の助言者の魔女がライラ・ラプスの伝説を元にしてまして。恐ろしい冥府から手招きするハザーリャやデーデェイア、ティーアードゥといった闇の神々の誘いを遮り、此岸から彼岸へと虹の橋を架け、異界の彼方にある『猫の国』に導いてくれるいい魔女さんなんですけど」
じつはヒロイン役を演じたことがあります、と照れくさそうにはにかむエスメラルダ。
少女の言葉には重要な事実が含まれていた。伝承や戯曲で表現されている『傘の魔女』の逸話と権能は、恐るべき神々の呪いすら踏破可能であるという事実だ。
「『傘の魔女』、『虹犬五傑』、『犬精の至宝』。通り名は幾つもありますが、有名なのは系譜と出自を示す二つ名。神話では『レメス神の長女』とされています」
「『はじまりの子供』。神が『人類』の呪文で創造した眷族種の祖だね。待って、確かノゴルオゴルオもトロルの神話では巨人ラウスの何番目だったかの子供じゃなかった?」
エスメラルダの言葉を受けてユディーアが記憶を確かめながら呟く。最悪の展開だった。敵は神話の登場人物。自分の祖先である『最初のユディーア』をはじめとする戦乙女たちと同格の存在だ。するとラズリが補足するようにこう続けた。
「そして当然、テテリビナも最古の妖精ですね。アヴロノという言葉が生まれるより前に分岐した混沌派の物質化妖精。天秤の紀人エルティアスの庇護下に無い、移り気の紀神ミクニーと豊穣の紀神ガリヨンテの気まぐれな愛の証。守護の九槍の方はわかりませんが」
確かに、あの仮面の男からは神話時代の超越的な神秘性は感じられなかった。
だが『守護の九槍』という称号は現代の英雄たり得る資格だし、所有していた『魔槍』は伝説の英雄が持つに相応しい逸品だ。なにより、仮面の裏に隠されていたもう一つの仮面。
顔に、肉に貼りついた不気味な白い鱗。
ユディーアの血はあの巨大な鱗に遠い時代の神秘を感じていた。
理性では無く本能の確信。身体の奥底に眠る何かがあの鱗を知っている。
あの男こそ尋常な存在などではあり得ない。
「アルティウスという名は亜竜王アルトのあやかりだと思う。アルトの意味は『神の息子』、神話ではダーカンシェルという言語を司る神の子供とされている」
つまり、敵は全員が『神の子』という要素を持っていることになる。
神話において『半神』や『神の子』というのは英雄としての前提条件のようなものだ。
血筋は権威を裏付け、権威は地位と功績に迫真性を与える。英雄たちの物語が勝利という栄光で終わるにせよ、非業の死や裏切りによる嘆きという悲惨で終わるにせよ、彼らが運命という大きな流れに関わることに異論を唱えられるものはいない。
「『帝城』に名を刻まれている以上、彼らはこの運命における『特権者』です。救世主を巡る争いの中で重要な役目を担う存在になることは明らか。その、竜帝は聖女の血が悪用されることを憂いています。正しい秩序を取り戻すため、囚われの聖女を取り戻して『帝城』の封印を緩めよと仰せです。えっと、なんかごめんなさい」
代弁者として振る舞う巫女は自らの役目を果たしながら申し訳なさそうに目を伏せた。
気持ちはわかる、とユディーアはよしよしと同僚の頭を撫でる。
「あの子の血を擬人化度の高いガドカレクが欲しがるのは仕方無いよ。けどそうだね、クナータの血がそういう使われ方をすることも考慮しておかないと。あの子は救世主を生む『子宮』であると同時に、始まりの獣を呼び起こす生贄でもあるんだから」
聖女の重要性と己の使命を再確認し、ユディーアは決意を新たにする。
必ず取り戻す。そう誓って同僚の巫女たちに別れを告げて足早にその場を離れていく。
たとえ何を利用しても構わない。裏切りの後ろめたさや罪悪感など捨てていけ。
焦燥感は怒りに、怒りは戦意に変わっていく。今は前進が必要だ。
ラズリが展開する影の防御円から十分に離れた途端、ユディーアの腰に振動が伝わった。
腰に提げた収納袋、その蓋がぱかりと開いて中から小さなデフォルメ二頭身が飛び出す。
「にあ!」
携帯しているもう一つの小型端末、ニアホンからの着信だった。
ニアホンというのはセリアック=ニアが切り離した本人の一部であり、自律的に行動可能な『ちびニア』を相互通信可能な使い魔として加工したものだ。猫姫の『妖精』はこのようなふわっとした解釈と工業製品のマリアージュを得意としている。
「もしもしニアちゃん、犬の追跡はどう? 本体の修復は順調?」
「行き先ばらばら、セリアもぶれぶれ、可能性増え増え! 本体まだ。たくさん疲れた! あの虹犬きらい! 戻るのはしばらく無理そう。にあー」
セリアック=ニアは死亡したと見せかけて『ちびニア』化、虹犬の貴婦人が使役していた犬たちをこっそり追跡していた。消耗が激しく元の身体に戻るのは難しいようだが、かえって偵察や追跡に向いた形態となっている。
ちびニアの報告はラズリの占いを裏付けるような不確定な結果だった。
少し迷う。現在、『脳』の配下である四円で戦力として動けるのはユディーアだけだ。カーインは知らないが、猫の取り替え子や冥府の王子は殺して死ぬようなわかりやすい在り方はしていない。時間を置けば復活はできるだろうが、問題はその時間だった。
「わかった。一番近くにいるのは、『ゴーリー』ってギャングの邸宅? じゃあそこで合流しよう。あたしが向かうまで待機してて」
通話を切ってニアホンを仕舞う。目的地は決まった、あとは進むだけだ。
祝祭が始まってしまえば『未来回想』の狂いはより決定的になってしまう。
しかしセージの治療によってどうにか戦えるようになったユディーアにしても正体不明の呪いをかけられているという不安要素がある。今のところ異常は感じられないが、敵の呪詛に関して楽観は禁物だ。むしろ不死者や運命に守られた特権者を封じ込めるための、神話レベルの戦いに慣れた者が行う弱体化を狙った一手である可能性が高い。
洗脳、感染型の病毒、周囲を巻き込むような悪運の増幅、悲劇や裏切りを招く運命。
思い浮かぶのは最悪の可能性ばかり。誰かを頼れば危険が伴うかもしれない。
それが仮定であっても、ユディーアは仲間と共に戦うことを恐れた。
同時に『竜の巫女』なら多少は巻き込んでも平気だろうという自分の思考にうんざりする。ラズリの言葉は正しい。彼女たちなら、自分の悪運を受け入れて貰えるという甘えがあった。
こういう思考は駄目だ。弱さを生む。
敵は『神の子』が四人。目的地は揺れ動く不確定な四つの地。
全て潰して、必ず未来を取り戻してやる。
己を鼓舞しつつ、ユディーアは反撃のための一歩を踏み出した。




