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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り

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5-4 裏切り者の誓い




「なんというのかな。あの少年を見ていると、荒んでいた心が暖かいものに包まれていくような、そんな気持ちになるんだ。綺麗なものはここにあるんだって思える」


「こんな所に流れ着いても、クズばっかじゃねえんだな。世の中もまだまだ捨てたもんじゃねえって思えたのはあいつのお陰だよ」


「あんなに可愛い子が正義じゃないはずないだろ! 可愛いは正義!」


「彼のことを偽善者とか機械女王の広告塔とか言う人がいることは知っています。けれど、彼を手伝って難民たちに炊き出しとかしてると、ああ自分はまだ正しい側に立てるんだなって安心するんです。こんな場所にもそういう選択肢があるってことが大事なんだと思います」


「ああいうお人だからな。人を惹き付けると同時に憎しみや妬みも向けられるし、狂信者に襲われることもある。カーインには敵わないが、護衛の数は多くて困ることは無いだろ」


「純粋な善と美を体現した少年が実は邪悪ショタだった場合でもそれはそれでイイですし人の心を省みない無慈悲な一面を持ってても美味しいですよねそこで忠義の男を無造作に踏みつけてドーン! 捗りますありがとう! 個人的にはア、レオとカー、オで表情を使い分けてるのがポイントであの辺りにピュア美少年に潜む『ずるさ』と『欲望』の存在を仮定してみるt」


「はっきり言っちまうと、機械女王よりも王に相応しいと思ってるよ。あの無軌道な暴君に足りてない、人格としての美しさが彼にはあるんだ。『徳』ってやつがな」


 無害でか弱くて守ってあげたくなる、誰もがそれを信じてる。

 誰からも好かれる善良で素敵な少年、誰もがそうだと受け入れてる。

 もちろんそれは真実だ。

 古の神秘を宿す王族の血統を保全する博物城、そこで育った幼馴染みだから、ユディーアにはルーシメアという少年の気質が良く理解できていた。


「ルーシメア。獅子王の血に連なる最後の王よ。あたしは救世主トリアイナの降臨を正しいことだと信じてあなたに従ってきました」


 少なくとも彼が変わってしまうまでは、理解者だと思えていた。

 いや、この認識は卑怯だ。内心で訂正する。

 正確に、ユディーアがルーシメアを変えてしまうまでは、と言うべきだ。

 たとえ自分たちの運命があらかじめ誰かに定められていたものだとしても、それを実行した責任はユディーア自身にある。アズーリアたちにした事のように。

 罪は消えない。だからこそ問わずにはいられなかった。

 自身の弱さゆえに。それが『間違いではない』と信じたいがゆえに。


「今もそれは変わらない。目指す方向は正しい。人類は前提を忘れてる。スタート地点にすら立っていないのだから、まずそこに至らなければ話にならない」


 遙か昔、獅子王キャカラノートの時代から計画は始まっていた。あるいは『来訪者』たちがこの大地に降り立った時から。リーヴァリオンは時の瞳を秘匿し、ディスケイムは竜の血を純化させ、クロウサーはあらゆる呪いに溶け込んで、降臨の日を待ち続けてきた。

 人類ロマンカインド家族ファミリアを選べない。この大前提がある限り、パンゲオン世界のあらゆる生命はトライデントという枠組に帰結する。

 そこまではユディーアも納得しているし、とうに諦めはついている。

 けれど自分はまだ絶望したわけじゃないし、諦観に支配されているわけでもない。


 ユディーアは裏切り者だ。ゆえに、トライデントという運命に対して絶対の忠誠を誓っているわけではなく、純粋な信仰心を捧げているわけでもない。

 逆らうほどの勇気はない。抗うほどの愚かさもない。

 けれど、盲目になれるほど非情にもなりきれないのがユディーアだ。

 つまるところ、これは中途半端ゆえの叛逆なのだった。


「翼猫ヲルヲーラは『あなた』の干渉をほのめかしていました。地上で死霊使いガルズが起こした魔将再生事件と聖女暗殺未遂、翼猫による侵攻。そして」


 息を継ぐ。罪悪感に溺れまいとするように、深く吸って精神を整える。

 呪いのように重いその事実を、ユディーアはゆっくりと吐き出した。


「あたしの『竜覚』を利用した紀竜クルエクローキの顕現。悪運と悲劇の物質化。既存秩序を乱す因子への修正力によるアズーリアの殺害。確かにみんなは運命を乗り越えた、それでも」


 最後の引き金を引いたのは翼猫ヲルヲーラだ。あの猫は死の間際までそう思っていたし、事実としてあれは最初からそういう役割を果たすための都合のいい駒だった。

 けれど全ての始まりとなったフィリスの暴走、パレルノ山における干渉、プリエステラとティリビナ人の脱出行からアズーリアの死に至るまでの運命、それらを土台とした紀竜の顕現はユディーアが招いた『悪運』に他ならない。

 竜神信教における第三位の巫女、秩序と運命を司る守護竜クルエクローキの霊媒。

 幾度となくアズーリアを窮地に追い込んだ、それがユディーアにとっての最大の裏切り。

 友を死に追いやった。それがユディーアの罪。

 すべては死の淵から蘇生する英雄、すなわち転生者を主が求めたからだ。


「フィリスの試練は必要だった。救世主が生まれ、人類が真の意味でトライデントを理解する時が来るまで、あたしには手を汚す覚悟がある。友達を傷つける覚悟、大切な仲間を死に追いやる覚悟が! 誓約があるから裏から手を回して、こそこそ間接的に追い詰めるようなことばかりする卑怯者になるって覚悟が! けどそれ以外の、あんなに大勢の無関係な人たちまで巻き込むなんて聞いてない!」


 地上で死霊使いガルズと再生魔将たちが引き起こした災厄の被害は甚大だった。それが予定されていた『街路樹の民』への道筋であったとしても、やり方があまりにも強引過ぎる。

 なにより、とユディーアは目の前の少女を見ながら内心で続けた。あの時点で『子宮』が死ぬことはありえない。だとしても、クナータを危険に晒したことを自分は納得出来ていない。

 

「答えて下さい、『トライデントの脳』。あなたは大いなる目的のためならばその過程で何をしても許されると、そう考えているのですか」


 違う。高潔ぶるな卑怯者。身内に被害が及びそうになってようやく、流されるだけだった怠惰な自分は疑念を抱けるようになった。事態が目に見えず把握できない規模にまで膨れあがったことで罪悪感が制御の閾値を超えた。ただそれだけのことだ。

 完璧で正しいあたしたちの指導者は、本当に正義かだって?

 愚かで卑しいユディーア。

 他ならぬ自分自身が薄汚い裏切り者だというのに、どの口でこんな綺麗事を。仲間と呼んだ黒百合の子供たちに苛酷な竜の運命を押し付けたという事実、それは決して贖えない罪。

 どうしようもなく後戻りのできない地点にユディーアは立っている。

 それは彼も同じ、そのはずなのに。


「悲しいね。とても悲しいことだ。僕は、僕がもたらした全ての不幸を悲しく思うよ」


 どこからともなく響いてくるその声には、およそ後悔の念というものが感じられなかった。

 少年の声が伝えてきたのは感情だ。深い悲しみの感情に嘘は無い。

 そしてそれだけが答えだった。己の選択に対する悲しみだけがあり、その道を歩むことの正否を彼は問題にしていない。するまでもないからだ。


「この世界で起きている全ての悲しみ。全ての不幸。あらゆる苦痛。僕は、悲しい」


 誰よりも優しい少年は、誰よりも深く悲しんでいる。

 絶えず心を痛め、常に万人を思いやっている。

 純粋で優しい少年、誰もが思い描く理想的な姿そのままに。


「君の糾弾は正しい。王たるこの身は、あらゆる罪を背負っている」


 繊細な声は折れれば触れそうな脆さがあった。

 ひどく危うい、壊れ物の傲慢さ。


「僕もまた物語の中で生き足掻くひとりきりの役者に過ぎない。その配役が傲慢な王であるとすれば、僕は正しさの秤に試されるべきなのだろう」


 ユディーアは言葉を失った。

 正しさの秤。それは二人の間でのみ通じる符丁だ。『裏切りの勇士ユディーア』の物語を博物城で共に育った幼馴染みは知っている。裏切りについての疑問を語りあったこともある。王の器と正義を見定める『剣』の役目。『脳』が語った救世主を銀貨三十枚で売った弟子の事。『ユディーア』に重ねられた意味を知っている。彼直属の使い魔の中でただひとり、ユディーアだけが『素晴らしき王』をその爪で傷つけることができる、その意味を。


「愛深きユディーア。君がいてくれて良かった。僕には先が無い。行き止まりに辿り着いてしまった『もしも』が僕という影だから。罪深い特権者である僕では、どんなに知恵を絞ってもせいぜいが聖人の顔をした教祖か民に好かれるだけの王くらいにしかなり得ない」


 ルーシメアは未だ現在には存在しない、遠い未来に君臨する最後の王だ。

 絶望的な自己評価は、そのまま正確な現状認識だった。

 トライデントの『脳』は、最も無価値な細胞である。


「僕は善であるように見えるでしょう? 僕は好ましい感じがするでしょう? 正しい感じがすること、良さそうな人柄に見えること、民草はいつだって愛しやすいものを愛する」


 大衆主義ポピュリズムの化身。

 露悪でもなく、自嘲でもなく、自分をただそういうものだと語る少年の声に色はない。


「僕は過去に失敗し、今まさに力及ばず、そして遙かな未来でも行き詰まっている、無力な存在に過ぎない。その手で全てを掬い取ることは叶わず、正しい道を真なる救世主に委ねようとしているだけだ。ユディーア、その失望と怒りは正当なものだ。君は正しい」


 ひどく甘い言葉だ。

 自分は、こんな赦しが欲しかったのか?

 本当は嫌だったけどやれと言われたから仕方無く、大義のために、選択肢は無かった、内心では十分に葛藤して苦しみ後悔もした、手遅れでも自分の行動に疑念を抱いて造反も試みた、そういうありとあらゆる言い訳じみた思考が巡り続けてようやく気付く。

 無意味だ。自分は、何も考えていないに等しい。


 気持ち悪い。

 自分に対する嫌悪感、そのどうしようも無いほどの弱さと醜さへの忌避感、なによりも自らが目覚めさせてしまったこの主君に対する安心感が。

 不快と快、双反する感情が同居している。

 この恐怖をどう形容したらいいだろう。

 本当に恐ろしいのは、この感情が予定調和であることだ。

 この少年の在り方はとても気持ち悪い。嫌悪感すらねじ伏せる好意の暴力、愛らしさの魔力がおぞましい。高みから見下ろされている感じがとにかくいけ好かない。けれどもっと気持ち悪いのは、そう感じる自分自身だ。


 ユディーアという自分の存在が、この少年にとってどういう位置付けなのか。

 四人の守護騎士、特別な使い魔として選ばれた自分が何と重ねられているのかを、彼女は最初に教えられている。彼ら彼女らが抱えているそれぞれの罪の形も。

 罪の名は『裏切り』。

 自分が主に期待されている役割。それを考えるたび、気が狂いそうになる。

 ユディーアが干渉できない次元に超越的な上位者がぞろぞろと犇めいており、それらが無数の操り糸で彼女の運命をほしいままにしている。

 この少年王の前で、ユディーアはどこにも行けないまま囚われている。

 頭のおかしな妄想狂のような思考だが、これは純然たる事実なのだ。

 あとに残ったのは、寒々しい畏怖と燻るような火。

 慈悲深く、同時に残酷な王に対する、ごく小さな怒りの萌芽。


「ああ、煙に巻いたように思われたかな。ごめんね。じゃあ端的に答えるけれど。知っての通り、僕は邪悪だよ。言うまでも無いよね」


 完璧な王、善良な少年はそうして、なんでもないことのように続けた。


「だって、僕たち真なる魔将は、この世の罪と悪を受け止めるためにいるんだから」


 少年は『僕たち』と主語の中にユディーアを含めた。

 そして、それが答えのすべてだった。

 

「僕を裁くかい、ユディーア。その時が来たと、そう思うなら剣を振るうがいい。そうでないのなら、君は至るべき場所を見つけていないだけだ。今はまだ、ね」


 迷い、決断できず、先送りを繰り返し、時間だけが過ぎていく。

 そうしてまた、機会を逃す。

 今はまだ、その言葉に縋り付いて、無力を受け入れる。

 結局のところ、自分はいつもこうなってしまうのだろう。


「話は終わったかな。じゃあ本題に入ろう」


 何事も無かったかのようだった。誰もユディーアの凶行を咎めようとはせず、他の三人と同じように跪いた当人も己の無意味さを沈黙の中で噛みしめている。今はまだ、という先延ばしを続ける限り、彼女の意思には何の価値もない。


「承知の通り、これから九日間の『祝祭』が始まる。末妹選定の挑戦者たちが一堂に会し、真なる救世主が生誕する時が来る。必然、薪はくべられる。相応の悲しみと嘆きが世界を満たすだろう。言震の震源地となった第五階層はひどく危険な場所になる」


 ワードクェイク。呪的災害の発生を確定事項として語るルーシメアの口調は悲しみに満ちている。しかし救世主が生まれるとはそういうことだ。人類が心から真なる救いを求めなければ、『心臓』が形を成すことは無いのだから。


「『子宮』、そして生まれたばかりの『心臓』を君たちは守り抜かなければならない。僕が選んだ『正しい語り手』たちと合流させ、物語を紡ぐんだ。君たち四人の『妖精の運び手』はそれぞれが正しい道への案内人。誰かが道を見失っても他の誰かが正しい道を示す、そういうふうにできている」


 カーイン、アインノーラ、トロメリア、ユディーア。

 レストロオセ四十四士に所属しながらも『脳』のルーシメアに仕える四人。

 彼らはそれぞれ『脳』が与えた『妖精』を運ぶという使命を果たした。

 計画は次の段階に移行したのだ。


「クレイ、セリアック=ニア。このあたりのことはトロメリアから聞いているだろうけど、僕からあらためて説明しておくよ」


 呼びかけに新参者二人が反応した。瞳に銀河を映した男の目が閉ざされ、盲目の主人格が表に出る。視力ならざる超感覚でここではないどこかにいる存在をしかと『視』る。三角耳の少女もまた宝石の瞳でじっと虚空を見据えた。この二人に共通しているのは相手を見極めようとするような険しい視線、挑みかかるような意思だった。それを鷹揚に受け止めて、ルーシメアは言葉を続けた。


「君たちは『運び手』と身体を共有している『語り手』だ。妖精を得たばかりで『正しい道』とは何か、疑問に思っていることだろう。けれど大丈夫、二人が思うままの在り方でいい。大切な人を守ろうとするその姿を救世主に見せてあげるんだ」


「最初からそういう約束です。セリアは姉様のためにあなたたちを利用するだけ。ナーグストールの意思も同じ。セリアはこれまでと同じように振る舞います」


 猫姫はこれまでと変わらない。そう思っていたユディーアはその続きに意表を突かれた。


「ただし。姉様は現在、複数の勢力間で揺れ動いている不安定な立場です。姉様がどのような道を選んだとしても、セリアはこの場所からトリアイナ確保に動きます。それが姉様にとっての最善だと信じているからです」


 どこまでもリールエルバの後をついていくだけの追従者。セリアック=ニアはそういう少女だと思っていたから、その発言は少し意外だった。もちろん何かが変わったわけではないのだろうから、これは単純にユディーアがセリアック=ニアを見誤っていただけに過ぎない。


「俺も似たようなものだ。この身は『死人の森』に捧げられたが、今はコルセスカお嬢様の行く末を見届けるために在る一振りの剣。冬の魔女伝説がどの結末に至るにせよ、この立場が最もお嬢様の望みを叶えるのに適していると判断した」


 閉ざされた目のうちにどのような意思が秘められているのかはわからないが、クレイもまたセリアック=ニアと同じような行動原理で動いていた。と、その片目がぱっと開き、内側から極小の銀河と軽薄な声が溢れ出す。


「そーそー。火竜退治の英雄譚を演じるならまずは小道具と役者を揃えなきゃ! 聖女の血、『心臓』の目覚め、俺たち四円とコキュートス!」


 クレイは無言のまま指先で片目を閉じた。ぴたりとやかましい気配が消える。

 二人のやりとりがおかしかったのか、不在の主君がくすくすと笑った。

 そうして新たな部下の意思を確かめたルーシメアはこのように続けた。


「聖女が傷つけられたり呪われたりしたら全てが台無しになる。救世主誕生が正しい形で実行されなければ、最悪の場合おぞましいものが生まれてしまうことすらありうる」


 おぞましいもの。その正体を明確には口にせず、説明しないままルーシメアは話を続けた。彼が説明しないということは、それは説明そのものに危険性があるということだ。おそらくトロメリアは理解しているだろうが、ユディーアは嫌な予感がしていた。


「だから僕の騎士たち、トライデントの細胞から『子宮』を死守するんだ。最初の三日で『血脈』のクロウサーが動く。続いて『口舌』の手足たる『司書』たちが、最後に『両足』のセレクティフィレクティが救世主奪取に動く。更にリーヴァリオンの残党が『子宮』の中に潜んでいるはずだ。賢天主に敗れたリーヴァリオンはなりふり構わず播種を狙ってくる。母体からあの来訪者を排除した上で『心臓』を誕生させる必要がある。これは絶対だ」


 最後の命令は明確にユディーアに対するものだった。

 そう、問題は来訪者たちだ。人知を超越した異界の神々。

 この世界に干渉し、『心臓』の掌握を狙う上位細胞。

 クロウサー、ディスケイム、リーヴァリオン。救世主を守るということは、これら超越者たちと敵対するということに等しい。そしてそれは、ユディーアにとっては血の宿命と向かい合うことでもあった。ルーシメアは抱いている危機感を部下たちと共有しようと言葉を続ける。


「敵の手に救世主が渡ったが最後、その純粋な心は単一視座に染め上げられて傀儡に貶められてしまう。僕という転生者がどこまでいっても『獅子王の系譜』でしかないように、何かの劣化コピーでしかなくなってしまうんだ。それでは『未知なる末妹』である意味が無い」


 『使い魔の座』トライデントには欠点がある。最大規模の勢力であるゆえの内部対立だ。

 それぞれの細胞は中心である『心臓』のために行動する。しかし『主君のためと言いながら幼い王を傀儡に仕立て上げる佞臣』という構図は不滅だ。『使い魔の座』に選ばれるようなものは、本質的に他者を使い魔として扱いたがる。そういう『世界観』を持つ魂こそがトランデントの資格を持つからだ。


 『主という使い魔を操る』などという主従の逆転があってはならない。

 幼い救世主は正しく成長し、使い魔たちを導く善き王に成長する。

 これこそが苦しみの中にある人類が望んだ正しい救済の物語だ。

 救世主の未来を憂いたルーシメアは正しい道をあらかじめ用意しておくことに決めた。

 単一の道、単一の視座では傀儡にするのと同じだ。

 ゆえに用意されたのは『四つの視座』、すなわち理の妖精を宿した語り手たちの物語。


「『子宮』を守り、『心臓』を運ぶ。そして合流させるんだ、善き物語の先へ。君たち『運び手』は『語り手』も同時に守らねばならない。すなわちアズーリア、セリアック=ニア、クレイ、そしてシナモリアキラ、この四人のことを」


 ユディーアは己の運命に思いを馳せる。

 それは罪について考える事に等しい。

 友人。そう、アズーリアは大切な仲間でかけがえのない友達だ。

 だって、真の友情がなければ裏切りの価値は呪いを生み出さない。

 罪深くないのであれば、それは最初から裏切りではない。

 ユディーアは、アズーリアが紡ぐ物語に至上の価値を見出していなければならないのだ。


「当然だけど、救世主トリアイナを細胞のコントロール下に置かないようにするというのは『天眼』と『脳』も含んだ話だ。その時間の僕が干渉しようとしたら、カーイン、君が止めなければならない。わかってるね?」


「はっ。身命を賭して」


 カーインの忠誠心は揺るぎないものであるように思われた。

 彼はどうなのだろう。あの偽物の主君はルーシメアなのか、聖妃レストロオセなのか。

 下らない。思考を打ち切る。あれはカーインであってカーインではない。

 そんなこと、考える価値もない。思考を遮るように、ルーシメアから声がかかった。


「ユディーアも。君の血を掌握しているディスケイムの思い通りにさせてはならない。あれはクロウサー以上に油断ならない相手だ。君は救世主トリアイナを守ることに専念するんだ。余分な欲望でトリアイナを思いのままにしようなんて考えてはいけない。血の誘惑に決して負けないと、ここで誓えるね?」


 ユディーアにとってそれは考えるまでも無いことだった。

 血、家、生まれ、運命、呪縛された未来。

 クナータは一度死に、生まれ変わることでそこからようやく解放される。

 新しい世界でも運命は苛酷だけれど、用意されたレールの上とはいえ幾通りかの道に触れるだけの自由は認められるのだ。それはきっと救いなのだと思う。

 幼いキニスが、外の世界に出ることを認めてもらえたように。

 トリアイナが、アズーリアと仲良くなってくれたらいいと身勝手な願いを抱く。

 それが最上の未来だと信じることは、ユディーアとして正しいことだ。

 たぶんそれは、ユディーアという役割を果たす上で一番の救いだった。


「はい。あたしは救世主には干渉しません。未来はアズーリアに託します。あたしは二人の物語を最後まで守り抜くと誓います」

 

 心の底からの誓い。

 自分への失望が大きいほど、友人への希望は膨らんでいた。

 アズーリア。あの幻獣が紡ぐ物語。

 それだけが今の自分にとって唯一縋ることの許された未来だ。

 だって、それがユディーアの役割なのだから。

 運命が救いになることもある。それはきっと良いことだ。

 偽りなき本心が伝わったのかどうかはわからないが、ここではないどこかで微笑むような気配を感じた。ルーシメアはどこまでも優しい声で騎士たちに告げる。


「任せたよ、愛すべき罪人たち。人類の未来は君たちが守るんだ」





 姿無き主との『謁見』が終わったあと。

 気を失ったクナータを医務室に運んだユディーアは、外で待っていたセリアック=ニアと出くわした。話があると言われて、一階の猫カフェにふたたび赴く。猫姫を見た途端びくびく怯え出した少女店員に驚きつつ、ユディーアはセリアック=ニアとテーブルを挟んで向かい合った。ここにいるのは誰だろう。チョコレートリリーの仲間。『塔』の魔女。裏切り者の騎士。コーヒーが湯気を立てる中で、先に口を開いたのは猫姫だった。


「先に言っておきますね。セリアはラクルラール派です」


 『塔』の魔女だ。まずはその話から、ということらしい。

 第五階層で暗躍していたラクルラールを撃退したという話はミルーニャから聞いてはいるが、やはりその影響は完全に消え去ってはいないらしい。

 いずれにせよ猫姫はトライデントと関わることを選んだ。

 ラクルラール派になったということは、『髪』という細胞に干渉されるということだ。

 そして、『脳』と『髪』は同盟関係にある。少なくとも、遙か未来のルーシメアは正体のわからない『髪』のことを理解した上で利害が一致すると判断しているのだ。


「姉様は『妖怪左手女』、もといディスペータをいまだに慕っているようですが、流石のセリアもそうは思えないのでバランスをとって鞍替えしました。言い換えると、『第五階層派』であり『トライデントの頭派』となります。姉様とセリアの居場所を守るためですから、基本的には『姉様派』ですけど」


 トライデントの『頭』とは、『脳』と『髪』を一纏めにした呼び方だろうか。

 『脳』と『髪』は存在すらあやふやな細胞だ。事実として『未だ存在していない』のだが、それはそれとして現在の延長線上にある確かな未来でもあった。

 いまここにある居場所を守る。誰もが望むありふれた道だが、セリアック=ニアが歩もうとしている当たり前の道のりは険しい。大抵の人生が苦難に満ちているように。


「『上』と『下』、『塔』での派閥など色々気を遣うところもあるでしょうけど、セリアとあなたの利害は一致しています。今のところは」


 つまり彼女は、『自分は味方である』と言っているのだ。

 互いに裏切り者、それを糾弾するつもりはない。きっとそういう意図があって互いの立ち位置を確認しにきた。ユディーアはそう理解した。


「といってもラクルラール本体と会った事はありませんし、正体も知りません。ただ存在は感じます。青い因果がまだセリアに絡みついている。あなたもそうでしょう?」


 問いに小さく頷く。

 ラクルラールの正体は未だにわからないままだ。第五階層で行われた紀神や紀人たちによる超越的な戦いの果てに敗北したらしい、という不確かな噂が流れているのみで、現地にいたミルーニャたちも良く分かっていないというからお手上げだ。


「昔あたしが出会った『髪』は沢山いる教師人形の一体だった。あたしの役目に便乗して、ディスペータお姉様への攻撃手段の一つとしてフィリスを使っただけ」


 実際のところ、それは嫌がらせ程度の意味しか無かったのかもしれない。

 それでも因果は糸のように絡みついた。

 ユディーアの意図とは関わり無く、ユディーアという存在はディスペータと黒百合の子供たち、そして『死人の森』を受け継いだガロアンディアンに影響を与える。


「『上位者』たちにとって人間は駒。黒百合の子供たちはほとんどがディスペータお姉様の教え子だけど、あたしとニアちゃんは別になっちゃったんだね」


「『塔』の派閥争いは、末妹選定に形をかえて第五階層で続いています。というよりこれから本格的に始まるのでしょう。セリアたちは『呪文の座』に与するふりをしながら『使い魔の座』として動くことになります」


 そして表向きはガロアンディアンを本拠地とする『杖の座』とも共闘するという姿勢も維持しなければならない。二人の立場は不安定な上に流動的だった。


「お互いのスタンスを確認しましょう。セリアはまず姉様の身の安全を最優先に考えます。状況によっては『呪文の座』と敵対することもためらいません」


「あたしは」


「あなたのもうひとつの所属である竜神信教が姉様を勧誘していることは知っています。なにしろ魔竜の巫女、それも限定的ながら召喚を成し遂げているのです。放置されたままということはありえない。姉様の決断はまだのようですが、いずれにせよセリアは姉様を守ります」


 場合によっては、セリアック=ニアは魔竜の巫女となったリールエルバと対立してでも竜神信教と姉を切り離しにかかるのかもしれない。なにしろ彼女は実際にやった。姉を救うために魔竜と、そして当の姉本人と戦うことを選んだ猫姫にとって、敵に回すことを恐れるような存在はこの世のどこにもいない。セリアック=ニアの行動指針には一切のぶれが無いのだ。


「セリアはあなたを良く知りません」


 ろくに話した事も無い、同じグループの疎遠な二人。

 唐突に生まれた接点、不意に成立した共闘関係。

 互いに探り合っていると感じた。価値観、行動理念、信用に値する相手なのか否か。

 裏切り者と裏切り者。たとえ不実でも、心にはきっとルールがあるはず。

 夜の湖面に石を投げた。波紋を眺め、底の深さを確かめる。


「あなたは、これからも『チョコレートリリー』を裏切り続けることができますか?」


 『呪文の座』、『チョコレートリリー』、『友達』、『仲間』、口に出してみるとひどく軽いように思えてならない。ユディーアは自分の心を信じられなくなっていた。

 セリアック=ニアもまた言葉を弄している。

 思い出す。彼女もまた、黒百合宮で神秘を学んだ魔女だということを。

 これは、呪文だ。覚悟を決めろ、頭を回せ。考えながら言葉を整えていく。


「あたしは裏切り者のユディーア。その役目は『末妹』を導き、その歩みを見守ること。末妹候補たちが挑んでくるのなら、挑戦を受けなければならない」


 第二細胞クナータが転生したのち、第一細胞トリアイナの守護者にして筆頭使い魔を任じられるのはユディーアである。


「だからあたしは魔女の敵。全ての魔女は、はじめから競い合う好敵手なんだから」


 最初から、彼女たちはそういうものとして出会った。

 その答えに満足したのか、セリアック=ニアはミルクと砂糖を混ぜながらコーヒーカップを手に取った。息を吹きかけて冷ましながら口をつける。目を瞑って身体を震わせながら、舌を出して悶絶していた。どうやらまだ熱かったようだ。

 表情を緩めながら自分でもコーヒーを飲む。

 苦い。喉を伝っていく熱が少しだけ心地良かった。


「ところで、あなた」


 会話が途絶えたところで、ふと思いついたようにセリアック=ニアが呟いた。

 それから何でも無いことのようにユディーアに訊ねる。 


「名前はなんと言うのでしたっけ。いえ、ユディーアじゃないほうの」


 ユディーアは冗談を言われているのかと思ったが、相手の表情が本気であることに気付いて本気で傷ついた。というかじわりと目に涙が滲んでしまった。嘘でしょこんなことで、と自分でもびっくりだがどうやら『友達だと思ってたのに裏切られた』という感覚があるらしい。よりにもよってこのユディーアが? こんなことってある?


「メイファーラ! メイファーラ・リトです! ってかひどくない? いくらなんでもひどくない?! あたし、ニアちゃんとは仲間のつもりだったよ?! 確かにあんまり話したこと無かったけど! 一緒に勉強して星空見てお茶会して戦ったりしたじゃん!」


「そうでしたか? ほぼ接点無かったような」


「あったよ! ちゃんと接点あった! メイファーラ、はいここテストに出るので覚えて帰ってね、スペルはこう、メモ渡すからね、明日もっかい確認するからね!」


「すみません、印象が薄かったので」


 ユディーアは深く傷ついた。

 がっくりと項垂れていると、しげしげとその様子を観察していたセリアック=ニアは「それにしても」と興味深そうに口にした。


「仲間と来ましたか。あなたにとって、仲間というのはフィリスの覚醒で巻き添えにしても問題の無い相手のことなんですか?」


 ユディーアが持つ主への叛意が何に起因するものであるのか。

 それをセリアック=ニアは無造作に突きつける。

 目的のためには犠牲も厭わないというやり方への怒りは、つまるところユディーア自身に対する罪の意識が生み出している。彼女の義憤は逃避であり自傷でもある。

 ユディーアが表情を凍り付かせていると、猫の少女は平坦な口調で続けた。


「その顔でだいたいわかりました。自分自身に怒ったり主に楯突いてみたり、そういうタイプの人だったわけですね。というかあなた、間諜とか内偵とか向いてないですよ」


「うん。知ってる」


 先程から悄然としてばかりだが、ユディーアの落ち込みには際限が無い。

 猫姫はビーズで飾られた爪でカップを軽く叩き、窓の外を眺めながら言った。


「セリアはずっと『ディスペータお姉様を奪った仇』への憎しみをアズーリアにぶつけてきました。八つ当たりです。本当に恨むべき相手はすぐ近くにいたのに気づけなかった」


「うん」


 そんな感情も、状況の変化と共にどこかに消えた。

 『ディスペータお姉様』はリールエルバを操っていた『死人の森の女王』で尊敬の念など消え去ったし、憎い仇の正体はユディーアだった。更に言えばユディーアは『脳』と『髪』の操り人形でしか無く、今となっては猫姫も同じ立場である。


「セリアは無知で、愚かでした。誰もが操り糸に翻弄され、駒として利用されている。『塔』とは、魔女の庭とは本質的にそういうものだったのに。あなたもセリアも運命の奴隷。これからもきっと自由にはなれない。ディスペータの手から逃れてもラクルラールが、ラクルラールの糸を振り切ってもトライデントが待っている」


「上位者だけじゃないよ。家、国家、宗教。これはみんなそうだけど」


「だからこそです。セリアは逃げずに踏み留まると決めました。事態の中心で運命に立ち向かうこと。それが最善だと信じることにしたんです」


 目の前の少女は、自分よりもずっと強い。

 それがはっきりとわかってしまったから、ユディーアは相手とまっすぐに視線を合わせることができなくなった。気後れする、というより眩しすぎる。

 宝石の輝きのように、セリアック=ニアはただ美しかった。


「これは惰性じゃない。セリアの意思です。だから、あなたも」


「あたしは、弱いだけだよ」


 言っていて惨めになる。けれど偽りの無い本心でもあった。

 目を伏せたユディーアを見て、セリアック=ニアは何も言わなかった。

 そのかわり店内を見回して、気まぐれに話題を切り替える。


「そうだユディーア。あなた、コスプレって得意ですか?」


「えっと、今なんて言ったの?」


 いくらなんでも唐突過ぎる。あまり会話をしたことがない、というかリールエルバを介さずに面と向かって一対一で話すのはもしかするとこれが最初かもしれないが、こんな感じのお姫様だったのかと驚かされっぱなしだった。


「ここ、貸衣装とかで遊べるんですよ。あっちの部屋で撮影会とかも可能です。以前、明暗姉妹が遊んでいてちょっと楽しそうだったんですよね。ミヒトネッセがクレイで遊んでたこともありました。それで、もしかしたら姉様の興味も惹けるかもしれないと思って」


 それを聞いて納得する。

 現在、リールエルバは塞ぎ込んで引きこもりのような状態になっているらしい。

 元々幽閉されていた彼女は急に手に入れた自由を恐れ、また王女という立場を捨てたことで理由の無い不安に駆られて情緒不安定なのだとか。

 セリアック=ニアは『公社』に身を置きながら、そんなリールエルバを元気づける方法を探しているようだった。


「良ければ一緒に仮装を試してみましょう。こういうのがあったとお話するだけで気晴らしにはなりますし」


「うん、あたしで良かったら協力するよ」


 快く頷いた。店員に声をかけて貸衣装スペースに移動する二人。

 しかしそこで待っていたのはユディーアの想像を超えた世界だった。


「エグめの仮装とヤバめの仮装どっちがいいですか? 攻め過ぎな衣装と古過ぎな衣装ならどっち? セリアはこの胸元のタックとリボンがかわいいドレスでお姫様コスプレします」


「それコスプレじゃないよねちょっと前まで普通に着てた奴だよね?!」


 何故か扇情的な踊り子衣装やら賭場にでもいそうなバニーガールやら背中の機関部から機械腕と大型銃器が伸びた身体にぴったりフィットした薄いボディスーツやら胸と腰しか隠していない鎧やらをオススメされてユディーアはドン引きしていた。コスプレってもっとこう、お仕事系の奴なんじゃないの? なんでこんな治安が悪いの?


「祝祭の中三日では舞台に上がるそうですから、その時はこういうあざとエロ衣装で集客に貢献して下さいね。そのへらへらにこにこした分厚い面の皮と友達を殺しておいて平然と仲間面をしていられる演技力を発揮する時ですよ」


「ふええええ」


「突然どうされたのですか? ここにはまだ媚びる相手はいませんよ?」


「誰にも媚びてないよ! ふつうに困ってるの!」


「まあ、素でそのような振る舞いを? 気持ち悪い」 


「あんまり仲良くないって言ったわりに遠慮がなさ過ぎない?!」


「そもそも、セリアは変な語尾でキャラ付けしたり妙な鳴き声で可愛さをアピールするのはどうかと思います。にあ」


 あまりのことに二の句が継げないユディーアだった。

 そんな相手の様子には構わずセリアック=ニアはそれに、と続けて言った。


「仲間に遠慮する必要がありますか? これから命を預け合う相棒としてやっていくんですから、歩み寄る努力をして下さいね、ユディーア」


「え、それって、その」


 真意を問いただす前に猫姫はさっさと衣装を持って試着室に入ってしまう。カーテンの向こうで彼女がどんな表情をしているのか、ユディーアにはさっぱりわからなかった。


「歩み寄ってくれてる、のかな?」


 誰もユディーアの言葉など聞いていない。

 マイペースな『新しい相棒』と上手くやっていけるのか、想像もできない。

 それでも、心が少しだけ軽くなったような気がした。

 自分からも歩み寄る努力をしてみよう。決意を固めて、挑戦的な衣装を手に取った。

 途端、背後で開く扉。十字の瞳がきらりと輝く。


「間に合ったっ、とっても破廉恥だったわもっと良く見せて! けど安心してユディーア、それはまだまだ可愛かった方よ! 栄光の水着審査・ガロアンディアンミスコンポリコレ炎上事件であなたの破滅的な水着姿が全世界に晒される思い出に比べたらね!」


「その未来変えよう? その影響で世界が滅んでもいいから」


 飛び込んできたクナータににっこりと笑顔を作りながら提案する。

 仮に悪質な冗談で無かったとしても本気だった。

 というか、捏造した嘘の記憶だったことにしてやる、この子の頭を叩いてでも。

 守ると誓った少女の前で拳を振り上げつつ、ユディーアは決意を固めた。

 裏切り者の誓い、それはかくも無価値なものであった。




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