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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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終節:除『Under The Law』




 そして、私は断罪の日を迎えた。

 

「残念だ、君との婚約を破棄しなくてはならないとは」


 その言葉に込められていたのは失望と軽蔑。

 舞台の上に立つ私は照明に追い詰められ、学生たちのひそひそとした囁きと怒りに満ちた視線によって包囲されていた。

 目の前には刃のように鋭い美貌の王子様と、彼に庇われているいたいけな少女。

 艶やかな黒髪を後ろで束ねた若者の演技はどこか初々しい。小柄な白髪の少女に一瞬だけ向けた気遣わしげな視線の柔らかさは、剣を体現していた『以前の彼』には無かったものだ。この王子様はきっとこれまでのように甘くない。


「君がいままで私に隠れて彼女に卑劣な嫌がらせを行っていた事実は白日の下にさらされた。君が生ける屍と蔑んだ彼女の勇気ある告発によって」


 血も凍り付くような視線の切っ先が、燃えるような怒りと共にこちらに向けられているる。いまや私の命運は吹けば飛ぶほどに儚く脆い。

 この流れは必然で、お話としては正常。

 だって私は悪役。舞台からの退場を期待されている。

 こんな扱いを受ける心当たりは山ほどある。

 この結末は必然だったと納得出来る道を歩んできた。

 

 それでも思わずにはいられない。

 こんなことってある?

 不平不満が次々と浮かび上がり、口の中から溢れてきそう。

 私、言われたとおりにちゃんと悪役的な振る舞いをできていたよね?

 嫌がらせをしようとして空回りしたり、高慢に見えて根っこの庶民らしさや人の良さが滲み出て結局ヒロインと仲良くなったり、何だかんだで王子様にも好感を持たれたりするはずじゃなかった? あのゲーム狂いを信じた私って何なの?


「実体験として言うけど、嫌がらせしたら普通に恨まれて終わりだと思うよ」


 視界の隅っこ――ヘッドアップディスプレイ表示の端でお下げの二頭身キャラクターが『言わんこっちゃない』という表情をする。それはそうだけど、でもあなたも反対しなかったよね。こうなることを予想してたなら止めてよ。


塔瞳とうどうトウコ、我々は君を告発する! 学院を統べる死の女王の裁判にかけられて、冥府の天秤に自らの命運を預けるといい!」


 王子の一喝により、私に破滅が突きつけられた。

 さて、このあたりで自己紹介が必要だろう。

 今回の私が演じるのは紫鶏頭ムラサキケイトウヒユナではなく塔瞳トウコ。

 私は代役。でもその運命は舞台の上では同一だ。

 悪役――それが私の運命。王国ものがたりの法に背き、内なる法を押し通そうとして断罪された、惨めな敗残者。


 私は転生者アマランサス。

 先ごろ付いた別名はグラッフィアカーネ――いやグラッフィアガットだったかもしれない。まあ、シナモリアキラとしての呼び方なんて適当でいいけれど。

 大切なことは常に私の外側にある。

 この命は人形姫アレッテ・イヴニルの道具。

 この魂は塔の姫アレッテ・イヴニルの代替。

 やがて『完全者』に至るアルト・イヴニル――これからも変容し続けていくはずのあの人が置いていった古い記憶、それが私。

 もうひとつの邪眼。完全なアルトになれない、がらくたのアレッテだ。

 これは、そんながらくたが無様に落ちぶれていく物語――。


 ――になっては困るのだけれど。

 トウコの役を演じることになった以上、主役と対立することになってしまうのは避けられない。今回主演に抜擢されたのは『呪文の座』が誇るひねくれ女、『富』の王権者である『白のメートリアン』だった。


 気弱で、ひ弱で、か弱げで――儚げな可憐さを持つ少女。

 王子様に守られているのがお似合いな小柄さと内向的そうな表情、庇護欲を掻き立てる仕草、甘ったるい声に病的に白い肌、人形よりもそれらしい『お人形』。

 彼女にはこの舞台特有の役名が無い。

 空白――名前が無い女。顔や声などの特徴もどこかぼんやりして感じられる。

 他の誰かに名前を呼ばれる時も、そこだけ不自然に音が欠落したり、『君』とか『貴方』とかの二人称が使われるだけ。

 コルセスカ曰く、『個性の薄い主人公ヒロイン』。

 なるほど、真っ白な女にはお似合いだ。我の強さが漂白されているらしい。

 そんなヒロインを庇いつつ、美形の王子様が私を非難する。 


「死者の埋葬――懸命に生きているクラスメイトに対して、なんという非道な仕打ちだろう。君は彼女を死者として扱った。机に花瓶を置き、いないものとして扱い、土の下に埋め、墓石を用意し、祈りすら捧げようとした。こんな陰湿ないじめが他にあるか? 私は怒りにうち震えている」


 基幹参照世界から引用された古典劇――普遍的な神話や寓話、心的性質を巡る物語によってある種の儀式を成立させようという試みは、この第五階層で繰り返し行われ続けてきた。

 その基本的なテーマは『内なる法と外なる法の対立』だ。

 王による埋葬の禁止と、その法を破らんとする者の叛逆がこの茶番を支える本当の筋書きだろう。そして――それを知っているのは恐らく私だけ。

 前世の多くを欠落させたシナモリアキラでは足りない。だからその不足分を埋めるためにこの私がシナモリアキラに補填された。多分、そういうことだ。


「全ては私がやったことよ。いじめにトウコは荷担してないわ」


 状況を分析していると、事態は思わぬ方向に進み出した。

 私を庇おうとする人物が新たに登場したのだ――頭の左右で二つの髪房を揺らす砂茶色の少女人形、疼巻羽クルミミヒトネッセである。

 クルミはいじめを実行したのは自分だけだと主張した。私に命じられたのだろうと王子が言うと、自分ひとりの意思でしたことだと反駁する。彼女は全ての罪を被るつもりだ。それとも、劇の真実はそうなのだろうか? 少なくとも現実ではそうじゃなかった。私たちは共犯だ。二人ともが罪深い。

 だというのに、クルミはいつだって自分の手を真っ先に汚そうとするのだ。


「連れて行け、連れて行け! 暗い石の牢獄、冷たい川の流れる洞窟へ!」


「罪人を墓に埋めよ、黄泉への門を開け!」


 糾弾の声が学院に響き渡り、王子の悲しみと憤りの歌にコーラスが呼応する。彼のの大仰な身振り手振りは劇場の空気を整然と切り分けて、秩序だった世界を作り上げていった。

 学園の王子様――無花果レイ。

 あれは、新しく創造されたクレイだ。

 レイの影が蠢く。複数の光源に照らされて分かれていく影法師が、それぞれ異なる姿をとる。六人分の魂を内包した新たなレイは、今や紀人ゼドと同一存在だ。


 私の前に立つクルミからゼドの気配が失われている。

 だがいまだ自由の身からはほど遠い。彼女は常にラクルラールとルウテトの狭間で翻弄され続けてきた。今もその状況は続いている。

 それでも彼女は私を庇ってくれた。私はレッテであってレッテじゃないのに。

 たとえ定められた芝居の筋書きであったとしても、それは救いのように私の胸を打った。もちろん、きっとこれもそのように整えられた感情の流れなのだろう。


「クルミ、あなたが罪人なら私もそう。私たちの運命はひとつよ」


「いいえ。私の運命は冥府にあり、トウコの運命は舞台にある。それだけのこと」


 クルミは毅然と自らの行いを打ち明けると、両手に手錠を嵌められて地下牢へと連れられていった。私を置いて、ただひとりの罪人として。

 舞台袖へと消えていくクルミが観客の目から自由になりミヒトネッセに戻っても、彼女は縛られたままだった。私の瞳に映る世界が、舞台と浄界が融け合う不可思議な光景へと変貌していく。ミヒトネッセはクルミであり、舞台袖からそのまま学院地下にある牢獄へ連行されていった。


 私は本物のアレッテじゃない。

 ミヒトネッセと分かちがたく結びついた姉妹機ではない。

 けれど、どうしようもない喪失感が私の胸を穿った。

 こうして私は断罪を免れ――代わりに何かの資格を手から落としてしまった。

 私は連れて行かれるミヒトネッセの味方をしてあげなければならなかったのに。

 ここで助かれば後で彼女を助け出す機会もあるはず――そんなことを考えて、我が身可愛さに姉妹同然の存在を見捨てたのだ。

 

 私には確かに罪がある。

 この裏切りは逃避であり偽証でもある。

 本物のアレッテなら、最後までミヒトネッセと運命を共にしただろうか?

 いつだったか、まだ私がトリシルシリーズの失敗作として淘汰される前にアレッテが言っていた。裏切りには幾つかの種類があると。

 ひとつは偽証。呪文を紡ぎ、誰かの世界観に反する物語を創造すること。

 もうひとつは頬への口づけ。異なる世界観を拒絶と共に愛すること。

 それが何を参照した言葉だったのか、ただのアマランサスであった頃にはわからなかったけれど、アレッテに存在を取り込まれた今ならわかる。

 この裏切りは、きっと頬には届かない。

 私たちは、血を融かすようにして同化する愛しか教わらなかったのだから。




 説明が必要だろう。時間は少し遡る。

 三度目にして最後となる再演劇の舞台で、はじめ私は意識を喪失していた。

 それは私だけではない、多くの人形たちがそうだった。

 知っての通り、世界は既に枯れている。

 天を仰げば誰にとってもそれは自明だった。どこまでも続くかと思われた蒼穹がぶつりと途切れ、灰色の檻となって可能性の限界を示している。

 空を悠々と泳ぎながら腐臭を撒き散らす『死海の大魚』はかつてマツヤと呼ばれていた大型艦の成れの果てだ。死せる女神の権能によって腐った巨大魚となった怪物は、今は第五階層の空を回遊しては新しい命を摘み取ろうとする悪意の化身に成り果てている。これほど終末の風景らしい荒廃ぶりもそう無いだろう。


 この世界の中心に聳え立ち、全ての命を支えていた世界樹はずっと昔に盛りを過ぎて、朽ちて倒れた幹は枯葉の絨毯の上でゆっくりと腐っていくのを待つばかり。横倒しの塔に取り残された人々は目減りしていく資源を分け合ったり奪い合ったりしながら空虚を必死に誤魔化すことしかできない。彼らが遙かな空に手を伸ばすことはもうなくて、上を向くべき塔の天辺は地面の上で瓦礫の屍を晒している。


 いま、この第五階層は終わった第八世界槍を再演している。

 この終末以後の浄界で、人々は甘い過去を繰り返す。

 壊れた玩具、退屈な絡繰り人形、見飽きた舞台。

 無尽蔵に積み上げられた過去の集積がこの現在だ。

 未来は無い。大樹は倒れ、塔は崩れ落ちたのだから。


 同じ劇を繰り返す人形たちはやがて疲れ果て、舞台袖で動かなくなる。

 すると、物言わぬ屍に一筋の亀裂が入った。

 卵の殻を破るようにして内側から現れたのは、翼の生えた赤子たちだ。その手に握る喇叭で生誕の歓びを奏でる新たな命は、けれど自分に残された役割が退屈な繰り返しだけと知ると翼と喇叭を捨てて操り糸に身を任せてしまう。そうして、何もかもを適当にやり過ごすようになっていく。


 曇天より降り注ぐ灰の重みは人形たちを俯かせる。薄暗い光景の中を亡者のように歩む偽りの冬景色は、冥府よりも寂しく寒々しいものだったろう。

 無価値を積み重ねるだけの時間は次第に加速する。再演に次ぐ再演のサイクルは終わりの先へと虚構の命を運んでいく。生と死の営みは記号となり車輪が一回りする一瞬と等しくなる。


 ぐるぐると巡る車輪の動きに、そのとき乱れが生じた。

 円環の外周部に出っ張った歯が時の段差にわずかに引っかかった、多分その瞬間のことだった。私は唐突に自分を取り戻していた。

 そう、『私』は既にここにいる。

 人形の身体を感じ、球体関節の肢体を動かし、美しく象嵌された宝玉の瞳で世界を見据え、紅紫の長い髪の毛をそっと動かして硬い地面をなぞり、頭上を撫でる。

 糸が無い。いま、私の頭上に絶対者の糸は存在していない。

 意識、知恵、自我――そうして獲得したのは、苦痛だ。

 私の中に、罪がある。何故かそう思った。

 この身は裁かれるために存在している。そのことをあらかじめ私は知っていた。


 そしてもうひとつ、はっきりしていることがある。

 この世界は既にラクルラールお姉様ではなく『死人の森の女王』が統べる浄界、すなわち冥府と化しているということ。

 私を含めて全ての存在は『女王』のための劇を演じ続けているということ。

 主役は例によって『死人の森』の王権に挑み、基幹参照世界から引用された再演劇に利用される運命だということ。

 そして――私は主役ではないということ。


 私は敗北を知らない。かつて私はラクルラールお姉様の試練に耐えきれず命を落とし、アレッテの一部として生まれ変わった。最近では敵対する魔女トリシューラに一杯食わされた挙げ句、一時的共闘のためにその使い魔シナモリアキラの手足に成り下がった。他にもメートリアンら『空組』に追い詰められたりと苦杯を舐め続けているが、私は敗北を知らない。


 たとえ無様に地を這おうが辛酸を舐めようが屈辱を味わおうが、自分にとって譲れないものを失っていなければそれは本当の負けではない。私にとっては劣勢も苦境も大前提。どのような無理難題を押し付けられたとしても、不動の精神と粘り強い心で不滅の意思を貫くのみ。


 だから――たとえ苦しくて内心泣きそうに見えたとしても、それは再起と反撃のための精神的なダメージコントロールというか、膿を出し切るみたいな意味でしかなくて――とにかく、私は平気なので同期を切れシナモリアキラども、女子の思考の覗くとか変態なの、次やったらまとめて顔を引っ掻くわよ!


 あまりのことに脳内の自分に八つ当たりしてしまったけど、仕方無いと思う。恐らく最後になるであろう今回の再演世界はどうしようもなく終わっていて、私が状況を把握した時点で八方塞がりだった。

 もちろん諦めはしない――けど、諦めなかったらどうだというのだろう。

 本当に碌でもないことに、私という存在は本当に嫌気が差す状況に置かれていた。なにしろ憎らしい敵対者と運命共同体になってしまっているのだから。


「冷静になれアマランサス。状況分析に努め、反撃の取っ掛かりを見つけろ」


 ここは舞台か、それとも校舎か。

 現実感は曖昧で、おまけに幻聴まで響いてくる。

 といっても耳障りな声の正体は『心話』の共有チャンネルから脳内に届いてくる紀人シナモリアキラのものなんだけど。

 トリシューラが基幹参照世界から召喚したこの転生悪魔が何を考えているのか、私には今ひとつ掴めない。信用するのは難しいが、この状況下では『死人の森の女王』に対する切り札になり得る。彼の『第五階層』という属性はこの舞台をひっくり返しうるものだ。


「わかってる。次のシーンに移動して、どうにか再演儀式の妨害を試みる。けど期待はしないでね。今回の文脈はとても強力だから」


 朽ち果てた学舎はあちこちに亀裂が入り、前回の舞台から悠久の時が流れていることを示していた。セットの老朽化なのか、老朽化を演出するセットなのか、もはや私には区別がつかないけれど、現実としてこれは終末の光景に他ならない。


「この三巡目は単純な繰り返しじゃ無くて、未来に向かって加速する再演だよ」


 シナモリアキラに続いてトリシューラの名前が視界隅に表示される。

 彼女も役者としてこの舞台のどこかにいるはずだが、こうして自由に私と通信可能になっているのは私が『マレブランケ』に加入したことも大きいが、この浄界の支配力が緩くなっている証拠でもあった。

 質よりも量。強度よりも速度。


 廃墟となった学び舎で見られる光景――壊れた夢に向かってレッスンを繰り返す人形たち。骸による青春の回顧。がらくたの残香が風に紛れ、未来再演による時間跳躍が加速すると、上演の頻度が増していく。三幕の構成を大幅に省略し、舞台の中で再演の手順を圧縮して演技を回転させる。形式さえ整えばあとは数と速さが大事とばかりに舞台の質などあとまわし。

 空費される時と価値が舞台を朽ち果てさせる。

 役者は疲れ果ててやがて死人と化し、終末の世界から未来は消えていく。


 なんて悲惨な世界だろう。なんていい加減な脚本だろう。

 この雑さから推測できるのは、浄界を支配するルウテトは私たちにかまけていられる余裕が無いということ。彼女が相対しているのは、より強大なラクルラール、そして世界槍そのものだと思われる。


「ルウテトは『氷槍』を解放してこの第九世界槍を掌握したけれど、それは完全じゃ無い。第五階層限定の不安定なものなんだ。だって『氷槍』の真の核を所有しているのは『穂先』を独占している『松明の騎士』だから」


 トリシューラも私と同じ事を考えていたらしい。シナモリアキラの方は事情がよくわからず困惑しているようだが無視。今は話を進める。


「ルウテトは地盤固めを優先している? いいえ、守りと並行して攻撃も行っているはず。トリアイナ降臨の祭壇である第五階層はとびきり不安定でソルダ・アーニスタやセレクティフィレクティも火傷が怖くて迂闊に手出しできない。だからこそ私たちみたいな身軽な個人はリスクを恐れなければ無茶な儀式を強行できる」


 私とトリシューラがこの階層を巡って争っていたのもこの場所の不安定な性質があるからだ。全ての因果は『死人の森』に収束している。そして、『上』と『下』に比肩する第三極を狙うルウテトの目論見が己の小さな領土を守る事だけに留まるとは思えない。あの死女神の行動は必ず『次』の何かに繋がるはずだ。


「ルウテトが行っているのは再演の加速による時空圧縮。目的は過去と未来を等価にして全てを凍結させる冥府の具現化か、枯れた世界樹の反転あたりだと思うけど――狙いを絞りきるのは無理そう。いずれにせよ、どうにかして止めないと第九世界槍の文明圏が死滅しちゃうよ」


 このままではルウテトに有利な状況が完成してしまう。敵の思惑が全て分かったわけではないが、儀式に注力している今のルウテトは私たちを潰す為に全力を出せない。それどころか、儀式の役者として活用しなければならないほど手駒不足の状況だ。そこに付け入る隙がある。


 廃墟を歩く私は、いつの間にか校庭を横切る無機質な流れに導かれていた。

 がらくたの川と並ぶ。長大なベルトコンベアの上を、舞台の大道具や小道具、人形の残骸が運ばれていく。そうやって敷地を横切っていくと、校庭の真ん中でゴミを燃やしている生徒たちを見つけた。篝火にくべられているのは役目を終えた人形たちだ。ぞっとして、ミヒトネッセの姿を探す。

 ――いや、いない。いるはずがない。きっと大丈夫だ。

 この劇が私の考えている通りのものなら、まだ猶予はあるはずだから。


 不意に強い寒気が襲ってくる。

 死の気配だ。

 私は目の前の光景に恐怖している?

 まさか、と思ったけれど、死の女神が作り出す浄界には人形を戦慄させるような魔力があるのかもしれない。

 校庭から見た学舎の形はこれまでとは大きく様変わりしていた。

 その形はまるで横倒しになった塔。

 崩壊した塔は『折れた槍』を象徴する。

 ルウテト版の男根城――陽根城ファルスとでも言うべきか。

 

 その不気味な姿に、私は形容しがたい郷愁と、強い不安を抱いた。

 なんだろう、この怖さは。

 壊れた塔。それは、アレッテ・イヴニルにとっては解放を意味するはずなのに。



 偽物である私はなぜだかこの塔に恐ろしさを感じてしまうのだった。


「それにしても展開が遅い舞台だよね――というか進行フラグが立っていないのかな。もうちょっと探索して、それらしいイベントを発生させる必要がある?」


 トリシューラが不可解そうに言った。確かに、ここは舞台という感じがあまりしない。物語性の無いただの空間と、照明が当たっている舞台上のシーンが融け合ってマーブル模様を描いているような印象がある。

 私はしばらく学院内を探索し、今回の私が主役では無い事や主人公が人格操作されたメートリアンだということを掴んだのだが、その後の動きが決まらない。

 どうすればルウテトに勝利できるのか?

 具体的な行動指針すら決まっていないのが現状である。


「イベントなんて、私が知るわけ無いでしょう。そっちこそ何か妙案は無いの。サイバーカラテ集合知とやらの出番じゃない?」


 皮肉交じりに問いかけてみたが、トリシューラとシナモリアキラの反応は鈍い。

 万能のアプリケーションなどではないと知っているが、連中にできないことがあるのはなかなか気分がいい。私も未だに彼らの敵気分が抜けていない。

 一方で、随分と張り切っている奴もいた。


「このタイプの話はセスカの出番かなー」


「はいはい! 私は原作無視でなぜかヒロインに懐かれるやつ好きです!」


 きらきらとした目が想像できるような勢いでコルセスカが言った。

 今はかなり深刻な状況なのだが、相変わらず緊張感が無い。

 そのあたりがこの女の恐ろしさでもあるが、実際に当事者として傍にいると苛立ちが湧いてくるので少し抑えて欲しかった。


「はい! あと根は善良なのにやることなすこと何故か変な感じに誤解されて怖がられるタイプの主人公とかも好きです!」


「セスカ、そのへんの知識は後で詳しく聞かせて貰うとして。今回の場合、似たパターンの展開とかってある? あるいは、打開策の例に心当たりは?」


「断罪の運命が回避不能なら、いっそ流れに身を任せていくのもありかと。自分の家の力を削ぐことを狙う没落希望なご令嬢とかもいますし。その場合ヒロインに好かれてしまって逆に思い通りにいかないなんて困難もあったりするんですが」


「メートリアンに好かれる――?」


 あまりにも無理そうな難題を突きつけられて私は困惑した。

 確かに『悪役』に位置付けられた私の苦境を覆すにはそのくらいの無理を通さないといけないような気もするが、それにしたって無謀だ。


「ではこれです、頼りになる従者と一緒に上手いこと難局を乗り越えていくやつ! 最終的にずっと一緒だった従者とくっつく王道ルートでいきましょう。そういえば悪役令嬢の腰巾着というか従者ポジションの子が見当たりませんから、そこを抑えておかないと。まずミヒトネッセの攻略ですよ、アマランサス! 友情パワーでいじめっ子のヘイト値を低下させるのです! 目指せ没落したけど親友&従者が支えてくれるエンド!」


「なるほどね? あの子は従者というか、妹みたいな位置付けみたいだけど。表沙汰に出来ない子供だったので侍女としてトウコの傍に置いているって設定」


「より素晴らしいです、エンディングは見えましたね!」


 肝心のミヒトネッセの所在は不明だが。

 前回の鍵であったクレイも行方不明だし、先行きはひどく不鮮明だ。

 結局、私たちは決定的に舞台の周辺に追いやられている。

 物語の本筋に大きく干渉できないようになっているのだろう。ルウテトが私たちを取るに足りないと放置しているのは、そうすることで実際に『取るに足りない脇役』という意味付けがされて無力化できるからでもある。


「だとすると、必要なのは『主役以外ができるアプローチ』ということ」


 物語を完結させるのは主役たちだ。脇役はそこに華を添えるのが役目。

 それなら私にも幾らか心得がある。なにしろ、私はずっとアレッテ・イヴニルとミヒトネッセにとっての脇役だった。トリシルシリーズの代替品、本物たちの予備として生きてきた私なら、まだやれることがあるはずだ。そう思いたい。


「私たちは役者として舞台に拘束されていますが、隙を見てクレイの居場所を探してみます。アマランサスは舞台に集中して下さい」


 コルセスカとトリシューラは存在感の大きい『転校生』という立場だ。ルウテトとの結びつきが強い彼女たちのほうが、舞台で大胆に動けるのかもしれない。

 私はそれならばとコルセスカにある物語の筋書きを伝えた。

 不確定だが、この舞台の行く末に影響するかもしれない私なりの未来予測だ。

 コルセスカは「わかりました」と言ってアストラル体を解き放ち学院内部の探索に向かって行った。


「俺は『イストリン』でこの演劇空間に干渉できないか試してみるが、あまり期待はしないでくれ。ルウテトと正面から浄界の奪い合いができるとは思えない」


「最初から期待してないから気にしないで。死んでくれたらなおいいけど――それよりシナモリアキラ。貴方の義肢に関してだけど、ひとつ私から提案がある」


 私はかつて『塔』で『ウィッチオーダー』という義肢の特性を知った時から考えていたことを語り、その上でとあるアイデアを披露した。シナモリアキラは回答に時間をかけず、即決した。


「わかった。やれるかどうかわからないし、ぶっつけ本番になると思うが、その時がきたら試してみよう。ちびシューラとシミュレーションしておく」


「よろしく」


 私は通信を切断し、小さく息を吐く仕草をした。

 これでいい。

 きっと怪しまれていることだろう。

 実際、何の企みも無しに彼らと協力しているわけじゃない。

 彼らの警戒は正しい。しょせんは仮初めの共闘関係、一時的な同盟関係だ。

 それでも、紀神に挑むとなれば互いの全力を合わせなければならない。

 私たちは敵だが、何のわだかまりも無いかのように力を合わせ、それでいて自己の利益を最大化できるように努めねばならない。


 その意味で、今の一手は最善だった――と思う。

 シナモリアキラは私の操り糸を自分から絡め取られてくれた。

 私もまた、彼らの最適化と汎用化に適応する必要があるはずだ。

 私たちの共闘とは、そういった性質のもの。


 私は『サイバーカラテ道場』の設定を『映像記録のみ共有』に変更。視界の端で、赤と青のお下げが揺れている。正反対の色が混ざった左右非対称の髪色は鮮やな毒々しさで、表情の底意地悪さはそれに輪をかけてひどい。相も変わらず人の脳内で勝手気ままに振る舞っているこの少女が私用のちびシューラ。『マゼシューラ』とか適当に呼んでいるけれど、役に立つかどうかは怪しいところだ。


「さて、イツノはどう動くかな」


 小さな妖精だけに聞こえる声で呟き、私は再び廃墟の探索に戻っていく。

 その後の私は概ねコルセスカの提示したプランに従って行動した。

 彼女が好み、この舞台とも関わりが深そうな『六王ゲー』とやらの展開をなぞり、私はヒロインであるメートリアンに対して悪役然とした振る舞いをしていく。

 たとえばこんなふうに。

 

「あらあら、夜会に行くというのにまともなドレスも持っていないなんて、我が学園の恥晒しもいいところだわ。ちょうど捨てようと思っていた私のお古があるけど、これを着て行けば多少はましなんじゃないかしら。あなたの貧相な体格なら、子供の頃の私のサイズでぴったりだろうし!」


「王子様と共演するヒロインの座を射止めるのは当然この私だけれど、誰も対抗馬がいないんじゃオーディションが盛り上がらないわ。そうだ、いいことを考えた。あなた、ヒロインに立候補なさいよ。どうせ私には勝てっこないけど、思い出づくりにはなるんじゃない? 何事も挑戦よ挑戦。ほら、少しの間だけでも王子様と共演する夢が見られていいじゃないの」


「ちょっとあなた、この間はまぐれでヒロインの座が転がり込んできたからって調子に乗っているのではなくて? 今度の舞踏会はそうはいかなくてよ。え、まさかダンスの作法も知らないの? はあっ、これだから庶民って嫌よ。おいでなさい、あなたに我が校の名前に泥を塗られるのは御免だわ。理事長の孫娘として、私があなたにダンスのなんたるかを叩き込んであげる。優雅さというものを知りなさい」


「ほらボックス練だらけてんぞー! 声出せ足幅縮こまんなホールド落とすな!」「いちねぇーん側筋やめんなやる気あんのかぁー!」「重心落とせ何度言わせんだ、あと音取れてるか確認しろ何のために耳ついてんだ!」「緩いサークル活動じゃねえんだぞ遊びでやってんなら帰れ! 休日練ちゃんとやってんだろうな!」「ポイズ崩すな相手と床ちゃんと意識してんのか!」


「あなたには私が知るダンスの全てを叩き込んだわ。付け焼き刃だけど、これなら異形の闇舞踏家や舞踏剣士たちが激突する『王子様の舞踏会』の本戦を生き残ることが出来るでしょう。ふふ、あなたとの特訓の日々、そう悪くはなかったわね」


「そんな! 第零王権者に意識を乗っ取られた次期生徒会長である妹を救うため、あえて私たち『細胞』の力を借りようと言うの? 裏切り者の汚名を着て、家と祖国に歯向かうことも厭わないというのね。いいわ、付き合ってあげようじゃない」


「本当に、これだから庶民は嫌だわ。身の程も知らずに無茶しすぎよ。妹に取り憑いていた邪神と相打ちになって意識を漂白されるなんて、馬鹿な子。祖国と学院は裏切り者の汚名を背負ったあなたを弔うことを国禁とした。けど、真実を知る私たちだけはせめてもの慰めを与えてあげる」


 ――と、このような具合で私はヒロインと濃密な時間を過ごしていった。


 そして時間軸は『断罪の場面』に戻っていくわけだ。

 いややっぱりこの流れで断罪されるのひどいでしょ。これでは勘違い王子様が道化だし悪役みたいだ。


「おかしくない? 競技を通じて一緒に困難を乗り越えた友情的なものが育まれたり嫌がらせっぽい雰囲気を出しつつも感謝される要素を残した憎い演出だったでしょう? ぎりぎりの線を攻め過ぎたの?」


「やった方の意思とか、一般的な尺度での善悪とか、やられた方の意識とは関係無いと思うけどね」


「ああいう感じの熱量でゴリ押しすれば部活を通じて友情が育まれるってのもある種の土着の呪術っぽいよなとこの世界に転生してから思うようになったよ」


 トリシューラとシナモリアキラの反応はひどく冷淡だった。

 突き放していると言ってもいい。何か嫌なことでもあったの?

 ここにきて私は行き止まりに突き当たった。コルセスカの調査も上手く行っていないようだし、このままでは打つ手が無い。

 だが『断罪』のシーンを回避できなかったことで私の胸に去来したのは『納得』の感情だった。あるいは私は神の脚本という必然を心のどこかで求めていたのかもしれない。人形本来の有り様として、私にはそういう性質がある。


 私たちがいくら抗おうとしても、それは必ず訪れる。

 劇とは、再演とはすなわち必然との戯れだ。

 予定調和が象徴するのは生と死の因果であり、その全てを内包する『王国』こそが『死人の森』である。あらゆる人間存在は必然から逃れる事は出来ない。

 それがか弱き被造物たる人間と全能の造物主たる神々との対立である限り。


 では――と私は考える。

 力関係が非対称な対立の構図が下にスライドしたらどうなるだろうか。

 人対神では絶望でも、人対国なら無謀になり、人対人なら勇猛になる。

 神の模造たる杖の『化身』――天形あまがつたる私やトリシューラの勝算はここにある。『杖』は神秘を零落させる呪術。私たちは『劇的なるもの』、すなわち必然のさだめを陳腐化させねばならない。


 材料は既に私の前に用意されている。

 神を役者に引きずり落とし、神聖なる権力を剥ぎ取って人として闘争を行う――絶対的弱者が紀神に対抗する手段などこれしかない。

 だからこそ、なのだろうか。

 この舞台はあらかじめ私の打つ手を潰している。

 本来の対立軸が空洞化してしまっているのだ。 


 あの断罪のシーンでクルミ=ミヒトネッセは何の前触れも無く私の前に現れた。

 メートリアンを弔うという最も重要なシーンでやりとりがあって然るべきだったのに、そこが都合良く――あるいは不自然にスキップされてしまっていた。それこそ姉妹の会話から物語を始めても良さそうなものなのに。

 更に言うなら、埋葬を禁じている主体である『祖国』とか『学院』なるものは台詞の上で語られるばかりで、今回の舞台に役として登場したことが無い。


 掟を巡って対立するはずの『本来の主役と悪役』が都合良く物語の進行から取り除かれ、周辺だけで事態が進行しているのが今回の舞台だ。

 私には勝利までの道筋が見えているが、それはルウテトも同じこと。

 こちらが選びたい道を先に塞がれているため、勝ちに辿り着けない。

 単純な話、まじない使いとしてはあちらが圧倒的に格上なのだ。


 物語を制御するためにはミヒトネッセが必要だ。

 地下牢に連れて行かれた彼女をどうにかして助け出さなければならない。

 我ながら、なんて打算的な思考だろうと思う。

 私はアレッテの代替品。本当なら姉として妹の身を案じてなんとしても助けなければと意気込む所なのに。こともあろうに勝利のために必要だからだなんて。


 でも、私には分からない。

 アレッテがミヒトネッセを想う気持ちが。いやもっと言えばアレッテの気持ちそのものを私は正しく理解できていない。

 私にあるのは救って貰った感謝と憧憬、それだけだから。


 劇中でもそうだったように、私とミヒトネッセの間にはこれといった交流が無かった。あるのはアレッテを通じた間接的な繋がりだけ――つまりミヒトネッセは親友の親友みたいなもので、悪感情は無いけどちょっと羨ましいみたいなことを思っていたりして、私はどうにも距離感の掴みかねていたのだった。必要以上のことを話した記憶もあまり無いし。


 アマランサスという落伍者はアレッテに命を救われただけの落ちこぼれで、補欠要員としてアレッテとミヒトネッセを補佐するだけの脇役だ。そんな三流役者が急遽代役として担ぎ出されても役の解釈だって間に合わないまま。半端な私はアレッテのこともミヒトネッセのこともちゃんと向き合えず、アレッテ=トウコを演じ切れずに終わってしまいそうな気がする。


 諦め――アレッテの感情の中で、それだけは強く理解できる。

 だからこそ、私はアレッテを完璧に演じる事を諦めてしまっている。

 彼女は遠ざかってしまった。

 マラードと愛の口づけを――同化を果たして生まれ変わったアルト=イヴニルはかつてのアレッテとは隔絶した存在になった。がらんどうになった『アレッテ』という役を正確に演じ切れる者はもういない。私は私の解釈に自信が持てない。

 所詮、出来損ないのアマランサスに過ぎないのだ――諦めが身体を満たす。





「助けは必要?」


 不意の客人が声をかけてきたのは、誰もいなくなった舞台の上でのことだった。体育館も兼ねたこの建物で断罪劇が行われてからしばしの時が経っている。残っているのは私だけかと思っていた。というか、私が一人になるタイミングを狙って接触してきたのだろうか?


「あなたの役回りは何なの、イツノ」


「私は私。ただの裏方。あなたに次の台詞を示す係」


 つまりはプロンプター。なるほど適役だ。

 イツノは世界観の違いにより私たちの陣営から離反したものの、一時は『もっともはじまりのラクルラールに近い人形』と呼ばれていた。レッテやネッセですら彼女の底は測れなかったという。トリシューラ陣営とラクルラール陣営が手を結んでルウテトに立ち向かわなければならない今こそ彼女の役割は正しく発揮される――という筋書きなのだと思う。たぶん。


「ここからどうやったら死人の森の女王に対抗できるっていうの?」


 イツノの実力は疑いようも無いが、その言葉を素直に信用出来るほど無邪気ではない。トリシルシリーズの中でもとりわけ巨大な嘘に塗れているのがこの人形だ。


「そんな目で見ないで。私は前王と相打ちになる『外敵』の役どころだったけれど、その話はもう終わったから。あなたが演じるのはその後の話」


「ああ、外敵と結んで国を滅ぼそうとする裏切り者がメートリアンだったから、設定の上でだけ存在する『異国の七将』があなたに割り振られたわけね。もしかして私がメートリアンに干渉したことで、あなたの存在が希薄になったの?」


「そう、出番が削られた。『外敵役』がメートリアンにスライドしたと言ってもいい。今回はそこが重要。私も自由に動けるようになった」


 なら、私の行動も無意味ではなかったのか。

 トリシューラたちにはさんざんな評価をされてしまったけれど、悪役としてはそれなりのはたらきをできたということだ。


「情報を整理する。『死人の森の女王』の基本戦略は弱者属性の利用。敗北を武器とし、征服する英雄神の力を利用すること」


 イツノはカーティス=リールエルバのことを言っているのだろう。『死人の森』は外敵に敗れ、『女王』は零落する。被害者性こそ彼女の呪力だ。『槍』が世界を貫いているからこそ強まる『男に虐げられる女としての力』――『侮られる力』とでも言うべきか。


「『さなぎ』――あるいは『繭』。冬という死にも等しき眠りを経て、最も脆弱な肉体を脱ぎ捨てて羽化する転生神。ルウテトの強さにはむらがあり、むしろ弱い時こそが厄介。妖精王の二つ名『繭衣けんい』とは、そのまま彼女が得意とする呪術の名でもある。絡め取る絹糸にして堅牢な鎧、そして転生の揺り籠」


「弱者というのは、悪役とは違うの?」


「かなり近い。ルウテトはかなり露骨にその立ち位置を狙っている。確実に罠」


「なら転倒もいいところだわ。今の悪役は私なんだから」


 そう言うと、なぜかイツノは一瞬だけ不自然に沈黙した。

 透き通った視線が私を差す。とても強い眼差しだった。


「わたしにーさまとグレンデルヒの決戦後、ミヒトネッセは女王を襲撃し、髪を盗んで呪いをかけた。霊媒がカミに触れて干渉すれば、カミからも干渉可能になる。豚に零落したあの時点で、ミヒトネッセは女王の器となっていた」


「自らを零落させるように仕向けたのよね。ほとんど最初からミヒトネッセは『死人の森の女王』の操り人形だった。今もそうなの?」


「ルウテトの役割は『哀れな操り人形』から『残酷な支配をもたらす悪しき神』に変化した。ミヒトネッセはトロフィー役となっている。かわりに女王が選んだ駒が、貴方を邪魔するにっくき『ヒロイン』と愚かな『王子様』」


「それは主役でしょ?」


「構図が転倒してるの。『本来の物語』を引っ繰り返して、悪役が主役となり、主役たちが障害、課題、到達目標になっている」


 やはり空白のメートリアンはルウテトの器だったようだ。

 けど、それが分かったとしてどう対処すればいいのだろう。

 結局ヒロインに好かれようと頑張っても運命の前には無力だった。

 いっそこのまま破滅に身を委ねてみるのも面白いかもしれない。


「『本来の物語』が転倒しているのなら、無気力にだらけて何も起きない結末があってもいいのかもね。やるべきこともやれず、諦めて演技すら放棄する舞台なんて、陳腐すぎて何万回でも繰り返されてそうだけど」


 どうせ私にアレッテの代役なんて無理だったのだ。

 トウコとしてクルミを助けるのも、ヒロインに懐かれて王子様といい感じになるのも、没落した後で幸せになるのも、みんな嘘だ。

 私は幼い日にあの『横倒しの塔』で命を落とし、アレッテに命を引き継いで貰って存在を繋いだけれど――そんなものは呪文による嘘だ。本当はアレッテがアマランサスという死者の役を演じてくれていただけ。演技をしている間は、私の存在は過去にはならず、この世界で再演されて復活できる。

 私なんて――アマランサスなんてどこにもいないんだ。


「私は仮初めの存在、虚構の役だわ。そんな私が役者としてアレッテを演じて悪役を、それも主役でもある悪役をこなせだなんて、要求が複雑すぎる。無理よ」


 ネガティブな弱音は、甘えた激励の要求に聞こえたかもしれない。

 けど今のは本当に自然に出た言葉だ。

 私には根拠が無い。アマランサスが何者かになれるという理由が無いのだ。

 次の展開を教えてくれるというのなら――イツノ、あなたは私にどんな台詞を持ってきてくれたの?

 私の求めに、必然の答えが返ってくる。


「それは違う。あなたはもうわたしにーさまに――シナモリアキラになった。役が役者になれないなんて道理は無い。最初の役者が舞台を去っても、代表作の役名は残る。役は舞台で生きて、次の役者と混ざりあう。アレッテや『火車』はもうとっくに問題にならなくなっている。最初の演技が役に命を吹き込んだなら、もう劇的な生命は神話の中を生き続けるしかない」


 それは強い――とても強い言葉だった。

 私はアレッテじゃないけれど、彼女の舞台を知っている。

 イツノが示した私の次の台詞とは、アマランサスの未来そのものだ。

 私たちはもう一人歩きを始められる。

 要するに、もう好き勝手にするしかないということだ。


「アマランサス。あなたは悪役としてヒロインと対峙するべきだと思う。メートリアンが器である以上、ルウテトはそこから導き出される必然の地で決戦の準備をしていると思う」


「その場所って?」


「『折れた塔』は破滅と敗北、神権と父権の崩壊を象徴する。学院の姿はこれにそっくり。その中でも天に届かず地に墜ちている場所――塔の最上階、校舎の一番端にある旧校舎棟にルウテトはいる」


 必要な助言だけをして、唐突にイツノは現実から掻き消えた。

 あれは私が見た都合の良い妄想妖精だったのだろうか。

 舞台袖という現実の外から助言をしてくれる存在――舞台の外側にも『必然』は存在している。私はやはり、この運命から逃げられない。

 それでも。

 イツノの励ましは、少しだけど私を勇気付けてくれた。


「ここは舞台――だからこそクルミと近しいという設定の『トウコ』の役なら演じられる。私はアマランサスだけど、アレッテじゃないままアレッテを演じる」


 多分それが今の私に出来る精一杯の解釈だ。

 断罪を終えた悪役に、これ以上何が出来るのかは分からないけれど。

 少なくとも幕が下りるまで、この劇的な心臓は鼓動を止めることが出来そうに無かったから――決意を胸に、私は決戦の地に向かった。




 丸天井の岩穴に満ちているひんやりとした空気は死者の牢獄に相応しいものだったし、打ち棄てられた白骨や球体関節の手足などは残骸の墓場としてはひどく粗末で恐ろしげだった。クルミは檻の中に突き飛ばされ、ごつごつとした冷たい岩の上に投げ出されてしまう。


 この場所はスポットライトから除外されている。

 深い闇の中、ミヒトネッセという自己を取り戻した侍女人形は暗視機能がまだ生きていることに少し安堵を覚え、周囲の状況を確認した。

 牢獄の中は意外にも広い。

 向かいの檻の向こうにも囚人がいて巨体を丸めているし、両隣からもかすかな音が聞こえる。そしてどの牢も生者よりも死者で一杯だった。

 檻の中に林立する細長いシルエットは剣を象った墓石だ。

 刻まれているのはクレイの名前。

 墓の森には、試行錯誤の果てに捨てられた粘土人形たちが眠っていた。

 途中から墓が足りなくなったのか、損壊した肉体が部屋の隅に積み上げられていたり、剣の上で串刺しにされていたりした。

 

 埋葬というより廃棄。

 それとも途中まで墓を作っていたのだから、これは悪意ある埋葬と解釈すべきなのだろうか。いずれにせよ、ここには悲惨しか存在しない。

 ミヒトネッセは無数のがらくたの中にあるものを発見して小さく喉を鳴らした。

 

「何、あんた死に損なったの。それとも逃げ損なった?」


 ミヒトネッセが放り込まれた檻の中にも例外なく無数のクレイが捨てられていたが、その中に一人だけまだ動ける個体がいた。


「思い知った? 自分が下らないお遊戯の人形で、自由意思なんてどこにも無いんだってこと。私もあんたも、同じように無価値なんだってこと」


 最大限の侮蔑と嘲弄を込めて、ミヒトネッセはクレイに――クレイだったものに語りかけた。膝を抱えてうずくまる男の瞳は、暗く濁っている。

 鋭かった刃は欠けて、錆びて、折れて――輝きはくすんでしまった。


「だっさ。ねえ女の死を乗り越えて強くなるのって楽しかった? 自分一人だけ運命の支配を断ち切れるんだーって信じられる人生って物凄く楽しそうよね。やっぱり恵まれた王子様はいつも接待して貰えるのが当然って感じなの?」


 沈黙が闇を満たす。

 罵声を浴びせる方、罵声を浴びせられる方、双方から無気力な諦めが匂い立つ。

 これは何もかもが終わった後の余分だ。


「ファウナって女も結局あんたのママだったってわけ。笑える、ほんと最悪」


「そうだ。全て俺のために道具として利用された。お前もそうだったんだな。だからこそ、それほどの怒りをぶつけてきていた――すまない」


 ようやく返ってきた陰鬱な声を聞いて、ミヒトネッセの目が据わる。


「は? 何であんたが謝るの? っていうかあんた今どこに立ってるつもりなの」


「俺は、ただ母上が――陛下がしたことを謝ろうと――」


 無言で放たれた右拳が真っ白な頬を歪め、続く左拳が整った形の鼻を潰した。

 ミヒトネッセは倒れ伏した少年を腕組みして見下ろす。


「この期に及んで、あんたはそうなのね、クレイ」


 クレイでなくなったがらくたは、今もなおクレイのままだった。

 全ての役割を失ってなおその役柄にしがみつくさまは滑稽でもあり、それしかできない人形の悲愴な宿命そのものだ。

 かつてのように反撃することもなく、ただ静かに悲しみの涙を流すクレイの姿に、ミヒトネッセはより一層の苛立ちを募らせる。


「こんな場所に放り込むなんて、最低の嫌がらせ。てか、めそめそ泣くのやめてくれない? 無価値になったんなら自己憐憫なんて意味無いでしょ、あんたに憐れまれる価値なんて無いんだから。ほら泣く必要ゼロじゃない」


「違う」


「何が違うっての、廃棄処分のがらくたが」


「悲しいんじゃない。世界が遠のいていくようで、寂しいんだ」


 ミヒトネッセは言葉に詰まった。

 クレイの言っていること、考えていることが理解できなかったからだ。


「俺の全てが嘘だったことで、俺が周囲から受け取ってきたもの、関わってきた人々の価値まで損なわれてしまう――それが、とても惜しまれるんだ」


 クレイは語った。

 ファウナが教えてくれた舞の苛烈な美しさを。

 クレイは懐かしんだ。

 設定上でだけ存在するプーハニアとの虚構の親子生活を。

 クレイは悔やんだ。

 舞台上で駆け抜けたクルミとの青春の日々を。


「師が命をなげうって俺に伝えてくれた熱を、今もまだ覚えている。厳しくも愛に満ちた言葉で、俺はあのとき確かな自分の心を感じていた。父が与えてくれた慈しみを知っている。荒っぽい所も粗雑な所もあったが、その中に沢山の優しさがあったのだと、嘘の記憶でもそれはとても大事なものだった」


「ていうか気付けよ。犬要素ゼロでしょあんた」


「そんなことはない。設定では転校前にファウナ先輩の付き人をしていた時には上級生の女生徒たちから『犬系』と呼ばれていたことになっている」


 ミヒトネッセはクレイの腹部に無言で蹴りを入れた。

 息を詰まらせてのたうち回る姿を見てもなお苛立ちは収まらず、侍女人形の鉄の踵が更なる踏みつけを行おうとした時だった。


「んだよ、騒がしいな」


 噂が影を招いたのか、向かいの牢でうずくまっていた魁偉な容貌の虹犬が唸り声を上げてこちらを見た。その姿に、二人は目を見開く。

 虹犬の名はプーハニア――かつて『マレブランケ』の狆くしゃ(カニャッツォ)だった男だ。


「なにこれ、あのど腐れ豚はこういう嫌がらせしか思いつけないの? 脳が腐ってるから悪意のレパートリーが少ないのね、きっと」


「ちくしょう、ちくしょう、どうして俺はこんなとこにいるんだ、もうわけわかんねえよ、エキストラの日雇い仕事なんてやるんじゃなかった」


 ぶつぶつと独り言を呟くブルドッグは、長いこと暗がりに押し込められていたせいで精神の安定を欠いていた。

 ようやく現れた会話が通じそうな相手に怒濤の勢いで愚痴をまくしたてる。


「勢いで仕事辞めたはいいが、地下闘技場は閉鎖されてるし、そもそも第五階層がそれどころじゃねえ上に日雇い仕事で繋いでも先の見通しが立ちやしねえ。警備だの用心棒だのもこの街にいる限り危険性では『マレブランケ』とどっこいだ、給金が悪くなるだけでよ。やっぱあのままサイバーカラテ道場で、せめて内勤に回してくれねえかって頼み込むとか、もうちょっとやりようがあったんじゃねえかって――だからって今更トリシューラに泣きつくのもなあ」


「父上――いや、プーハニア。あなたもここにいたのか」


 俯きがちなプーハニアの視線がクレイを舐め回す。

 どんよりとした表情が、小さく歪んだ。


「はっ、いいねえ見目麗しい主役のお坊ちゃんは。世界がどんなに変わってもそのツラひとつでどこでもちやほやされるんだろ? 俺みたいなのはもうお払い箱だ、古臭いし見苦しいってよ。もうこのままここで朽ちていくのがお似合いだ」


 虹犬は外の状況を理解していない。

 わけも分からず事態に巻き込まれ、気が付いたらこの場所にいた無力な第五階層の住民――それだけの存在だ。

 それでもクレイは言わずにはいられなかった。


「遅いかもしれないが、お礼を言わせて欲しい。貴方は、俺を助けてくれた」


「何の気まぐれか知らんがな。いや、あれも誰かの思惑通りだったのか? 俺にはわからんよ。もうなんもわからん。何も出来ないし、何がしたいのかもわからん」


「それは――俺、だって」


 ここにいる者はみな同じだった。

 何も無い、本当に何もかもを無くしてしまった――それならばまだ良かった。

 本当は最初から何も無く、これからもなにも生まれないことに気付いてしまう――残酷な事実を受け入れるしかなくなった、それが彼らの悲劇だ。

 プーハニアは態度を決めた。やけっぱちになったのだ。


「やめろやめろ、うんざりなんだよ。俺に話しかけないでくれ。面倒な事には関わり合いになりたくねえよ。余計なもん拾うんじゃ無かったぜ全く」


 彼は胴間声でそう怒鳴ると、クレイたちに背を向けて耳を塞いでしまった。

 クレイは手を伸ばそうとして、結局俯いて沈黙した。

 ミヒトネッセは下らないと吐き捨てた。


「笑える。結局あんたはそうなるのよ。ママに欲情して、パパを憎悪する。自由意志なんてどこにもない、運命の操り人形」


「自由意志――俺がそう思っていたものは、全て」


 いつの間にか、クレイの身体に白いものが巻き付き始めていた。

 どこからともなく現れた絹糸がしなやかな手足を絡め取る――いや、それは最初から彼にずっと巻き付いていたのだ。そうして彼は静かに繭に包まれていく。

 そして、悪意ある変貌はクレイだけに留まらなかった。

 ミヒトネッセは自らの身体を見下ろして、とても愉快そうに大笑いを始めた。

 身体を大きく揺さぶって、腹を抱えて目に涙すら浮かべている。


「見てよ、このざま」


 ようやく喋る余裕がでてきてもまだ喉が鳴っているミヒトネッセは、暗がりでもよく見えるようにとクレイに身を寄せていく。嘲りに満ちていても変わらずに漂う少女人形の色香がクレイの鼻先をくすぐった。


「私ね、妊娠してるの」


 唐突に大きく膨らんだミヒトネッセの腹部は、明確に受胎を意味していた。

 繭に包まれていくクレイは、暗い表情で言った。


「きっと陛下の呪いだ。望まれない生誕の悪意、愛さずにはいられない不可避の喜び。それを教えようとしている」


「正しい教育ってわけ。いい趣味してる」


「いいや――悪い趣味だ」


 沈黙が牢獄を満たした。

 ミヒトネッセの腹部からはもう赤子の産声が聞こえ始めており、クレイは片足を真っ白な棺に突っ込んでいる。

 できることなど何も無かった。自棄になるのも笑い出すのもきっと正しい。

 どちらもできずにいたクレイは、飽きて笑うのを止めたミヒトネッセに弱々しい視線を向けた。無表情になった人形が問う。


「怖い?」


「怖くなどない」


 打ち消すような強い否定。

 その瞬間、二人は気付いた。

 牢獄は既に完全に閉ざされている。

 檻は壁となり、世界は完全な箱の中で完結している。

 部屋の中央にはたったひとつきりの寝台が堂々たる存在感を示し、その脇にはこぢんまりとした揺り籠と哺乳瓶が置かれていた。

 いつの間にか新しく出現していた扉にはこんな紙が貼り付けられていた。

 『生殖しないと出られない部屋』と。


 ツボに入ったのか、ミヒトネッセは膨らんだ腹を押さえてひたすらに笑い転げていた。悪趣味な創造主は、心の底から楽しんでこんなことをしているのだろうと想像してしまったから。遊びの無いラクルラールより遙かにどうしようもなく、遙かに邪悪な性質の超越者がルウテトという女神なのだ。


 劇的な展開を望まれている。役を全うするように誘導されている。極限の状況に置かれた二人は必然として身を寄せ合い、心を近づけていく。惹かれ合う感情は舞台の外にいる演出家の手によって丁寧に整えられた愛だった。

 舞台上で芝居が行われるより先に、『妊娠』と『大人になる』という結果が押し付けられる設定の先行。確定した未来をなぞることだけを求める強引な神意。

 さながら女児の人形遊び。作り物を用いたラブロマンスは、世界中で繰り返されるお手軽な芝居の最たるものだ。


 笑い続けるミヒトネッセとは対照的に、絶望の表情で扉を見つめるクレイ。

 それを見た侍女人形は涙を拭いながら言った。


「何、純情すぎていきなりは恥ずかしいの? 手を繋いで仲良しこよしのデートでもする? あ、まず言葉の意味がわからないのかな?」


 クレイは慌てたように気色ばむと、よくわからないことを言った。


「破廉恥な、いきなりそんなことができるか。男女の交際はまず交換日記からだ」


「交換日記ってどういうの? 交換するの? あんたと私の日記を? なんで?」


 知らない概念の登場に困惑するミヒトネッセに、クレイはやや落ち着きを取り戻して説明する。


「違う、日記の共有だ。一日おきとか一週間おきとか、期間を決めて日記を交換し合う。そうして私的な領域を少しずつ開示し、お互いに対する理解を深めていくのがまっとうな交際の手順というものだろう」


「へー。往復書簡みたいな?」


「概ねそうだな」


「あんたってそういう作法が呪文系なんだ。理解不能なんだけど」


 どれだけ執拗な意思がクレイとミヒトネッセを追い詰めても、結局のところ二人が正しく噛み合うことは無かった。

 弛緩した空気が湿った気配を押し退け、ばかばかしさに筋書きが萎えていく。

 彼女は、そうして生まれる隙を狙っていた。

 空間に亀裂が入る。

 透明な景色が割れて、凍り付いた虚空の壁の向こう側から一人の魔女が飛び出してきた。透明な義眼が目を惹く涼やかな美貌の冬が、二人の姿を認めて表情を柔らかくする。二人にかけられた呪いを断ち切るべく、コルセスカが現れたのだ。


「再演をしましょう。結末はアマランサスが教えてくれました。きっとこのやり方ならルウテトの思惑通りにエンディング条件を満たせます――もっとも、推奨レベルでクリアしてあげるつもりは全くありませんが」





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