終節:序『The Orb Is a Harsh Mistress』
かくして嵐は去った。次なる争乱の火種が依然としてくすぶってはいるものの、第五階層の人々はひとまず安堵に胸をなで下ろしていた。
そんな弛緩した緊張感の合間を縫うようにして、それは来訪した。
第五階層の四方には塔がそびえ立っている。かつては天井、現在では夜空に吸い込まれている円柱は、天地に流れ込む高密度の呪力の奔流だ。
国境や入管、関所に階段、あるいは端的に『門』と呼ぶ者もいるが、多様な名が指し示す役割は一つ。空間的ではなく観念的な『上下』に向かって同時に流れている情報の大河に乗ることで、人は第五階層という小さな世界から異なる世界へと旅立つことが可能になる。その逆もまた然り。
光の柱を囲うようにして建設された天井吹き抜けの巨大建造物は防衛用の『壁』であり、第五階層の出入りを管理するための『目』でもあった。
度重なる争乱の果てに南部ブロックを除いた三カ所はアルト・イヴニルの人形兵団によって占拠されていたが、カーティス=リールエルバが第五階層の主導権を握った事で人形の軍勢は第六階層に撤退。カーティスが敗北した現在では再びトリシューラの管理下に置かれている。
大型の戦闘用ドローンたちが機能を回復し、隣接階層からの侵攻に備えて警備体制が整えられていく中、最初の異常が発生した。
閉鎖された東区画の転移門から流れる光にわずかな歪みが生じる。このような現象は『上』か『下』の階層掌握者、あるいはそれに準ずる次元干渉力を持った存在による強制的な呪的侵入でしか起こり得ない。事態を重く見た入管シューラは即時この情報をトリシューラ全体と共有しようとして愕然とする。この『門』付近のちびシューラ全てが情報的に孤立させられていた。
いまやこのちびシューラたち、そして東地区の『門』は第五階層から切り離された独立異界と化しているのだ。
入国審査用の自動音声が来訪者に対応する、否、させられている。来訪者の青く染められたショートヘアから無数の糸が伸びて支配力を及ぼす。ありとあらゆる存在はその女との力関係を自覚せざるを得ない。
全ての者は彼女に訊ねる。全ての者は彼女に教えを請う。全ての者は彼女を仰ぎ見る。そして彼女は森羅万象に教示する。物事の道理、あるべき姿と振る舞いを。
訪問目的を問われた女は紫に染められた口の端を吊り上げて威圧的に言い放つ。それが最初のレッスンだった。
「観光、慈善――それから啓蒙活動だよ、君」
直後、不正侵入を受ける入管シューラ。
敷地内の全モニタが乗っ取られ奇妙な幻が上映される。
荒廃した都市部。砂埃を巻き上げて突き進む装甲車。杖を担いだ歩兵たちが悲壮な表情で戦場と化した街で呪術戦闘を繰り広げる。危険な紛争地帯と化したその場所で、か弱い老人や女性、そして子供たちが虐げられる。
搾取、虐待、貧困、戦闘に巻き込まれる市民たち。
独自の信仰を持った海の民が新たな聖地を求めて侵攻を開始。他国からの移民や難民、先住民である再生者とぶつかり合う。さらに先住民内部の部族同士の抗争、『上側』と『下側』の二大祖国が介入して事態は混迷を極める。
頑迷な海の民による児童割礼、死や重大事故の危険性がある成人儀式、宗派や民族間での血腥い争いが陰惨さを強調されながら映し出される。海の民の子供たちは無言で念写者の瞳を見つめる。骨と皮ばかりとなった幼児のきらきら光る玉石の瞳が印象的に切り取られた直後、映像は暗転。真っ暗な画面に大写しとなる『そこに未来はありますか』の文字。
続いて登場したのは眼鏡の少年と熊のぬいぐるみをかかえた蝶翅の少女だ。
「女王は僕らナードの気持ちを考えてくれないんだ。ファッションとか知りませんよ、服より新しいタブレットとか端末の周辺機器とかが買いたいのに。モテない? いや僕セージさんにはありのままの自分を見て欲しいから」
「第五階層の治安は世界最悪だし! ヤバイサイボーグとか胡散臭い格闘家とかが世界の至宝である美少年を狙ってて目障りだから何とかして欲しいし! あと美少年売春の合法化はよ。とーぜん全部独占で」
二人は並んで第五階層の窮状を訴えるが、途中で糸に引っ張られるようにして退場していく。二人の限界過ぎる言動は動画編集呪術によって『第五階層の悲惨を訴える子供の声』に改変されていた。
強調されていたのは第五階層の悲惨な現実。
豊かな文明社会から遠く離れた戦地における、子供たちの悲しみに満ちた叫び。
かと思えば、シリアスムードの背景音楽が一転、希望に満ちたマーチが始まる。
満を持して登場するのは人形の教師たちだ。
近代的な校舎が一瞬にして現れ、子供たちが歓声を上げて駆けていく。
輝く瞳で黒板に表示される情報を吸収し、教師の質問に手をあげて応える子供たち。強靱な警護用人形に守られて安全な環境で良く遊び、良く学ぶ、そこはまさに理想の学舎。
続いて同じ系列の教育施設を出たかつての子供たちの現在が映し出される。
世界槍管理技術者となった黒檀の民(肉体は半ば洞化している)、建築技術者となった大地の民(肉体は半ば獣化している)、理学療法士となった天眼の民(肉体は半ば亜竜化している)――様々な人々が自信に満ちた表情で「今の自分があるのは、全てラクルラールのおかげです」と口にする。
ラクルラール、ラクルラール、ラクルラール学院。
劣った眷属種、落伍した半異獣でさえ最高の教育を受ければ社会に居場所を見つけることができる。
チャンスは誰にだって与えられている。
学びに『遅い』は無い。
始めよう、ラクルラールゼミ。
お申し込みは――。
流れ続ける宣伝映像。騒音が響く『門』の付近は異様な静寂で満たされていた。宣伝文句以外の音が忽然と消えている。ドローンの駆動音も、警備員たちが立てる物音も、何もかも。その中を来訪者は白衣を靡かせて悠々と歩んでいく。彼女を咎め立てる者はいない。そんなことができようはずもない。彼女こそが指摘し、誤りを正す側なのだから。
世界はどこまでも静かだった。女が歩む道には幾つもの銅像が並んでいるかのようだが、微動だにしない置物たちは数秒前までは警戒態勢で女を取り囲もうとしていた。勤勉な警備員たちは入管の悪魔とも呼ばれる精鋭たちだ。機械女王に下った獄卒の牛頭ジャッフハリム人は無骨な対洗脳甲冑に身を包んでラクルラール対策も十分な筈であった。しかし、青い髪はそんな備えをものともしない。
鮮やかな青い髪は甲冑の隙間、対抗呪文の合間を縫って侵入する。女の眼鏡に映し出されるのは、あっけなくも無惨な未来だけだ。
「融けろ」
その一言で戦いは始まり、終わった。
全ての音が消え、女の足音と宣伝映像の音だけがやかましく自己主張を続ける。侵入した騒音が生み出す振動が硬直した甲冑を揺らし、ほぼ完全に密閉された装甲のわずかな隙間から液体を染み出させた。
女の指が踊る。極めて細い鋼糸が全ての甲冑をバターのように切断すると、断面から大量の液体が流れていった。血、肉、骨、心と瞳、脳と唇。どろどろに溶けた人体のスープが辺りの床にぶちまけられていく。
対洗脳甲冑などこの女の前には無意味。
完全なる支配と掌握は、融解という形で現れる。
「おまえが第三位のラクルラールか。聞いていた通り恐ろしい使い手だな」
声よりも早く、女の影が燃えた。
足下の影次元から突き出された炎の穂先が女を股間から頭頂部まで一気に貫き、肉体の内側を灼熱が炙っていく。串刺しの肉体が上空に放り投げられると、影から現れた赤髭の壮年男性が自らの手首に牙を立てる。飛び散る燐血が発火し、同時に瘴気を纏うことで『炎のコウモリ』を形成。上空の女に次々と突撃し、頭上の宣伝映像ごと爆発させた。
現れた男の名は『鬼火』のバル・ア・ムント。燐血の民をベースにした後天的な吸血鬼で、リールエルバからトリシューラに預けられた兵力の筆頭にして両者の同盟関係を象徴する存在である。
カーティス=リールエルバと同時に『覚醒』した彼は第五階層での瘴気拡散を口実にした病院修道会による『人道支援』を阻む壁となっていた。事態が終わりを迎えた今も状況は予断を許さないため、トリシューラの指揮下に預けられたバルは引き続き『門』で守りを固めていたのだ。
「やったか?!」
爆風に向けて叫ぶバル。彼には超高位呪術師を倒したという確信は無い。このような『どう考えても倒せていない』パターンを踏んだ言動をすることで、ほぼ確実に生きているであろう敵の反撃開始位置を爆心地に確定させたのである。果たして彼の文脈操作により敵の瞬間的な移動は妨げられた。すかさず燐血を用いた追撃、更には影を操っての束縛呪術を囮にして投げっぱなしの槍に対しての遠隔操作を並列で実行。足下で呪符が遅延起動の設定を終えており、コウモリたちが原始的な信号弾を打ち上げるまでの時間稼ぎには十分すぎる備え。
「さしもの貴様といえど! これだけの攻撃を叩き込めば! 無傷というわけにもいくまい!」
ひたすらに火力を集中させ『無傷の敵が平然と現れて愕然とする』未来を予想させるような言動を繰り返すバル・ア・ムント。敵をその場に釘付けにするためだけの、自身の格が零落することを厭わぬ捨て身の策。
「無駄に格好を付けずに役割を果たす。お行儀の良い端役だこと。退屈だがまあ可もなく不可もなく。七十点」
声は猛攻撃を続ける男の背後から聞こえてきた。
硬直するバル。確かに文脈操作は成功していた。にも関わらず、女はバルの前と後ろ、双方同時に存在している。
そればかりではない。
『門』の至る所に設置された案内板、立体幻像モニタ、テクスチャ呪術対応型ドローンに、全く同じ女の顔が張り付けられている。
印象的な眼鏡、同心円のまあるい瞳、紫の紅が引かれた唇、鷲を思わせる高い鼻、霊長類ともアヴロノともつかない耳、そして白衣の内側には子供たちの笑顔が隙間無くプリントされたシャツ。
恐怖にひきつっていたバルの表情は、その姿をはっきりと捉えた瞬間、朗らかな笑顔に変わっていく。最大限の敵意と警戒を向けていた一瞬前までが嘘のようだった。なんと才知に溢れ、慈愛に満ちた女性なのだろう。この素晴らしい人の存在を、多くの同胞たちに知って貰わなければ。戦いはこのようにして終わった。
女はバルの頭部を触りながら呟く。
「シナモリアキラの一員であるカルカブリーナと疑似的な親子関係ないしそれに近い結びつきを有しているな。つまりお前はあの転生者の父親役ができると。素晴らしい最高の役者だオーディションは合格、十点加点してやろう!」
白衣の女の進撃は続く。バルという新たな道連れを加え、女の存在が第五階層を汚染していく。最後の役者は舞台に上がった。演出家兼役者は物語を加速させ破壊と創造の果てに道を描き出す。
彼女はずっと、祭壇が救世主を望む瞬間を待っていた。
彼が同じ場所に昇ってくるのを望んでいたのだ。
「このラクルラールは全ての救われない子供たちのために存在している。私が君の光だ、幼い第五階層。救ってあげよう、素敵な教育でね」
同時刻。
北地区の『門』でも同様の事態が進行していた。全く同じ顔をした白衣の女が、子供たちの笑顔を全身に隙間無く張り付けてやってくる。
女は片手の上に真っ黒な球体を浮遊させていた。
その周辺に、どこからともなく六冊の本が集まってくる。特別な呪いを詰め込んだ古代の魔導書は、『死人の森』の王権を分割した古代の『法』だ。
『断章』とも呼ばれる六冊のレガリア。六王が所持していたものはアルト・イヴニルからカーティス=リールエルバへと所有権を移していたが、戦闘後の混乱を突いた『青い糸』が六冊全てを奪い取ったのだ。
残る『断章』はミルーニャの『富』、トリシューラの『知識』、行方の知れないクレイの『生存』。
「迂遠な真似は無しだ。全てを貰おうか」
糸は法を、叡智を、権力を統べる。
青い糸に絡め取れないものは無い。
あるとすれば、それは彼女の視界の外側だけなのだ。
女は指をくるくると回していく。誘われるように集まってくるのは小さな人形たち。彼らが運び出してきたのは人形の予備部品。再構成されていくのは、無謀にも反逆を目論見、無惨にも敗退した人形姫の姿だ。
カーティス=リールエルバに対する同情、共感、惰性での隷属。その果てに使い魔として倒れた人形姫だったが、白衣の女はつまらない幕切れを許さなかった。蘇生した人形は女性的な肉体に戻されている。王権は剥奪され、アレッテ・イヴニルとしてラクルラールに従属するという力関係が再現されてしまっていた。
「鳩に三枝の礼あり。報恩と孝行は子の責務と考えなさい、人形」
冷ややかに告げるラクルラールに、アレッテ・イヴニルは淡々と謝罪し、蘇生して貰った事への礼を述べた。声に色は無い。必要とされていないからだ。ラクルラールもまたアレッテにそれ以上の何かを求めたりはしなかった。
ただ、落胆の息を吐く。
「トリシルシリーズの成長性は素晴らしいが――完成には遠い。かといって三号機や五号機のように学習を放棄するのも考えものだ。お前はあとどれほどの学習が必要なのだろうね、人形」
皮肉げな言葉に、アレッテは返す言葉を持たない。
人形姫にとってラクルラールの言葉はただ受け取るだけのものだ。双方向的なコミュニケーションが成立する余地は無い。してはならないのだ。
「お前たちがこのまま結果を出せず、叛意を胸に秘めたままだと言うのなら、私も考えなくてはならない」
だが人形姫に対してラクルラールは嗜虐的な視線を向けていた。人形が人形らしく振る舞うことなどつまらないと悪意が瞳から溢れ出す。
「この新しい素体は廃棄された三号機を改良、私専用に調整したものだ。中々悪くは無いが、私にとっての最善ではない。あるいは次に素体とするのはお前か、さもなくばミヒトネッセかと言ったところだが――」
「お待ち下さい、あの子はっ」
アレッテの諦観が脆くも崩れ去った瞬間だった。諦めた者、惰性で生きる者にも恐怖はある。そのようにラクルラールが設定したからだ。女の手のひらが人形の頭を優しく撫でた。それはそれはいとおしそうな手つきだった。
「おや、可愛げが出てきた。関係性の設定はキャラクター性を豊かにする。お前、姉妹人形としての自己を保ちたいのなら、ちゃんとしなくてはいけないよ」
「心得ております。次こそ、必ず」
膝を突く人形姫の紅紫の瞳が静かに揺らめいた。
西地区の『門』で死が吹き荒れる。
静かな支配などそこにはない。
警備兵たちは意識を残したまま肉のスープに変えられ、苦痛の声が周辺一帯を阿鼻叫喚の地獄に落とす。
「虐殺、そう虐殺だ。世界は悲惨と大量死を求めている」
子供たちの笑顔を張り付けた女が、子供たちの泣き顔を並べた映像を背景にして歩いていく。女は遠く離れた場所で同じ顔の自分が所持している『断章』に目を通しながら一つ一つ指を折る。数えるのは王の名前だった。
「歴史の授業、虐殺についての話をしよう。今まさに虐殺されている生徒諸君!」
女は人体を輪切りにしながらそう言ってげらげらと笑い始める。背後に黒板の立体幻像が浮かび、六王の名前とその所行が列挙されていく。
まずは美しき髪のマラード。司る虐殺は少数民族の弾圧と旧臣の粛清。特に英雄を擁立して反乱を成功させようとしていた人狼を見事に抑え込んだ手際は評価に値する。王命に寄らず、王を第一に考えた忠臣の独断専行による弾圧という体裁の整え方もまた巧みである。
次に単眼亜竜王アルト。司る虐殺は敵対派閥の徹底的殲滅。度重なる戦の果てに力を増大させた五大騎士団、その全ての粛清は鮮やかの一言。再生者として甦った彼らを隷属させたその圧倒的カリスマも呪わしいほどに強大だ。
続いて狂王子ヴァージル。司る虐殺はラディカルな統合主義。今もなお地上で命脈を保つ思想であり、文化とミームの破壊は教会も得意とするところだ。国家、民族、擬人化、人種ジョーク――ステロタイプなレッテル貼りによる偏見の固定化は『学院』も大いに活用している優れたテクニックと言えるだろう。
叡痴の王オルヴァ。司る虐殺は革命、反乱、その鎮圧、流血による円環、破滅の繰り返し。まさしくこの世の摂理と言った所。最も自然に在るのがこの王だろう。
空の反逆者パーン。司る虐殺は族誅――九族皆殺し。クロウサーが広めた歴史を信じるならパーンは虐殺された一族の残党だが、族誅呪術には成功か失敗しかない。そして苛烈な覇王は弱者と裏切り者を決して許さない。彼は自分に追いつけないばかりか足を引っ張ろうとする者たちをガレニスとは認めなかった。クロウサーに恭順し自分を反逆者として売ろうとした『敵対血族』を殺戮することを、ガレニスの長は躊躇しない。まさしく王の振る舞いだ。
大勢の穢れカーティス。司る虐殺は疫病による大量死、隔離による差別――裏と表の呪い。昼のドラトリアを疫病支配によって植民地化し、以後独立運動を押さえつけてきた。六王の中で唯一その王国が滅びていない勝利した虐殺者にして被虐殺者。それがこの王だ。
女による講義はその場に歴史家や今を生きるドラトリア人がいれば反論されそうなほどに恣意的な色づけをされていたが、しかしこの世界の長い歴史を網羅的に把握していない者にとっては『知恵者によるそれらしい知識開示』はそのまま事実となる。第五階層にとっては新しい情報はそのまま呪いとなって作用する。それはそのままトリシューラの常套手段でもあった。
「王による虐殺、破滅をもたらす暴力はここに甦った。ここに新たなるサイバーカラテの暴力が加わることで、この地は血塗られた祭儀場へと変質していくだろう」
女は叫ぶ。準備はじきに整うと。虐殺の血、救いを求める声に答えて、子供たちの泣き顔を笑顔に変える為に彼女はやってきた。そのために老若男女の区別無く肉のスープに変えてしまおう。子供たちの笑顔の為ならあらゆる死は正当化される。未来の可能性ほど尊い価値は無いのだから。
「来るべき降臨の時、我々は他の細胞どもに先んじて『儀式』を開始する。我らの髪が彼方の『心臓』に至り、接続は果たされる。その時こそ、我々ラクルラールがトリアイナとなるのだよ」
救いを求める叫びが響く中、最後の虐殺者がその本性を顕していく。どこまでも純粋に、どこまでも露悪的に、ラクルラールは邪悪な独善を振り撒き続けた。
南地区での襲撃は密やかに、そして大胆に進行した。誰もが敵の存在には気づけないまま、俺と魔女たちだけがその圧力を感じている。
「アキラくん!」
「了解だ」
『門』を起点に出現、拡大を始めたラクルラールは一切の小細工無しで殴りかかってきた。カーティスとの戦いが終わり俺たちの気が緩むであろう一瞬の隙を突いた強襲。だがトリシューラとコルセスカはこの連戦に備えて万全の体勢を整えていた。俺ことシナモリアキラの拡張もその一環。
物理、呪術両面からの襲撃。階層掌握が未だ不慣れな俺は初手で敵の侵攻を許してしまったが、トリシューラが本丸とするこの南地区まで明け渡すつもりはない。
敵の呪力が無数の糸となって迫り来る。俺の支配する領域と敵の浸食した領域とがせめぎ合う戦闘状況をちびシューラたちがイメージ化して翻訳、わかりやすい形に零落させていった。敵の複雑怪奇な呪術の波が映像に引きずられて零落、打撃の応酬に変質する。
対鋼糸用戦闘プログラムが走り、発勁用意の声が響いた。対する糸使いもまた俺の応手を予測して糸に呪力を乗せていく。予測と対応、学習の攻防。飛び交うのは情報という名の拳だ。眼鏡の女は連打するようにまくしたてる。
「『サイバーカラテ道場』は新興のプラットフォームだが着眼点は悪くない優秀だな転生者。八十点」
早口だが異様なまでに明瞭な口調で小気味よく長い台詞が発せられるので非常に聞き取りやすい。女の言葉は攻撃動作で、意味内容の誇示と宣伝を兼ねていた。
「そこで我々も『通信格闘講座』を始める事にした競合することになるがまあよろしく頼む敗れて死ね」
そう言ってラクルラールは無造作に拳を叩き込んできた。全く同規模、同位階の存在として同じフィールドで攻撃される。グレンデルヒとの決戦の時のように、紀人同士は極めて大味で抽象的な激突を繰り広げていた。
敵はこちらの動きをトレースしてくる。恐ろしい精度の模倣能力、寒気がするほどの悪意。ちびシューラが怒りに震えながら叫ぶ。
「『ラクルラール・ドールアーツスクール』って、なにこれ丸パクリじゃん!」
「これが強者の戦いだ我々は後追いでいい広い歩幅で先駆者を駆逐するのみ。丸パクリ? だからどうした? 私の方が知名度がありより多くの顧客を既に握っている貴様では勝負にすらならん」
恥じることなくラクルラールは言い切った。『上』の世界で高い知名度を誇り、教育界で絶大な存在感を示すラクルラール。あらゆる教科書出版、教材作成、学習塾運営、家庭教師派遣サービス、学童保育、児童館、非営利の社会福祉法人による貧困児童救済、その他さまざまな『善』を司る教育の化身。傲岸不遜な断言はけして自信過剰などではない。客観的で冷静な評価なのだ。
「だとしても」
相手はこちらと同じ土俵で競うことを選び、宣戦を布告してきた。叩き潰してやるという明確な意思表示だ。相手がどれほどの強敵であろうと道場破りには正々堂々と応じてやらねばならない。いずれにせよ、避けては通れない敵なのだ。
俺とラクルラールが激闘を繰り広げる様子をトリシューラとコルセスカが真剣な眼差しで見守っている。何らかの助力を期待したいと考えていると、コルセスカがトリシューラに向かってある提案をした。
「トリシューラ、今こそ奥の手を使う時です」
氷のまなざしがトリシューラをまっすぐに見据える。
おそらく二人はずっとそれを隠し持っていたのだろう。張りつめた空気の中、切り札の正体が冬の魔女によって明かされる。
「新たに『マレブランケ』に加入したネドラドはあらゆる『杖』を破壊する。あなたに対する最大の脅威は飼い慣らしてしまえば最強の矛になり得ます。今こそ新アキラの顔を使ってラクルラールを倒す時です」
「ネドラドって元『守護の九槍』の? そんなアキラくん、うちにはいないけど」
「は?」
「え?」
奇妙な静寂が魔女たちの間に横たわった。
二人の間で前提が噛み合わない。俺もなんと言うべきか判断ができなかった。コルセスカは致命的な思い違いをしている。おそらく、何らかの予断に基づいてありもしない切り札の存在を確信していたのだ。
だがそんなものはない。どこにもありはしないのだ。
「ユニット加入条件を満たしていなかったのですか?! ネームドの敵キャラは仲間になるかどうか確認するべきっていつも言ってるじゃないですかー」
「そんなこと言われても私あいつキライだし」
「性能が良ければ確保しときましょうよー」
ぽかぽかと両手でトリシューラを叩くコルセスカにはいつもながら緊張感が無い。そんな魔女たちをあざ笑うようにラクルラールは俺を蹂躙し、暴力的に版図を広げていった。存在規模は加速度的に膨れ上がり、四方から出現した物理的な実体もこの場所――今まさに俺たちやチョコレートリリー、戦場で傷ついた探索者たちが集う呪術医院跡地に集結しようとしている。そしてついに現世におけるラクルラール、その最大の呪力が俺たちに向かって解き放たれた。
「では真の教育をお見せしよう。集中しろよここテストに出すからな」
瞬間、誰もが第五階層の空を仰ぎ見た。絶対者の呪文に魅せられたかのように、生きとし生けるもの全てが女の言葉に耳を傾け、その命令を受け止める。
四方から現れた女たち、子供たちの笑顔を身体に張り付けた自動人形は、虚空の一点をそれぞれが突き出した手で取り囲む。衛星のようにぐるぐると回転する四体のラクルラール人形は全身のテクスチャを張り替えると白衣を脱ぎ捨て、人形の身体を丸めていく。
ラクルラールたちは形を変えて球となる。再び張り付いたテクスチャは子供たちの満面の笑顔。動画として蠢く笑顔がびっしりと張り付いた球体は四つの月のようにぐるぐると虚空の周囲を巡る。その光景を目の当たりにした者たちは誰もがイメージする。させられてしまう。
中心にあるもの、誰もが知るその存在を。
そして、ラクルラール球たちは一斉に唱和した。
「――セレスティアルオーブ・ゼオーティア」
直後、極大の『生命吸収』が第五階層を襲った。四つの月の中心に出現した超高密度の情報体。第五階層という一つの異世界に匹敵する巨大呪力。概念的な超重力とでも言うべき引力が俺の全身から都市という皮膚を引き剥がそうとしてくる。
必死の抵抗もむなしく、ちびシューラたちが涙目で暗黒の天体に吸い込まれてしまう。同時に放たれている教育洗脳呪術により世界常識レベルでの改変が行われ、ほどんどの探索者は抵抗する意思すら無くしていた。
絶望的な状況。敵が格上の紀人であることはわかっていた。だが想定していたのは迂遠な絡め手や洗脳や間諜による工作であり、まさかここまで直接的な暴力に長けているとは思いもしなかったのだ。
絶大な呪力による力押しの暴力。こちらが疲弊した瞬間を狙った直接的な攻撃。これまでの姿の見えない厄介さとは根本的に性質の異なる単純すぎるやり口。
その時ふと疑問が浮かんだ。
これは本当に今までと同じラクルラールなのか?
確か第三位のラクルラールは実質的な敵の首魁で、第一位などというものは実在を疑われているという話だった。あるいは敵のネットワークそのものを指しているのではないか、という話もあった。
実際に第三位を目の当たりにすると納得のいく強さではあるが、しかしこれまでのラクルラール像と重ね合わせると少々しっくりこないようにも思うのだ。
ラクルラールの恐ろしさはその全容と実体が見えないことにあった。だが、この強大な魔女の恐ろしさは全容と実体が見えるからこそのものだ。
俺は天を見上げる。
空を映し出すようになった第五階層の上空には、夜闇を照らす四つの月が浮かんでいる。だが現在、その中心に新たなる月が生まれていた。
ちびシューラの分析が完了し、敵の正体が明らかになる。天空に浮かぶ巨大な球体こそ夢見る学院。物理世界に落とされた大いなる叡智の影。
その本体は夢世界の深層に位置する自律型睡眠学習機構。生徒を導く呪術儀式にして厳格なる女教師の人工知能、ラクルラール=タイプ・マイク。
あらゆる世界の観念的天上、すなわち周回軌道上に位置する次元衛星。レールガン方式のマスドライバーによる教育質量投射爆撃を行うことで超広域に向けた破壊的洗脳呪術を実行できる戦略兵器。トリシューラの戦慄した声が夜を震わせた。
「あの位置に実体影があるということは、既に戦略爆撃の準備が整っているってこと――まさか七層の警戒網全てを突破してくるなんて」
「『呼ばれた』からさ。民衆が心より未来を望んだ時、私は構築される」
十分な教育を受けられない子供たちに愛の手を。
荒廃した紛争地帯に正しき未来を。
彼女こそ望まれて在る紀人。
悲惨を抱えた地域と悲惨を救済したいと望む外部の願いが一致した時、双方の邪視が協力して作り上げる『使い魔』幻想。
だからこそ幾多の戦い、幾多の虐殺を経る必要が奴にはあった。六王たちによる血みどろの紛争は彼女を呼び寄せる為の下準備だったのだ。俺たちはアレッテ・イヴニルやミヒトネッセにまんまと誘導されたのだろう。
奴の実体は歪な独善によって奇形と化している。あらゆる勢力からの干渉を許さない独立学府という建前は『上』に犇めく幾多の勢力の思惑によって空洞と化していた。『連帯』と呼ばれる国連と多国籍企業間の経済同盟からの献金によってそれぞれに適した洗脳教育プログラムを考案、作成、実施する統治機構。彼女こそは槍神教と並ぶ上方世界の思想的基盤のひとつである。
「あれこそが『三番目』そのもの――星辰学園都市ラクルラール。学校を破壊しなければ、私たちに未来は無い!」
だが『教育』の紀人は森羅万象に役目を教え、意思無き無機物であろうと洗脳、操作することが可能だ。全てを操る魔女にいかにしてあらがえばいいのか。新たに手にした第四の杖をフル稼働させても猛攻をしのぐことで精一杯だった。俺の手は守らなければならないものを取りこぼし、ラクルラールの髪の毛は俺の防御をたやすく突破する。
魔性の声が地上に届く。おいでおいでと声は呼ぶ。有望な生徒を集めようと、入学願書の雨が降る。無料の体験入学を強制する強引な手口。巨大重力は探索者を中心とした第五階層の住民たちを次々と吸い上げ、闇の中へと飲み込んでいく。それは不安そうに空を見上げ、すさまじい引力を障壁で遮断しているチョコレートリリーたちにも向けられていた。
「セリアック=ニア。国と家族の庇護を捨て荒野に一歩踏み出すその勇ましさ、称賛に値する。教育に盲従するのではなく自らの中でかみ砕いたその機知こそが尊いお前の価値だ。お陰で可愛いレッテは解放された。だからご褒美だよ猫の少女。おまえたちを人形の国に招待しよう」
空からお菓子の雪が降る。糖衣の精が踊る中、王子様に扮したミヒトネッセが舞い降りた。ぜんまいねじがぐるぐる回り、意思無き瞳が姫を捉える。男装したミヒトネッセは機械的にセリアック=ニアの手をとった。ラクルラールの声が一転して冷たく硬質なものになる。
「だが世界はどこまでも過酷だ。人は身を寄せ合うことでしか生きていけない」
王子様役のミヒトネッセは強引な手つきでリールエルバからセリアック=ニアを引き剥がす。抵抗は許されない。チョコレートリリーたちはいつの間にか背後に出現していたアレッテ・イヴニルの髪の毛で動きを封じられていた。
「これは私の優しさだ。結婚相手を見繕ってやろう。婚約し家庭に入るのだ。これより始まる第二幕で人形の国の王妃となり姉を守ってやるがいい。花嫁修業もまた教育の役割の一つ。女は生み育てるもの。家庭を担う人材育成こそ私の機能だ」
拒絶は許さないと糸が少女たちの口を封じる。止めようとする俺の拳は届かず、ラクルラールの浸食は既にこの身の半分以上を青く染め上げてしまっていた。
勝てない。単純な力の差、小細工抜きのエネルギー量が決定的に不足している。俺の心に忍び寄る諦念を見透かしたようにラクルラールは嘲笑を浴びせた。
「紀人としての階梯を上り全能感に酔っていたか、未熟な転生者。これから私が紀人社会の厳しさを教えてやる」
苛烈な指導とは名ばかりの懲罰。鞭を振り上げたラクルラールは幾度と無く俺を打ち据え、第五階層に亀裂を走らせていった。
度重なる危機。未来のない苦闘。
そんな時、ラクルラールの左右に巨大な呪力が出現し、両側から紀人を押さえつけた。共に同じ領域に立つ超越者、紀人による救援である。
「全能感に酔っているのは貴様だ。そしてこの私こそ真の全能者と知るがいい」
「おお、ブレイスヴァは全能すら食らいつくす!」
グレンデルヒとオルヴァの超呪術を受けてさしものラクルラールも動きを止める。続いて動いたのは氷の視線だ。
「当てが外れたものの、切り札は一つではありませんよ」
コルセスカの言葉に応えてアルマが氷の盾を掲げる。
魔女と使い魔の意思、生命力に呼応してどこまでも拡大する透明な壁。時空を隔てる絶対的な『遮断』の概念があらゆる熱量、あらゆる情報をせき止め、ラクルラールの教育呪術による一切の破壊が押し返されていった。
伸張させていた自己を強引に切断された苦痛で絶叫するラクルラール。その隙を突くように、新たな声が響く。
「凍れ、時蠅」
何もない場所から声が聞こえる。出し抜けに、次元の裏側から長い手指がこちら側に飛び出す。腕力のみで世界の風景を壁紙のように引き裂いて現れたのは編み込まれた髪の一房を揺らした長身の女性。氷で造形された弓矢を構え、影のような甲冑に身を包んだ美人だ。射抜くような瞳がラクルラールの端末である巨大な球体に向けられている。
「サリア、ハイディング解除、CT毎に三アビ、ボスが最終形態になったらアルマのかばう技に併せて氷弓ぶっぱでお願いします!」
「把握! 遅延技よろしく!」
コルセスカが訳の分からないことを叫び、サリアは当意即妙の受け答えを返した。冬の魔女と抜群に息の合ったあの女性こそ『邪視の座』最大の切り札。
行方不明だったサリアはコルセスカの指示を受けて不在を装い、ラクルラール戦に備えてずっと身を隠していたのだ。
俺にとっては初見だが、おそらくは今までも幾度と無く発動していたであろう時間遡航の大呪術。その応用形である時空を穿つ紀人殺しの概念狙撃が蠅の幻と共にラクルラールに叩き込まれた。
凄まじい衝撃が時空を引き裂いて、一気に形成が逆転する。
先ほどまでの絶望的な空気は払拭され、ラクルラールの膨大な呪力に裏打ちされていた余裕は既にどこにも残されてはいない。
「おのれおのれおのれぇぇ! こざかしい虫けらどもが、この程度で私に勝てると思うな! 我が命は地上の衛星と主星、軌道上の学院を含めて計六つ、つまり六回殺さなければ倒せぬぞぐはああああ!」
グレンデルヒ、オルヴァ、アルマ、サリア、コルセスカの大呪術がラクルラールの命を吹き飛ばし、眼鏡の紀人は血反吐を吐いて絶叫した。正直俺は何もしないまま劣勢からの逆転を見ていただけなのだが、展開が早すぎてついていけてない。巻いているというか、打ち切られること前提のクライマックスのようだ。
後がなくなり破れかぶれになったラクルラールは上空の学院を直接俺にぶつけるという最後の手段に訴えた。落ちてくる巨大な紀人の重みを、俺は全身全霊で受け止め押し返そうとする。小規模ながらも世界と世界の衝突に時空が揺れ、世界槍が内包する『枠』が軋んだ。
その後、第五階層に生きる人々の意思とか駆けつけてきてくれた仲間たち(ほぼグレンデルヒ顔だった)の助力とかでなんとかなったのだが、詳細はよく覚えていない。何かとても力業な勝利だった気がする。
多くの疑問は残されたままだ。ラクルラールとは何だったのか? この戦いと勝利に一体どんな意味が? ていうか色々と適当じゃないか?
「いいのよ。ラクルラールとの決戦なんて適当で」
時間が止まる。俺はいつの間にか舞台の上で誰かと向かい合っていた。
適当でいい。運命への諦観に満ちた人形のその台詞は、俺たち舞台の役者にとっては呪いに等しかった。この世は舞台、人はみな役者。どうせ全てが過去の焼き直しなら、色あせた現在に価値など無い。繰り返されるだけの退屈な日常をやり過ごすことだけを考えていればじきに全てが終わる。
「違う。再演は過去をなぞるだけのものじゃない」
「でも滑稽だわ。身体性とかアクチュアルさとか言ったところで、決まりきったパターンには変わりない。あなたは人生を生きているように錯覚しているだけ」
俺とアレッテ・イヴニルは一時、存在を同じくした。
共にリールエルバと共感し、彼女の衝動に心を委ねて戦った。しかし、やはり俺たちは決定的に違うものだ。
俺だって正しく理解しているわけじゃない。
舞台に立つということを、演じるということを実践し続けてきたわけでもない。
だが、この異世界で得た俺の足場は確かにこの舞台だ。
だから彼女の諦観は許容できない。
俺は彼女ではない。
「そうよね。そうだと思った。ねえ私、あなたがきらいよシナモリアキラ。自分だけが罪深いような顔をして、誰かに優しくしてもらえることを期待してる。一体あなたは何様で、どれだけ自分に都合のいい世界に生きてるの? そういうところ、あなたの二人のご主人様にそっくりで大キライ。死んでしまえばいいのにね」
アレッテ・イヴニルの感情がこれほど強く俺に向けられたのは初めてのことだったように思う。だから俺も真剣な答えを彼女に返した。
「そうか。俺はお前に対して特に何も感じないな。この世界に来て以来、一番どうでもいいと思えたのがお前だよ」
人形姫は俺の言葉に応じる必要をもはや認めず、俺もまたこれ以上のやりとりを不要と感じていた。
自己の内部での対話が終わる。
俺たちは分かたれ、本当の戦いが幕を開ける。
全ては舞台、今までの戦いもまた虚構。
激突した第五階層と巨大学院という二つの世界は解け合い、互いに浸食し合いながら拮抗した状態を保っている。
俺たちは永遠のような一瞬の中で対峙する。
敵の中枢に融けた俺の意識が対面したのが第三位のラクルラールでは無く、第六位であるアレッテ・イヴニルであるその意味は、もはや問うまでもないだろう。
今度こそ、紀人同士の決戦が始まる。
余計な邪魔は入らない。
同じものであった当人同士だ。双方もはや余力など残されていないことは承知済み。それでも互いの意地をかけての戦いが求められていた。これまで歩んできた道が形作る自分自身を裏切らないため。紀人としての自我基盤を揺るがす相手の存在を徹底的に打ち負かすために。
剥き出しのアレッテが鋼糸を伸ばし、俺が義肢を換装する。勢いよく踏み出し、両者の影が激突する。その時、聞き覚えのある声が乱入した。
「いいや、これは一対一の決闘ではない」
屍蝋化した片腕を鷲掴みにした陰気な顔の男が、俺たちの腕を掴んで止めている。盗賊王ゼド。奴がなぜ俺たちの内面に存在できる?
いやそれよりもこの男、腕の数が多すぎる。
六対で計十二本。六人分に匹敵する腕がずらりと肩から伸びており、俺の知らない希少種族か異世界の神仏かといった風貌である。ゼドは無造作に掴んでいた屍の腕を振り上げると、そのままアレッテの胸に突き立てた。刃のように刺さった腕が人形の中に飲み込まれていく。呆然とするアレッテにゼドが言い放った。
「全ての鍵は揃った。隠された宝への道は今こそ開かれる」
俺、アレッテ、そしてゼドを中心に世界が変容していく。何が起きているのかはわからないが、確かなことが一つだけあった。次の舞台が始まろうとしているのだ。そしておそらく中心で鍵を握るのは俺たち三人。いや、もしかすると。俺はアレッテに突き刺さった腕に目を凝らす。見覚えのある屍蝋の腕。
俺の予想が正しければ、鍵はあと一人いるのかもしれない。
だがそれより重要なことがある。
この一点だけは問いただしておかねばならなかった。
「ゼド。お前は俺の敵か?」
「なんだ。ようやく気づいたのか」
待ちくたびれたかのような視線。察しの悪い相手への呆れ。嘲笑とも取れる小さな笑みには、不思議と悪意は感じられなかった。ただ、期待を含んだ挑戦的な敵意がゼドの中から溢れ出そうとしているのを感じる。
「せいぜい俺たちを楽しませてくれ、シナモリアキラ」
盗賊王の全身は、いつの間にか骨犬をベースにした呪動装甲に覆われていた。奪われたトバルカインは今や完全にこの男が使いこなす武装と化している。
感情を発生させる余裕などもはや無い。愉快そうな言葉を耳にした直後、世界は光に包まれ、俺の意識はぶつりと引きちぎられた。
各教室に設置されたスピーカーからビープ音が鳴り響く。騒がしくおしゃべりを交わしていた生徒たちは慌ただしく自分の席に戻り、おとなしく先生の到着を待つ。学校という小さな社会の時間は音に支配されていた。
決まりきった日常を回す無味乾燥なシグナル。
抗うことはできない。定められたサイクルから外れることは人生の落伍者への道に足を踏み出すのと同じだ。誰も自分から破滅に向かおうとする者はいない。
それでも、等しい退屈と淡い期待は誰の胸にもあった。
ちょっとしたことでもいいのだ。
新しいこと。未知なるもの。
刺激があれば、世界はほんの少し楽しくなる。
そんな生徒たちの期待に応えたというわけではないだろう。ただの偶然ではあるが、彼女たちはやってきた。
「今日はお前たちに転校生を紹介する。二人とも、入っていいぞ」
眼鏡と白衣の教師ラクルラールはやってくるや否や教室の外に呼びかけた。たちまちざわつく教室。横にスライドする扉から、二人の少女が姿を現した。
一人は左右で二つに結んだ赤い髪と緑の瞳、すらりとした肢体を制服に包んだ人形のように整った容姿の少女。
もう一人は顔の右側を覆い隠すような装飾的な眼帯をつけた雪の結晶に似た少女。まるで真冬にだけ生きられるこわれものの細工じみたたたずまいに、誰もが圧倒される。
ある生徒は感嘆の吐息を漏らし、ある生徒は驚愕のあまり絶句した。少女たちの姿、その異質な美貌は彼らの喉を支配し、凍り付かせている。
「はじめまして、私はヒメと言います。これからよろしくお願いしますねっ」
「――コズエです。よろしくおねがいします」
単純な自己紹介だが表情と発声に雲泥の差があった。
氷のような白銀は快活、血のような漆黒は沈鬱。
揃いの制服を着てはいても正反対の雰囲気の少女たち。
季節はずれの来訪者たちに向けられる視線は自然と片方に偏ることになる。
ヒメと名乗った明るい氷の少女と、コズエと名乗った暗い人形の少女。二人の異質な存在は日常に一石を投じた。
そんな中、騒がしく盛り上がっていく教室の生徒たちを冷ややかに見つめる視線があった。転校生たちに負けず劣らずの美貌を誇る窓際の姫君は、関心を失ったのか紅紫の瞳を退屈そうに窓の外に向ける。と、隣に座る黄砂の髪をツーサイドアップにした少女が耳打ちしてきた。
「ねえ、なんかあの二人、感じ悪くない? この学年の『エトワール』はトウコなのに、でしゃばっちゃって」
「いいのよ、そんなの適当で。それよりクルミ、私は駅前に新しく出来たクレープ屋さんのことで頭が一杯。レッスンの後で行ったら門限に間に合わないかしら?」
気のないそぶりを見せるトウコ。クルミはもどかしそうな表情になり、やり場のない苛立ちの視線を転校生に向ける。偶然鋭い視線がコズエと重なり、びくりと身を震わせてコズエが目を伏せた。瞬間、クルミの瞳に小さな火が熾る。言葉に出来ない熱っぽい衝動。いつのまにかクルミの気の強そうなまなざしはたったひとりだけに吸い寄せられていた。
開幕のベルは鳴り響き、物語は回り始める。
ここは学びの園。少年少女たちが集い、きらめく『星』を目指して競い合うアイドル養成学校。世界にたったひとつ、広大な宇宙空間を旅する人工惑星型の学園異界都市ラクルラール。
窓の外に広がる闇と星はあらゆる可能性を内包したこの学園の鏡である。若者たちの夢を乗せ、今日もまた学園は星の海を往く。無限の深淵、光の彼方へと。




