4-66 夜空裂くキャスケット
サイバーカラテ発祥の地ネオアメリカの青肌人には特殊用途義肢の適合者が多いと聞く。兵士や宇宙飛行士などは高度な人工知能を搭載した半自律義肢を運用するが、海底人とも揶揄される青肌の新人類たちは極限環境下での活動に自らを最適化することに余念がない。『イエローストーンの長い冬』から一世紀を経て、彼らの貪欲な急進性は遺伝子改造のみならず特殊用途義肢を自家薬籠中の物とするに至っていたのだ。
だから一般的な彼らのイメージは少しばかり幻想的だ。タコやイカのような無数の手足を有していたり、多機能ロボットアームを分離・遠隔操作したり、時には艦船や飛行機、海底基地や複数の小型ドローンそのものと自己の感覚を一体化させたりといった、人の枠を拡張するような身体性のあり方がそこにある。
俺ことシナモリアキラが各種アプリ(たとえば『残心プリセット』など)を活用して義肢というツールに命令するのとは違う。リハビリに似た訓練を経て制度化された資格や免許を取得して初めて可能になる神経の通った新たな身体の獲得。
しかし人の手足と同じ形ならばともかく、人の枠を超えたロボットアーム、大型機械や乗り物、施設や複数の子機を『自己』として扱うことには困難が伴う。
自分の手足に対する認識さえ個々人で様々だ。四肢喪失に伴って生じる幻肢には実大型から断端部からの遊離型、縮小して断端に密着する型、痕跡程度の型から断端に嵌入してしまっている型まである。俺はその遊離する幻肢を呪術的端末として『幽体離脱』させてアストラル投射が可能になったが、思えばこれもトリシューラにとっては下準備だったのだろう。
『SNA333』を自己として捉えた時、俺は複数のアイドルたちの総体を、ステージや音響機材、映像設備などを含めて身体として認識していた。
あれが契機だ。条件は既に満たされていた。この拡張はいわば順当な進歩。車の免許を取って教習所を卒業した程度の前進に過ぎない。
紀人になった時に比べれば随分とささやかな進歩と言える。
なにせ国際社会では当たり前のことなのだから。
俺という身体感覚が爆発する。
魔竜との戦いが続く呪術医院跡地のみならず、第五階層の各ブロック、各種の公共施設やインフラに至るまで、俺が伸ばした幻肢の手が届く領域になっていく。
身体が薄く広がっていくイメージ。
手が遊離・分裂し、第五階層の至る所をがっちりと掴む。切り離されても身体の延長線上のまま、伸張された身体感覚が道路を、街頭を、監視水晶を、公共端末を、余さず覆い尽くしていった。
九姉の領域で垣間見たトリシューラの構造、その一端を俺は実感する。脳の精密な模型を作ったり記号処理等の呪文的論理を弄ぶアプローチではなく、実世界との相互作用に軸足を置いた考え方。
包摂アーキテクチャ。
円形のお掃除ロボットや紛争地帯の地雷処理ロボットでおなじみの、知能を無数の『振る舞いのモジュール』に解体するメソッドである。
脳から流出する『我思うゆえに我在り』という論理の世界よりも、世界があるが故に我が在るとする反射とフィードバックの知能構築。
センサにとっての環世界、世界から提供された意味と自己との関係性。主体の意識判断に先立つ事物からの信号。人も機械も身体性と空間性に縛られている。枠の中で規格化されている。
ではその規格を変えた時、何が起きるのか?
サイボーグ化とは、その思考実験である。
俺は知る。ドローンの昆虫じみた思考を体感する。俺は感じる。自動化された都市機能の閃きを受け取る。俺は思う。第五階層のあらゆる電子機器の反応を受け、その結果としてシナモリアキラという機能が働いていく作用を理解する。
新たに解放されたウィッチオーダー第四の義肢『イストリン』。
またの名を『アイストライナの地縫合機』。
支配する階層の『都市化/文明化』を促進、居住区画のデザインを行う階層管理用マニピュレータ。第五階層を転生者の『創造』により異界化し、外世界ミームによって新しい内世界を構築するのが主な用途である。
形状は呪動ミシンと大型の制御盤が一体化した『平たいハサミ』か『巨大ステープラーもどき』と言ったところか。時空間そのものを縫い合わせて、世界を衣服にすることができるというのが売り文句だ。
「といっても、機能がたくさんあってわからないよね。チュートリアルついでに端っこの方いじってみる? 操作方法はこんな感じだよ、アキラくん」
「こういう自由にクラフトする箱庭系は実際にプレイしてみないと感覚が掴めないものです。まずは遊べる感じの施設とか作ってみませんか?」
なにやらトリシューラとコルセスカが俺の意識に語りかけてきているようだ。二人の言葉に従って、俺は未開発の地区を選んで開発計画を実行。大枠の布地は『公園』に決定。住民の購買履歴から嗜好を割り出し、サンプルデータから汎用テクスチャを引っ張り出してコピーアンドペーストを繰り返す。俺の義肢上で針と糸が土地を穿ち、空間を縫い合わせていく。『創造』の大規模行使によって第五階層が震え、驚くように叫び出す。
収益性、景観、公共性、生産呪力、文脈生成力、観光客の誘導ライン等のパラメータをざっくりとフィーリングで整え、なんとかそれらしいものが縫い合わされていく。やや不格好だが、着れるものは作れただろう。
できあがったのは小規模な公園。呪文で編まれた絨毯がグライダーとなって飛び交う、言葉が形になる世界。
『創造』による彫刻にあふれた芸術広場が中心コンテンツで、売りはSNSと連携した粘土のように柔らかいオブジェだ。これを観光客が手か言葉で自由に変化させ、その状態を名前と共に記録しておけばいつでもどこでも再現可能。ゼオーティアでは写真だけでなく念写記録に心理的抵抗感がある人が決して少なくない。だから写真を共有して『SNSでの見栄え』を気にするよりも創造物や言葉を共有したいという欲求の方が一般的。そんな需要を見込んだ小規模な遊び場、ちょっとした散歩や外からの観光にも適した空間だった。
「我ながらいい感じだ」
「えー、もっとはっちゃければいいのにー」
「あ、予測スコアが出てますね。『イストリンお姉さまの辛口評価』? えーと色々と項目がありますが、とりあえず総合は九点みたいです」
コルセスカの言葉が俺の自信を強固にしていく。十点満点か、この世界らしく最高得点だったりするのかは不明だが、俺には天賦の才能があるようだ。
「いえ、百点満点ですね」
俺は無能だ。砂場遊びすら満足にできない。もう自分のセンスを信じるのはやめて空間構築の細部はトリシューラやコルセスカに任せよう。
「まあまあ、みんな最初は初心者なんですから」
そんな感じでチュートリアルは終わった。俺はすっかり自信を喪失したが、そういえば暢気に遊んでいる場合ではなかった。体感時間はともかく実際には一瞬のうちに行われていたのだが。
色々と遊んだり活用したりできそうな能力ではあるが、今はまずカーティス=リールエルバだ。
力になりたかった。闇の中で孤独に過ごしてきた彼女が独りで立とうとするのを、見届けたいと思った。それが依代である人形姫の共感なのか、俺自身の感傷なのか、はっきりと切り分けることは難しい。だが間違いなくこれはシナモリアキラの衝動で、今も抑制しているだけの本心だ。
紀人としての性質、アレッテ・イヴニルの共感事故、様々な勢力の介入と色々な要因はあるが、俺が裏切った事実は変わらない。だからこそ区切りとして言わなければならないことがあった。
「二人とも、俺は」
「謝るのはやめてね。私の調教計画が間違ってるみたいじゃない? これでいいし、これまでのことも必要なプロセスだったんだよ」
「あなたはトロフィーや点棒なのでしょう? なら行ったり来たりするのが健全というものです」
末妹選定に参加する者としての矜持なのだろう。二人は俺に謝罪することを許さず、俺も今のままの心境で謝ることは不義理だと考え直す。
カーインの点穴による影響か、今はもう人形姫や魔竜との接続は切れている。リールエルバとの繋がりは聖婚で上書きされて思い出すことができない。
それでも二人で地下を逃げ回った記憶は俺にも引き継がれていた。『壱』の始祖『凶作』の記憶から、セリアック=ニアに背負わされた宿命についても把握している。感傷とわかっていても、相争うことを決められた姉妹という構図には思うところがあった。それはトリシューラとコルセスカにとっても同じこと。
俺たちの意思は一つ。
言葉は要らない。身体が決めて、意識が踏み出す。
夢が融ける。コルセスカとトリシューラのライブは現実世界に染み出して、リールエルバもまた夢から現実に混ざり、『チョコレートリリー空組』の観客となっていたカーティス=リールエルバと一体になる。
夢も現実も既に境界など無い。全てはライブ、世界はステージ、人類はみな役者で歌手でアイドルでファンだ。
『アイストライナの地縫合機』は世界と世界すら縫い合わせる。意識と無意識、夢と現実だってパッチワークの空想世界に落とし込んでしまえるのだ。
俺はアイドル時代の経験を生かし、まず呪術医院周辺をライブシアターへと大改造していく。戦場は戦場のまま、瘴気に満ちたおぞましい世界はそのままに。この義肢は上書きや細かい改変には向かないものの、切り張りや継ぎ接ぎは大の得意分野のようだ。
たちまちできあがる、『舞台の上で繰り広げられる激しい大戦争』という一大スペクタクルの一幕。巨大な魔竜が状況の変化に惑い、舞台から抜け出そうとするが、そこにグレンデルヒやアルマが立ちはだかる。
「アルマ、あと少し時間稼ぎをお願いします!」
コルセスカの『心話』に手を挙げて応じるアルマ。
一方でグレンデルヒは俺の変化を見て片方の眉を上げるとにやりと笑った。
「ほう、ついにこの階梯まで登ってきたか、シナモリアキラ! では少しばかり指導してやろう」
「いや、髭太夫の知識を借りるからいい」
素っ気なく断ると、「そうか」と心なしか悄然として戦場に戻っていくグレンデルヒ。扱いが雑だがまあいいだろう。俺は宣言通りいるんだかいないんだか存在がよくわからない大賢者を『シナモリアキラ』という索引から引っ張り出した。
「お前の力が必要だ。あるだけ寄越せ、時空を統べる技の全てを!」
今の俺が持っていないノウハウを、オルヴァの叡智で強引に埋めていく。再演の旅路やオルヴァとの戦いを経て獲得した四次元方向の知覚。第四義肢はその知覚で過去と未来を空間と等しく捉え、環境パラメータとして制御する。俺という確たる意識の手前で、『所作の及ぶ範囲』と『周辺世界の把握・統合』が先行。
前提として、まず身体感覚には空間性がある。
たとえば卓上の物を手に取る時、奥にある板チョコレートを取るために間にあるコップを横にどけてから取る、という動き。手が及ぶ範囲と物の位置関係の把握は『邪視』の知覚であると同時に『杖』の身体感覚だ。
元来、身体感覚には空間把握が含まれている。
時間もまた同じだ。対象、世界、自己を巡る時空間の諸関係が舞台の進行表のように頭の中になだれ込む。
築き上げるのは演劇の舞台。それと両立するライブのステージ。且つそれらが第五階層に偏在し、絶えず上演され続ける機構だ。
王として、トリシューラは魔竜と戦う道を選んだ。吸血鬼という隔離された被害者と、魔竜という罪とどのように向き合うか、答えを出す時が来たのだ。
そしてアンドロイドである彼女が選ぶ道は決まっている。
「私にとっての過去は今の自分が認識できる過去。だって私に忘却は無い。歴史は記録で、等しく参照できるデータなんだもの。だから、私のスタンスは変わらない。過去でも現在でも未来でも、同じように進むだけ!」
悔やむことも悲しむことも、それは俺たちにとってのフィードバックと改善のサイクルに組み込まれた一要素。
悲劇と過ちはただそこにあり続ける記録として保存し、参照し続けることでしか向き合えない。だから俺たちにできること、俺たちが知るやり方は、再演によるアクチュアルな芝居の実感だけだった。
舞台は過去であり現在でもある。
機械に、データベースにできることは保管と参照可能性を保証することだけ。杖の座にはその確かさだけを揺るぎなく保ち続ける義務があった。
再演のステージが始まる。ドラトリアの暗い歴史、共同体が紡いできた悲惨な記憶が無数の俺によって演じられていく。中心になって動き回るのは新しくアキラ化した人形軍団『アマランサス・サナトロジー』。
トリシューラによって魔改造、もといプロデュース方針を転換されたことでアキラ化した『もう一人の人形姫』ことアマランサス。彼女は『SNA333』の新メンバーとしてこの再演舞台を引っ張っていってもらうとしよう。
トリシューラは珍しく俺の腕をぎゅっと抱えたりして、勝ち誇るように笑ってみせる。もちろん、誰かに見せつけるためだ。
「あっはは! ねえリールエルバ、アキラくんの首孔を自分のサイズに広げて得意げにいきがってたけどさ、私の方がずっと致命的にアキラくんを拡張できる! さあ見せてあげようアキラくん。あの程度の不可逆変化じゃ、もう満足できない体なんだってことを!」
言葉通りに、俺は広がる。
舞台で表現される共同体の接触と衝突。
それはただ悲惨なだけの世界ではない。
この地の過去は、俺がミシンで現在と繋げている。
瘴気と病、闘争と偏見を丸ごと取り込んだ俺は、都市機能と義肢を接続。
トリシューラの指示の下、都市の衛生管理体制は根本から一新された。提示されたビジョンがあらゆる病に端的な回答を示す。機械化呪術医療。サイボーグ化とアンドロイドが全てを過去にする。吸血鬼は古き良き幻想に零落し、保護されるべき演劇文化の中に住まう永遠の役者たちとなるだろう。
当然のことながら、吸血鬼種族としてのアイデンティティ保持や肉体放棄への忌避感情が予想された。
それを解決するのが時空の継ぎ接ぎだ。
俺が管理実行する時空間操作の正体。それは、第五階層のあらゆる場所を舞台に設定するというものだ。
第五階層において、『病気持ち』アイデンティティを持つ種族たちは過去に住むことになる。彼らは『かつてそのような病が存在した』という歴史を背負い、移動する再演舞台の空間を引き連れて街を歩く役者だ。凄惨な歴史を記述する移動型博物館であり、彼らが立つ場所が舞台となり、過去と現在の結節点となる。
機械女王が統べるガロアンディアンの現在において、機械化呪術医療はあらゆる病を克服した。一方で、再演舞台を常時展開することで撲滅されたはずの種族もまた共存が可能となる。技術が否定したものを技術で肯定する、これがトリシューラの選んだ解答だ。
拡大した視野で戦場の周辺を見回すと、誰もが環境の激変に戸惑っている様子。そんな中、真っ先に俺の意を汲んで適応したのは乱髪である。
『拾』の数字が刻まれたシラミの始祖吸血鬼こと『紅戦熱』に苦戦していたルバーブだったが、今や形勢は逆転していた。地竜の『化身』センザンコウとなったルバーブにシラミは手も足も口吻も出せずに攻めきれない。
ルバーブは敵によって再演された自らの罪を見続けている。俺たち殺人者はその罪を忘れることなどできない。感情は制御できても、記憶は残るからだ。
それでも、ルバーブ=スカルミリオーネは生き延びなければならない。
「衛生的な美しい都市の設計、整備された上下水道は陛下の夢でもあった。これより先の世に貴様らの未来は無い」
苛烈な断言に、始祖吸血鬼は涙を流す。
「では、醜く不潔なものはどこに行けばいい?」
「過去に。幻想と空想、亡者が群れる虚構の底に沈む。私も貴様も、それだけだ」
ルバーブの周囲にもまた、再演舞台が構築されていた。六王は過去の残滓、悪しき罪の記録だ。俺はルバーブを再演対象とし続けなければならない。
醜い男は全てを了解していた。彼もまた、シナモリアキラを受け入れたからだ。
ガロアンディアンという異世界に打ち立てられた新たな法則が、次々に世界を揺り動かしていく。
『法』の創造という王権による大事業は混乱と期待から新しい呪力を生み出す。
ファッションリーダー・トリシューラが牽引する第五階層の次なるムーブメントは、空前のドラトリア系ファッションブームである。
穢れと病の全ては、何かゴシックとかダークとかそんな雰囲気を醸し出すための文化的なタームに零落。
穢れ、ペスト医師、暗黒の中世、闇が息づく廃村、月夜に羽ばたくコウモリ、狼たちの咆哮、死を目の前にした病人たちの命の儚さ――それら全て、負の要素であったものはファッションや芸術文化を彩るアクセサリへと変化する。
さながらそれらは呪われたジュエリー。
心の闇を表現するための世界観構築ツール。若い世代から懐古趣味の年配者までをターゲットにした一大プロジェクト。アイドルブームとも相まって、闇と異邦は今巡節の流行キーワードとなることだろう。
その軽薄な罪の読み替えに、待ったをかける始祖吸血鬼がいた。
その者こそ『肆』の数字を持つ鉄仮面の戦士。
『鉄群鱗』というまことの名を持つ彼と彼の眷属は、激烈な差別のみならず法的に『公民ではない』とされ徹底的に隔離された『忌民』だ。
鉄仮面は機械女王の都合のいい言葉を受け入れたりはしなかった。苛烈な敵意をぶつける先は敵の使い魔、シナモリアキラ。それもただのアキラではない。どのような成り行きか、戦場に紛れ込んでいた仮面の男、『鵺』と呼ばれるカシュラム系吸血鬼をベースとしたシナモリアキラが始祖と拳を交えているのだ。
「何故だ。お前は我らの怒りを理解できるはず!」
激しい憤りを見せる『鉄群鱗』だが、『鵺』の戦意に衰えはない。
しかし始祖吸血鬼の疑問は当然のもの。『鵺』もまたけがれとして迫害され、現在もなお槍神教によって隔離され続けている被害者だ。
彼は異獣と化した同胞のため諸悪の根元たる大魔将イェレイドの打倒を誓って第五階層を訪れた。その彼がどうして同じ境遇の者と敵対しなくてはならないのか。
答えは続く動作により示された。
『鵺』は静かに腰を落とし、発勁用意と呼吸を整える。
そして、その宣名を解き放った。
「外破――『鉄悪疫』」
膨れ上がる瘴気、爆発する闇。衝撃にたじろぐ鉄仮面は、晴れていく視界の中にその姿を認め、愕然と目を見開いた。
「始祖吸血鬼、だと」
『鵺』が放つ瘴気圧はこれまでの比ではない。カーティスからほとんど失われていた『悪疫』の呪いは、カシュラム系吸血鬼の末裔たる『鵺』に継承されていたのだ。やがて『鉄群鱗』はあることに気づく。
「そうかお前、いや貴方はかの禁忌皇帝の末裔か」
禁忌皇帝ブイオ・ガルッピ。かつてとある帝国で『隔離奴隷』たちを率いて反乱を起こした忌むべき皇族の名である。
病に冒された彼は宮廷から追放され、病める奴隷たちと触れ合う中で義心に目覚めた。正しさと情の皇帝僭称者は反乱を企てるにあたり槍神系病院騎士団の支援を受けたという。見事に勝利した彼は、結果的に自分と同族を槍神教の奴隷に貶めてしまった愚者として歴史に名を刻んだ。
愚者の末裔、反逆の皇統に連なる最後の戦士。『鵺』の正体がその通りであるならば、ますます吸血鬼たちと対立する理由がわからない。
しかし、『鵺』には確固たる信念があった。
奇妙な、それでいて一貫した狂気。それこそが彼のシナモリアキラ性だ。
「壁の外を壁の内側と同じにする――お前たちの理想は、俺の悪と相容れない。俺はまず壁そのものの悪を糾弾しなければならない。その理想は恐怖と同じだ。あのイェレイドと同じ、俺の敵だ!」
真っ白な仮面。細身。たなびく真紅の鉢巻き、白い道着、不似合いな黒いマント。その名はサイバーカラテマン。始祖の呪いを受け継いだ男は、自らの似姿と譲れない怒りをぶつけ合った。
怒りと対立はそこかしこで発生していた。
俺たちの行動は、万能の解決策などではない。
トリシューラは王としての意思を示したが、人々がそれを受け入れるかどうかとは別問題だ。誰もがあがき、戦おうとしている。
「まだまだこれからっ、『活動せよ!』」
叫ぶトリシューラ。血の滲むような決意だった。
だからこそ魔女の鮮血呪は力を持つ。
流れる血のように、古代の生け贄のように。
内と外の価値は反転し、あらゆる神秘が零落する。
ドラトリアは隔離された内側に『共同体』の呪力を見出す。
その構図が反転することで、内側には穢れた狂い姫、外側には禊ぎ清める聖なる姫という配置が変容する。
元々ドラトリアは瘴気こそ王権、魔こそ聖なるものという逆転した世界観を持つ国だ。昼の聖職者たちは卑俗な多数派であるという、他国ではあまり見られない転倒が起きている。
鮮血呪によって広がりのある外側が聖なるものになれば、聖性は拡散して零落する。少数派の内側は卑しいものとされつつも禊ぎによって清められその蔑視を緩和可能になる。鮮血のウィッチドクターが創り出した屁理屈の膏薬はドラトリアの高低差をフラットに見せかけた。
『鵺』の怒りと戦いは一顧だにせず、壁そのものを壊したりもしない。壁はそのままに、内側と外側の価値を変動させて状況の価値それ自体を貶めているのだ。
「貴方たちの状況を把握はするし、配慮も示す。けれど私にとってあらゆる価値は交換可能だ。聖も俗も、穢れも禊ぎも、個人も共同体も、私が示す道の前には等しく脇役だ。そんなことより私の世界を見て! 私の作った新しい服を、この世界に好きなだけ着せてあげるから!」
それはカーティス=リールエルバへの明確な拒絶であると同時に挑戦だった。
相手を貶めて勝つネガティブキャンペーンは有効な戦略のひとつではある。
だが有効な選択肢が常に最適解で在り続けるとは限らず、逆に弱点となる場合もある。だからこそ流動する価値観に対応できるよう、相手の実力に関わらず自力は常に必要だ。過去ごと前に進んでいくトリシューラは、自らの価値を毀損されても構わずに更なる価値を創出していく。
『お前は可哀想な私たちを迫害する邪悪な加害者だ』という指摘に対し、トリシューラが選んだのは新しいプラスの印象をもたらす話題を作ってネガティブな印象を打ち消すという手法。大きなマイナスを取り返そうとするよりも、更にたくさんのプラスを積み重ねればそれで良い。
何の解決にもなっていないようで、『解決できないものは解決しない』という当然の結論でもあった。
「私は無敵だ! ひれ伏せ駄犬!」
「わんっ!」
という小芝居を演じる俺たちのすぐ側をコルセスカが滑走していく。不条理な夢がたゆたう中で、俺たちの浄界は着々と拡大中だ。新しく得た義肢、新しく得た世界。たとえ罪を抱えていても、傲慢な俺たちは前に進むことをやめられない。それもまた人の業なのだろう。
そんな時だった。夢の底から暗い囁きが響いてきたのは。
「得たな。獲得したな。罪を抱えて戦うと決めたな。ならばもう、この赦しの幻想は不要だな?」
この声は俺にしか聞こえていない。不思議な確信がある。性別の判然としないこの声には、聞き覚えがあった。
「お前は罪宝を手放した。罪貨の価値を損なった。信徒どもに己の有り様を示した以上、もう前言は撤回できない」
戦場付近をドローンで探査して、ようやくその影を捉えた。マフラーを棚引かせる侍女人形は、ミヒトネッセで間違いはない、はずなのだが。
「貰っていくぞ。トバルカインはお前には不要なものだ。俺に盗まれる程度のちゃちな罪貨、惜しく無いだろう?」
そう言い残し、骨犬を連れて影の中に消えていくミヒトネッセ――いや、あれは誰だ? まるで彼女が変化しているゼドそのもの、というよりまるでミヒトネッセに化けたゼドのように見えた。これでは奪ったのか奪われたのかわからない。そもそも、奴がなぜこんな行動に出たのかも不明だ。
そして盗人の言葉の通り。
俺はなんとしても骨犬を取り戻さなければ、という強い意志を持てずにいた。
取り戻す必要はある。だが、今この状況では優先順位は下のタスクだ。感情を制御するまでもなく後回しでいい。
俺の救いとなった赦しの呪文。
その喪失に対する、意外なまでの無感動。
これが何を意味する一幕なのか、俺にはわからない。
本当に、何もわからないのだ。
セリアック=ニア、リーナ、ミルーニャの三人は、再演ライブによって過去に遡航していた。目指すはカーティス、そして魔竜の根源。タイムマシンのスリッパに乗って、あちこちの時空を旅してたどり着いたのは荘厳な祭壇だ。
対峙すべき宿敵は、ごく当たり前のように過去の時点でも同じ場所に在った。それもそのはず。霊媒であるカーティスは、まさしく魔竜をその身に降ろしている最中だったのだから。吹き付けられるすさまじい瘴気、現代のものとは比較にならない圧力に空組は吹き飛ばされそうになる。
「にあー!」
だが彼女たちが負けることはない。
とりわけセリアック=ニアの呪力はかつてないほどに高まっており、彼女が紡ぎ、仲間たちから引き受けている文脈の量はかつて魔将たちを圧倒したアズーリアのそれに匹敵するほどである。
英雄として、アイドルとして、三人は過去に降り立った。目の前に立ちはだかる途方もなく高い壁を乗り越えるために。眼前にそびえ立つは祭壇にして舞台、影のような群衆が仰ぐライブのためのステージである。
その中心に、信仰の担い手が立っていた。
「愚かなり。定命の種族よ、疾く失せるがいい。此処は聖域。俗人が足を踏み入れることは赦されざる罪」
高圧的に告げる男とも女ともつかない麗人。影のように薄い衣をひらひらと踊らせる舞い手の名は第七の巫女。原始竜神信教における最高の霊媒にして、過去の極点から全未来に影を投げかける崇拝されるべき偶像。影占いで未来に手を伸ばし続ける、賢者とは似て非なる超越者。
その正体こそ古代から歌声を響かせ続ける永劫不朽の黄金アイドルが一人。
闇の底で舞いを奉納する最古の地下アイドルである。
「お前たちは魔竜の怒りに触れた。闇を知れ、人の子ら。贖罪の時だ」
厳かな宣言(MC)が終わり、歌が影として実体化する。両手を広げて天を仰ぎ、魔竜を迎え入れるようなポーズによってステージを取り巻く影の海が熱狂し、騒然とする空間の中に嵐が巻き起こる。
世界創世前の暗黒、始原の夜闇、死すら飲み込む虚無。
強大無比な歌と踊りは、技術が確立する以前の曖昧な表現に過ぎない。マジカルアピールの原型でしかない単純なイメージは、しかし圧倒的な力となって少女たちを叩きのめした。揃って宙を舞い、頭から地面に叩きつけられる空組。
絶対的な格の違いが壁として聳え立つ。
あらゆる地下アイドルはこの黄金の影を追うだけの有象無象に過ぎない。地底の暗がりで信仰を集める絶対者の『紀』は全てこのアイドルに端を発しているのだ。
「これが黄金アイドルの力」
「青銅アイドルの私たちじゃ、かなわないって言うの?」
「いいえ。同じ青銅でも、どこかの黒ウサギなら格上相手にうつむいたままやられることはないでしょう。私たちがそれに負けていてどうするんですか!」
実力差は歴然。それでも彼女たちが奮い立つのは、負けられない理由が、仲間との絆があるから。なにより、『チョコレートリリー空組』という新しい枠組みを、それぞれがなんだかんだ言いつつ気に入っていたのだ。
地下アイドルとしてランキングを駆け上がっていった時と同じように、三人は宝石のようなきらめきを歌い、最古の地下アイドルはけがれに満ちた奈落を舞う。
先の見えない死闘の果てには光などありはしない。
分かり切った結末は絶望。気力を削ぎ落とされていく空組を見下ろしながら、地下アイドルの王は言い放った。
「『青い血』は一滴も残さず人類から絞り尽くす。たとえ瀉血狂いと罵られようと我が祈りは永劫に。さあ罪を見ろ、回帰の誘惑に屈してはならない!」
意味不明の歌を紡ぐ黄金アイドルに、三人はわずかな驕りを見た。付け入る隙があるとすれば、この一瞬の油断をおいて他には無い。
リーナとミルーニャは一瞬だけ視線を交錯させ、同時に行動を起こした。呪文による更なる舞台の構築。ライブ中のパフォーマンス、ミニアピールの変形としての再演舞台に、セリアック=ニアだけを放り込んだのだ。
そこで再演されるのは、三人にとっての主観的過去。
つまり古代であるこの戦場にとっては遙かな未来。魔竜の背の上というリールエルバとの決戦の地が古代に再現され、再び接続されたのだ。
猫姫はスリッパに乗せられて未来へと飛翔。
現代で再演された過去で再演された現代に帰還したセリアック=ニアは、二つの時空の文脈を引き連れてステージに立っていることになる。
「今です! 私たちが黄金アイドルを抑えているうちにリールエルバに打ち勝てば、私たちは二つの時点のカーティスに同時に勝ったことになる!」
ミルーニャの叫びに即応して、猫姫はリールエルバにライブ対決を仕掛けていった。元々音楽は鳴り響いたまま、マジカルアピールの最中なのだ。この勢いに乗せてリールエルバを圧倒すれば、求める勝利は手に入る。
しかし、それは甘すぎる考えというものだった。
人類には不可能な超高速の歌唱と電子的サウンドが雪崩のように降り注ぐ。立体幻像技術の極限に至った最新鋭の視覚呪文。世界を欺く狂気のステージ。閃光のようなアピールが、猫姫の自信を粉々に打ち砕く。
そう、彼女は誰よりもその実力を知っていた。けれど、実際に相対することは、第一のファンとして付き従うこととは異なる。
地下アイドルランキングの頂点に君臨していたリールエルバはミヒトネッセが演じた偽物ではあったが、その実力は本人を正確に再現したものだ。
カーティスとして覚醒したリールエルバの実質的なアイドルランクは更にその上を行く。最強最古の地下アイドルは、現代においても最強なのだ。
「まさか過去の遺物にすら勝てないというのに、この『電子狂乱の絶望歌姫』こと『狂イ姫-†囚焉舞イ血ル妬環ノ華†』に勝てるとでも思ったのか?」
血反吐を吐いて吹き飛んでいくセリアック=ニア。ブラックアウトしていく意識の中、少女は誰かがずっと自分の名前を呼んでいたことに気がついた。
――リア。
――セリア。
――セリアック=ニア。
声が聞こえる。
なつかしいような、あたたかいような。
聞いたことは無いけれど、それははじめからすぐ側にあったもの。だって、こんなにも近くに感じられる声なのだから、疑いようもなくこの呼び声は大切だ。
セリアック=ニアは自分からも呼びかけようと、ごく自然に考えていた。
なんと呼びかけようか?
少し考えてから、少女はいつものようにこう呼びかけることにした。
「ナーグストール」
呪文が唱えられたことで、それは形を持った。
見慣れたシルエットは紛れもなく宝石の獣のものだ。ほっそりとしてひょろ長い、球体を連ねた三角耳の猫細工。
「悲しいの?」
ナーグストールは宝石の涙を零していた。
寂しさだろうか。それとも痛みだろうか。
この猫はずっとドラトリアを守ってきた。
宿命に背を向けて、祖国を裏切ろうとしている少女のことを、きっと悲しく思っているのだろう。他ならぬセリアック=ニアこそがつらさを感じているのだ。彼女だってドラトリアという国に何も感じていないわけではない。リールエルバは少女の全てだけれど、だからといって切り捨てるのが簡単だなんてことは無いのだ。
「まるで宝石の悪魔に魅入られて祖国を裏切る女王のよう」
死して英雄となるはずだった聖姫は復活して邪悪な異獣と成り果てた。もはやセリアック=ニアを愛し尊ぶ国民たちはどこにもいない。彼女は宿命から逃げたドラトリアの恥曝しだ。戻れば石を投げられる。帰る故郷はもう失われたのだ。
けれど、それでも構わなかった。
楽園の外へ。地下室の外に姉を連れ出せるのなら、たとえ行く先が荒野であっても恐くなど無い。ナーグストールは少女の決意を理解しているのに、大きな頭を猫姫に擦り寄せる。
「慰めてくれているの?」
理由はわからなくても、その行為は嬉しかった。
けれどこんな安らかな時間もすぐに終わる。
この闇は一瞬の暗転だ。目覚めた時、状況を打開する術がなければ思い描く未来は潰えてしまう。絶望の中、ナーグストールはセリアック=ニアの傍らで宝石の輝きを放ち続けていた。その光が次第に強くなってきていることに少女は気づく。これは一体なんだろう?
いいや、自分はその答えを知っているはずだ。
セリアック=ニアは自問自答を繰り返す。
聖なる姫としての宿命は、その外側に築いたチョコレートリリーという繋がりが解体してくれた。
足りないものは自分の外側にある。
けれど、ずっと自分であり続けたものにだって確かなものはあったはず。少女はずっと異なるものと一つだった。
純粋なけもの。そんな虚構を生み出していた宝石細工の作り物は、二つの自己を等号で結ぶ半身だ。
アズーリアの中にフィリスやマリーがいるように。
ハルベルトがヴァージリアでもあるように。
ミルーニャがメートリアンを胸に抱くように。
リーナの中にクロウサーの宿命があるように。
プリエステラがティリビナの巫女として立つように。
リールエルバがカーティスであるように。
そしてユディが、
「ゆでぃって、何?」
聞き慣れない音の響きにセリアック=ニアが首を傾げた途端、ナーグストールはお腹を見せつつ両手を丸くしてごろんと寝っ転がった。無理のある誤魔化し方だが、セリアック=ニアも姉の前でたまにやるので許してやることにする。
二人はずっと一人だった。
不可分の宿命、拒絶しても捨てられない過去。
セリアック=ニアとして、荒野の中でも抱え続けなくてはならないもの。それを少女は優しく抱きしめる。
「セリアは、セリアであることを捨てたりしない。ただ、セリアであることと戦いたいだけ」
だからお願い。
あなたの力を貸して欲しい。
少女の願いに猫はいつだって手を貸してきた。
猫の手は、大変な時にこそ役に立つ。
二人の手が重なり合った瞬間、闇の中にいくつもの光が灯されていった。絶望の暗闇は今や美しい星空だ。
ナーグストールは少女に囁く。その力の全てを引き出すための、猫のまことの名を教えようとしているのだ。
至高の吸血鬼狩りファナハード。
キュトスの姉妹が二十七女、宝石のクリーアム。
レストロオセ四十四士筆頭、近衛師団遊撃隊長『万殺鬼』・初代アインノーラ。
宝石に幾多のファセットがあるように幾多の名を持つこの猫だが、屈折する光の本質は変わらない。
裁き人に仕えた黄の賢者。
猫の最初の主人が名付けた、墓標船に由来するその名前。
――いい子だね、アン。
――さあ、君の新しいご主人様に祝福を。ここから全ては始まるだろう。
ふと、どこかで聞いたような声がした。
猫の国よりもたらされたまことの名は、宝石の魔としての幾多の面に派生し、現世に輝きをもたらした。セリアック=ニアもその一人。
そして少女は、猫の本質を知る。
「アンテノル。それが、ナーグストールの本当の名前?」
頭を振って否定する宝石の猫。
本当などというものは、本当はどこにもないのだと。
「ナーグストールはナーグストール。セリアとひとつの――わたしの心」
半身の意図をしかと受け止めたセリアック=ニアは、薄れゆく闇の世界を背にして旅立ちの一歩を踏み出した。軽やかな猫の少女は奈落から光あふれる空へと跳躍。天への墜落のさなか、きらめく歌声は星となり闇の中を流れていく。
「時の鏡、星の絨毯、宝石夜空に恋い願う。荒野を往く旅人のように、我ら祈り手、聖なるけがれと涙を掬わん――お願い、エル・ニア・ナーグストール!」
完全なる宣名が封印の円を解き放ち、宝石の輝きが世界を満たす。ここに、もう一つの言理が結実した。
宝石猫が祈りて曰く。
その願いは流星。儚い虚構と知りつつ夢を空に託すけれど、自らが依って立つ足場さえも同じ夢であるとわかっているから。
それでも猫は走り出す。
祈りの道具を鈍器にかえて、世界の夢を醒ましてやろう。
さあ歯を食いしばれ。猫パンチの時間だ!
「にあ!」
カーティス=リールエルバの圧倒的なマジカルアピールの衝撃により吹き飛ばされたセリアック=ニアだったが、身軽な猫はすかさず空中で三回転、体勢を立て直しつつピンチをアピールに変えて見事な着地を決める。
王は瞠目した。少女の雰囲気が一変している。
わずかな時間で何があったのか、パステルカラーのアイドル衣装にちりばめられた小さなジュエリーが強く輝き、少女の内なる心の力と共鳴しているようだ。
しかし何よりも驚くべきは、猫姫の周囲を衛星のように飛び回る小さな星々の存在だった。その気配を、カーティスならぬリールエルバはよく知っていた。チョコレートリリーが共有し、今や世界に普遍化した幻想。言理の妖精フィリスである。
この妖精を妹姫が扱えることには何の不思議も無い。
だが奇妙な違和感があった。何かがズレている。この妖精は、アズーリアが左手に宿している悪戯好きな妖精とは決定的に違っている!
カーティスはマジカルアピールに匹敵する幻像の再現PVを瘴気に乗せて送り出した。これまでに作ってきた傑作プロモーション、その中から厳選して乱雑且つ最適な組み合わせでつなぎ合わせた狂気の動画。一昔前ならば、これだけでアストラルネットのミームを席巻し一時代を築けたであろう大呪術である。
セリアック=ニアは悠然と腕を振り、動画の波濤を受け流した。少女の指が挟んでいるのは小さな宝石たち。あんなものを、いつのまに手にしていたのだろう?
いいや、あの輝きはたった今、忽然と現れた。
そして大呪術を防ぐことを可能としたのは、宝石と見慣れぬ妖精を組み合わせた対抗呪文なのだ。
「これこそはセリアと共にあった力。お願いすれば出てきてくれて、いつでもセリアと姉様を守ってくれる。エル・ニア・ナーグストール。もう一つの言理の妖精」
猫姫の言葉と共に、その背後に瞬時に出現するナーグストールの姿。実体とも幻像ともつかないその姿は、杖的な化身にも呪文的な仮想使い魔にも見えた。
「ナーグストールが言理の妖精? まさかそんな、古の言語支配者たちが作った姉妹機だとでも」
自分で言って、すぐにその考えを修正するカーティス。宝石というあり方からしてオリジナルとはコンセプトが異なっている。呪文の妖精エル・ア・フィリスの姉妹機、というよりは万能性や可塑性を低めに抑えた量産機だ。
吸血鬼の王はその可能性とそれがこの場所にあるという意味に戦慄した。
ナーグストールは神秘としてはフィリスの下位互換。複製・換金可能な価値でしかなく、それでいて高価な『宝石』としての特別製は紛れもない本物でもある。交換可能な神秘。変質した呪文は劣化・零落して杖としての純度を増していく。
杖として設計されたフィリス。
なぜ、どうして今更そんなものが登場する?
信じがたい切り札、後出しにも程がある不正。
「流れて、セリアの祈りたち!」
少女が天に伸ばした手のひらから無数の祈りが飛び上がり、夜空に浮かんだ宝石たちは流星となって第五階層中に散らばっていった。
穢れを越えて、きらめきを箱庭の空に散りばめたその様子はさながら宝石箱だ。姉妹に裁きをもたらすはずだった宝石の呪いは、いま異なる未来を紡ぎだそうとしている。宿命的な死が詰め込まれた棺は、妖精の悪戯が台無しにしてしまった。
夜を裂く星の雨、気ままな猫の歌は自由奔放に回り道。くるりと描いた曲線を、惹かれて追うのは仲間たち。ツギハギだらけの世界の隙間から、かぐわしい楽しさの香りに釣られて異界の彼方から猫たちがやってきた。
その数、にあ、にあ、にあ、にあ、たくさん!
あまりの事態に七つ首のネズミは飛び上がってあたふたとあっちに行ったりこっちに行ったりと忙しなく走り回った。しかしどこを向いても、猫、猫、猫、数え切れないほどの猫の群れ!
「にあ! 集会を始めます!」
猫たちが公園や空き地などに集って行われる伝説的儀式。人類を裏から支配しているとまで噂される彼らは、この集会で世界の行く末さえ決定しているという。
まさに超宇宙的スケールのサバト。
稲妻を背に猫剣を掲げる勇者、ワームホールに侵入し光速の限界を突破する美貌の獣、爆発を背に格好良く立ち去るワイルド・ビースト、目からビームを放つ怪獣、雲より高く伸び上がる異形、浮遊する毛玉、虹を両手に持つ紳士、多次元から訪れた超越種たちは勝手気ままに世界の常識を崩壊させていく。
異邦の神すら戦慄する、理の外を跋扈する宇宙的恐怖。
次元にばりばりと爪を立て、歴史の縦糸をぐしゃぐしゃにしてしまう自由の体現者たちが全てを台無しにしていく。大真面目に『人類の罪』を試練として掲げていた大きなネズミはあまりのことに呆然としていた。
星は世界を巡る。流れた軌跡は糸、宝石の輝きは針。夜空を駆ける祈りたちが、世界と心をひとつに縫い合わせていく。
形ある呪文が第五階層に降り注ぎ、願いよ叶えという『創造』の意思がこの世界の新たな理に呼びかけた。
世界と世界を繋ぎ合わせる巨大なソーイングマシンが唸りを上げて、第五階層はきらめく宝石を世界という布に縫いつける。
第五階層を拡張身体としたシナモリアキラが『杖のフィリス』であるナーグストールを使った時、邪視のみならず呪文の力までもがトリシューラに味方する。
魔竜が吼える。世界と人の激変に、古き概念もまた変容を迫られていたからだ。人類普遍の罪は絶えず人の心と共に在る。ならば魔竜もまた移ろいやすい虚構に翻弄される、人と同じ弱きものだ。
虚構の竜、芝居のネズミ。夢物語の怪物は、虚構であるからこそ絶対的で、嘘であるからこそ敗れ去る。
コルセスカが夢からスリッパを投げつけた時、怪物の正体は既に暴かれていた。あとはもう、受け入れるだけ。
異次元から飛来した外なる猫たちは巨大なおもちゃ箱と化した第五階層で好き勝手に遊び始める。シナモリアキラはそれを受けて猫たちを盛大にもてなした。具体的には全力で猫と遊び始めたのだ。
次元を混沌の渦に叩き込む紀人と猫の遊戯。崩壊した秩序の中、大きく力を削がれたカーティス=リールエルバは怒りを込めて吼えた。
「これは解決ではない!」
「それは問題ではないからです、姉様。セリアにとって、見るべきもの、感じるべきものはたったひとつ。姉様の呪いは、セリアが壊します」
セリアック=ニアはリールエルバだけを見ていた。
カーティスはそれを拒絶するように手のひらから瘴気を噴出させて目くらましとする。わだかまる闇の中、爛々と輝く吸血鬼の瞳。殺意が猫姫を貫いた。
「青い血に縛られたお前が私の解放を叫ぶなど滑稽極まりない! 堕ちた剣などにこの身を捧げるくらいなら、お前の全てを汚して塗りつぶすだけだ!」
第五階層に満ちていた魔竜と王の瘴気、その全てが一カ所に収束していく。罪と穢れを一身に宿した孤独の王は、暗がりで自らの姿を完全に隠すと、真っ黒な靄となって一直線に猫姫に飛びかかった。
「セリアには、倒すべき相手が見えています」
迎え撃つ猫姫の瞳は揺るがない。
閃く爪が、陰る障りが、曲線を描いて交錯した。
二人の激突により戦場全域に巨大な瘴気圧が加わり、大気の軋む音に誰もが足を止めて身を竦める。
混ざり合い、炸裂した光と闇。
やがて視界を遮る瘴気が晴れていくと、勝敗が明らかになる。猫姫とナーグストールの手は前に伸ばされたまま停止しており、懐に飛び込んだ闇の塊がほっそりした少女の体を抱きしめるように覆っていた。
爪による斬撃は空振り。
一方でカーティスの瘴気はセリアック=ニアに直撃し、背中のマントによる翼撃は新生したナーグストールを砕いている。荒っぽい抱擁で妹を捕らえたカーティスが、逃がさないと爪を衣装の開いた背中に食い込ませた。吸血鬼はそのまま哀れな獲物の首筋に吸いつくと、激しい音を立てて命の略奪を開始した。
「これで終わりだ」
「はい。セリアの勝ちです」
意味がわからずに問い返そうとした夜の王は、セリアック=ニアが自分を見ていないことに気づく。影から生み出したコウモリの使い魔が周囲を探る。宝石の視線の先、宙を切り裂いていた爪の彼方にその答えがあった。
猫姫が爪から放ったネイルアートの呪文。
流星となった輝きはカーティスの脇をすり抜け、その背後で二人の戦いを見守っていた存在を直撃していた。
あれほどうるさかった虫の羽音が、いつのまにか消えていることに気づく。
「ディスペータお姉さま」
砕けて朽ちた豚の生首。崩壊する心の拠り所、生じた隙間を狙ってカーティスの中に侵入してくるものがある。
否、これは自ら招待して侵入を許しているのだ。
家人が客人を招けば、境界線の守りは意味をなさない。共同体が持つ壁の作用は脆くも崩れ去り、隔離された異獣どもは清浄な世界を汚していく。
吸血鬼伝承のひとつに『招待されなければ家に入れない』という呪いがある。ならば、その逆が成立しないわけがない。吸血によって他者の命を招いたカーティスは、セリアック=ニアの呪的侵入を許してしまっている。
「嫌、やめて、私の世界を侵さないで」
悲鳴を上げるカーティスに、セリアック=ニアはもっと血を流し込もうと傷口から小さな自分を生み出した。ちびニアたちが血を運び、牙を通じてカーティスに幻想を叩きつけていく。それは呪文であり、祈りでもある。
カーティスを覆う闇が薄れていき、男装の麗人としての姿が揺らいでいった。猫姫の中にあったなによりも強いイメージ、あるいは本人よりも強いかもしれない『自己像』を吸い取ったカーティスは在るべき姿に還ろうとしている。
「私が願う姿は、これだけでいいのに」
「願いは一つではないし、本当の意思も最初のものだけじゃない。姉様はセリアと一緒に外に出て輝きを探したいと思っています。セリアもそう思います!」
自分勝手な言動で、猫姫は相手の内面を決めつけた。
都合の良い願いは本来ならば罪深い独善だ。
しかしセリアック=ニアは誰よりも深くリールエルバを知り、ずっと彼女の言葉を紡いできた代弁者。
そして身勝手な邪視は相手の協力と同意さえあれば真実に変わる。変えられる。
黙れとカーティスは拒絶し、いいえとセリアック=ニアは否定する。終わらない平行線。譲れない願いの位置。
やがて決着は静かに訪れた。
闇が晴れていく。カーティスは未だに拒絶の意思を示し、瘴気を集めてセリアック=ニアを引き剥がそうとしていた。にも関わらず、瘴気は霧散して吸血鬼王の姿は失われつつある。
いつの間にか、セリアック=ニアの手のひらがリールエルバの頬を撫でていた。その感触を、遠い記憶の彼方から取り戻す。
おっかなびっくり頬をなぞる感触はどこまでもやさしくて。純粋だったけものは、そのとき大切な妹になった。
最初から二人はドラトリアの姫君ではいられなかった。歪みを抱えたまま、二人でお姫様の役を演じ続けることしか知らなかった。
だからこれは必然の結末。
もっと頑丈な檻にしておけばよかったのに。
そうしたら、こうして獣に連れ去られてしまうことなどなかったのだ。
「私のニア。おまえはまた、私をさらいに来てくれたのね」
猫姫の頬に触れ返すと、くすぐったそうに身をよじる。互いの手に感じる熱は、いつのまにかこぼれ落ちそうになっていた。
頬を伝い落ちた雫。
煌めく宝石の涙は、影の中に落ちるとひとつに混ざり合った。
「悪い子。私に似たのかしら。ドラトリアの姫、失格ね」
「――セリアも、そう思います」
笑い合う二人を、猫の合唱が祝福する。
ナーグストールの宝石箱は幾千幾万もの輝きを秘めたまま世界にまだ見ぬ輝きを散りばめ続けていた。
古き楽園はかくも容易く崩れ去る。
荒れ野には未だ何も築かれてはおらず、吹き付ける風を遮る壁はない。それでも見上げた夜空にはたくさんの輝きが広がっていた。
そうして姉妹は末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし。俺はそう言って、舞台の上で抱き合う二人の未来を覆い隠すように幕を下ろしていく。
アイドルライブは途中からメタフィクションや歌劇にめまぐるしく姿を変え、活劇重視の派手な演舞シーンで締めくくられた。ドラマ形式のマジカルアピールは形が変われば現実すら映し出す。第五階層が丸ごと再演の舞台となった今、虚構と現実はみな等しく時空という演目の一つだ。
第五階層となった俺の初仕事はひとまず完了。
出来はまずまず。傍らで忙しそうにしているトリシューラや、まだ体を動かし足りないのか猫と一緒に自由に踊りながら役目を終えたネズミを追いかけ回しているコルセスカもいるが、一区切りは一区切り。
過去から帰還、というか曲の終了と共に普通にマジカルアピールを終えた空組二人は決着を見届けた後、力つきたように背中を預け合ってへたりこんでいる。各地に争乱の種は尽きないが、このままいけばやがて終息に向かうだろう。
事態を解決に導いてくれた空組、とりわけセリアック=ニアに感謝しなくてはならない。彼女がこの第五階層にちりばめてくれた宝石を俺は確かに受け取った。
「あとは任せて休んでいてくれ。青い糸は俺が倒す」
宝石を託された。その意味を噛みしめる。
猫姫は糸の存在に気付きながら、自らを操る力さえ利用して姉を求めたのだ。
運命に縛られる事と、運命に抗う事。複雑に絡み合う因果の中で、どちらかを直視して選ぶことさえ難しいというのに、彼女は見事にやり遂げた。
委ねながら決めるということ。俺もまた戦わなくてはならない。
それでもまあ、今はこう締めくくっても構わないだろう。
はつかねずみは逃げ出した。
はなしは、おしまい。




