1章ー7 「たとえ、この世界が狂ったままでも」
「……ハァッ、どうだよ、クソ姉貴ッ!」
蕾が木の上を見上げると、そこにはすでに枝を蹴って、音もなく地面に着地する人影があった。
真っ白な短髪を揺らした義姉は、男装の象徴であるバンダナを、その細い指先でスッと上へとずらし外した。
露わになったのは、特徴的な短い麻呂眉。丸くて大きい神秘的な金色の瞳と合わさることで、本来の女性らしい愛らしさが一気に際立つ。
だから、眉を隠すためのバンダナは男装に必須であり、象徴なのだ。
男装を解いた葉牡丹は、貼り付けていた無表情をふっと緩めると、いつもの鈴を転がすような女性の声で、静かに、しかし確かな誇りを込めて告げた。
「おめでとう、蕾。文句なしの合格だ!すごいぞ!」
「!!……べ、別に、これくらい普通だしッ!」
ストレートな賞賛に、蕾は手袋をはめた左手でバツが悪そうに頬を掻き、太釣り眉を下げて照れ隠しの悪態をついた。
そんな少年を愛おしそうに見つめながら、葉牡丹の表情からふっと笑みが消え、真剣な大人のものへと変わる。
「……蕾。試験をクリアしたお前に、今からとても大事な話をする。けど、その前に一つだけ復習。この国の、今の日本の歴史を、蕾の言葉で説明してみて」
突然の座学の要求に、蕾は深い青の瞳を瞬かせたが、その大人顔負けの頭脳はすぐに記憶を辿った。
「……今の日本の歴史? 唐突だな。……いいよ。━━90年前、1946年の本土決戦にて対戦国に囲まれて完全に終わるはずだったこの国は、ある一人の『英雄』による調停で、奇跡的に地上戦の地獄から終戦を迎えた。そこまではいいよな?」
葉牡丹は無言で頷き、先を促す。
「問題はその戦後だッ。激しい地上戦によって、日本の人口は戦前と比べ、男性が約一割、女性が約五割にまで減ってしまった。壊滅的な人口減少に追い詰められた政府は、民族を存続させるために狂った法律を作ったんだ。
男性の結婚を義務化し、二人以上の妻と、それぞれ二人以上の子供を持つことを強制する『一夫多妻多育児令』。そして、二次性徴が完了した時点で結婚を可能にする『発育資格法』。」
そこまで一気にまくし立てた蕾の口調が、急激に冷たいものへと変わり、ギリッと唇を噛み締めてから言う。
「その結果がこれだッ! ……今や外の世界じゃ、女性も子供も、都合のいい道具みたいに扱われてる。結婚は取引の材料になり、養いきれなくなった子供たちは捨てられ、孤児院でさえ救いきれなくなっている。」
「…………これが、姉さンに教わった、このヘイワでスバラシキ日本の成れの果てだよッ」
九歳の少年が興奮気味に吐き捨てた完璧な歴史の要約と皮肉。それらは蕾が体験したものではない。それでも、葉牡丹によって教えこまれた残酷な現実に対し、苛立ちを覚えていた。
それを聞いた葉牡丹は、激情で息を荒げた蕾の頭を撫でた。
その手が、ふと止まる。
金色の瞳が、少年の潰れた小指へと落ちた。
ほんの一瞬。葉牡丹の表情から、いつもの穏やかさが消えた。
けれど、彼女は何も語らなかった。
「完璧な正解。だけど、お前も分かっているように、そんな非人道的なことは赦されてはならないんだ。……それなのに、政府は動かない。法律を撤回しない。」
子供が道端で泣いていようが、女性が悲鳴をあげていようが、大抵の人は無視。世間はその状況を当たり前としている。そんなことあってはならない。
「……だから、蕾。僕達が動こう。……僕達が地獄みたいなこの国に風穴を開けよう。」
「……僕達の手で、外の世界にいる、虐待されている子供たちや、無理に結婚させられている女性たちを助け出すんだ。」
力強く、けれど酷く静かな声だった。誰が聞いても、強い覚悟があることが分かるほどに。
「━━いつか枯れると分かっていても、今日、種を蒔くのをやめる理由にはならない。……たとえ、この世界が狂った土壌のままだとしても、そこから新しい『花』を開花させることを目指すこと。」
葉牡丹は、蕾の頭に置いた掌の温もりを感じながら、金色の瞳に修羅の焔を宿した
「━━この国のくだらないルールを僕達で変えるんだ!」
国家への反逆を宣言した葉牡丹は、今日一番の良い笑顔だった。




