1章ー5 「熊の襲撃」
───ガァァァァァッ!
鼓膜を直接爆破するような咆哮。激突の衝撃で、小屋の天井から乾いた土埃が降り注ぐ。
突進してくる熊の質量は、少年を肉片に変えるには余りあるほどの脅威。
「──当たるわけない、だ、ろッ!」
地面を蹴り、蕾は寸前で真横に跳躍した。
ゴォォォォォッ!
衣服のすれすれを、熊の巨大な前足が通り過ぎる。空振った一撃が小屋の柱をいとも容易く叩き折り、凄まじい衝撃音が轟いた。
「……ッ、マジかよ……!」
風圧で頬を撫でられた瞬間、蕾の背筋に冷たいものが走った。
まともに喰らえば終わりだ。ならば、一撃たりとも受けるわけにはいかない。
支柱が壊れて崩れる小屋。蕾はそこから逃げるように、崩れた床を避けて足場を選びながら外へと走り、体勢を整える。しばらくすると、瓦礫の山となった小屋から、興奮した熊が出てきた。
「クソッ!一筋縄じゃいかないかッ……」
目の前の熊を睨みながら、顔を歪めた。
━━一方、その、命のやり取りを、木の上から見下ろす金色の双眸があった。
男装姿で気配を消した葉牡丹は、自分の家族であり、弟子である蕾の奮闘を試験官として分析している。
(──体長およそ二・五メートル。体重は三百キロを優に超える。飢えで凶暴化した個体。食べ物の匂いにつられてやってきたのだろう。)
(正直、襲いに来るとは思っていなかったが、試験のために、探す手間が省けた。)
もとより、この日に試験を実施することは葉牡丹の中で決定していた。しかし、どのような内容にするかは当日の環境状況や蕾の体調に合わせて決めようと思っていたので、好都合だったと考える。
普通の人間であれば、腰を抜かすほどの怪物。だか、彼女の視線が捉える少年の動きに、一切の無駄はない。
体格差は四倍以上。まともに一撃を喰らえば、悪ければ即死。だからこそ蕾は、決して間合いを詰めず、敵の死角である横への制動を徹底している。
(……そうだ。それでいい。)
葉牡丹は、知らず知らずのうちに握り締めていた手を、そっと緩めた。
(五年間教え込んだ、野生の勘と、彼自身の、この大自然で鍛え上げられた状況判断能力。……本当に、強くなったな。)
葉牡丹は小さく息を呑み、瞳が潤みそうになるのを堪える。
九歳。
それはかつて、自分が地獄の底へと叩き落とされた、忌まわしい年齢。
(あの頃の僕は、全てに絶望し、抗うことさえ諦めていた。)
誰も助けてくれなかった、あの時の自分とは違い、この子は自分の力で、この不条理な世界を切り伏せようとしている。




