3章ー10 「名乗り」
叫び声のこだまが聞こえなくなった頃、男が蕾の首筋に手を当てがった。
(……脈はある。酷く取り乱してたけど、気絶しちゃったみたいだね〜☆)
なぜ彼があそこまで動揺していたのかは正直よく理解できていない。だが、姉の言葉一つでああなるとは、やはり子供。精神的に弱かったということだ。
しかし、第三者の目からしても、この二人には深い絆があることは確かだった。そのため、意識のあるもう一人に、彼の無事を伝えるべく口を開いた。
「大丈夫だよ〜 気絶してるだけ☆」
「……そう。よかった……。」
葉牡丹が、安堵の表情を見せる。
(感情が昂り過ぎたのと、……やはり、疲労が原因だろう。)
どちらにせよ、蕾には少し休息を取ってもらいたかったので、好都合だと、葉牡丹は自分に言い聞かせる。
彼が最後に紡いだ言葉についても興味があるが、今はこの状況をどうにかしなくてはと、男と老人に向き直る。
きっと、感情が弱点だと知って、呆れているに違いない。
━━が、二人の顔を見て、拍子抜けする。
男はいつもと変わらぬ軽薄な笑顔のまま。
注目すべきはもう一人━━老人が、気遣わしげにこちらを伺っていたのだ。
葉牡丹が、鳩が豆鉄砲を食ったように、キョトンとした表情をしていると、老人が深く唸りながら言葉を発した。
「……その小僧、年はいくつだ?」
「…………九歳だ。」
「……九、か。……幼いな。」
老人の口から漏れたのは、先ほどまでの禍々しい気迫とは正反対の、静かで重みのある呟きだった。その茶色の瞳の奥には、どこか遠い日を懐かしむような、あるいは哀れむような複雑な色が宿っている。
(なんなんだ、こいつは……?)
女子供であっても容赦はしない。そう言い放ったはずの男が、気絶した蕾に向けているのは、明らかな憂いだった。
「オヤジがそんな顔するなんて、珍しいこともあるんだね〜☆」
男が蕾の拘束を解く。そのまま慣れた手つきで蕾の小さな身体をひょいと抱え上げると、自分の肩に担ぎ上げた。雑に見えて、頭が下がらないように配慮されている。
「さて、と。尋問の続きをやりたいのは山々だけどさ〜、━━オヤジ、蕾クンのこと、ひとまずベッドに寝かせてきていい?☆」
「ああ、構わん。」
男は「はいは〜い」と軽い足取りで尋問室の重い鉄扉へと歩き出す。
「待て……! 蕾をどこへ連れて行く!」
葉牡丹が彼らの背中に鋭い声を浴びせると、男が扉の手前でくるりと振り返った。
「おっと、そんな怖い顔しないでよ、葉牡丹チャン。 乱暴なんてしないって〜 言ったでしょ?ただ安全な場所で休ませてあげるだけ☆……」
「…………」
目の前にいる軽薄な男が、全く信用できない。このまま蕾が連れ去られて、危険な目に遭うかも知れないと考えると、ゾッとしない。
「……ダイジョブダイジョブ〜! 尋問が終わったら、ちゃんと会わせてあげるからさ☆」
男の声音は、薄っぺらいが真剣で、嘘をついているようには聞こえなかった。
「……分かった。頼む。」
「物分かりがよくて助かるよ☆ じゃ、ちょっと行ってくるね〜」
男が、ニコッと笑みを深めると、大股で歩き出した。
「━━さて、尋問の続きを始めるとしよう。……まずは、我々も名乗ろうか。」
さっきまで、散々名乗りを嫌がっていたのにも関わらず、そんなことを言い出した老人に、葉牡丹は驚愕する。
「……どんな心変わりだ?」
「なに、簡単なことだ。貴様らのようなガキに名など知られたところで、なんら問題はあるまいと判断したまで。」
「……っは!そうかよっ」
完全に舐められている。弱点を知られたことで、相手が圧倒的に優位な状態になってしまった。それに、葉牡丹は自嘲の笑みを浮かべる。
「……で?お前らは一体何者なんだ?……ま、こんなところに居るヤツなんてのは一人しかいないか……」
深い霧に覆われ、異様な空気を放つ空間。
下界の人々からは、天空の要塞などと呼ばれ、恐れ慄かれて来た、かつての英雄の一族が住まう場所。
日本政府によって、立ち入り禁止区域とされているこんなところにいるのは━━
「━━大和の一族か……?」
そう葉牡丹が問うと、老人はニヤリと笑った。笑い方が軽薄な男と似ていて、血の繋がりを感じさせる。
「御名答。我々は大和の名を持つ者━━大和一族。……そして私は、大和秋桜だ。」
礼儀正しく、一礼しながら名乗る老人━━秋桜。
「━━そんで、オレは大和片栗。オヤジはオレの祖父なんだよ〜☆」
音も立てず、いつの間にか尋問室に帰っていた男━━片栗が流れに合わせて名乗る。
「あ、ちなみに〜 七十年前、戦争を終わらせたのは、オヤジだよ〜☆」
と、とんでもない事実を突き付けた。




