3章ー7 「自責の念」
──冷たい。
頬に触れる無機質な金属の感触と、皮膚を刺すような冷気で、蕾の意識は急速に覚醒へと向かった。
重い瞼を押し上げる。
視界を覆っていた白霧は消え失せ、代わりに目に飛び込んできたのは、ひび割れたコンクリートの壁と、天井から無造作に吊るされた一本の蛍光灯だった。
(……ここは、どこだッ?)
状況を把握しようと身体を動かそうとした瞬間、ジャラリ、と重苦しい金属音が部屋に響く。
両手首は背後に回され、頑丈な鉄製の椅子に強固な手錠で固定されていた。身ぐるみを剥がされたわけではないようだが、左手の手袋や袖口に仕込まれた武器が解除されている。
(━━たしかあのとき、変なチャラ男に見つかって、攻撃を仕掛けたら……)
冷静に自分が置かれている状況を整理し始める。
(……返り討ちにされたッ……)
戸隠の山奥で獣を狩り、大和領の防壁も攻略することができたという自負が、音を立てて崩れ去っていく。
悔しさと、それ以上に得体の知れない恐怖が、冷たい汗となって背中を伝った。
あの男は、まるで子供の火遊びをあしらうかのように、自分の攻撃を振り払った。
(クソッ、俺がもっと、うまく連携できていれば……!)
じわじわと込み上げてくるのは、自分自身の不甲斐なさに対する激しい怒りだ。
姉さんの足を引っ張った。自分が不用意に仕掛けたせいで、二人の退路を断ってしまったのではないか。
━━いや、それよりも。
(姉さンは……!? 葉牡丹姉さンは、無事なのかッ!?)
自分が倒れた後、どうしたのだろうか。途端に不安が押し寄せてきて、周りを見回す。
「……ん、ぅ……」
すぐ隣から、小さく、苦しげな呻き声が聞こえた。
視線を向けると、同じように鉄製の椅子に縛り付けられた葉牡丹が、痛そうに頭を振りながら目を覚ますところだった。手刀を喰らった首の後ろが酷く赤くなっている。
(あ……姉さン……ッ!)
その姿が視界に映った瞬間、蕾の胸に弾けるような安堵が広がった。
無事だった。生きていた。大和領の手の者に連れ去られ、今すぐ処刑されるような最悪の事態だけは免れたのだ。
しかし、その安堵は一瞬で、より深い絶望へと塗り替えられる。
(あの、姉さンが……)
蕾にとって、葉牡丹は絶対的な強者だった。
自分の義姉であって師匠であり、誰よりも頼れる誇り高き存在。少々ぬけているところもあるが、それでもこの世で最も尊敬している。
それなのに今、彼女は首を真っ赤に腫らして弱っている。
(クソッ……やっぱり俺のせいだッ。俺がもっと、うまく立ち回れていれば、姉さンだけでも逃げられたかもしれないのに……ッ!)
うっすらと目を開け始める葉牡丹を見つめながら、蕾は奥歯を血がにじむほど強く噛み締めた。
姉の無事を喜ぶ気持ちと、二人揃って完全に詰んでしまったという現実。そして、大好きな姉をこんな目に遭わせてしまった自分への激しい嫌悪感が、蕾の小さな胸の中でぐちゃぐちゃに渦巻いていた━━。
「……お!起きた~?☆」
その時。
鉄製の重厚な扉が、ギィと嫌な音を立てて外側から開かれた。
「あは~、二人とももう起きちゃったの~? 若いっていいねぇ、回復が早くて羨ましいわ~☆」
入ってきたのは、やはりあの男だった。
サングラスを指先でクイと上げ、相変わらずへらへらとした糸目で、手にはプラスチックのコップを二つ持っている。
「ほら、お水。喉乾いたでしょ~?☆」
男は警戒する様子もなく、拘束された二人の前の机にコップを置いた。
男の声で目覚めた葉牡丹はその水を一瞥しただけで、微塵も口をつけようとはせず、ただ冷徹な金色の双眸で男を射抜く。
「……そんなに睨まないでよ~……ね、オネエサン?」
「なッ……!」
「…………」
いきなり秘密を暴かれて、思わず驚愕の声を上げる蕾。それと対照的に冷静沈着を貫く葉牡丹。
(……なンで、コイツが姉さンの本当の性別を知ってるンだッ!?)
女だと判明すれば、この狂った国のことだ。
どんな目に遭わされるか分かったものではない。
家畜同然に扱われ、最悪の場合、慰み者にされるか、あるいは実験体にされる可能性も……。
(姉さンに手は出させないッ!……今度こそ守るッ!)
蕾が全身から血の気が引いていくと同時に、男を鋭く睨みつけた。
「…………」
だが尚、葉牡丹が沈黙し続けると、男が呆れたようにハァとため息をついた。
「……あくまで、しらを切るつもりなんだね~ い~よ、無理に認めさせようとは思ってないし~☆」
男はすくりと立ち上がり、その巨躯を揺らしながら葉牡丹の目の前まで近づき、頬に手をあてがう。拘束され、抵抗することが出来ない葉牡丹はされるがままに男と視線を合わせる。
「……でもさ、オレの目は誤魔化せないよ~。筋肉の付き方、骨格の細さ、何より━━あの綺麗な棍使いは、しなやかな女の肉体だからこそできる極芸だしね~?」
男の言葉は、確信に満ちていた。
葉牡丹が僅かに目を伏せる。
「…………ほ〜んと、綺麗な顔してるね〜☆……」
男が形の良い口を歪めて、舌舐めずりをする。
蕾は悔しさに唇を噛み切る。
男の底知れなさに恐怖しながらも、縛られた両手にギリギリと力を込めた。今すぐこの手錠を叩き割り、義姉に触れているこの男の手を潰してやりたかった。
「━━おい、揶揄うのもそのくらいにしといてやれ。」
刹那、低く貫禄を持った声がこの場を支配した。




