3章ー1 「濃霧の向こうに」
━━ザッ、ザッ、と乾いた足音が山道に響く。
猫柳と別れ、険しい山岳地帯へと入ってから数時間が経過していた。周囲に人の気配が完全に消えたのを確認すると、隣を歩く男装の麗人が、ふう、と深く息を吐きながら額のバンダナを外す。
途端に露わになる特徴的な麻呂眉と、美しい白髪。
「あーーーー! 疲れたーーー! 無表情キープするの、ぶっちゃけマジで顔の筋肉が引き攣るわ〜!」
銀鈴の声を響かせ、派手に行進しながら愚痴をこぼし始めた義姉。さっきまで孤児院の庭で、神聖ですらある圧倒的な存在感を放っていた人物と同一人物とは、到底思えないポンコツっぷりだ。
「……姉さン、男装解くの早すぎじゃンッ。まだ誰か見ているかもしれないだろッ」
「ノープロブレム! 僕の野生の勘がここには誰もいないって言ってるから大丈夫! それにしても蕾、さっきのゲス男への怒りっぷり、最高に格好良かったぞ〜!」
葉牡丹がニシシと悪戯っぽく笑いながら、蕾の肩をバシバシと叩いてくる。地味に痛い。
「……うるさいなぁッ。俺はただ、あいつの言い草が気に入らなかっただけだしッ……。それに、俺がやらなかったら、姉さンが殺ってただろッ?」
「おっと、バレたか。さすがは僕の相棒、よく見てる〜!」
「見てるンじゃなくて、気配で分かるンだよッ!」
そんな掛け合いをしながら、二人は一歩一歩、険しい斜面を登っていく。町での重い空気は、山の大自然と、二人の絆が持つ温かさによって、いつの間にか綺麗に洗い流されていた。
ーーーーーーーーーーーー
━━だが、歩みを始めてから、およそ十五時間が経過した頃。
周囲の景色は、いつの間にか一寸先すらも見通せないほどの、ねっとりとした濃い霧に完全に包み込まれていた。
山を駆け抜ける冷たい強風が吹いても、その霧はまるで意志を持っているかのように微動だにせず、ただ重苦しく世界の視界を拒み続けている。
「……ッ、これは……」
蕾の足が、ピタリと止まった。
その深い青の瞳が、驚愕のあまり限界まで見開かれる。
濃霧のカーテンの奥から、ぬっとその異形を現したのは、大自然の山脈ではなかった。
山々のふもとを強引に繋ぎ止めるようにして築かれた、鈍く光る巨大な鋼鉄の外壁。
飛騨山脈の切り立った崖と同化するようにそびえ立つそれは、常に深い霧に隠され、外の世界からは決して全貌を拝むことのできない、文字通りの『巨大な城壁』だった。
白く濁った霧の遥か上空、その奥深くからは、この大自然に、決して似合わない機械音がかすかに響いてくる。
おそらくはレーダーやセンサーといったテクノロジーを用いて、外の世界からの侵入に対策しているのだろう。
それを仰ぎ見ながら、少年と女が、引き攣った喉から声を漏らした。
「……っ……ハハハ!……The・立ち入り禁止エリア、だ!」
「……つまり、ここが大和領ってことかよッ」
呆然と呟いた蕾の拳が、じわりと恐怖と武者震いで湿っていく。
一夫多妻多育児令という狂った法律に支配された外の世界から、物理的に、そして視覚的にも完全に断絶された異界。
国家の法律すら侵入を拒まれる、絶対の不可侵領域。
──大和領、別名『天空の要塞』。
その圧倒的な威容を前に、ただ呆然と立ち尽くす九歳の少年の隣で、葉牡丹はバンダナを再び額に強く巻き直した。
ふっと彼女の顔から、さっきまでのポンコツな笑みが消える。
金色の双眸が、不敵な修羅の焔を宿して、その鋼鉄の城郭を睨んだ。
「さあ、蕾。……あのクソ引きこもりの家を、僕達で乗っ取りに行こうか」
[あとがき]
投稿が遅れてしまい、
申し訳ございませんでした。




