2章ー8 「それぞれの覚悟」
「……大丈夫、です。」
猫柳は涙で濡れた顔のまま、小さく頷いた。蕾はその姿を見て、ホッとしたようにわずかに肩の力を抜く。
だが、蕾の視線が床にへたり込む男へ戻ると、再び冷徹な光が宿った。
「……それで? このクソ野郎どうすンだよ、姉さン?」
蕾の問いかけに、葉牡丹は静かにノートのページをめくった。
『ひとまず、拘束だけしよう。……今、この国のどの機関に差し出しても、裁かれることは無いんだろうから。』
書かれた文字を目にした瞬間、蕾の口元に皮肉げな笑みが浮かんだ。
「……うン。今は、コイツの行動も、法律で正当化出来るかもしれないもンな。」
蕾はポケットから無造作に頑丈な縄を取り出すと、床でまだ喘いでいる男の背後に回り込んだ。抵抗する力も残っていない男の両手首を、容赦のない力で背後に締め上げる。そして、近くの木に縛り付けた。
「おい、クソ野郎。お前が信じてるその便利な法律も、オレたちの前じゃただの紙切れだ。大人しくしてろよッ。」
男の口に猿ぐつわ代わりの布を乱暴に詰め込み、完全に声を奪う。
男の処理を素早く終わらせると、猫柳へと再び視線を向けた。その瞳には、年相応の不器用な優しさが滲んでいる。
「……アンタ、これからどうすンだよッ?」
その問いに、猫柳はビクリと身体を強張らせ、俯いた。
里親は候補すらなく、このままここで朽ちていく運命だった自分。これから行くあてなどどこにもない。しかし、出会ったばかりの彼らに「連れて行って」としがみつく勇気は、今の彼女にはなかった。
「私、は……」
言葉に詰まる猫柳を見て、葉牡丹と蕾は顔を合わせ、頷いた。
『……すまない、いきなり変なことを聞いて……まずは自己紹介しようか。僕は葉牡丹。そして、こっちの生意気な思春期少年が蕾だ。』
「ふざけンなッ!」
わざと、おどけてみせる。
そんな二人を見ていたら、緊張が解れてきたのか、
「……私は、猫柳です。」
『良い名前だ。』
ようやく発言してくれた少女にそう応じる。
そして、蕾は少し悲しそうに眉を下げ、それから小さく息を吐いた。
「……悪いンだけど、俺達はアンタと一緒にいることは出来ないッ。」
蕾の言葉は一見突き放すようだったが、その声には確かな気遣いが含まれていた。
代わりに、葉牡丹が猫柳の前にそっと膝をついた。彼女の凛とした佇まいは、それだけで不思議な安心感を与える。葉牡丹はノートに新しく文字を走らせ、猫柳に見せた。
『すまない。僕達はこれから、とても危険なことをするんだ。それに君を巻き込みたくないんだ。』
少女が、グワッと顔を上げる。
「っ……そんなっ!巻き込んでください。あなた方は私にとって、ようやく見つけた希望なんです。何でもしますから!」
必死に叫ぶ猫柳の声が響き渡る。その瞳には、さっきまであった絶望の影はなく、ただ目の前の二人にすがりつこうとする剥き出しの渇望だけがあった。
この狂った世界で、初めて自分を道具ではなく人間として扱ってくれた存在。彼らを失えば、またあの底知れない暗闇に逆戻りしてしまう。その恐怖が、少女を突き動かしていた。
「おい、アンタ……」
蕾は思わず気圧されたように半歩身を引き、それからひどく苦々しげに顔を歪めた。
『何でもします』──その言葉が、この国の大人たちにどれほど都合よく消費され、子供たちを壊してきた。蕾はそれを嫌というほど教わってきた。だからこそ、彼女にそんな言葉を言わせるこの世界が、改めて無性に腹立たしかった。
蕾は自分の拳を握りしめ、言葉を絞り出す。
「簡単にそんなこと言うなよッ! 俺達がやろうとしてンのは、おままごとじゃない!この国に、頭のおかしい大人どもに、真っ向から喧嘩売るンだぞ!? 死ぬかもしれないンだッ!」
怒鳴るような蕾の言葉。しかし、それは猫柳を拒絶するためではなく、彼女の命を、その未来を何よりも守りたいという必死の裏返しだった。
激昂する蕾の前に、葉牡丹が静かに立ち塞がる。その男装の麗人の背中が、蕾の熱くなった頭をスッと冷まさせた。
葉牡丹は猫柳と同じ目線まで腰を落としたまま、その細い肩にそっと手を置く。
『勘違いしないでほしい。君を捨てるわけじゃないんだ。』
猫柳がハッと息を呑み、ノートを見つめる。
『君が「何でもする」必要はないんだ。私たちは、子供がそんな風に魂を削らなきゃ生きていけないこの国を壊しにいくのだから。……君はただ、安全な場所で生きて、私たちの勝利を待っていればいい。君のことも、いつか助けに来るから。』
「ですが……っ!」
「……姉さんの言う通りだよッ」
蕾はぷいと顔を背けながらも、ぶっきらぼうに言葉を繋いだ。
「アンタが俺達を希望だって言うなら、俺達は、その希望を絶対に絶やさないために全力で生き延びる。……だから、今は大人しく、言う通りにしてくれッ。」
その言葉に嘘偽りがないことは、二人の真摯な瞳を見れば分かった。
「……わかりました。……待っています。……ずっと」
「……あぁ。約束だッ」
そう言って、小指と小指を絡め、指切りをした。
『あっそうだっ!この孤児院にも、君以外の子供がいるのだろう?』
葉牡丹が問う。
「え?……はい。全員私より幼いですが……」
容姿から察するに、猫柳は十歳ほどだろう。
『そしたら君に、ここにいる子供達の世話をお願いしたいんだ。』
「!、はい!もちろんです!」
『それと、そこの男が逃げ出さないよう見張っておいてくれないか?僕達は政府に反逆してるのだから、国に報告されたら困る。』
「え?はい。もちろんです。ですが、そのような重要な役割、私が引き受けてもよろしいのでしょうか?」
先程まで巻き込みたくないと言っていたのに。
「アンタを危険な戦いに巻き込むわけにはいかない。でも、こいつを逃がさないように見張る役目は、アンタにしか頼めないンだッ。……やってくれるかッ?」
『巻き込んでください』と叫んだ猫柳の覚悟を、蕾は切り捨てるのではなく、安全で、かつ自分たちにとって本当に必要な役割を与えることで受け止めたのだ。
猫柳は、ぎゅっと自分の胸元を握りしめた。
自分を売り飛ばそうとした恐怖の対象。その男を見張る。恐ろしさが全くないと言えば嘘になる。けれど、それ以上に、彼らの役に立てるという事実が、彼女の心に灯った希望の炎をさらに強く燃え上がらせた。
「……はい!私、やります。絶対に、逃がしません!」
『よし!いい返事だ!』
『ただし、無理は禁物だ。もし、男が逃げ出した時には、もう一度拘束しようとしなくて良い。』
「はい!ありがとうございます!」
少女が男を毅然とした目で見据えた。その背は、もう恐怖で震えてはいなかった。
「よし!じゃあ、行ってきますッ!」
「はい!……どうか、ご武運を!」
背を翻した蕾と葉牡丹は木々の中へと消えていく。
一度も振り返りはしなかった。
振り返ってしまえば、年相応の弱さが顔を出して、あの小さな手をもう一度握りしめたくなってしまうかもしれないからだ。
一歩、また一歩と、少女のいる孤児院が遠ざかっていく。
静まり返った森の静寂が、二人の足音だけを飲み込んでいく。
──すると、その時だった。
木々の隙間を縫い、冷え切った大気を震わせて、鼓膜へと届いた言葉があった。
「救けていただき、、、ありがとうございました!!!」
それは、喉が張り裂けんばかりの、けれど驚くほどに澄み切った少女の声だった。
蕾は思わず、その場に足を止めた。
ゆっくりと、誘われるようにして振り返る。
遠く離れた木漏れ日の中で、猫柳がこちらに向かって大きく手を振っていた。
その顔には、先程まで泥にまみれて絶望していた影など、微塵も残されてはいない。
(……良い顔出来るじゃンかッ……!)
暗闇の中で苦しそうに泣き喚き、世界を諦めていた顔はもうそこにはない。
泥の中に埋もれていた『種』が、二人の手によって今、確かに小さな『芽』が顔を出した瞬間だった。
自分の行動が、一人の少女の未来を、その瞳の色彩を完全に変えたのだという確かな手応えが、少年の胸を熱く満たしていく。
「……待たせるわけには、いかないなッ!」
誰にともなくぶっきらぼうに呟き、蕾はマントを翻した。
あの子の笑顔を守るため。
そして、あの子のように、美しい『花』を秘めている子供たち全員の未来を開花させるため。
少年の深い青の瞳に、もう一切の迷いはなかった。
一度昂った感情を、冷徹な理性へと変え、少年は再度、覚悟を決めて走り出した。
その背中を追うようにして、男装の義姉──葉牡丹もまた、静かな修羅の焔を瞳に灯しながら、音もなく大地を蹴った。
目指すは、国家の法律すら立ち入れない、絶対の不可侵領域『天空の要塞』。大和領!!!
[ あとがき ]
読んでくださりありがとうございました。
第2章はこれにて終了です。
次章は、いよいよ大和領へ侵入します。
新キャラや葉牡丹に関わる謎が登場します。
モチベーションになるので、ぜひ評価をお願いします。




