2章ー6 「希望の光」
━━出来損ない。生きてる価値がない。ゴミ。
泥にまみれた少女の耳に、その言葉が突き刺さる。
悲しいかな、それは少女にとって聞き慣れた言葉だった。
(……ああ、やっぱり、そうなんでしょうか。)
冷たい地面にしがみつきながら、少女は心の奥底で納得の吐息をもらした。
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努力は無駄だ。
そう気づいたのは、頑張りすぎて心身がボロボロになってからだった。
━━━物心ついた時から、世界は彼女に優しくなかった。
貧しさに喘ぐ両親にとって、自分はただの『義務を果たすために造っただけの存在』であり、『消費しかしない厄介者』でしかなかった。
だから、捨てられないよう、五歳年上の兄とともに、家事などの自分達に出来る最善をこなしてきた。
それでも、毎日浴びせられる罵声と向けられる冷たい視線。
それらに耐えかねた兄は、家を飛び出し独り立ちした。
自分一人になっても
━━迷惑をかけないように、
━━悲しませないように、
━━つらい思いをさせないように、
━━愛してもらえるように、と。
そんな切実な想いを抱え、精一杯を尽くした。
それらは裏切られるものなのに、いつかは報われると信じて。
そしてある日、数枚の紙切れと引き換えに、見知らぬ男たちに引き渡された。売られたことは、後に知った。
「お前なんか、産まなきゃよかった。ずっと邪魔だった。」
去り際に母親が放った言葉が、今も胸に染み付いて消えない。
売られた先で待っていたのは、暗い部屋と、理不尽な暴力だけ。逆らえば殴られ、泣けば蹴られた。「お前には生きている価値がない」と毎日刷り込まれ、いつしか少女は、自分が人間であることをやめていた。感情を殺し、ただの物として痛みに耐える日々。
誰の記憶にも残らず、誰にも愛されず、枯れ果てる。それが自分の運命なのだと、諦めていた。
━━そんな時、眩い光が現れた。とてもわずかな希望。
それは、自分より幼い少年。紫よりの黒髪が、彼の毅然さを際立たせる。
その小さな背中が少女━━猫柳には、大きな盾のように見えた。
どんなに叫んでも、嘆いても、泣いていても、傍観されるこの世界で、こんなにも頼もしくて、優しい存在がいるなんて。
少女の目から、ポタポタと涙が溢れた。
そう、殺したはずの感情が息を吹き返した直後。
「━━そのガキはもう飽きたから、お前にくれてやるよ。」
冒頭に戻り、再度、絶望しかける。
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「━━ッ……黙れよ」
だからこそ、目の前の少年が発したその地を這うような声に、少女は弾かれたように目を見開いた。
蕾の瞳から光が完全に消え失せ、底知れぬ狂気と殺意が宿る。
「な、なんだよその目は……ひっ!?」
男がその異様なプレッシャーに顔を歪めるよりも早く、蕾は猛然と地を蹴った。男の胸ぐらを掴み上げると、そのまま背後の壁へと叩きつける。鈍い音が響き、さらに蕾の右拳が男の顔面のすぐ横のコンクリートを粉砕した。
「アンタみたいな人非人が、他人の命を、尊厳を、ゴミと呼ぶなッ!」
蕾の全身から、文字通り人を圧殺せんばかりのオーラが吹き出す。右手の暗器『猫手』の鋭い爪が、男の喉元にピタリと突きつけられた。じわり、と男の首筋から赤い血が伝う。
「ひ、ひぃ……ッ」
「無価値な人間なんて、この世に一人だっていないンだよッ! 取り消せ。今すぐさっきの言葉を取り消せッ!」
男の襟を掴む左手に容赦なく力が込められ、男の顔はみるみるうちに白目をむき始めた。
(━━ああ……この方は、私なんかのために怒ってくれているのですね……)
猫柳は震えながら、蕾の小さな背中をただじっと見つめていた。その胸を、言葉にならない激しい感動が突き上げていく。
この国の歪んだ法律に縛られ、実の親にすら出来損ないとして捨てられた自分。存在そのものを否定され続け、自分の価値などどこにもないと思い知らされてきた。
それなのに、出会ったばかりの少年が、まるで自分の傷を我が事のように扱い、涙をにじませて世界を拒絶するほどの怒りを燃やしてくれている。
男の暴力よりも何倍も恐ろしいはずのその荒々しい怒りが、猫柳の目には、冷え切った心を芯から温めてくれる優しい炎に見えた。
生まれて初めて味わう、誰かに守られているという幸福感と感動に、彼女の目からは熱い涙がボロボロと溢れて止まらなかった。




