2章ー5 「汚らわしい侮辱」
「━━出来るのにやらない。……そンなのは、合理的以前に、ただの『傲慢』だよッ!」
そう咆哮し、義姉を深い青の瞳で睨みつけた。
「……」
葉牡丹はその言葉で顔色は変えずとも、身体が怯んだ。
その一瞬を蕾は見逃さなかった。
蕾は押さえ付けられていた身体をひねって、うつ伏せから身体をひねり、仰向けに転じる。
そして、手袋をはめていない右手に付いた『猫手』。そう呼ばれる、猫の爪のような形をした暗器で、葉牡丹の顔を引き裂こうとする。
(!、しまった!拘束中に準備していたのかっ!)
それに後退を余儀なくされた葉牡丹は、蕾の拘束を解き、美しい軌道で飛び退く。
蕾は飛び起き、全力疾走で、孤児院へと向かった。
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(……どうして、こんな風にされなきゃならないのでしょう?)
脳に与えられた強い衝撃によって、意識をとばしていた少女が、徐々に目を覚ます。
(……私が、何か悪いことをしたからでしょうか?)
視界は泥のように濁り、激しい頭痛がこめかみを締め付ける。妙な生温かさと打撲の痛みが全身に伝わり、自分が土の上に這いつくばっているのだと気付いた。
そして、どうにかこの暴力から逃げ出そうと踠く。
「クソが!勝手に動くんじゃねぇ!」
頭上から降ってきたのは、獣のような男の怒声だった。
頭皮に焼けるような激痛が走る。男の大きな手が、少女の髪を容赦なく掴み上げ、無理やり身体を引きずり起こしたのだ。その衝撃で頭の中でグワン、グワンと音が鳴る。
「う、あ……っ……」
声にならない悲鳴が漏れる。
視界の端で、男の凶悪な拳が振り上げられるのが見えた。抗う術などない。少女が恐怖に瞳を瞑り、訪れるであろう痛みに身をすくませた。その瞬間。
「その汚い手を離せよッ!」
冷徹な声が響いた。
衝撃音が炸裂する。少女の髪を掴んでいた男の手が、強引に引き剥がされた。
「ぶふっ!?」
男の巨体が横ざまに吹き飛び、壁に激突して激しく崩れ落ちる。何が起きたのか分からず、少女が泥にまみれながら目を開けると、そこには一人の人物が立っていた。
鋭い眼光で男を睨み据える、蕾の姿。
絶望の淵にいた少女の目に、まるで希望の光のように映った。
「おい、大丈夫かよッ? 」
蕾が少女の元へ駆け寄り、優しく声をかける。震える肩を労わるように自身のマントをかけてやった。
「な、なにしやがる?!」
背後から、男の怒声が上がる。
「……なにするもなにも、アンタの暴力からこの子を助けただけだけどッ?」
(……一発、殴っても気絶しないとは、意外と丈夫だなッ。)
そう蕾が告げると、男は一瞬驚いた顔をした後、下品な声で笑い出した。
「へっ……ヒーロー気取りかよ、おめでてぇな。でもなぁ、そんな事しても無駄なんだよ。」
蕾が極寒の視線を向ける。
「なンでだよッ?」
「分かんねぇか?……まぁ無理もねぇ。お前みたいなお子様じゃぁなぁ。」
蕾を嘲笑しながら男が、少女に人差し指を突きつける。
「……コイツはなぁ、親に売られたただの出来損ないだ。生きてる価値もねえ、ただの肉塊だよ。」
「━━」
「俺たちがどう扱おうが、誰も文句は言わねぇ。無価値のコイツに、俺のサンドバックっていう役職をくれてやってるんだ。」
「━━」
「━━というか、孤児院にいるガキなんざ全員ゴミだ。それが常識だ。だから、お前がコイツ一人助けたところで、意味なんかねぇんだよ。」
「━━」
(……耐えろッ。今、この男をどうにかしても、それこそ無駄じゃンかッ!)
男の口から吐き出される、少女への侮辱と呪詛。
それを聞き、ボロボロと涙を流す少女。
それに、歯を食いしばって、理性がとぶのを耐える蕾。
「……あぁ、でも。━━」
だが次の瞬間、蕾の沸点を限界突破する言葉が吐き捨てられる。
「━━そのガキはもう飽きたから、お前にくれてやるよ。」
「━━ ━━ ━━」
(……もし、あの時━━)
三歳の頃、道端にゴミみたいに捨てられていた自分。
もしあの時、姉さンが俺を拾ってくれていなかったら。
(……俺だって、こいつの言う『無価値なゴミ』になって、泥を舐めて死んでたかもしれないじゃンかッ……!)
目の前で泥にまみれて泣いている少女の姿が、かつて捨てられた自分自身と、最悪な形で完全に重なってしまった。
(ふざけるな、クソ野郎。他人の命を、俺たちの存在を━━勝手にゴミだと決めつけるなッ!)
自分と猫柳の尊厳を真っ向から踏みにじられたその刹那、少年の瞳から光が完全に消え失せ、底知れぬ狂気と殺意が宿る。
「━━ッ……黙れよ」




