第7話「普通が壊れないまま、少しずつ歪む」
日高 恒一は、朝の電車でふと思った。
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(昨日も行ったな)
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それだけのことなのに、少しだけ重い。
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会社。
朝礼。
いつもの声。
いつもの資料。
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田辺は眠そうにしている。
平岡はスマホを見ている。
岡本は缶コーヒーを握っている。
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誰も“昨日の夜”を話題にしない。
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それが逆に不思議だった。
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昼休み。
田辺が笑いながら言う。
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「お前さ、最近さ」
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「はい」
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「なんか落ち着いてきたよな」
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日高は少し考える。
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「そうですか?」
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「慣れたっていうか」
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田辺は言葉を探す。
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「……まぁ、いい意味でな」
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その“いい意味”が曖昧だった。
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夜。
ハプニングバー。
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もう説明はいらない。
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エレベーターに乗る理由も、誰も聞かない。
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扉が開く。
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世界が変わる音。
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だが今は、その変化を“知っている側”になっている。
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真白がすぐに気づく。
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「こんばんは」
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日高も自然に返す。
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「こんばんは」
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真白は少しだけ首をかしげる。
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「ほんとに、慣れたね」
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日高は少し笑う。
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「そうかもしれないです」
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その言葉は軽い。
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でもどこかで重さを含んでいる。
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奥の席。
美玲がいる。
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煙草を吸いながら、こちらを見る。
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「早いね」
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その一言。
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以前なら怖かった言葉。
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今はただの“挨拶”になりかけている。
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美玲は続ける。
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「慣れるのってさ」
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「楽になることでもあるけど」
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少し間。
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「戻れなくなる準備でもあるんだよね」
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日高は笑うこともできない。
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真白が割って入る。
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「日高くん、今日どうする?」
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「いつも通りで」
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その返答が自然すぎて、自分でも気づく。
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(いつも通りって何だ?)
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パチンコでもなく。
会社でもなく。
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ここが“いつも通り”になっている。
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田辺が手を振る。
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「日高、こっち」
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日高は迷わない。
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もう“選択”ではなく“流れ”になっている。
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その瞬間。
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美玲が小さく呟く。
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「ほらね」
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誰にも聞こえない声。
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だが日高だけは、なぜか聞こえた気がした。
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帰り道。
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駅前。
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ネオン。
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田辺が笑う。
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「お前もう半分こっち側だな」
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日高は冗談だと思って笑おうとする。
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でも笑えない。
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電車。
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窓に映る自分。
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(戻れるのか、これ)
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問いは出る。
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でも答えはない。
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そして気づく。
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戻る理由も、少しずつ薄れていることに。
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第7話 終




