第4話「普通じゃないものが、普通になっていく」
日高 恒一は、朝起きるのが少しだけ遅くなった。
正確には、起きる時間は同じだが、起きてから動き出すまでが遅くなった。
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スマホを見る。
昨日の自分の行動が、まだ現実に馴染んでいない。
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(また行ったんだよな)
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ハプニングバー。
三回目の言葉を頭の中で転がす。
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もう「初めて」ではない。
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会社。
会議。
資料修正。
いつも通りの業務。
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田辺が隣で欠伸をしている。
平岡はスマホで何かを見ている。
岡本はコーヒーを飲んでいる。
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何も変わっていないように見える。
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なのに。
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日高だけが、少し違っていた。
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昼休み。
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田辺が笑いながら聞く。
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「日高、昨日も行っただろ?」
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「……行きました」
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「どうだった?」
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日高は少し考える。
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「普通でした」
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その言葉に自分でも違和感がある。
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“普通”
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あの場所をそう表現することに抵抗があったはずなのに。
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田辺は笑う。
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「慣れたな、お前」
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その一言が、少し引っかかる。
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夜。
また同じ場所。
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エレベーター。
上昇。
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今では、数字を見る余裕すらある。
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(またここか)
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初めて来た日のような緊張はない。
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むしろ少し落ち着いている。
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扉が開く。
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音。
光。
人。
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昨日と同じ世界。
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だが、日高の中ではもう“異世界”ではない。
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真白がすぐに気づく。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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返す声が自然になっている。
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真白は少しだけ微笑む。
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「もう慣れてきたね」
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その言葉に、日高は少しだけ頷く。
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奥では美玲が煙草を吸っている。
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こちらを見る。
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「早いね」
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短い一言。
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日高は何も返さない。
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だが、その言葉の意味だけは分かるようになってきた。
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田辺が手を振る。
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「日高、こっち」
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日高は迷わない。
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立ち上がるまでの時間が短くなっている。
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(また少しだけ)
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その“少しだけ”は、もう何回目か分からない。
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席に座る。
会話。
笑い。
距離の近さ。
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最初の頃の違和感はほとんどない。
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むしろ居心地がいい。
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真白が飲み物を差し出す。
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「今日はどうだった?」
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日高は少し考える。
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「普通に仕事して、普通にここ来ました」
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真白は少しだけ目を細める。
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「それ、危ないかもね」
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「え?」
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「“普通”って思い始めると、戻れなくなる人いるから」
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その言葉が、少し重い。
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奥で美玲が笑う。
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「ほらね」
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「言ったでしょ?」
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日高は分からないふりをする。
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でも内心では、少しだけ分かっていた。
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(ここ、普通じゃない)
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でももう、
それを“異常”とは感じていない。
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帰り道。
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駅前のネオン。
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以前は違和感だった場所。
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今はただの通過点。
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スマホを見る。
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田辺からメッセージ。
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> 「明日も行く?」
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日高は少しだけ迷う。
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そして気づく。
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(迷ってる時点で、もう終わってるのかもしれない)
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指が動く。
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返信。
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> 「行きます」
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送信したあと。
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少しだけ、胸の奥が静かに沈む。
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でも同時に、
ほんの少しだけ安心している自分もいた。
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第4話 終




