第27話「戻るはずの場所が、曖昧になる」
日高 恒一は、会社の昼休みに弁当を開けながらぼんやりしていた。
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味が薄い。
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いや、正確には味を感じていない。
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(最近ずっとこうだな)
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そんなことを考える。
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田辺が向かいでスマホを見ながら言う。
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「昨日さ、結構遅かったよな」
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日高は少し考える。
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「そうでしたっけ」
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田辺は笑う。
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「またそれかよ」
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その会話が軽いのに、
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なぜか頭に残る。
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午後の会議。
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資料の数字が流れていく。
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聞いているのか分からないまま、
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ただ時間だけが進む。
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終業時間。
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誰かが言う。
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「今日どうする?」
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その瞬間、
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日高の中で何かが切り替わる。
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(今日も行くか)
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もう“選択”ではない。
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駅前。
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エレベーター。
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ボタンを押す手が迷わない。
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上昇。
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その時間は短いのに、
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妙に落ち着く。
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扉が開く。
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音。
光。
空気。
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その瞬間、
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日高は無意識に息を整える。
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(戻ってきた)
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その言葉が頭に浮かぶ。
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真白がいる。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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真白は少しだけ間を置く。
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「最近さ」
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「会社の方が遠く感じない?」
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日高はすぐに答えられない。
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遠い。
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その表現が正しい気がする。
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でも“距離”なのか、“質”なのか分からない。
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奥では美玲が煙草を吸っている。
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こちらを見て言う。
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「もうね、入れ替わってる途中だよ」
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日高は小さく笑う。
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「何がですか」
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美玲は淡々と続ける。
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「現実の優先順位」
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その言葉が静かに残る。
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席に座る。
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会話。
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笑い。
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沈黙。
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そのすべてが自然で、
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説明がいらない。
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そして気づく。
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(会社の方が“作業してる自分”だな)
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その思考に、少しだけ驚く。
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でも否定できない。
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帰り道。
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終電。
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田辺が言う。
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「お前さ、どっちが本当か分かんなくなってね?」
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日高は少し笑う。
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「どっちでもいい気がしてきました」
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その返事に、
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田辺は肩をすくめる。
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「それが一番やべぇやつな」
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電車の窓に映る自分は、
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どこにも力が入っていない顔をしていた。
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それが、
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少しだけ怖いのに、
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嫌ではなかった。
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そして日高はまだ知らない。
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この曖昧さが“崩壊”ではなく、
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“固定”に変わり始めていることを。
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第27話 終




