第26話「気づいた時には、もう片方が薄れている」
日高 恒一は、朝の支度をしながら少しだけ戸惑っていた。
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シャツを着る動作が、いつもより遅い。
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理由は分からない。
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(昨日、ちゃんと帰ったよな)
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その確認が毎朝のように必要になっていることに、
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自分でも薄く違和感を覚える。
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会社。
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会議。
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資料。
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田辺が小声で言う。
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「昨日さ、日高いなかった感じしたわ」
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日高は少し固まる。
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「いましたよ」
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田辺は笑う。
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「いや、なんか途中からいなかった」
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その言葉に、
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軽い冗談のはずなのに引っかかる。
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(途中からいない)
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昼休み。
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平岡が言う。
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「日高ってさ、最近“記憶薄い日”多くない?」
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岡本も頷く。
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「疲れてるんじゃねえの」
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日高は笑ってごまかす。
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「そうかもしれないですね」
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でも心の中では、
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別の感覚がある。
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“薄い”のは記憶ではなく、
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日常そのものだ。
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夜。
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駅前。
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エレベーター。
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もう考えない。
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ただ乗る。
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上昇。
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数字が増えるたび、
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少しずつ現実が切り替わる。
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扉が開く。
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音。
光。
空気。
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その瞬間、
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日高は無意識に肩を落とす。
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(あ、戻った)
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その感覚が自然になる。
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真白がいる。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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真白は少しだけ目を細める。
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「なんかさ」
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「こっちの方が“現実っぽい顔”してるよね」
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日高はすぐに否定できない。
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現実。
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その言葉の意味が揺れている。
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奥では美玲が煙草を吸っている。
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こちらを見て言う。
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「もう片方、薄くなってきてるね」
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日高は小さく息を吐く。
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否定しようとして、
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やめる。
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事実として、
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会社での自分が少し遠い。
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“もう一人の自分”のように感じる瞬間が増えていた。
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席に座る。
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会話。
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笑い。
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距離。
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その空間はもう特別ではない。
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むしろ、
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戻るべき場所に近い。
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そして気づく。
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(どっちが“戻る場所”なんだ)
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その問いは、
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もう答えを必要としていない。
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ただ、薄れていく片方を見送るだけだった。
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第26話 終




