第17話「少しずつ、現実が遠くなる」
日高 恒一は、朝のアラームを三回止めた。
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身体が重い。
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眠い。
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だが理由は分かっている。
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帰宅が遅くなった。
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それだけだ。
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以前なら、
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「こんな生活まずいな」と思ったはずだった。
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でも最近は違う。
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(まぁ、まだ大丈夫か)
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その“まだ”が増えている。
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会社。
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朝礼。
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上司の声。
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資料確認。
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いつも通り。
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なのに、どこか現実感が薄い。
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田辺が小声で言う。
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「眠いな」
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平岡も笑う。
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「昨日ちょっと長かったですからね」
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岡本は缶コーヒーを開ける。
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「まぁ若いうちはいける」
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その会話に、
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日高も自然に混ざっている。
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少し前まで、
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こういう話題に自分がいること自体、不思議だった。
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昼休み。
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同期の十五とすれ違う。
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「日高、最近忙しい?」
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その言葉に少し詰まる。
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「まぁ、普通かな」
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十五は頷く。
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「そっか」
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それだけ。
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だが日高は少しだけ気まずくなる。
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十五は資格勉強を続けている。
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彼女もいる。
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休日は旅行に行くらしい。
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一方、自分は。
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夜。
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店。
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帰宅。
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睡眠。
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その繰り返し。
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(何やってるんだろ)
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一瞬だけ思う。
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だが、その思考は長く続かない。
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夜になれば、
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また身体が自然に動くから。
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ハプニングバー。
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エレベーター。
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最近はもう、
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“向かっている感覚”すらない。
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ただ移動しているだけ。
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扉が開く。
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音。
光。
空気。
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その瞬間、
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少しだけ安心する。
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真白が笑う。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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もう自然すぎる。
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真白は少しだけ日高を見る。
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「疲れてる?」
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「まぁ、ちょっと」
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「仕事?」
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日高は少し考える。
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「……分からないです」
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真白は何も言わない。
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ただ静かに頷く。
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その沈黙が逆に楽だった。
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奥の席。
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美玲が煙草を吸っている。
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こちらを見て言う。
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「現実薄くなってきた?」
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日高は笑おうとする。
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「そんなことないです」
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でも声が弱い。
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美玲は煙を吐く。
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「みんな最初そう言うんだよね」
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「“まだ大丈夫”って」
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その言葉に、
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少しだけ胸がざわつく。
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でも否定できない。
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最近、
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会社にいる時間の方が“仮の自分”みたいだった。
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ここでは笑える。
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ここでは話せる。
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ここでは孤独じゃない。
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その差が危険だった。
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帰り道。
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終電。
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窓の外のネオン。
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ぼんやり流れていく光を見ながら、
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ふと思う。
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(もしここを知ってなかったら、俺どうなってたんだろ)
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その問いに、
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答えは出ない。
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だが同時に。
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(知ってしまったから、戻れないのかもしれない)
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そんな考えも、
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少しずつ現実味を帯び始めていた。
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第17話 終




