第16話「“来ない夜”が落ち着かなくなる」
その日は、珍しく残業だった。
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資料の修正。
電話。
確認。
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時計を見る。
22時を過ぎている。
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以前なら、
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「今日はもう帰るか」
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そうなる時間だった。
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だが最近の日高 恒一は違った。
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(まだ間に合うな)
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その考えが自然に出てくる。
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自分でも少し驚く。
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“行けるかどうか”を考えている。
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会社を出る。
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夜風。
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疲れている。
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なのに足は止まらない。
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駅前。
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ネオン。
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気づけば、いつもの方向へ歩いている。
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(今日くらい休めばいいのに)
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頭ではそう思う。
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でも身体が別の判断をしている。
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エレベーター。
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一人。
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上昇。
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数字を見ながら、
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日高は小さく息を吐く。
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(来ちゃったな)
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その言葉に後悔は少ない。
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むしろ、
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少しだけ安心している。
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扉が開く。
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音。
光。
空気。
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その瞬間。
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肩の力が抜ける。
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真白がこちらを見る。
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「こんばんは」
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いつもの声。
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「こんばんは」
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返事も自然。
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真白は少し驚いた顔をする。
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「今日は遅かったね」
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「残業で」
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「疲れてる?」
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その問いに、
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少しだけ笑ってしまう。
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会社では聞かれない言葉だった。
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「ちょっとだけ」
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真白は頷く。
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「そっか」
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それだけ。
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でも、その“それだけ”が妙に落ち着く。
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奥では美玲が煙草を吸っている。
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こちらを見て笑う。
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「来ると思った」
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日高は少し固まる。
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「分かるんですか」
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「顔」
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美玲は煙を吐きながら続ける。
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「来ない夜の方が落ち着かなくなってる顔してる」
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その言葉が刺さる。
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否定しようとする。
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でもできない。
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実際、
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今日は来ないつもりだった。
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それなのに。
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気づけばここにいる。
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席に座る。
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笑い声。
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会話。
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近い距離。
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その空気の中に入ると、
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疲れが少し薄くなる。
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それが危険だった。
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“救われている感覚”がある。
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そして人は、
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救われる場所を手放せなくなる。
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時間が流れる。
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時計を見る。
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終電が近い。
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でも帰りたくない。
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その感情に、
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日高は少しだけ驚く。
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以前の自分なら、
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こんな場所に長居したいなんて思わなかった。
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でも今は違う。
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(帰ったら、また一人か)
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その考えが浮かぶ。
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ここでは誰かが話しかける。
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誰かが笑う。
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誰かが自分を見る。
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でも家には何もない。
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その差が、
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少しずつ大きくなっていた。
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帰り道。
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終電前。
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駅のホーム。
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スマホを見る。
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通知はない。
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でも、
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“今はまだ大丈夫”と思っている自分がいる。
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それは安心ではなく、
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依存の入口に近かった。
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第16話 終




