お嫁さんとバーゲンセール(後編)
ということで、クロスオーバー作品、後編でございます。
思ったよりも魔王夫妻と連夜夫妻の絡みが少なくなってしまいました(涙)
もしまた次回機会がありましたらそこのところをもう少しなんとかしたいものですが・・
全身を覆う金色の美しい獣毛、大柄な成人男性よりも更に大きな体躯、その大きな身体と同じくらい大きな三本の尻尾。
フリーシャが知るこの世界の普通の狐とは明らかに違う、何もかもが違う。
何よりも決定的に違うのは、狐のその顔であった。
白い。
新雪のように、あるいは何も書かれていない新品の紙のように・・いや、何もない世界に広がる虚無そのもののような不気味な白。
顔以外の全てが金色であるというのに、そこだけがぽっかりと穴があいているかのように白かった。
(こ、怖い。この狐さん、とっても怖い)
得体の知れない冷たい何かがフリーシャの背中をじわりと這いずりまわり、フリーシャは無意識のうちに手に腕に力を入れ目の前の愛しい人にしがみつく。
そんなフリーシャの様子を知ってか知らずか、フリーシャ達の元にひょこひょことやってきたその件の大狐は、自分を呼びつけたエーデルワイスと何やら話を始めていた。
「どうしたんですか、エーデルワイスさん。不良品でも紛れていましたか? それでしたらすぐにお取り換えさせていただきますけど」
「いや、違うのよ玉藻さん、そうじゃないのよ。おたくの商品にほとんど不良品がないことはよ~く知ってるし、今のところは大丈夫。そういうことじゃないの」
「あら、じゃあ、なんでしょう? あ、わかった、例の西の大陸の帝妃様に献上するて仰っていたエルエイ・ツヴァイ買いそびれちゃったんでしょ!? だからあれほど言ったじゃないですか。あれは『ザックスファフナー』社製の人気商品なんですよ。美白効果がハンパじゃないから、私達の世界でも常に品薄状態で、仕入れるのも物凄く大変だったんですから。のんびりしてたらすぐに売り切れになりますよって言ったのに、もう!!」
「いやいや、違うのよ違うのよ玉藻さん、それも違うのよ。エルエイ・ツヴァイは個人的にも欲しかったから、うちのエースをまっさきに投入して確保しておいたもの。だから~、そうじゃなくて~」
「あらあら、じゃあじゃあ、なんなんでしょう? ああ、じゃあ、あれだ。ウイ・ウィルトンのカバンだ。そうでしょ? ごめんなさい、あれはまだ店先に出してないんですよ。だって、一気に人気商品を全部並べてしまうと、ただでさえ大混乱状態なのに、本当に収集がつかなくなっちゃうでしょ。夕方くらいから並べますからそのときにまた・・」
「いやいやいや、違うのよ違うのよ違うんだったら玉藻さん。それも違うのよ。違うんだけど、夕方なのね。いつもと同じ東側の噴水前のテントのところかしら? あってる? ああそう。じゃあ、その時に合わせてうちのエース級を並ばせておかないといけないわね・・って、だから、そうじゃないんだってば」
「あらあらあら、じゃあじゃあじゃあ、なんなのかしら、なんなんでしょう? ああっ!! 今度こそわかった!! エーデルワイスさん、あれのことを誰かから聞いたんでしょ? 三十代からの化粧品『ティモフルン・リンクス』。ダメですよ、エーデルワイスさん、確かまだ二十代だったでしょ? あの化粧品使うと肌のハリはもどるし、血色はよくなるし、新陳代謝が高まって顔全体が若返りますけど、劇薬ですからねえ。三十代以上の方で、薬があうかどうか調べてからでないと、すぐにお売りするのはちょっと」
「いやいやいやいや、違うの、違うんだったら玉藻さん、もう~、どういえばわかって・・って、その化粧品、そんなにすごいんですの? 顔全体が若返るって本当なんですの!?」
「本当です本当です。うちのお義母様も愛用していらっしゃっているんですよ!! 化粧品には鬼ほど厳しくて辛口の評価を下すあのお義母様が大絶賛しているくらいですもの。それはもう相当効果があるみたいですよ。私もねえ、使ってみたいんですけど、お義母様から『三十代になるまではダメよ。二十代のあなたが使うと逆効果だから我慢しなさいね』って言われて禁止されているんですよねえ。残念です」
しょんぼりと肩を落とす狐の姿がどうみても演技ではないとわかったエーデルワイスは当初の目的も忘れ、両腕を組んで真剣に悩みだす。
「さ、三十代以上ならいいのね。そっか、そんなに効果の高い化粧品があるのか。使ってみたい、使ってみたいなあ。でもなあ魔族年齢に換算すると確かに私はまだ二十代だしなあ。あ、でもでも人間達の暦で計算すれば・・」
「ああ、確かにそれでいけばおまえの年齢はゆうに三十を超えるな。ってか、桁が一つか二つ変わるからおばさんどころか下手すりゃおばあ」
「黙れっ!!」
「がたきりばっ!!」
女性に対して絶対に絶対に口にしてはいけないことを口にしてしまった夫に一瞬にして近づいたエーデルワイスは、目にも止まらぬ凄まじい速さで右拳を解き放って夫の腹部にたたき込む。
そして、意味不明の悲鳴をあげながらくるくると回転しながら宙へと舞いあがった夫の姿をきっと睨みつけ、どこからともなく取り出したベルトをすちゃりと装着する。
「え、ちょ、エーデルワイスさん? それってうちの連夜くんが以前にプレゼントした戦闘用コンバットスーツへの変身ベルトじゃあ・・」
不穏な空気を感じた大狐がわたわたしながらエーデルワイスを止めにかかろうとするが、それよりも早くエーデルワイスは懐から二本の鍵のようなものを取り出してベルトの鍵穴へとすばやく突き入れる。
「【希望を司る陽神の鍵】!!」
【オラァァァシオンッッッッ!!】
「【絶望を司る陰神の鍵】!!」
【ギィィィィィガァァァァァァッ!!】
「【変身】!!」
エーデルワイスが二本のキーをベルトに突き入れて同時に回した瞬間、物凄い渋い声で、もみあげと鬚が一体になった厳格そうな中年男性を思わせる声が広場に響き渡る。
そして、次の瞬間、淡い緑色をした美しい風と、闇そのものといった黒い影がエーデルワイスの身体を包み込み、大狐が側に駆け寄ったそのときには大鷲の翼を持つ魔族女性の姿はそこにはなかった。
代わりにそこにいたのは、右半身がエメラルドグリーン、左半身がシャドウブラックの仮面のスーパーヒーロー・・いや、スーパーヒロインだった。
「牙面タイガー パピル ヴァージョン オラシオンギーガー参上!! さあ、裁きの時よ、己の罪を数えちゃったりするがいいわ!!」
「いやいやいや、ダメでしょ、アカンでしょ、やり過ぎでしょ!! エーデルワイスさん、すとっぷすとっぷ!!」
「止めないで玉藻さん。女性の実年齢をしゃべろうとするなんて、例え夫でも許すことはできないわ!!」
「わかるけど、気持ちはすっごくわかるけど。さっきの一撃で十分ご主人瀕死だから!!」
「大丈夫大丈夫、私だって、そこまでひどいお仕置きするつもりはないんですのよ。ちょっと、『パピルプラズマジェットストリーム』を放つくらいで」
「いやいやいや、それ必殺のトドメ技だから!! そもそもそれっていまの通常変身の更に上位版にあたるヴァージョン オラシオンギーガージェットストリームにならないと撃てないくらい滅茶苦茶強力な必殺技だから!! ひょっとしてエーデルワイスさん、ご主人のことキライでしょ!?」
「ううん好きだし、愛しているわよ。・・今すぐ殺したいくらいに」
「こわっ!! めっさこわっ!! もういいから、変身を解除してください、いくらなんでもご主人がかわいそうすぎます」
「ちぇ~~っ」
「『ちぇ~』じゃありません!! どんだけ武闘派なんですか、エーデルワイスさん!? 私もかなり短気なほうだけど、エーデルワイスさんも大概だわ」
「そんなことありませんわよ。ちょっとお茶目な十六歳です。うふっ」
「おいおい、いくらなんでも、それはサバを読み過ぎだろ。数百歳くらいちが」
「そんなに違うわけあるかぁっ!!」
ボディブローの一撃からなんとか回復してツッコミを入れてくる夫の姿をきっと睨みつけたエーデルワイスは、華麗なジャンプで空中へと躍りあがる。
そして、緑と黒の鮮烈な光を放ちながらそのまま急降下し、緑と黒の両足で強烈無比な必殺キックをお見舞いするのだった。
「たじゃどるっ!!」
意味不明な悲鳴をあげながら再びふっとんで行く夫。
先程のフリーシャと同じようにごろごろと芝生の上を転がっていき、やがて止まったところでふらふらと立ち上がろうとするが、立ちあがることはできずそのまままえのめりに芝生の上に倒れ込み、次の瞬間大爆発を起こすのだった。
「ああああ、ご主人が、ご主人が大変なことになっちゃった!!」
「正義は・・勝つ!!」
「いやいやいや、やりすぎやんやりすぎやん、絶対やりすぎやん!!」
虎を模したフルフェイスの戦闘用ヘルメットごしに、わざとらしくどこか遠くを見つめながらたそがれているエーデルワイスに、涙目になりながら詰め寄る玉藻。
しかし、そんな玉藻に対しあっさりと戦闘フォームを解除して元の姿にもどったエーデルワイスは、全く悪びれた様子もなくひらひらと片手を振りながら心から晴れ晴れとした笑顔を向けるのだった。
「もう、玉藻さんたら大袈裟なんだから~。心配しなくてもいつものことだから大丈夫ですわよ」
「えええ~~っ!? いつも!? いつもなの!? これでいつもなんですか? 毎回ご主人大爆発しているんですか!?」
「あれくらいじゃ、宅の主人は死んだりしませんわよ。魔王様には到底及びませんけど、あれでも魔族最強五虎将の一人ですもの」
「そ、そうなんですか・・でも、芝生に倒れたままぴくりとも動かないみたいですし、身体から煙みたいなものがぷすぷすでてるみたいなんですけど」
「演出効果みたいなものだから気になさらないでくださいまし」
「は、はあ、演出効果ですか」
どこまでもにこやか晴れやかなエーデルワイスの笑顔を釈然としない様子で見つめる玉藻。何気なく周囲を見渡してみると、夫婦喧嘩の様子をずっとみていたらしい彼の部下達が、『ボス、かわいそうすぎる』とか、『エーデルワイスさん、毎回毎回ひでぇよ、あんまりだよ』とか、『うちでもあそこまで虐げられていないよ、どこまで鬼嫁なんだよ』とかいいながら男泣きしている姿が見られたが、なんとなくそれを指摘すると更なる犠牲者が出る様な気がしたので、それらのことは自分の胸のうちにそっとしまいこんで何事もなかったかのような態度でエーデルワイスのほうに向きなおる。
「もういいですけど、ところで、私をお呼びになった本当の理由はなんだったんですか?」
「ああ、そうでしたそうでしたわ。すっかり忘れていました。玉藻さんに是非とも、なんとしてもお願いしたいことが」
「な、なんでしょう?」
勢い込んで詰め寄ってくるエーデルワイスから若干腰を引かせながら玉藻が聞き返すと、エーデルワイスは黙って自分の後ろに立つ二人の人物を見るように視線で促す。
「あら、ひょっとすると陛下でいらっしゃいますか?」
「うむ。いかにも我が魔王だ」
「これはこれは、初めまして陛下。思いもかけず拝謁を賜り恐悦至極に存じます。玉藻と申します。このキャラバンの副責任者をやらせていただいております。以後お見知りおきを」
可愛らしい少女を片腕に軽々と抱いて立つ青年の正体をすぐに察した玉藻は、狐の姿のままで器用に跪いて一礼をしてみせる。
そんな玉藻に対し、王者らしい威厳に満ちたオーラを放ちながらゆっくりと頷いて見せた魔王は、何かを探るかのような深い闇色の瞳でじっと玉藻のことを見つめる。
「副責任者ということは、お主がジンとエキドナの代理の者ではないのか?」
「いえ、私は代理者その者ではございません。代理のような仕事をさせてはいただいておりますが、実際に任命されているのは私の夫でございます」
「夫とな。して、その夫は今どこにいる?」
「今の時間ですと、大衆食堂のほうで料理を作っている最中だと思いますわ」
「ほう。代理の者はコックなのか? 珍しいな、普通代理をする者は全体の陣頭指揮を執っているものとばかり思っていたのだが」
「いえ、まあ、どちらかといえばコックは本業ではないのでございますが、下手なコックよりもはるかに腕が確かなものですから。恥ずかしながら、実際の指揮統括作業は妻である私が執らせていただいております。陛下は夫個人に何か御用なのでしょうか? それとも、このバザーの内容的なことでの御用でしょうか? 僭越ながら後者のほうでございましたら、私が伺わせていただきますが、いかがでしょう?」
臆することなく魔王の瞳をじっと見つめ返して言葉を発する玉藻。
そんな玉藻の姿をしばらくの間じっと見つめていた魔王であったが、やがて闇色の瞳から警戒の色を解いて片腕に抱いている小さな少女を玉藻のほうへと差し出した。
「実は我が妃がお主たちのバザーの商品にいたく興味をもってな。是非見てみたいと言っておるのだが、何せこの人だかりだ。無理矢理どかせてもよいのだが、我が妃は心優しきゆえ、権力を使ったそういう強引な方法は好まぬ。さりとて、商品は見てみたいようでな。なんとかならぬか」
「あらあら、まあまあ、そういうことでございましたか」
魔王の説明にようやく事態を把握した玉藻は、魔王の腕の中で縮こまっているフリーシャの方に視線を向ける。
そして、優雅な足取りでフリーシャのほうに近づいた玉藻は、ちょっとびくついているフリーシャにそっと一礼。
「初めましてお妃様。このバザーの副責任者である玉藻でございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、あのフリーシャですわ。こちらこそよろしくお願いします」
玉藻に声を掛けられたフリーシャは、なんとかかんとか挨拶を返し改めて目の前の大狐の姿を見詰める。
大きい。
なんと大きな狐であろうか。
下手をすると自分を抱いて立っている夫よりも大きいかもしれない。
四足で立っているため目線は若干自分よりも下にあるが、伸びあがると魔王その人よりも高くなるのはまず間違いなかった。
それほどの大きな体躯であるため、それだけでも十分な威圧感があるのだが、何よりもフリーシャを威圧してやまないのはその白く不気味な顔である。
虚無そのものが形となって現れたような顔。
そのどこまでも白い顔には、血の色のように赤い恐ろしげな隈取り模様が走る。
人の言葉をしゃべっているが、その大きな口には鋭い牙がズラリと並んで凶悪な光を放っている。
そして、白い顔の中で不吉に金色に輝く二つの光。
ともかく怖い。
この城に住んでいるのはみな人外の者達ばかりで、フリーシャ以外に人間はいない。
夫の魔王はもちろんそうだし、彼女の言葉を信じてくれた魔王の側近である彼や、その妻であるエーデルワイスもそうだ。
みな、何かしら人間とは違う部分を身体のどこかに有し、あるいは全く違う姿をしている者達ばかり。
しかし、ここまで怖い思いをしたことは一度たりともない。
今まで感じたことのない恐怖がフリーシャの身体を雁字搦めにする。
折角、魔王とエーデルワイスがフリーシャの為を思って彼女を連れてきてくれたというのに、ここまでお膳立てをしてくれたというのに、フリーシャは得体の知れない恐怖に支配され挨拶から先の言葉を発することができない。
なんとか言葉を紡ごうとするが、どうしても恐怖が先に立って口を開くことができないのだ。
「あ、あの、妃殿下?」
「ひゃ、ひゃいっ、その、あの」
フリーシャの様子がおかしいことに気がついた玉藻が心配そうに声をかけるが、恐怖をぬぐい切れないフリーシャは奇妙な返事を返すのがやっと。
そんな二人の間を流れる空気が微妙なことになっていることに気がついた周囲の者達も、気遣わしげにフリーシャに視線を向ける。
(どうしよう、どうしよう)
内心、物凄く焦りテンパる寸前のフリーシャ。
いっそ本気で逃げ出そうか、そうフリーシャが思ったそのとき、救いの主が玉藻の背後から現れる。
「玉藻さ~ん。一緒にお昼御飯たべましょ~」
「連夜くん!?」
大きな狐の背後から現れたのはフリーシャよりも弱冠大きいか同じくらいの身長をした人間の少年。
黒髪黒眼の穏やかそうな表情をした、どこにでもいそうなごく普通の少年だった。
特別に何か力をもっていそうとか、不思議な魅力があるとかそういうことは一切感じられない。どこまで普通。どこまでも平均。
強いて言えば、女装しても不自然ではないような中性的な顔立ちが特徴と言えば特徴だろうか。
そんな平凡極まりない少年の登場であったが、フリーシャは自分の目の前で起きた劇的な変化に気がついて大きく目を見開く。
自分を支配していた恐怖が突如として消えたのである。
フリーシャは恐怖を発していた源である目の前の大狐のほうに視線を向け直す。
大狐はしばらく呆けたような顔で少年の顔を凝視し続ける。
すると、今まで明らかに『虚無』そのものであった白いその顔が、鮮やかな朱色に染まり始め、一瞬にしてその身を包んでいた『恐怖』の色が消え去る。
そして、その身体から発せられるのは見ているだけで幸せになれそうなあたたかなオーラ。先程までの寒々しい雰囲気はどこへやら、マイナスのみで固められた恐ろしい化け物にしか見えなかったそれは、いまや完全に別人に姿を変えていた。
そんな狐の様子を呆気に取られてフリーシャが見つめていると、狐はさらにその表情を変化させる。
今すぐにもとろけてなくなってしまうのではないかというような笑顔になった彼女は、瞳を潤ませて更に熱い視線で少年を見つめる。
見つめているだけではない、ゆっくりと少年に向かって歩き出す大狐。
すると、その狐の輪郭がぼやけはじめ、姿が徐々に変わっていく。
フリーシャをはじめとする面々が見つめていると、狐は徐々に姿を変えていき、やがてそこには先程まであった大狐の姿はなくなり、代わりに見たこともないような美女の姿が。
金髪金眼に頭からはえた狐の耳。
とんでもなく発達した二つの大きく丸い双丘、くびれた腰、女性特有の優雅な丸いお尻、そして、そこから突き出た三本のキツネの尻尾。
高い身長、スラリと長い脚。
姉のマーシアとはまた系統の違う美女。
その美女は同性のフリーシャから見ても魅力的な笑顔を浮かべると、一瞬にして黒髪の少年の側へと移動しこれでもかとばかりにぎゅっとその身体を抱き締めるのだった。
「連夜くん、連夜くん、連夜きゅ~~ん!!」
「あわわわ、玉藻さん。嬉しいですけど、『人』が・・『人』がいっぱい見てますから」
「見られていたって構わないわ。だって、私達は夫婦で愛し合っているんだから、お~るえぶりしんぐ、のーぷろぶれむ!! もうまんたい!! 一切合財問題なしよん!! 連夜くん、好き好き大好き、愛してるわ!!」
「いや、僕だって愛していますけど、あ、ちょっと、玉藻さんったら」
「ねぇねぇ、連夜くん、食堂のほうはよかったの? そろそろお昼のピークは過ぎたけどまだまだ忙しいんじゃないの?」
「ええ、まあ。ありがたいことにお客様はひっきりなしに来てくださってますよ。でも、一番大きな波は乗り切ったようですし、今の時間帯ならリンと晴美ちゃんに任せても大丈夫そうだったので、任せておいて休憩しに出てきちゃいました。折角だから玉藻さんと一緒にお昼ご飯食べたかったですし、えへへ」
「私も連夜くんとお昼ご飯食べたかったんだ~~!! なんとなく連夜くんが来てくれるような気がしていたからお昼ご飯取らずにおいて正解だったわ!! えへへ、以心伝心。やっぱり私達って赤い糸で結ばれているのね~~。連夜くん、大好き!!」
そう言って自分よりも小さな少年の身体を抱きしめた美女は、見ているこっちが恥ずかしくなるようなセリフを連発しながら少年の顔のあちこちにキスの雨を降らせ始める。
少年は、顔を真っ赤にしながらバタバタともがいていたが、やがて観念したようで大人しくなって美女のやりたいようにやらせてやる。
そうしてしばらく美女にやりたいようにやらせて美女が落ち着いた頃、美女の腕の中で苦笑していた少年は、ようやく魔王とフリーシャの存在に気がついてそちらに視線を走らせる。
「あれ? そちらにいらっしゃるのは陛下ですよね。ということは、陛下の腕の中にいらっしゃるのはお妃様でしょうか? って、玉藻さん、僕の話聞いています?」
「え? 陛下と妃殿下? ああっ、そうだったそうだった!! そうなのよそうなのよ連夜くん。どうもね、妃殿下がお困りみたいでね。そうだ、ちょうどいいから連夜くんが妃殿下に直接お話しを伺ってもらえるかな?」
「おやおや。そうでしたか」
玉藻の言葉を聞いてフリーシャと魔王のほうに視線を改めて向け直した黒髪の少年は、玉藻に後ろから抱きつかれた状態のまま二人の前に進み出ると、右拳を左の掌底で止める様な形で自分の腕を突き出し、すっと頭を下げて一礼する。
「お久しぶりにございます、陛下。そして、お初にお目にかかります妃殿下。このキャラバンの主であるジン・スクナーとエキドナ・スクナーの息子、レンヤでございます」
「レンヤ? レンヤというと・・うむ、そう言えば十年近く前、ジンとエキドナが小さな子供を連れて来ていたことがあったが・・あのときの子供か?」
フリーシャを抱いていないほうの片手でしばらく自分の顎をさすりながら考え込んでいた魔王であったが、ふと何かを思い出したようで、懐かしそうに目の前の黒髪の少年を見つめる。
「はい、左様でございます。あのときは本当に御世話になりました」
「いや、世話になったのは我のほうだ。そういえばあのとき、お主は我に『ウナドン』とかいうものを馳走してくれたのだったな」
「あのときは寛大な御心で拙い子どものママゴトにお付き合いくださって本当にありがとうございました。右も左もわからぬ子供が、陛下に対して怖れ多いことで、今思い出しますと冷や汗が止まりませぬ」
「いやいや、実にあれは美味であったわ。ウナギを食べる地方があるとは聞いてはいたが、あのような食し方があるとはな。しばらくはここに滞在するのであろう、帰る前に是非もう一度作ってくれ」
「陛下に召し上がっていただけるようなモノでは到底ございませんが、陛下のお言葉とあってはお断りできませんね。承知いたしました。ただ、あまり期待はしないでくださいませ。所詮門前の小僧のなんとやらでございますれば」
「謙遜致すな。料理人として一流の腕を持つジンにみっちり仕込まれて、お主は子供頃すでに大人顔負けの腕だったではないか。あれから何年たったか覚えてはおらぬが、相当に腕をあげたとみえる。隠さずに我にみせよ」
「恐れ入ります。ご期待を裏切らないように頑張ります」
「うむ、期待しておるぞ。そういえば今回はそちが代理ということであるが、ジンとエキドナは息災か?」
「はい。少しばかり厄介なことが向こうの世界で起こりまして、父と母はそちらの対処をせねばならず、未熟ながら今回は私が代わりに指揮を執らせていただくことになりました。二人ともこちらにこれないことを非常に残念がっておりまして、陛下にはくれぐれもよろしくとの言葉を預かっております」
「そうか。我も二人に会えないのは残念でならぬ。我の美しい宝を自慢したかったのであるが」
「そうだ、そのことでございます。我が妻から聞いたのでございますが、そちらの美しいお妃様が何かお困りのようですとか。よろしければお話を直接伺わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「おお、そうであった、そうであった。我が妻はどうも人見知りが激しくてな、お主の奥方が妻の話を聞いてくれようとしたのであるが、恥ずかしかったようでうまくしゃべることができなかったのだ。お主の奥方が美しすぎたからか、あるいは人間ではなかったからかわからぬのだが。どうだろう、異界の勇者ジンと異界の魔王エキドナの息子レンヤよ。我が最愛の宝の話を聞いてやってはくれぬか?」
「私なぞでよろしければ喜んで」
そう言ってにこやかな笑顔を浮かべてもう一度魔王に一礼した連夜は、そのまま魔王の腕の中で小さくなっているフリーシャのほうに歩みを進める。
「たった今陛下からお聞きしたのでございますが、我がバザーのことでなにやらお困りのことがおありですとか。若輩者ではございますが、一応、私、このバザーの総責任者を務めさせていただいております。よろしければ、お聞かせいただけませんでしょうか。まだお妃様のお話の内容をお聞きしておりませんので必ずとは申せませんが、できるだけのことはさせていただく所存にございますれば」
フリーシャの前に跪き、先程と同じように右拳を左の掌底で受ける形の礼をしながらにっこりと笑みを浮かべて見せる黒髪の少年。
そんな少年の姿をしばらくの間マジマジと見つめていたフリーシャだったが、先程までこの場を流れていた空気と全く違い、静かな夜のような優しい雰囲気が流れて行くことを感じて強張って表情を緩める。
「あの、自己紹介が遅れてごめんなさい、フリーシャです」
「フリーシャ様ですか・・良いお名前ですね、空を覆う雪の冷たさや大地を覆う雪の重さに負けることなく、一生懸命に太陽に向かって咲く花を思わせるような、そんな風に感じられるとてもよいお名前ですね」
「あ、ありがとう。自分の名前のことをそんな風に褒められたことないから、嬉しいな。本当にありがとう」
「いえいえ、思ったことを口にしただけで・・痛い痛い痛い!! 玉藻さん、痛い!! 痛いですってば、噛みつかないでください!!」
フリーシャと連夜の間にほんわかとしたいい空気が流れていこうとした瞬間、連夜を背後から抱き締めている玉藻が、物凄いすねた表情で連夜の首筋にガブリと噛みつく。
まるで吸血鬼のようにガッツリ噛みつかれてしまった連夜は、あまりの痛みに飛び上がって抗議し、なんとかかんとか噛みつきからは解放してもらったが、玉藻は涙目で連夜のことを睨みつけ続ける。
「連夜くんの浮気者」
「ちょっ!! なんでそうなるんですか!? フリーシャ様は陛下のお嫁さんなんですよ!? しかも陛下ご本人がいらっしゃるのにどうしてそういうことになるんですか!? ですよね、陛下?」
「奥方殿、もっと噛みついてやってくれ」
「わかりました」
「え、ちょっ!? いた~~~~っ!! 痛い痛い痛いっ!! マジで痛い、本気で痛い、死ぬほど痛い!! 玉藻さん、やめて止めてやめて止めてやめて~~~!!」
再び首筋にガブリとやられてしまった連夜は、あまりの痛さに玉藻を背負ったまま中央広場の中を走りまわる。
そんな二人の大騒ぎを呆気に取られたようにじっと見つめていたフリーシャであったが、やがて自分を抱きかかえている最愛の夫と顔を見合わせると、ぷっと吹き出してしまうのだった。
「おもしろいご夫婦ね」
「おもしろいというか、あいつの両親であるジンとエキドナの夫婦とよく似ている。流石、奴らの息子。カエルの子はカエルだな」
「ああいう感じなんだ」
「うむ、ああいう感じだ」
「なんか、タマモさんのほうは最初ちょっと怖かったけど、レンヤさんと一緒にいる今の状態なら仲良くできそう」
「そうか。そういえば、レンヤの母親のエキドナもそうだ。あいつも一人でいるときはやたら物騒な気配を出していてな。自分自身は全く気がついていなかったが、我が配下の者達で勘の鋭い者はそれに気がついて怯えていたものだ。しかし、そんなあいつも、ジンと一緒にいると不思議とそういう気配が引っこむのだ。タマモ殿と同じだな」
「へ~~、そうなんだ」
そう言って和やかな雰囲気で連夜と玉藻の姿を見つめるフリーシャと魔王。
そんな二人と対照的に、それどころではない状態の連夜は、いまだに広場の中をかけずり回りながら、必死の形相でフリーシャ達に助けを求める。
「ちょっ!! お二人とものんびり見てないで助けてくださいってば!! バザーのことで何かご相談があったんでしょ、このままじゃいつまでたっても聞けない・・痛い痛い痛い!! 玉藻さん、そろそろ本気で勘弁してくださいよ~~~!!」
「ダメ。私がいる目の前で他の女の子のことをあんな風に褒めるなんて、浮気以外のなにものでもないじゃない。だから、お仕置きなの!!」
「ええええ~~~、そ、そんなああっ!!」
昼下がりの午後、いまだ喧噪鳴りやまぬ魔王城の中央広場に連夜の悲鳴が響き渡る。
この後、なんとか玉藻の怒りを鎮めることができた連夜は、フリーシャの願いを聞き入れてバザーの商品の数々を紹介することになり、そのことをきっかけとしてフリーシャ達魔王城の人達と交流を深めていくこになるのであるが・・
でもそれはまた別の話
これからも続いて行く、魔王城に住む魔王のお嫁さんの日常の御話。