第44話 観戦者たち
「一席の試合だぞ。今日は席の取り合いだ」
観覧席の入り口で、誰かの声が弾んでいた。
準々決勝の二日目は、セオの試合がない日だった。
ない日こそ、観覧席は仕事場になる。反対の山の準々決勝——一席対七席。アリシア・ヴェルクレア対、セシル・ガーランド。
ガーランド家は重力紋の名家だという。細身の令嬢が白線に立ち、袖をまくると、観覧席の空気が先に重くなった。
「重力よ、沈め」
起動句とともに、白砂が円形に窪んだ。
見えない重さが場を支配する。踏み込めば足が沈み、剣を上げれば腕が遅れる。周囲の空気ごと歪める大技で、彼女はこれまでの三試合を、相手に何もさせずに終わらせてきた。
セシルの三試合は、どれも相手に一歩も踏み込ませずに終わっている。円の重さは外周ほど緩く、中心ほど深い。踏み込むほど沈む蟻地獄で、正面から挑んだ者は皆、自分の重さに潰れた。
アリシアは、歪んだ場の縁を歩いた。
重力の円の境目——効力の切れる線を、寸分の狂いなく踏んで、円の外から聖光で削る。セシルが円を動かせば、動いた分だけ縁を歩き直す。
読める者の目には、種が見えた。王女は重力を読んでいない。セシルの「足の置き直し」を読んでいる。円の中心は術者の足元から動かせない——道具の癖ではなく、人の癖から術の輪郭を逆算する読み方だ。
決着は、呆気なかった。
円を広げようと欲張ったセシルの、魔力の細った一拍。境目が半歩内側へ縮んだ瞬間、王女の細剣が縁の内へ滑り込んだ。
「——勝者、一席アリシア・ヴェルクレア!」
二紋だけの完封だった。観覧席は「王女殿下が本気を出すまでもなく」と沸き、セオだけが内訳を読んでいた。本気も余力も、演出の内側だ。あの人は、二枚しかない手札を、七枚に見せる歩き方をしている。
* * *
観客席で、セオは負けたセシルの重力紋を、最後まで読んでいた。
読める。構文も、環の設計も、魔力の流れも、全部読める。
——写せない。
読み終えた瞬間に、それも分かった。あの文は、ガーランドの骨格を前提に書かれた文だ。魔力の質、体の芯の据わり方、たぶん代々の骨の太さまで、文の土台に組み込まれている。他人の体という紙には、写した端から破れる字だった。
読める、と、写せる、は違う。
幻惑がそうだった。聖光も、たぶんそうだ。秘伝紋というのは、家の体そのものを装丁にした本なのだろう。写本屋に写せるのは、紙の本だけ——自分の能力の輪郭が、観客席でまたひとつ、はっきりした。
* * *
通路の売り子から麦湯を買って戻ると、隣の席に先客がいた。
ヴォルク・シュタールだった。
使節団の観覧席は貴賓側にあるはずの男が、当然の顔で学生席の隅にいる。周りの学生は気付いてすらいない。気配の消し方まで、規格外だった。
「あの重力の家」
挨拶もなく、士官は白砂を目で示した。
「開戦したら、真っ先に潰される。——要塞ごと」
「……穏やかじゃないですね」
「戦場の値付けだ。ああいう、動けない大技は、要塞と一緒に据え付けて使う。据え付けた大砲から先に潰すのが、うちの参謀本部の教本でな」
試合を観る目ではなかった。地図に印を付ける目だった。この観覧席で、彼だけが「御前試合」ではなく「王国の戦力の棚卸し」を観ている。
「あんたは」と、セオは麦湯を持ったまま聞いた。「何をしに来たんです、本当は」
「観覧だ」
即答だった。即答の完璧さが、答えの中身を全部塗り潰していた。
ヴォルクは立ち上がり、去り際に一度だけ白砂を振り返った。
「次の試合、雷の二席と当たるんだろう。……いい試合をしろ。値付けが、しやすい」
* * *
夕刻、準決勝の組み合わせが正式に掲示された。
——準決勝第一試合。二席レナード・ギルフォード 対 十六席セオ・アトリー。
掲示の前で、当人同士が行き合った。
レナードは掲示を見上げ、それからセオを見て、同時に、どちらからともなく笑った。
「果たし状は、要らないな」
「ええ。もう貰ってるので」
春の、あの封筒。僕の連れの無様の後始末をする——から始まった因縁が、半年を回って、国でいちばん大きな舞台に載った。
「明日は」と、レナードは剣帯の位置を直しながら言った。
「僕の全部を持ってくる。君も全部を持ってこい。——それだけだ」




