第39話 鋼の演武
——式次第、結び。親善の演武。帝国側より武官一名、学院側より本科の首席、これに立つ。
配られた紙の、その一行だけを、観覧席の誰もが二度読んでいた。
御前試合の前日、学院の大演習場で使節団の歓迎式典が開かれた。
学生と教官と来賓で埋まった観覧席の、いちばん高い貴賓席には王家の紋の垂れ幕が下がり、その隣に帝国の黒鷲が並んでいた。二枚の旗が並ぶ絵を、セオは生まれて初めて見た。
観覧席の学生たちは、式次第そっちのけで噂を回していた。鋼紋兵。体に機械を埋めた兵隊。曰く、痛みを感じない。曰く、詠唱が要らない。曰く——噂の常で、半分は外れているのだろう。どの半分が当たっているのかは、この目でこれから確かめればいい。
学院側の演者は、オーウェン・ダント。本科三年の首席で、六枚の紋章を使う、学生の頂点と呼ばれる人だ。
帝国側の演者が進み出たとき、観覧席が少しざわめいた。
若い。士官の礼服に、灰白の短髪。入城の日、馬車の窓からセオを見た、あの男だった。
「帝国軍武官、ヴォルク・シュタール」
名乗りは短く、礼は正確で、無駄がひとつもなかった。
* * *
演武は、双方の得物を刃引きに替えて始まった。
オーウェンの立ち上がりは、さすがに首席の風格だった。二紋の連携で間合いを制し、三紋目で足場を作り、四紋目の風壁で相手の初速を殺す。教本の頂点にある動きが、滑らかに流れていく。学生の六年間で積める最上のものが、そこにあった。
ヴォルクは、詠唱をしなかった。
代わりに、音がした。
——歯車の、噛み合う音。
士官の首筋で小さな鋼の鋲が回り、袖の下で光が走った。次の瞬間、ヴォルクの剣速が一段変わった。
速い、というのとも違った。無駄が、刈られていた。受けに回る動きがない。避ける動きもない。当たらない位置に最初から立ち、崩れる場所へ最初から剣を置く。六枚の紋章の織物を、鋼の直線が最短距離で刺し貫いていく。
三合で、オーウェンの剣が飛んだ。
五合で、首席の背中が白砂に付いた。
観覧席の拍手は、一拍遅れた。強さへの称賛より先に、異質さへの戸惑いが場を満たしたからだ。詠唱のない紋章。歯車の音で起きる魔力。学生の頂点が、五合。
セオは拍手を忘れて、読んでいた。
読めた。読めて——ざらついた。
ヴォルクの体に走る紋章は、文としては完璧だった。癖がない。揺らぎがない。誰の手で書いても同じになる、規格の文字。写本で言えば、定規で引いた楷書だ。
だが、行間が軋んでいる。
文と文のあいだで、魔力の流れが不自然に折れ曲がる。血の通う体に、鋼の規格を無理に接いだ折れ方だ。読めば読むほど、綺麗な文の下から別の声がする。体が、文を書かされている——悲鳴に近い筆致だった。
それにあの文には、書き手がいない。
ミルベルで写した騎士ロランの火矢には手癖があった。レナードの雷には家の型があった。ダリオの散った礫にすら、あれはあれで本人の気の短さが出ていた。この文字には、誰もいない。誰の癖もない字は、誰のものでもない字だ。読み終えた後に、書き手の顔がひとつも浮かばない紋章を、セオは初めて読んだ。
隣で、ミナが別のものを読んでいた。
「……あれ、量産よ」
声が硬かった。
「起動の型が揃いすぎてる。一点ものの細工じゃない。同じ規格で、同じ工程で作って、埋めてる。——あれを、兵の数だけ」
兄の手紙の、検閲の墨。書き売りの、大演習の小さな活字。彼女の頭の中で何かが繋がっていく音が、隣にいるだけで聞こえる気がした。
彼女の手元を見ると、いつも動いているはずの指が、膝の上で止まっていた。すごい、と怖い、の均衡が崩れる音は、まだしない。しないだけだった。
* * *
演武を終えたヴォルクは、倒れたオーウェンに手を貸して起こし、双方の礼を正確に済ませた。
それから、貴賓席へ一礼し——礼の姿勢から顔を上げた、その目が。
観覧席の中程、セオの上で止まった。
入城の日と同じ、百の顔から一つを選ぶ止まり方だった。
距離は遠い。声など届くはずもない。だが士官の唇が、確かに動いた。
(——今、俺の何を読んだ?)
背筋が、冷えた。
読まれていたのは、こちらだった。読んでいる目つきを、あの男は演武の最中に、視界の端で拾っていた。
セオは目を逸らさなかった。逸らす方が、たぶん悪手だった。ヴォルクは三拍だけセオを見て、それから何事もなく踵を返した。
鋼の背中が引き上げていく演習場に、遅れた拍手の残りが、まだぱらぱらと降っていた。




