第37話 検証
腕の火脹れが引くまで、十日かかった。
引いた翌朝、旧練兵場に木剣ではなく、ヴァンと書き板が待っていた。
「検証だ。二枚目の正体を、使える形に均す。……感覚でやった技は、感覚のままにしとくと次で死ぬ」
検証は、写本の校合に似ていた。書いて、計って、記録して、また書く。
一、同時に書けるのは二枚まで。三枚目は一画目で腕が跳ねた。
二、保持は数十秒。単写しの数分に対し、桁がひとつ落ちる。
三、魔力の減りは三倍換算。二枚で三倍。帳尻の合わない算術だが、体の帳簿がそう言っている。
四、痛みは倍ではなく二乗。保持の実測は四十秒前後——ただし三度目の計測でセオの膝が笑い始め、ヴァンがそこで打ち切った。「実測は三回まで。四回目からは検証じゃなく自傷だ」
そして——
「五、初見の紋章では組めない、です。障壁と瞬脚だから書けた。画の一本まで体に入ってる字じゃないと、二枚目の集中が保たない」
ヴァンは書き板の数字を眺め、顎の無精髭を撫でた。
「上等な欠陥だ。全部、嘘のつけない縛りでな」
「欠陥が、上等ですか」
「ああ。縛りのない切り札ってのは、いつか使い手を食う。……もうひとつ言っとくと」
書き板が、こつんとセオの胸に当てられた。
「切り札ってのは、抜く前が一番強い。二枚目の存在は、演習の生き残り連中しか知らん。次に抜く場所は、選べ」
見せ場を選べ、ということらしい。抜かずに勝てるなら、それが上策。抜くなら、抜く価値のある盤面で。切り札の運用法まで、写本屋の言葉に翻訳できる教えだった。
検証の数字を書いた板を、ヴァンは最後に濡れ布で拭き消した。
「記録は残さないんですか」
「お前の頭にあれば足りる。紙ってのはな、書いた人間より長生きして、読まれたくない奴に読まれる」
帳面を何冊も抱えた身には、耳の痛い紙論だった。それでも二重写しの数字だけは、言われたとおり頭の棚に仕舞って、紙には書かなかった。教会の目がどこまで届いているか、演習の三日間で嫌というほど数えたからだ。
* * *
工房では、新作が待っていた。
革の腕環だった。内側に細かい付与紋、表に小さな硝子の窓。ミナはそれをセオの右腕——写しを書く側の腕に、手際よく巻いた。
「計時腕環。写しの残り時間を、光で出す」
「……どうやって」
「あんたの写しは、魔力の疑似回路でしょ。回路の減衰は熱で出る。熱を拾って、光量に変換した。満タンで窓が明るい、切れかけで暗い。単純」
単純、の一言で片付く仕組みではないはずだ。演習からの十日間、注文の合間にこれを組んでいたらしい。
「あんたは自分の残り時間を、いつも肌の痛みで数えてる。谷でもそうだった。——それ、道具の仕事よ」
試しに風斬を一枚写すと、窓の奥で小さな光が満ちて、写しの細りと一緒にゆっくり暗くなっていった。残り時間が、初めて目に見える形になった。痛み以外の物差しを右腕に付けたのは、無紋と裁定された日から数えて、これが最初だった。
腕環の窓が、朝の光を受けて鈍く光った。
保持がどれだけ続くのか、数えていなかった——追走のあの瞬間の心細さを、彼女は診察もせずに言い当てて、道具で塞いできた。職人の心配は、いつも完成品の形で届く。
「代金は」
「優勝賞金の一割。前に言った」
「負けたら?」
「この腕環ごと、負けない設計にしてある」
理屈になっていない理屈が、その朝はいちばん効いた。
* * *
五の日の週課は、演習の後、初めての回だった。
書庫の個室で、アリシアは書類から顔を上げ、セオの右腕の腕環と、袖の下の包帯の名残を順に見た。
「……演習、大変だったようね」
「ええ、まあ」
「詳細は聞かないでおくわ。学院長預かりの案件だそうだから」
聞かない、と宣言してから聞かないのが、彼女の気遣いの型らしい。黙って聞かないのではなく、聞かない選択をしたと相手に見せる——王族の距離の詰め方は、どこまでも手続きでできている。手続きの形をしていても、気遣いは気遣いだった。
どこまで知っているのか、探る間もなく彼女は書類に目を戻した。それから、頁をめくる手を止めずに、聞いた。
「怪我は、右腕だけ?」
「借り物の盾に、助けられました」
頁をめくる音が、一拍だけ空いた。
「……そう」
それきりだった。障壁の張り方を教えた側と、借りた側。どちらも、それ以上は言わなかった。言わないことが、この共犯関係の礼儀として一番据わりがよかった。
帰り際、扇の先が卓を軽く叩いた。
「御前試合の組み合わせ抽選、日取りが出たわ。三日後よ」
「早いですね」
「使節が来る前に、枠組みを固めたいのでしょう。……帝国の使節団が、観覧に来るの。今年の御前試合は、内向きの祭りでは済まないわ」




