第29話 戦支度
夏の終わりに、学院は一度だけ山へ出る。
魔獣討伐演習。三人一組で古森の指定区域に三日間入り、小型魔獣の討伐数と踏査の記録で評点を競う。演習区域は結界杭で区切られ、教官が巡回に立つ。要項の説明で実技教官はこう締めくくった。
「学院で一番、死人の出ない行事だ。出さないための決まりを、全部守れば」
決まりは三つ。単独行動の禁止。夜間の移動の禁止。区域の境を越えることの禁止。評点は討伐数と踏査記録の写しで付き、記録の出来も採点に入るという。記録係の腕が評点になる行事なら、こちらには追い風だった。
教室を出るところで、レナードとすれ違った。彼の班は二番区だという。
「山では読む物が少ないぞ、十六席」
「獣の足跡も、いちおう文字のうちです」
「……君と話していると、世界中が文字に見えてくるな」
嫌そうでもなく言って、彼は自分の班へ戻っていった。
班分けは、席次を散らす方式だった。上位と中位と下位をひとりずつ。掲示された組み合わせの紙に、セオは自分の班を三度読み直した。
十六席、セオ・アトリー。
工匠科特別枠、ミナ・ハレット(工匠科は装備支援要員として各班に配される)。
そして——五十五席、ノエル・フォス。
ノエル・フォス。帳面の三頁目に、名前の載っている男だった。ダリオの取り巻きの一人。教材隠しの日に、廊下の角で見張りに立っていた側。ダリオが敗れて以来、輪が解けて、ひとりで飯を食うようになった顔。
三日間、山の中で、同じ班。
——くじといい班分けといい、この学院の偶然は、つくづく引きが強い。
五十五席、火矢の家系の三男、実技の的あては丁寧で遅い。帳面のノエルの頁には、それだけ書いてある。嫌がらせの見張り役だった三週間の記録と、輪が解けてからの静かな三月の記録が、同じ頁に並んでいる。人の帳簿というのは、めくり方でずいぶん違う本になる。
どうめくるかは、山の三日間が決めるだろう。
* * *
出発前夜の工房は、ちょっとした兵站部だった。
作業台に、三人分の装備が寸法順に並ぶ。ミナの戦支度は道具から始まって道具で終わる。
「発破筒、三本。岩でも根でも吹き飛ばすけど、投げてから三数える前に離れて。信号弾は赤が『遭遇』、青が『救援』、打ち上げは筒を必ず両手で。絶縁籠手は銀線を太くした二代目。携行食は固いのしか作らない、柔らかいのは潰れるから」
「……これ、演習だよな?」
「遠足だと思って死ぬのが一番馬鹿らしいの」
彼女の言うことは、いちいち正しい。携行食の試作を齧らされたが、頑丈さのあまり味の記憶がない。「栄養は入ってる」と彼女は言った。入ってるのが栄養だけだとは言わなかった。
正しさの横に、彼女自身の分の荷物が積んである。工匠科の支援要員は後方の野営地詰めが建前だが、ミナは「装備の不具合は現場で直す」と言って班に同行する届けを出していた。
「野営地で待つくらいなら、壊れる瞬間の傍にいる。直すのが一拍早い」
職人の理屈は、いつも命の計算と地続きだった。
戸口で、先客と行き合った。ノエルだった。
彼は自分の分の装備を受け取りに来て、セオと目が合うと、分かりやすく硬直した。
「……よろしく、頼む」
絞り出した声はそれだけで、装備を抱えて逃げるように出て行った。
ミナが工具を置いて、一言だけ聞いた。
「あの子、あんたの帳面の?」
「三頁目」
「ふうん。……ま、道具に罪はないから」
装備は等分に、手は抜かない。それが彼女の裁きだった。
* * *
出発の朝は、快晴だった。
校門前に班ごとの隊列が組まれ、荷馬車が続き、引率の教官が区域の割り当てを読み上げていく。行き先はイェルの古森。王都から北西へ半日、学院が代々使う演習地で、外周に結界杭の環が巡らせてある。
道中は、街道から山道へ、山道からけもの道へと細っていった。荷馬車を捨て、荷を背負い直し、梢の下に入ると空気が三度は下がる。都の紋章の洪水から離れて、セオの目は久しぶりに静かだった。読む物が少ない、とレナードは言ったが、なるほど山は字の少ない本だ。少ないぶん、一行の重い本でもある。
ヴァンは引率の列にいた。
いたが、担当は別区域だという。読み上げられた割り当てでは、セオたちの班は九番区。ヴァンの巡回は三番区から五番区。
森の入り口の検問で、班ごとの最終確認があった。装備、人数、区域札。列の脇では教官たちが自分の巡回図を検めている。
その中で、ヴァンが割り当ての紙を眺めているのが見えた。
眺めて、手が、一瞬止まった。
「……今年は、九番区が生徒用か」
誰に言うでもない声だった。隣の教官が「杭の更新が済んだそうですよ」と応え、ヴァンは「そうか」とだけ返した。
それきりだった。その短い会話を、セオの耳は拾ってしまい、拾った以上、帳面の隅に写してしまった。
九番区。杭の更新。
意味はまだ、どの棚にも収まらなかった。




