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紋章なしの紋章師  作者: 西棟
第一部 学院編 第1章 無紋の少年
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第14話 雷装(前)

決闘の朝、演習場の観覧席は開場の鐘より先に埋まった。


二席対百席。学院はじまって以来の縦の落差に、学年の垣根も越えて人が集まる。石段の最上段には教官の姿までちらほらとあって、その端で、ヴァンが腕を組んで壁になっていた。


観覧席の隅には、賭けの帳場まで立った。勝敗の賭けではない。「百席が何合保つか」の賭けだ。胴元の予想の中心は五合、強気の買いで十合。セオの勝ちに銭を置いた者は、聞こえてくる限りでは一人もいなかった。まっとうな相場だと思う。昨夜、自分で組んだ盤面でも、まともにやれば同じ目が出た。


白砂の中央で、ミナが籠手の締めを最終確認していく。革の張り、銀線の通り、留め具。指は速く、口は動かない。全部を終えてから、彼女は一言だけ言った。


「壊れたら、拾う」

「籠手を?」

「あんたを」


それが彼女の激励だった。受け取って、セオは白線の内へ入った。


向かいに、レナード・ギルフォードが立つ。


決闘剣を提げた立ち姿は、記録の綴りから立ち上がってきたそのままだった。無駄がなく、隙がなく、そして機嫌が良さそうにすら見えた。強い相手と正面から立ち合うことを、この男は本当に喜んでいる。


「来たな」

「果たし状を頂いたので」

「ダリオの件は、僕の監督不行き届きだ。あれの詫びは別途する。——だがこの決闘は、詫びとは関係がない」


レナードは剣を抜き、切っ先を白砂に軽く触れさせた。彼の流儀の、始まりの礼らしかった。


「君は強いのか、それとも珍しいだけなのか。学院中がそれを知りたがっている。僕が代表して、確かめる」


立会のバルロが白線の外から双方を検分し、事務の声で宣した。


「得物と紋章に制限なし。降参、戦闘不能、または判定をもって決着とする。——始め」


* * *


鐘と同時に、世界が加速した。


「雷刃よ、纏え——瞬脚よ、疾れ」


二つの起動句が、ほとんど一つの言葉として撃ち出された。剣が白い光を帯び、次の瞬間、レナードの姿が視界から消えた。


右。


読んだのではない。ヴァン仕込みの足運びが、勝手に半歩左へ体を送っていた。雷を纏った剣が、いた場所の空気を裂いて通る。遅れて、雷鳴の弟のような音が耳を打った。


二撃目は受けるしかなかった。籠手で剣の腹を殺し、銀線が痺れを外へ逃がす。それでも骨まで響いた。三撃目は転がって捨てた。制服の肩口が浅く裂け、焦げた匂いがした。


観覧席のどこかで、上級生の声が上ずって聞こえた。「二紋同時だ……あれが本物の雷装か」。本物、の一語に嘘はない。記録で読んだ十二戦ぶんの強さが、紙を破って目の前で動いている。


それでも籠手は、三度受けて三度とも仕事をした。ミナの銀線がなければ、とうに剣を取り落としている。装備も、稽古も、記録も——持ち込めるものは全部持ち込んだ。あとは、この場で読むものだけだ。


速い。速いだけではない。重い。そして正確だ。


観覧席の歓声が波になる。誰の目にも、これは狩りに見えているはずだった。


それでいい。


セオは下がりながら、目だけは一度も獲物から外さなかった。


見る。立ち位置。呼吸。


レナードの引き出しは、記録より深かった。雷刃の横薙ぎから、払った剣が返る前に瞬脚で背後を取る。急停止からのフェイント。白線際へ追い込んでから、わざと中央へ逃がして仕切り直す——追い込み漁の型まで持っている。


セオにできるのは、砂を蹴らない立ち回りで足音を消し、白線を背負わない角度を選び続けることだけだった。攻め手はゼロ。観覧席の賭けの、五合の相場はとうに超えた。超えたところで、賭けの外の勝負は始まってもいない。


雷刃の光は、纏いっぱなしではない。数合ごとに一度、瞬きほど薄れて、そこで彼は句を短く唱え直す。纏い直しだ。魔力食いの雷を、要所だけ濃くして使っている。燃費の管理まで教本どおりに上手い。


そして光の「にじみ」で、残りの濃さが読める。これは、たぶんこの会場でセオにしか読めない。写しの燃費に泣かされてきた人間の目は、他人の魔力の残高にも意地汚くできている。


その纏い直しの瞬間——脚の加速も、わずかに死んでいる。


気のせいか? まだ分からない。数が足りない。


四撃目を籠手で受け、五撃目で白線際まで押し込まれた。距離を取ろうとした足を、瞬脚の踏み込みが上回る。六撃目は避け損ねて、脇腹を平打ちが掠めた。息が詰まる。痛みは、あとで数える。


——今ので七合。纏い直しは、二度。


* * *


「どうした!」


レナードの声が、初めて熱を帯びた。


「守ってばかりか。君の紋章はどうした——なぜ写さない!」


苛立ちの質が、途中で分かった。侮っているのではない。逆だ。この男は、セオに全力を出させたがっている。出させた全力を正面から折る——そこにしか、この決闘の意味はないという顔だ。誇りの形をした苛立ちだった。


「守るだけの相手に、僕は礼を返せないぞ!」


返す礼なら、もう用意している。ただし渡すのは、書き上がってからだ。


答える息は、惜しかった。


それに、答えはまだ書き上がっていない。雷刃を写せば脚に負ける。瞬脚を写せば剣に負ける。一枚では足りない盤面は、昨夜から動いていない。動いていないなら、この被弾は全部、盤面を動かすための代金だ。


八合目。雷刃が薄れ、句が唱え直される。脚が、止まる——いや、緩む。半拍。


九合、十合。受けて、流して、また転がる。十一合目は太腿を掠め、焼けた糸の匂いが立った。籠手の銀線が焦げ始めている。肩口の傷が熱い。呼吸が浅くなる。


十二合目の纏い直し。半拍。


十四合目。半拍。


——七合ごと、じゃない。纏いの濃さで揺れる。濃く纏った直後は長く保ち、薄いときは早い。つまり、纏い直しの拍は雷刃の光の濃さが教えてくれる。


環が、閉じていない。


詰みに見えた盤面の隅で、漏れがひとつ、確かに息をしていた。


十五合目を、セオは受け切れなかった。剣ごと弾き飛ばされ、白砂に膝をつく。観覧席がどっと沸いた。決着の空気が、演習場の上に降りてくる。バルロの手が、判定に上がりかける。


その白砂の上で、セオの口が小さく動いた。


「……見えた」


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