第13話 決闘前夜
——僕の連れの無様の、後始末をする。公開の場で。
日時は追って。得物と紋章に制限なし。
二席 レナード・ギルフォード
果たし状は、一晩経っても文面が変わらなかった。当然だ。それでも寝起きに読み直したのは、行間に何か書き足されていないかを確かめる、写本屋の悪い癖だ。
敵を知るなら、まず書庫だ。
図書館の三階、決闘記録の棚。公式決闘は立会教官の下で書記が記録を残す決まりで、綴りは年ごとに製本されている。世間はこれを埃の山と呼ぶが、写本屋は宝の山と読む。
レナード・ギルフォードの名は、入学前の記録にもあった。名家の子弟が出る少年剣技会、社交界の模擬決闘。学院に入ってからの公式戦が三件。セオは全部を机に積んで、夕方から読み始めた。
数字と書記の筆から、ひとりの男が立ち上がってくる。
十二戦、十二勝。うち九件が初撃から三十合以内の決着。降参を申し出た相手への追撃、なし。負傷した相手への追い打ち、なし。格下との三件でも、手数は落ちていない——手加減をしないことが、彼の礼儀らしい。
そして全戦、雷装剣技。手の内を隠したことが一度もない。隠す必要がなかった、ということだ。
一件だけ、時間をかけて読んだ記録がある。二年前、彼がまだ入学前の身で、学院の三年生を模擬決闘で降した一戦。書記の筆は事務に徹しながら、一箇所だけ筆圧が変わっていた。
——切替、迅し。目、追イ付カズ。
記録の書き手すら、二紋の切り替えを目で追えなかった。追えないものを、どうやって破る。普通なら、そこで綴りを閉じる。
セオは閉じずに、その一行を帳面に写した。追いつけなかった、と書き残せるということは——切替は、確かに「ある」ということだ。あるものは、いつか読める。
「……強いな、普通に」
声に出た。出てから、隣の閲覧席に人がいないことを確かめた。いなくてよかった。敵を褒める声というのは、存外みっともない音がする。
帳面に、分析を書き出していく。
雷装剣技。雷刃紋と瞬脚紋、対で刻まれた家伝の二紋連携。雷刃が剣に乗り、瞬脚が足に乗る。速い雷か、雷る速さか——どちらにしても、二枚が同時に仕事をするから成立する型だ。
対して、こちらの写しは一枚きり。
雷刃だけ写しても、あの脚には捕まらない。瞬脚だけ写して逃げ回れば、手数ゼロの判定負けが落ちだ。相打ち狙いは論外——刃引きの決闘剣でも、胴の厚みと場数からして違う。二枚に一枚では、どちらの土俵でも負ける。書き出した紙の上で、詰みの形が綺麗に閉じていた。
閉館の鐘が鳴り、司書に肩を叩かれるまで、セオは綴りを離さなかった。
綺麗に閉じた詰みを見ると、写本屋の血が疑ってかかる。
——本当に閉じているのか、この環は。
どこかに、漏れがあるはずだった。
* * *
工房の戸を叩くと、ミナは待っていたという顔で振り向いた。
作業台の上に、革の籠手が一双、載っている。
「はめて」
「……これは」
「はめて」
押し付けられた籠手は、見た目より軽かった。手の甲から前腕まで革が二重で、縫い目に沿って銀の細線が編み込んである。内側には彼女の付与紋の光が、糸のように細く走っていた。
「雷除け。銀線で受けて、外へ逃がす。完全には殺せないけど、痺れて剣を落とすことはなくなる」
「これ、半月ものの仕事量じゃ」
「五日」と彼女は言った。「寝てないから」
目の下の隈が、勘定書きの代わりだった。セオは籠手を締めて、拳を握った。革が手に吸い付いて、指はちゃんと帳面がめくれるだけ動く。使い手の仕事まで知っている作りだった。
「試験する。腕、出して」
言うが早いか、ミナは自作の点火具を籠手の甲に押し当てた。バチッ、と青白い火花が爆ぜて、セオは椅子から五寸ほど飛び上がった。痺れは——籠手の外へ抜けて、指先には届いていない。
「……先に言ってもらえると」
「先に言うと構えるでしょ。実戦は構えさせてくれない」
職人の品質保証は容赦がなかった。そして正しかった。
「代金は」
「要らない。壊された分は、作って返す。……それがうちの流儀」
ミナは工具を置いて、初めてセオの目を見た。
「あんたが勝てば、あいつらの負けが増える。あたしの帳簿はそれで合う」
職人の帳簿は、貸し借りの欄が独特にできている。セオは深くは聞かず、ただ籠手の礼を拳ひとつで返した。彼女も拳を軽く合わせた。それで契約は済んだ。
帰り際、棚の缶から焼き固めの携行食が一本飛んできた。石より固く、噛むほどに蜂蜜の甘みが奥から滲む——工房の夜なべは、この甘さで保っているらしい。
* * *
夜明けの旧練兵場で、ヴァンは素振りを眺めるだけだった。
決闘の話は、学院中が知っている。この男が知らないはずはない。それでも口を開いたのは、素振りが二百を数えた頃で、中身はダメ出しだった。
「肩が字を書いてる。振る前に、次の一手が肩に出てるって意味だ。——剣は清書だけ見せろ。下書きは体の中でやれ」
言われて二百一本目を振ると、なるほど肩の力の抜き方が変わった。この男の教えは、いつも写本屋の言葉に翻訳できる形で来る。偶然ではないのだろう。
助言らしい助言は、稽古の終わり際にたった一言だった。
「連携ってのは、二枚の紋章の話じゃない。継ぎ目の話だ」
「継ぎ目……?」
「以上。散歩に行く」
本当に行ってしまった。
セオは白み始めた空の下で、木剣を杖にして考えた。継ぎ目。二枚の紋章の、あいだ。書物なら頁と頁の綴じ。写本なら行と行の呼吸。
分からないまま、帳面にその一語だけ書いた。分からない言葉は、分からないまま持っておく。図鑑の余白と同じで、埋まる日は向こうから来る。
* * *
消灯前の廊下は、灯りが半分に落ちる。
図書館から北棟へ戻る渡り廊下で、前から来る一団と行き合った。侍女がふたり、護衛の女官がひとり、そして真ん中に——星の色をした髪。
一席、アリシア・ヴェルクレア。
名簿の一番上の名前が、初めて視界の中を歩いていた。星銀の髪が廊下の灯りを拾い、菫の目は真っ直ぐ前を向いて動かない。畳んだ扇。完璧な歩幅。歩き方まで、校正の済んだ文章をしていた。
道の端に寄って、頭を下げた。衣擦れの音が近づき、すれ違う。
——その一瞬だけ、視線が動いた。
菫の目が、伏せたセオの顔を確かに一度だけ見た。値踏みでも侮蔑でもない、もっと速くて静かな何か。読む間もなく、それは通り過ぎた。
顔を上げて振り返ったときには、廊下の灯りの先に、衣擦れの音だけが残っていた。




