第12話 規定通りに
果たし状は、夜のうちに三度下書きして、四度目に清書した。
貴族の決闘の書式は図書館の作法書にあった。宛名の位置、名乗りの順、結句の定型。一字の崩れもなく、書き上がりは我ながら、店の売り物に出せる出来だった。喧嘩を売る文書を美しく書く日が来るとは、父も思っていなかっただろう。
朝の中庭の掲示板に、それを貼り出した。白い上質紙に、写本屋の楷書。
——果たし状。
三十七席ダリオ・クレメル殿。貴殿の名誉に関わる儀につき、名誉決闘を申し入れる。立会教官の選任は学院規定に従う。
百席 セオ・アトリー
人だかりは、鐘二つぶんで学年の半分に膨れた。
百席から三十七席への果たし状。しかも様式が完璧ときている。笑おうとした者も、書式の正しさに笑いどころを失った。正式の果たし状は、受けなければ受けなかったという記録が残る。貴族の子弟にとって、それは負けより高くつく。
昼前に、ダリオが取り巻きを連れて教室へ来た。
「……どういうつもりだ、白紙」
「読んで字のとおりです」
「僕が受けると思うのか? 無紋との決闘なんて、受ける価値も——」
「君たちの流儀に合わせたんです」
セオは帳面を机に置いた。一冊目。日付と人名で埋まった、この半月の記録。最後の頁には、昨夜の工房の有様が、泥の向きまで写生してある。
「受けないなら、これが教官室の机に載るだけだ。器物の損壊は、席次と関係なく処分が出るそうですね。——規定どおりに」
ダリオの目が帳面と、周りの野次馬と、セオの顔を順に往復した。教室のどこかで、囁きが走る。受けなければ、白紙から逃げたことになる。受ければ、白紙と並んだことになる。どちらも彼の値段を下げる。そういう詰みの形に、昨夜のうちに組んであった。
「……いいだろう」
吐き捨てて、ダリオは踵を返した。
立会教官の欄には、その日のうちにバルロの名が入った。規定に厳格な男が、規定どおりの決闘を裁く。皮肉のよく利いた人選は、教務の誰かの趣味らしかった。
* * *
決闘は三日後、放課後の演習場で行われた。
観覧の石段は、思ったより埋まっていた。無紋の決闘は見世物として上等らしい。ミナは最前列で、膝に工具箱を抱えていた(「壊れたら拾う係」だそうだ)。レナードの姿は、石段の一番上にあった。
得物は刃引きの決闘剣。紋章の使用は双方自由。降参か、戦闘不能か、バルロの判定で決着。
「双方、前へ」
バルロの声は審査のときと同じ、事務の温度だった。
向かい合ったダリオは、もう取り澄ましてはいなかった。袖をまくり、前腕の火矢紋を見せつける。
「後悔するなよ、白紙。僕は手加減を知らない」
「知ってます。帳面に書いてあるので」
開始の鐘が鳴った。
初手から、火矢が来た。
「火矢よ、征け!」
——同じ句で、こうも字が違うのか。
咄嗟の感想はそれだった。ロランの火矢が「束ねて絞る」一本の矢なら、ダリオのそれは束ね方の甘い、散り気味の火の礫だ。速い。数も撃てる。だが一発の芯がない。
セオは初弾を半身でかわし、二弾目を剣の腹で弾いた。弾いた衝撃が腕に残る。芯がなくても火は火だ。掠れば焼ける。
三弾、四弾。下がりながら、読む。
ダリオも、ただ撒いてはいなかった。連射で退路を狭め、壁際へ追い込んでから狙いを絞る——三十七席は、伊達ではない。五発目は読み切れず、頬の横を火の礫が掠めて、焦げた匂いが鼻をついた。
それでも、読むものは溜まっていく。
起動句の頭で、ダリオは必ず半歩右足を引く。連射の三発目のあと、息を吸う。吸うあいだ、火は来ない。
——二射の間に、一拍。呼吸の綴じ目。
五発目を潜って、セオは右の袖をまくった。
「まさか」と観覧席の誰かが言った。
まさか、はこっちの台詞だ。起動句は、あの朝一度しか聞いていない。一度きりの句を、五年物の図鑑と百枚の紙で組み直して、ようやく今日の手札にした。ぶっつけで書くには、痛みの分だけ度胸がいる。
「——剛力よ、宿れ」
焼けた針の痛み。腕を駆け上がる白い光。
ダリオの目が見開かれ、六発目の起動句が半拍遅れた。
その半拍で、決闘は終わった。
呼吸の綴じ目。引かれる右足。セオは火線の内側へ一歩で入り、剛力の乗った剣の腹を、ダリオの剣ごと胴へ運んだ。刃引きの剣が鈍い音を立て、三十七席の体が白砂の上を二回転した。
「——それまで!」
バルロの声が、静まり返った演習場に落ちた。
名誉決闘は席次を動かさない。動いたのは、目に見えない別の何かだけだ。バルロは判定の記録を書き付け、去り際にセオの前で一度だけ足を止めた。
「……規定どおりの、いい決闘だった」
それは審査の日の「規定どおりに」への、彼なりの返礼だったのかもしれない。確かめる前に、規定の人は行ってしまった。
* * *
拍手は、なかった。
代わりに流れたのは、あの朝の工房前と同じ質の沈黙だった。無紋が勝った。それ以上に——無紋が、二つ目の紋章を使った。審査の風斬りを覚えていた者ほど、顔色が白かった。
何枚持っている?
口に出さない問いが、観覧席の全部の目に書いてあった。読めてしまうから、読んだ。恐れの形をした問いは、嘲りより、いくらか居心地が悪かった。
ミナだけが、いつもの顔で歩いてきて、セオの剣を点検した。
「刃引きでも刃は刃。……うん、無事」
「俺の体は?」
「知らない。医務室に聞いて」
それで釣り合いが取れるのが、ありがたかった。
ダリオは取り巻きに助け起こされ、審判席のバルロに一礼して去った。去り際、一度だけ振り返った目には、憎しみより先に、計算の狂った人間の混乱があった。あれはもう、仕掛けてこない。仕掛ける理屈が、彼の中で崩れたからだ。
観覧席の一番上で、レナードが立ち上がるのが見えた。
表情は、遠くて読めなかった。
* * *
翌朝、教室の机に、それは置かれていた。
白紙の教科書ではない。上質の封筒に、蝋の封。開くと、簡潔な文面が一枚きり。
——僕の連れの無様の、後始末をする。公開の場で。
日時は追って。得物と紋章に制限なし。
二席 レナード・ギルフォード
顔を上げると、教室の入り口にレナードが立っていた。
教室中の呼吸が、一斉に浅くなる。二席から百席への果たし状。ダリオ戦を見た者ほど、この意味を正しく測っている。あれは連れの尻拭いなどではない。学院の秩序が、本物の代表を寄越したのだ。
彼はセオの目を見て、頷きもせず、挑発もせず、ただ返事を待つ顔だった。教本のとおりの、完璧な作法だ。
セオは封筒を机に置き、同じ作法で頷き返した。




