77.ノクティス公爵
「ご挨拶をよろしいでしょうか。」
聞こえた声に思わず肩がビクッと震える。
この声をステラは知っていた。
「久しいな。ノクティス公爵。」
「お久しゅうございます、第二王子殿下。この度はご婚約誠におめでとう存じます。
ご婚約者様、初めてお目にかかります。」
「お初にお目にかかります、ノクティス公爵様。ステラ・アルカニスと申します。」
ステラにも声をかけられて内心飛び上がるが、落ち着いて挨拶を返し、足を引いて一礼する。
ノクティス公爵の薄い水色の瞳がステラをじっと見据えた。
ノクティス公爵がステラのことをどの程度知っているのかはわからない。
ステラは母譲りの瞳が目に映らないように顔を伏せた。
「ヴァレン、ステラ、久しいな。」
「お久しゅうございます、兄上。」
第一王子殿下の麗しいお声がして頭を下げる。
《敵》である第一王子殿下には気付いていたが、まさかノクティス公爵と一緒に来るとは思わなかったので驚いたのだ。
「第二王子殿下、ご相談したいことがございます。少しお時間をよろしいですか。」
「ここでは話せないのか。」
「恐れながら、少々立て込む話でございます。」
ノクティス公爵の言葉にヴァレン様がステラの方を心配そうに見るので、ステラはリュクス公爵のところに行こうと思って頭を下げる。
「ヴァレン殿下、私もご挨拶して参りますわ。
ノクティス公爵様、私はこれにて失礼いたします。」
「では私と話そう、ステラ。」
一礼して後ろを振り向こうとしたら手を取られて、驚いて固まってしまう。
「兄上、私の物です。」
「ああ、これは失礼。
ヴァレン、妹は私に任せてノクティス公爵と話してくるがよい。」
ヴァレン様が睨み付けたので第一王子殿下は手を離してくれたが、ステラの後ろに立って退路を塞がれる。
心配そうなヴァレン様に大丈夫だと言う意味を込めて一礼すると、渋々頷いて、ノクティス公爵と一緒にその場を離れた。
「ヴァレンが囲い込むから中々君と話せなくて困っていたんだ。」
「勿体無きお言葉にございます、第一王子殿下。」
目を合わせてはいけない、とステラは頭を下げたまま応じる。
「顔を上げて。楽にして。」
「恐れ入ります。」
優しい声に顔を上げるが、瞳は見ないようにする。
「そんなに警戒しなくても、弟の婚約者に手出しはしないよ。」
第一王子殿下の整った口元はずっと微笑みを浮かべている。
きっとその麗しい微笑みで社交界を魅了してきたのだろう。
麗しさに気を取られて、瞳の奥の紅い光には気付かないはずだ。
「第一王子殿下の貴重なお時間を私が奪ってしまっては申し訳が立ちません。」
ステラはまた頭を下げる。
「君はヴァレンの前だと可愛らしいのに、私には心を開いてくれないね。」
「滅相もございません、第一王子殿下。」
「…ヴァレンは君に相当執着しているようだ。背中、うまく隠したね。」
耳元で囁かれたその言葉に思わずビクッとして顔を上げてしまう。
ステラを見つめていた薄い金色の瞳と目が合った。
「やっとこちらを見てくれた。」
今日は紅い光はないけれど、ステラはなんだかぞわぞわした。
また慌てて目を伏せる。
「尊きお目を汚してしまい申し訳…」
「謝らないで。君は美しいよ、ステラ。」
本当に人の扱いに長けている。
もし今「王家の魔法」が使われていたら、知らぬ間に虜になっていてもおかしくない。
「勿体無きお言葉にございます、第一王子殿下。
恐れながら、殿下の貴重なお時間をこれ以上奪うわけにはいきません。私はこれにて…」
「私から逃げないで。
またダンスの相手を頼めるかな。」
去ろうとするステラの手をまた強く掴まれる。
口調は優しいが、ステラからすれば脅迫だ。
「第一王子殿下、恐れながら私はヴァレン殿下の近衛魔術師です。お側を離れるご許可をいただいておりません。」
「ではヴァレンに頼まないとね。ちょうど戻ってきた。」
振り返ると、ヴァレン殿下が怒りを滲ませながらこちらに戻ってくるところだった。
第一王子殿下の手から奪うようにステラを抱きすくめる。
「兄上、この者に触れないでいただきたい。」
「私の妹でもあるんだよ。
そうだ、ステラが私とのダンスを承諾してくれた。今度また一曲貸してくれ。」
「だ、第一王子殿下…っ」
そんなこと一言も言っていないけど、第一王子殿下の発言を否定する権利などステラにはない。
「…一曲だけです。以降はお手を触れられませぬよう。」
「ヴァレンは厳しいな。では、また。」
「はい、またお会いしましょう。兄上。」
ステラは身動きが取れないので、頭だけ下げてそのままホールを退出する第一王子殿下を見送る。
姿が見えなくなってからヴァレン殿下に慌てて話しかける。
「ヴァレン殿下、私は一言も…」
「わかっている。でもステラにも私にも兄上の誘いを断る権利はない。」
「ヴァレン殿下…。」
同じ王族とはいえ、ヴァレン殿下は第二王子だから第一王子殿下には逆らえない。
ステラは改めて生まれた順番の絶対的な力を実感した。
第一王子殿下が去って《敵》は近くにいないはずなのに、なぜかステラの魔術は微弱に反応し続けている。
入学式のときのように微かな反応なので敵の位置はわからないだろう。
「ヴァレン殿下、まだ魔術が微かに反応しています。」
「…そうか。今は気にしなくても大丈夫だよ。」
ヴァレン殿下は一瞬考えるような表情をしたが、すぐに微笑んでステラの頭を優しく撫でた。
先程第一王子殿下の目を見たときの体がぞわぞわする感覚ともやもやと反応する魔術が関係ある気がしてしまって、ステラは安心できなかったが、その後も次から次へと貴族が挨拶に来るので一旦考えるのはやめることにした。
宴も終盤に差し掛かり、ステラはアリスを探していた。
最近学院に行けていないので、顔を見たかったのだ。
「ヴィルゴー嬢なら奥にいるよ。話したい?」
「あ、ありがとうございます、ヴァレン様。お話しできたら嬉しいです。」
「では、行こうか。」
背の高いヴァレン様がステラの意を汲んですぐに見つけてくれた。
お言葉に甘えさせていただき、ヴァレン様の手を取ってヴィルゴー伯爵とアリスの元へ向かう。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。お久しゅうございます、第二王子殿下。」
ヴァレン様の視線に気付いたヴィルゴー伯爵が慌てて駆け寄ってくる。
「ヴィルゴー伯爵、この者が伯爵のご令嬢に挨拶したいと申している。お時間をいただいてもいいだろうか。」
「勿論でございます、ヴァレン殿下。」
「ありがとうございます、ヴィルゴー伯爵。」
アリスもステラに微笑んだのでステラはヴィルゴー伯爵に頭を下げた後、アリスの手を取って少し離れる。
「ステラ、久しぶりね!心配していたのよ。」
「アリス、会えてよかったわ。ヴァレン殿下がお忙しいの。私は大丈夫よ。」
「それならよかった。」
「試験が心配だわ。」
「きっとステラなら授業を受けなくても楽勝だってクリスが言っていたわ。」
「ふふ、そんなことないけど、皆にも会いたいわ。」
久しぶりのアリスになんだかほっとして肩の力が抜けてしまう。
ちらっとヴァレン様を確認するとまだヴィルゴー伯爵と話していたので大丈夫そうだ。
「アリス、あのね…」
「殿下のお誕生日のことでしょ?」
「な、なんでわかったの…。」
「顔に書いてあったわ。」
そう言ってアリスが屈託なく笑う。
「私、自由に動けないから、あなたに代わりにお願いしたくて…。」
「勿論いいわよ。何を用意すればいいかしら。」
「あのね、…」
ステラはアリスの耳元でこそっと囁く。
「それは素敵だわ。」
「選んでもらう手間をかけて申し訳ないんだけど…」
「むしろ光栄よ。任せて。学院で渡せばいいかしら。」
「ええ、少なくとも期末試験は行くから。本当にありがとう、アリス。」
アリスに抱きつくとアリスは抱き返してくれたが、何かに気付いたようにふふっと笑った。
「『氷の殿下』は夜は熱くていらっしゃるのね。」
「え?!あっ…!!」
ステラは一瞬で意味を理解して茹で蛸になった。
「これ以上言ったら不敬で斬られそうだわ。じゃあまたね、ステラ。」
「ま、またね、アリス。」
見るとちょうどヴィルゴー伯爵と話し終わったヴァレン殿下がこちらを振り返っていた。
「お時間をいただきありがとうございました、ヴィルゴー伯爵。」
「とんでもございません。では、これにて失礼いたします。」
ステラが一礼すると、ヴィルゴー伯爵とアリスも優雅に一礼して去る。
「話はできた?」
「はい、ヴァレン様。お気遣いいただきありがとうございました。」
ヴァレン様がステラを優しく抱き寄せて頭を撫でてくれる。
「ステラ、顔が赤いけどどうしたの?」
「え?!い、いえ、アリスと、ヴィルゴー嬢と話せて嬉しくて…。」
「そう。」
クスクス笑うヴァレン様にはなんだか見破られていそうな気がするけど、麗しい軍服姿のヴァレン様に文句を言う資格も勇気もステラにはないので黙っておいた。




