296.二人の時間
王族用の馬車寄せに止まっていたのは何も書かれていない真っ黒な馬車だった。
普通の馬車もあるならステラの通学にもこれを使わせてほしかった、と不満を込めてヴァレン様を見ると、ステラの心を見透かしたかのようにクスクスと笑われた。
「ステラが私の物だと皆に知らせないといけなかったからね。」
「なっ…」
そんな理由で三年間あの王家の馬車に乗せられていたのだと知って言葉を失ったが、今さら責めてもどうしようもない。
文句を言うのはやめて、今日のことを考えることにした。
「ヴァレン様、今日はどちらに向かわれるのですか?」
「お酒が飲めるところだから安心して。」
「…私は酒飲みではありません。」
「酔ったステラを見られるのが楽しみだな。」
「っ、酔いません!」
前回ヴァレン様の前でお酒を飲んだのは一年生のときだ。
あのときは近衛の役割を果たすどころか馬車で眠ってしまったので、同じ轍は踏むまいと心に誓った。
馬車が止まったのは王都の高級繁華街だった。
ステラは馬車で通りかかったことがあるだけで歩いたことはなかったので、ヴァレン様に手を取られて恐る恐る街に降り立った。
二人ともローブを着ているので王立魔法学院の先輩後輩のように見えているのだろう。
貴族で溢れているこの街では特に人目を惹くことはなく、ヴァレン様はそれをわかっていたように慣れた様子で歩き出した。
もしかしたらステラと出会う前はこうしてお忍びで外に出られていたのかもしれないと勝手に想像した。
「ヴァレン様は慣れておられるんですね。」
「昔に…来たことがあるんだ。」
ヴァレン様はなぜか目を逸らした。
何かステラにやましいことがある時の癖だ。
来たことがあるどころか、もしかしたらここで女性に慣れることになったのかもしれない、と気付いた。
「女性といらっしゃったんですか?」
「嫉妬してくれているの?」
「そ、そういうわけじゃ…っん…ヴァレン様…!」
気を抜いていたら唇を奪われて、街中だと慌てふためいた。
もしかしたら唇で誤魔化されたのかもしれないが、尊い交友関係にそれ以上口を出すのも不敬なのでステラは顔を赤くしながら押し黙った。
ヴァレン様に手を引かれて入店したのは、薄暗くて洒落ていてなんだか大人な雰囲気の漂う店だった。
制服姿の自分がなんだか不相応な気がしてもじもじしていると、あっという間にヴァレン様が注文を済ませてくれた。
「ステラ、卒業おめでとう。乾杯。」
「ありがとうございます。か、乾杯…。」
ヴァレン様と乾杯するなんて光栄すぎて手が震えてしまって笑われた。
「どうして震えているの?」
「お、恐れ多くて…。」
「っ、ステラは変わらないね。そうだ、敬語はやめてね。酒を飲むときは無礼講なんでしょう?」
「それは仲間内の話です。」
「私は仲間に入れてくれないんだ。」
「な、仲間です!無礼講でいかせていただきます!」
ヴァレン様が眉を下げて悲しそうな顔をしたのでステラは大慌てで否定した。
仲間というより主君なのだが、そんなに悲しそうな顔をされては仲間といわざるを得ない。
ヴァレン様は慌てるステラを見てまたクスクスと笑った。
「じゃあ敬語はやめてね。名前も呼び捨てでいいよ。」
「っ、それは…」
「ね、ステラ。」
「はい……ヴァ、ヴァレン……っ」
「可愛い。そうしていて。」
ヴァレン様のことを呼び捨てにするなんて素面では出来そうもない。
ステラがぐびぐびとグラスを飲み干すとヴァレン様は楽しそうに目を細めて、また新しいお酒を頼んでくれた。
ヴァレン様に勧められるがままにお酒を飲んでいたら。ステラはあっという間に出来上がった。
「ヴァレン…は、こういうところに慣れているのね。」
「若い頃に、一通りね。」
「ずるい。私は来たことがないのに、他の人と…」
「やっぱり嫉妬してくれてるんだ。可愛い。」
「嫉妬もするわよ。だってヴァレン…は、いつだって優しくて、かっこよくて…っ」
言いながらヴァレン様の顔を見たら青い瞳と目が合ってしまって、その麗しさに目がやられて瞬時に沸騰した。
「……目の毒よ。」
「その目の毒っていうの面白いな。目の保養と言われたことはあるけど。」
「保養にならないわ。かっこよすぎるもの。」
真っ赤になるステラと違って優雅に微笑むヴァレン様がなんだか大人に見えて、ステラは耳まで赤くなった。
そして、こんなに麗しいヴァレン様と一緒にお酒を飲むなんて四年前は考えられなかったので、こうして過ごせることが嬉しくて感極まった。
「ヴァレン、今日はありがとう。私、あなたとお酒が飲めて…っ、嬉しい。」
「ステラは泣き上戸だったんだね。」
飲みながら号泣するステラを、ヴァレン様はお酒なんて入っていないかのように普段通りの調子でクスクスと笑った。
「あなたも飲んだ方がいいわ。」
「っ、ありがとう。やっぱりステラは面白いよ。」
ステラが手元にあったグラスを押し付けると、ヴァレン様は優雅に飲み干した。
「それじゃあ、行こうか。」
「は、はい。」
さっと立ち上がったヴァレン様を見てステラも涙を拭って慌てて立ち上がった。
お会計はいいのだろうか、とローブのポケットから巾着を取り出したら手で制された。
ヴァレン様の視線の先を見ると私服姿のメーデンとアーノルドが店主にお金を渡していたので、号泣した姿やヴァレン様を呼び捨てにしているところを二人に見られていたことに気付いてぼぼっと赤面した。
店を出ると、迎えに来ていた馬車に乗せられた。
今度はどこに行くのだろう…と思いながらも、馬車の揺れが心地よくて必死に眠気と戦っていた。
変装しているとはいえ、ヴァレン様が宮殿の外に出ているのだ。
メーデンとアーノルドはいるけど他の護衛は見当たらない。
ステラはヴァレン様の近衛魔術師としてなんとしても起きていないといけない、と閉じそうな瞼を無理矢理こじ開けていた。
「無理しないで。大丈夫だから、おいで。」
「な、なりません……っん……ふぁ……」
隣に座っていたヴァレン様がステラを引き寄せたかと思うと、蕩けそうに甘い口付けを落としてくれた。
そのまま優しくヴァレン様の膝に倒されて、とんとんとリズムよく背中を撫でられた。
ヴァレン様のお膝をお借りするなんてとんだ不敬だとわかっているのに、横になってしまったら眠気に抗うことはできなかった。
「すぐ着くから、少しだけ寝ていて。」
「…おやすみなさい………」
「おやすみ、ステラ。本当に可愛い。」
◇◇◇
「ステラ、着いたよ。」
「んぅ……もうちょっと……」
「可愛いけど起きて。ベッドで寝よう。」
重い瞼をどうにか開くと、真っ黒のローブが視界を埋め尽くした。
誰のローブだろう…と見上げると、金髪碧眼の麗しすぎる見知らぬ青年がステラに微笑みかけていてぎょっとして飛び起きた。
「起きてくれてよかった。運んでもよかったんだけど、せっかくだから一緒に歩きたいんだ。」
「…っ、ヴァレン様。」
クスクスと笑う姿を見て記憶が急激に戻ってきた。
「も、申し訳ございませんでした…。」
ステラはヴァレン様にタメ口を利いて呼び捨てにした上に号泣して、恐れ多くも膝の上で眠ってしまったのだ。
「可愛いからいいよ。気にしないで。じゃあ降りようか。」
「は、はい…。」
土下座したい勢いだったが、ヴァレン様は気にしていなそうだったのでやめておいた。
馬車には魔法で明かりがついているから車窓からは外がよく見えないけど、真っ暗だから夜も更けているのだろう。
どこに着いたのだろうと思いながらヴァレン様の手を取って外に降り立とうとして、ステラは驚きすぎて馬車に頭をぶつけた。
「いっっ……ど、どうして……」
「っ、大丈夫?」
馬車が止まっていたのは、よく見慣れた王立魔法学院の正門の前だった。
校舎はすっかり明かりが落とされて真っ暗だったけど、小さな明かりの灯された門の守衛所の前で門番の兵が敬礼していた。
ヴァレン様を見上げると、頭を押さえるステラを見て笑いを耐えきれないようで片手で口を覆っていた。
「ステラが来たいと言っていたでしょう。寮に帰ろう。」
「っ、ヴァレン様……!」
予想もしていなかった展開に驚いたけど、どこまでもステラのことを考えて下さるヴァレン様が尊くて、そしてヴァレン様とまたあの寮に帰れるのが嬉しくて止まっていた涙がまた溢れ出た。
「喜んでくれてよかった。行こうか。」
「はいっ!」
ヴァレン様の手を取って、寮へ続く懐かしい道を二人で歩いた。
見上げたヴァレン様はローブを着ているけど金髪碧眼だったので、ステラは一つ我が儘を言いたくなった。
「ヴァレン様、あの、指輪を外していただけませんか…?」
ヴァレン様は一瞬目を丸くしたけど、すぐににこっと微笑んで《髪と瞳の色を変える》指輪を外してくれた。
「…これでいい?」
「っ、はい。嬉しいです……っ!」
輝く白銀の髪を耳にかけた、濃い金色の瞳のヴァレン様がローブを着てステラに微笑んでくれている。
二度と見ることはないと思っていたヴァレン様の姿を見て、嬉しすぎてまた涙が止まらなくなった。
制服ではないけど黒いローブ姿のヴァレン様はあの頃より少し大人びて、より麗しく輝いているけど、間違いなくこの御方とここで同じ時を過ごしたのだと実感できた。
「ここで泣くステラが懐かしいな。でも、大人になったね。元々可愛いけど、綺麗になったな。」
ステラはいつかのあの日と同じように栗色の髪で制服の黒いローブを着ているけど、侍女のおかげであの頃より輝いているし、あちこちにヴァレン様からいただいた宝石が煌めいている。
「ヴァレン様のおかげです。……ん……ぅ……っ……」
ヴァレン様の濃い金色の瞳を見つめたらそのまま抱き寄せられて唇を奪われた。
あの日よりも熱い大人な口付けを、ステラは喜んで受け入れた。
立ち止まったまま唇を求め合っていたけど、視界の端に学院の校舎が見えて、背徳感にドキドキしながら体を離してそっと目を上げた。
鐘楼棟の影から顔を出した月明かりにヴァレン様の白銀の髪が照らされていて、その美しい光景にはっと息を飲んだ。
白銀の月光を浴びた麗しい主君が、自分を見て濃い金色の瞳を潤ませている。
あまりに尊すぎて跪きたくなったけど、その代わりにステラから主君に口付けを送った。
「ステラ…。」
少し掠れた声が胸に響いた、と思ったら強く腕を引かれて、奥に見えるヴァレン様の特別寮へと導かれた。




