288.取り戻した平和
「ステラ!」
愛しい主君が悲痛な声で自分の名前を呼んでいる。
重い目をどうにかこじ開けたいけど、瞼が張り付いたように目が開かない。
「ステラ、目を覚まして。」
ぽたっと頬に温かいものが伝って、主君が泣いているのだとわかった。
「ヴァレン…さま…」
「ステラ…っ!」
なぜ泣いているのか聞きたいけど、喉が痛くて声がうまく出せない。
ステラは尊い主君を泣かせるようなことをしてしまったのか。
あの時以来の涙だ…と思ってジャテーンの真っ黒な瞳を思い出したら、急激に意識が覚醒した。
どうにか瞼を開いたけど、眩しい日の光が眩しく降り注いでまた目を閉じた。
「ステラ、わかる?」
「はい…。」
やっぱり声がカスカスだが、意識は完全に取り戻した。
ジャテーンとの戦いを終えたときにはまだ夕方だったから、自分はどれだけの間眠っていたのだろう。
眩しさに耐えながら再び目を開けると、濃い金色の瞳がステラを見て美しい涙を湛えていた。
「生きてくれてありがとう。」
啜り泣く声が聞こえて辺りを見回すとステラの私室には侍女も集まっていて、なぜか皆が涙を流していた。
「どう、して……私……」
「あれから二日間目を覚まさなかったんだ。このまま目を覚まさなかったら…君を失ったらどうしようかと思った。本当によかった。」
ヴァレン様はそう言って、再び大粒の涙を流した。
自分なんかのために涙を流して下さるのが尊くて、ステラは怪我をしていない左手でヴァレン様の頬に手を当てた。
薬指の赤い宝石に尊い涙が伝って日の光に煌めくと、この御方と結ばれた幸せを改めて感じて微笑んだ。
「大丈夫、です…。喉が、痛くて…」
「火傷を負っているから無理に喋らないで。
医官を呼べ。魔法伯にも声をかけてくれ。」
「承知しました、王太子殿下。」
バタバタと侍女が退出していくのを見届けて、ステラはふと思い出した。
「皆は、無事ですか…?学院は…?」
ステラが隕石を落としてしまったし、林は大火事だった。
部隊長とカールと近衛の二人がその後どうなったのか心配だった。
「怪我をしてはいるけど無事だよ。ステラが一番酷かった。剣に毒が塗られていたようで、酷い熱だったんだ。
学院の校舎には被害が出たけど生徒は全員無傷だ。」
「そう、だったんですか…。」
火傷はどうしようもないけど、毒に対する防御は常にしているから死なずに済んだのだろう。
皆無事でよかった、とほっと息をついたら再び思い出した。
「ヴァレン、様…私、試験に…」
「こんなときに試験の心配?」
もうすぐ試験期間だ。二日も眠っていたのならあと一週間を切っているだろう。
自分は果たして試験に行けるのだろうかと急に不安になってきた。
「試験を、受けたいんです。」
あと二回首席を守りきれば父と同じ、「賢者の証」の勲章が貰えるらしい。
「英雄の証」と「勇者の証」と合わせて三つ揃えば師団長になれる資格を持つという勲章を、ステラは何としても取りに行きたかった。
「医官に聞いてみよう。でもまずは治すことだけ考えて。間に合わなくても私がどうにかするから。」
「…はい。ヴァレン様。」
ヴァレン様にどうにかしてもらうのはどう考えても権力の濫用なので避けたかったが、ようやく止まった涙をまた流させるようなことはしたくなくてステラは頷いた。
そのとき、部屋にノックの音が響いた。
「アルカニス魔法伯がお見えです。」
「通せ。」
父が、師団長が私室に来るなんて何かあったのだろうか。
ステラが慌てて身を起こそうと腹筋に力を入れていると、父の声が聞こえてきた。
「ステラっ!起きなくていい。寝ていろ。」
いつになく慌てている父を見て驚いたけど、寝ていろと言われたので素直に横になった。
「おと、師団長…。申し訳、ございません…。」
最後の記憶が正しければ戦いが終わってすぐ、戦場で眠ってしまった。
それにジャテーンの剣で斬られてしまったから、ステラの真っ白のローブは血に染まっていたことだろう。
王国魔術師としてあるまじき失態を犯したことを恥じて、ステラは動かない首をどうにか動かして頭を下げた。
だが父は何も言わずに、ヴァレン様がいるのとは反対側からステラをひしと抱き締めた。
「…お父様?」
「ステラ。お前はよく頑張った。父様は立派な娘を持って誇らしいよ。」
「あり、がとう、ございます…。」
鼻声の父に驚いて見上げると、父は目に涙を湛えていた。
「お父様…。ご心配を、おかけしました…。」
「お前が生きていてくれてよかった。」
皆にどれだけ心配をかけたのだろうと思うと急に申し訳なくなってきた。
「魔法伯、私のステラだ。返してくれ。」
「元々は私の娘です。」
「今は私の物だ。」
と思っていたら、ステラにとって大切な二人がベッドを挟んで言い争いを始めたので笑ってしまった。
「「ステラ…!」」
父とヴァレン様の声が見事に被って、ステラは驚いて二人を交互に見た。
父とヴァレン様も目を丸くして顔を見合わせていて、それが面白くて声は出ないけど再び笑った。
「ステラ、無理はするな。たくさん寝るんだ。」
「は、はい、お父様。」
父はなぜか悔しそうにヴァレン様を睨み付けると、珍しい命令をステラに言い付けてあっという間に退出していった。
その手に特大のハンカチが握られているのを見つけてしまって、ステラはカスカスの声で吹き出した。
「…ステラが笑ってくれて本当によかった。」
「本当に、大丈夫です。ありがとう、ございます。ヴァレン様。」
相変わらず声は出ないし体のあちこちが痛むけど、気持ちだけはすっかり元気になった。
医官に診てもらった結果、動ければ学院にも通って良いという許可をもらってステラはようやくほっとした。
◇◇◇
五日後、期末試験の日を迎えた。
ステラはどうにか歩けるようになったが、気管の火傷が治っていなくて動くと咳が止まらなくなるし、剣で斬られた傷もあちこちの火傷もまだじくじく痛んで、とても元気とは言えない状態だった。
侍女にほとんど世話をしてもらいながら学院の制服のローブを纏うステラを見て、ヴァレン様が顔を歪めて言った。
「ステラ、そんな状態で行かせるわけにはいかない。」
「いえ、大丈夫です。今学期は魔法剣術はありませんし、ほとんど動かないのでご心配には及びません。」
ステラは這ってでも行くつもりだったのできっぱりと言い切った。
ジャテーンとの戦いで使ったステラの魔法で校舎が被害を受けたらしく、筆記試験は隣の王立学園で行われることになっている。
各学年の空き教室を借りて試験が行われるから、四年生のステラはいつかヴァレン様も使われた四階の教室まで行かなくてはならない。
でも学院でも教室は四階だし、学院で試験を受けるよりはあちこち教室を移動しなくて済むので、一度辿り着ければあとは座っているだけだ。
「では私も行くよ。四階まで歩けないだろう?」
ヴァレン様が言っていることが受け止められなくて一瞬思考が停止したが、すぐに自分を取り戻した。
心配してくれているのだろうが、ヴァレン様が、尊い王太子殿下がステラの試験に付き添うなどあってはならない。
「な、なりません!カー…ク、クリンプトン先生がいますし、クラスメイトにも手伝ってもらえば大丈夫です。」
「ステラが他の男に触れるということか?」
「ご不快でしたら近衛に頼みます。」
「…他の男に頼るなと言っただろう。」
「ですが……ひゃっ!ヴァレン様!ご公務は…」
ヴァレン様が急にステラを横抱きにしたので首にしがみついた。
逃げるために暴れたり落ちたりしたら全身に激痛が走ること間違いないからだ。
「ステラの試験の方が大事だ。行くよ。」
「ヴァレン様、なりません。下ろして…」
「文句を言うなら口を動かなくするよ。」
「…っ……」
ただでさえ体が動かないのに口まで動かないのは困る。
ステラが黙り込むとヴァレン様は気遣わしそうにステラの顔を見て、ステラを抱えたまま王城の廊下を歩き出した。




