276.いつか、平和な世界で
翌朝、ステラは窓から差し込む朝の光で目を覚ました。
一人のベッドが久しぶりで寂しく思いながらも、誰の目もないからここぞとばかりにゴロゴロと転がった。
ここにヴァレン様がいてくれたら、ふと思いついてベッドに魔力を思いっきり込めた。
(もしかしたらこれでヴァレン様と一緒に《転移》できるかもしれないわ。)
ヴァレン様の一般の魔法を使うための魔力は王国魔術師に引けを取らない。
むしろ学院では首席だったのだから、王族でなければ王国魔術師となって活躍されていただろう。
警備の問題はあるが、ヴァレン様の魔力を借りればここまで一緒に来ることが出来るかもしれないと思うとステラは胸が高鳴った。
全てが片付いた平和な世界で、いつか二人でここに来られることを祈って久しぶりの自室を出た。
屋敷の朝は王城と違って静かで、使用人も限られているからのんびりとしている。
どこかから響いてくる騎士達の剣がぶつかる音を聞きながら、ステラは父の書斎に向かった。
「お父様、いらっしゃいますか?」
「ああ、入っていいよ。」
師団長ではない父の声が聞こえて思わず笑みが漏れた。
部屋に入るとローブも片眼鏡も身に纏っていない普段着の父が書類の整理をしていた。
ステラも昔着ていた部屋着のドレスのまま来たから、気の抜けた格好で会うのが久しぶりでなんだか変な感じがする。
「おはようございます、お父様。」
「おはよう、ステラ。一人で起きられるようになったんだな。起こしに行こうかと思っていたところだよ。」
「もう子供じゃありません。」
父はステラのことを何歳だと思っているのだろうか。
少しむくれて言うと、父はいつも通り鷹揚に笑った。
「朝食を食べたら昨日のことを話そうか。王城に帰ったら慌ただしくなるから。」
「はい、おと、師団長。」
「上司の前でその格好か。」
「も、申し訳ございません、師団長。すぐに着替えて…」
「冗談だ。ここでは立場は忘れろ。家だからな。」
「…はい、お父様。」
からかわれたのだとわかってまたむくれると、父は今度は豪快に笑った。
部屋着のまま父と一緒に朝食を食べた後、侍女に簡単に身支度を整えてもらってから王国魔術師のローブを纏って杖と剣を提げて再び父の書斎へと向かった。
「…ステラが、参りました。」
「入っていいよ。」
なんと声をかけようか迷ったが、ローブ姿ではこちらの方が落ち着く。
父の声がして中に入ると、父もいつもの白いローブに片眼鏡姿に戻っていた。
「気にするなと言っても気にするんだな。そこにかけろ。」
「はい、しだ、お父様。」
「楽な方でいい。」
父が笑いながら机を指したので、いつも使っていた席に座った。
ここに座ると孤独に魔法の勉強をしていた四年前を思い出して懐かしくなる。
この四年間でステラの人生は一変して、思いもよらないことが次々と起こるようになったのだ。
「ジャテーンの話をしよう。」
「はい、師団長。」
ステラは気を引き締めて姿勢を正した。
「昨日の語り部の話でわかったことがある。ジャテーンには『巫女の魔法』が通じないこと、一般の魔法は通じること、魔法では死なないことだ。他に何かあるか?」
「師団長、王妃陛下と師団長を守った不思議な魔法というのは…」
「お前に教えた結界のことだろうな。あれを考えた師団長は前の王家の巫女様の時代の方だから。」
「そうなんですか…。」
《魔術を無効にする》魔術を考えた偉大な師団長が戦っても取り逃がすような相手だ。
油断をしたら命はないだろう。
「今回もジャテーンと戦うときは私とお前だけで行った方がいいだろうな。
近衛が壊滅したということは、近衛の剣では奴の魔法は防げないのだろう。」
「…はい。」
ステラは近衛を連れていかないことには賛成だが、過保護な主君が許してくれるだろうかと思って遠い目をした。
父もそれに気づいて苦笑いをしながら続けた。
「相手は王族だが国の意向で動いているわけではないから、宣戦布告はないだろう。もし私のいないときに襲撃されることがあれば、その指輪に強く魔力を込めてくれ。
お前がどこにいてもすぐに駆けつけるから。」
「…お父様、ありがとうございます。」
父の言葉はステラの心の支えになった。
前の王家の巫女様の実力はわからないけど、偉大な師団長が取り逃がした敵相手に一人で戦うなどとても無理だろうと思ったからだ。
「王城に帰ったらそのまま幹部会議を召集して、王室会議を開いてもらおう。
それから、私とお前で訓練をした方がいいな。指輪で呼ぶから行けるときは返事をくれ。」
「承知しました、師団長。」
「じゃあ帰るか。焼き菓子を忘れるなよ。」
「は、はい。お父様。」
急に父に戻ってどぎまぎしたステラをまた笑われて、父と一緒にホールに降りた。
「お嬢様、いつでもお帰りをお待ちしております。どうかご無事で。」
「ありがとう、じいや。じいやも皆も元気でね。」
ステラはじいやから昨日買った焼き菓子とたくさんのお土産を渡されて両手いっぱいに物を抱えながら言った。
「トムス、頼んだよ。」
「承知しました、旦那様。いってらっしゃいませ。」
じいやが父に恭しく頭を下げると、送りに来てくれた侍女や騎士達も続いた。
ステラはあっと思い出して、耳の魔道具に声をかけた。
「王太子殿下、聞こえますか。」
『ステラ、おはよう。』
「おはようございます。今から王城に帰ります。殿下の元に《転移》してもよろしいでしょうか。」
『ああ。気を付けてね。』
「恐れ入ります。一旦失礼します。」
一日ぶりのヴァレン様との会話を終えると父が苦笑いを浮かべた。
「相変わらずだな。すぐに幹部会議を召集するけど大丈夫か?」
「殿下の元に帰る約束だったので、《転移》さえすれば大丈夫だと思います…多分。」
「一時間後に本部に来てくれ。遅れるなよ。」
「しょ、承知しました、師団長。」
ステラを睨み付ける視線からは帰った後どうなるのか察されている気がするが、一時間後に予定があればヴァレン様も変なことはしないだろう。
またどぎまぎしながらも頷くと、父が姿を消した。
「…王太子妃殿下。どうかお気をつけて。またお会いできる日を楽しみにしております。」
「じいや…。ありがとう。また必ず帰るわ。」
ステラは心配そうなじいやを安心させたくて微笑んだ。
全てが終われば、平和な世界を迎えればきっといつでも戻ってこられる。そう思えば寂しくはなかった。
そして、遠くに感じる愛しい人の魔力にくっついている自分の魔力を見つけて詠唱した。
「《印せし場所に我が身を移せ。転移せよ。》」
「ひゃああ!」
ヴァレン様の上に《転移》しないように位置を調整したつもりが、距離がありすぎたからか失敗して体勢を崩した。
「っ、ステラ。危ない。」
と思ったら、ぐっと抱き止められた。
恐る恐る目を開けると、白銀の髪の麗しいお方が、その濃い金色の瞳を細めて呆れたように笑っていた。
少し位置をずらしたはずなのになぜ受け止められたんだろう…と視線を下に向けて、ステラはまた叫んだ。
「っ!も、も、申し訳ございません。」
ヴァレン様が尊い膝を地面について、地面に落ちる寸前のステラを抱き止めてくれたのだとわかった。
慌ててヴァレン様の腕から飛び降りてステラも膝をついて抱えていたお土産を机に置くと、ヴァレン様の手を取って立ち上がってもらった。
「申し訳ございません、王太子殿下。お怪我は…」
「大丈夫だよ。ステラが怪我をしなくてよかったよ。」
「尊い膝を地面につかせるなんて、申し訳ございません。」
「っ、やっぱりステラは面白いね。」
ステラが跪いて謝ろうとしたが、手を引かれてヴァレン様の胸に収まった。
ステラの大好きな、胸がぎゅーっとなる甘い香りがして、自分の居場所はここだと思ってステラもヴァレン様の背中に手を回した。
ヴァレン様もステラをぎゅっと抱き締めると、体を離してステラの顔をじっと見つめた。
自然と唇が引き寄せられて重なろうとした時、はっとしてのけぞった。
「ステラ?」
なぜかレオナルドはいなかったが、ヴァレン様は執務室にいた。
口付けをしたらそのまま流されてカウチに行く羽目になることは鈍いステラでも想像がついた。
「ヴァ、ヴァレン様、今はなりません。」
「どうして?誰もいないよ。」
「レオ様は…」
「用事を頼んだから一時間は戻ってこない。」
ステラは一時間、という言葉で思わずびくっとしてしまった。
「わ、私はこのあと会議に呼ばれているのでだめです。」
「何時から?」
「…い、一時間後です……。」
「じゃあちょうどいいね。」
ヴァレン様はにこっと笑って、その金色の瞳に致死量の色気を滲ませた。
その瞳で見られると色気に当てられて逆らえなくなる。




