255.隠し事
「ヴァレン、様……っ……なり、ません……っ」
「どうして?」
馬車に乗ると即座に頭を抱え込まれて激しい口付けをされた。
車窓から姿を見たであろう民衆が沸き立つのがわかって、正気に戻ったステラはその胸を押し返した。
「民、が……ぁ……いやぁ…………」
そのままヴァレン様の指先がステラの首筋を撫でたので、久しぶりに触れられる体が疼いてしまって思わず身を捩った。
「嫌じゃないでしょう?皆も喜んでいるよ。」
「なっ……」
よく聞くと、確かに歓声の中にはなぜか咽び泣きながらステラとヴァレン様の再会を祝ってくれる声も聞こえてきて、ステラは真っ赤になった。
「恥ずかしいので、城まで我慢してください…!」
「城に着いたら我慢しなくてもいいの?」
「…っ……お好きにしてください…。」
「可愛い。私のステラ。」
久しぶりに致死量の色気を浴びて、ステラは自分がおかしくなっているのがわかった。
ほぼ二ヶ月ぶりのヴァレン様はどこからどう見ても尊くて麗しかった。
目の前にいる高貴な御方が自分に触れていることが信じられないのに、その目が蕩けそうに熱を帯びて自分を見つめているから心臓の高鳴りが押さえられない。
「ヴァレン様が麗しくて、目の毒です…。」
やっぱり信じられなくて思わず呟くと、ヴァレン様はクスッと笑って頭を撫でてくれた。
「私もステラがこんなに可愛いのを忘れていたよ。」
「私は、そんな……」
真っ黒に日焼けして、ボサボサの髪を束ねただけの自分が可愛いはずもないだろう。
やっぱりこんなに麗しくて尊い方の隣に自分が立つなんて不相応だと思って俯くと、顎をくいっと掴まれて顔を上げさせられた。
その麗しいお顔を正面から見ることになってしまったので、ステラは恐れ多くて顔を真っ赤にして目を逸らした。
「日に焼けたね。でも怪我がなくてよかった。」
「だ、大丈夫です。お、恐れ入りますが、お手を……。」
「ステラ、私を見て。」
胸に響く声で言われると逆らえない。
主君に命じられて、ステラはその目を見つめた。
ステラを見つめていた濃い金色の瞳と至近距離で目が合って、恐れ多さと恥ずかしさでぼぼっと沸騰した。
今までこんなに麗しい方と平気で話していたのが夢のようだと思った。
ステラがヴァレン様の瞳を見つめながらも現実から目を背けていると、ヴァレン様が少し怒った声で言った。
「ステラ、私に隠し事をしているでしょ
う?」
「こ、皇太子殿下のことでしょうか…。」
「それは聞いた。他にもあるでしょう?」
皇太子殿下との口付け以上の隠し事など思い浮かばなくてステラはおろおろと狼狽えた。
「…魔術師達と飲みに行ったね?」
「え?!あ、はい…。」
なぜヴァレン様の耳に入っているのかはわからないが、皇太子殿下とのこともご存知のようだから、近衛騎士とヴァレン様の間にはステラの知らない連絡手段があるのだろうと思った。
「お酒はだめだと言ったでしょう。」
「も、申し訳ございません。」
まだその命令が有効だったことに驚いてステラがまた狼狽えていると、ヴァレン様が呆れたようにため息をついた。
「しかも、男と肩を組んで歩いたと聞いたよ。」
「な、なぜそれを……申し訳ございません、ヴァレン様。」
そんなことまで報告されていたのなら、酔っ払ったステラの恥ずかしい振る舞いの数々も報告されていそうで赤面した。
「酒に酔うのは私の前だけにしてくれ。」
ヴァレン様の言葉に以前なら素直に従っていたが、皆で飲み交わす楽しさを知ってしまったステラは頷けなかった。
立場を忘れて気兼ねなく話せるあの時間を、失いたくなかったのだ。
「ヴァレン様…。恐れながら申し上げます。これからも魔術師団の者と外に出てみたいです。」
ステラがそっとヴァレン様を見上げると、ヴァレン様は驚いたように目を丸くしていた。
「皆と過ごす時間が楽しかったのです。戦場では辛い思いもしましたが、あの時間があったから、私は戦場に行ってよかったと思っています。」
「…そうか。」
ヴァレン様は目を伏せて考えるように顎に手を当てると、少しムッとした顔でステラに言った。
「では先に私と二人で王都に出よう。ステラが酔っても大丈夫なことがわかったら、城を出る許可を出すよ。」
「そ、そんな…そのお立場で街になど…」
「ステラも変装していたんでしょう?私も姿を変えればわからないよ。」
「なっ…」
全てを知られていることと、ヴァレン様の提案に驚愕して何も言えなくなっていると、ヴァレン様はまたぼそっと呟いた。
「私の知らないステラを他の男が知っているのかと思うと腹が立つ。」
拗ねたように言うヴァレン様に、ステラの不敬な心臓はズッキューンと音を立てて射貫かれた。
「で、ではぜひお願いします。」
「もうステラと離れたくない。」
「…はい、ヴァレン様。」
素直に甘えてくれるヴァレン様が可愛くて、ステラはそっとその背中に手を回した。
その瞬間、鳴り響いた歓声が馬車を震わせたので、ステラは慌てて手を離してヴァレン様から飛び退いた。
ヴァレン様はそんなステラを見てまたクスクスと笑って、頭を優しく撫でてくれた。
◇◇◇
馬車が王城に到着した。
「王太子同妃両殿下のお成り。」
「ひっ…」
「っ、ステラ。」
すっかり忘れていた恐れ多い出迎えを久しぶりに受けて喉の奥から声が出ると、ヴァレン様が横で吹き出した。
「懐かしいね。慣れてくれたと思っていたのに。」
「どうかしていました。こんなことに慣れてはいけません。」
「また丸め込まないとね。」
「ひっ……」
戦場に行ってよかったことの一つは、恐れ多くも忘れていた、恐れ多いという感情を思い出したことかもしれないと思った。
二年半も王城で暮らしていたらいつの間にかなくなっていた感情を、普通の生活に戻ってやっと思い出したのだ。
ヴァレン様に乗せられて色々なことに慣れてしまっていたが今度こそは自分を見失うまいと心を燃やしていると、ヴァレン様はなぜかお腹を抱えて笑っていた。
馬車を降りると、そのまま手を引かれて私室へと向かった。
二ヶ月ぶりの王城が懐かしくてきょろきょろと見回していると、ヴァレン様はステラを見てまたクスクスと笑った。
「昔のステラに戻ったみたいだな。」
「し、失礼しました…。」
その言葉で今の自分はヴァレン様のお妃様なのだとまた思い出して、ステラは慌てて姿勢を正した。
いつか女官長に教わった王族のマナーも戦場での生活ですっかり忘れてしまったので、しばらくは恐れ多い場に行くことのないように願った。
そして私室の前に着いて、大切なことをもう一つ思い出した。
今のステラはヴァレン様に触れられていいような状態ではない。
正装のローブはまだ人に見られても大丈夫な状態だが、その他は清浄魔法で綺麗にしてもらったとはいえ、戦場から帰ったままの状態だ。
宿でようやくシャワーを浴びられたが、とても王族に触れられていいような状態ではないだろう。
湯殿に行きたいが、それを口に出すということはその後の展開に期待しているように聞こえてしまうのではないかと思って勝手に狼狽えた。
ステラがパニックを起こしていると、ヴァレン様がクスッと笑いながら聞いた。
「私に何か言いたいことがあるの?」
いたずらっぽいその微笑みを見て、ヴァレン様はステラが言いたいことに気付いているのかもしれないと思った。
「あ、あ、あの……」
「ん?どうしたの?」
不敵に微笑むヴァレン様は、絶対にわかっていて言わせようとしているのだ。
わかっているのなら恥ずかしいこともない。
長旅の後なのだから、何食わぬ顔をして言えば変な意味には捉えられないだろう。
ステラは意を決して口に出した。
「ヴァ、ヴァレン様。ゆ、ゆ、湯浴みに行って参りましゅ!」
さりげなく言おうと思ったのに力みすぎて思いっきり噛んでしまって、ステラはぼぼぼっと沸騰した。
「っ、ステラ………っ…」
ステラが恥ずかしさのあまり即座に手で顔を覆うと、ヴァレン様は思いっきり吹き出してお腹を抱えて笑った。
「わかったよ。行っておいで。」
「恐れ入ります。それでは失礼します。」
目の端に滲んだ涙を押さえながら見送るヴァレン様から逃げるように、ステラは侍女を引き連れて湯殿に向かった。




