249.穢らわしき場
山を下りて戦場に出るとき、《髪色を変える》指輪を抜いてローブのポケットに仕舞った。
白銀の髪になったステラを見て父が言った。
「国王陛下は決して帝国に行ってはならぬとおっしゃっていた。国王陛下の命に背くような真似をしたら私が許さない。」
「承知しました、師団長。」
父は口調は厳しいが、ステラを心配して忠告してくれているのだ。
国王陛下にも帝国の近衛魔術師にも忠告された上、ヴァレン様に黙って皇太子殿下と会うのだ。
決してそのような隙を見せてはいけないと気を引き締めて、借りてきた騎士団の馬に跨がった。
父を先頭に野原を駆けて、国境付近で馬を下りた。
ステラは自分の馬をメーデンに預けると、その場に跪いて頭を下げて皇太子殿下を待った。
父がステラの真横に杖を持って立ってくれていて、後ろにはメーデンとアーノルドに加えて部隊長とクリンプトン先生も控えてくれている。
これほど守られる安心感を感じたことはない。
皇太子殿下と父の来訪でパニックを起こしていた心が凪いでいくのがわかった。
すぐに馬の音がして、国境の少し手前で止まった。
ザッザッと歩いてくる音がしたので、ステラは深く頭を下げた。
「顔を上げてください。」
よく通る声がして、ステラは顔を上げた。
黒髪に黒い瞳で、黒い軍服を着た皇太子殿下がステラに笑顔を向けていた。
「お久しゅうございます、王太子妃殿下。」
そう言って手を差し出されたので、ステラは自分の手をそっと添えて立ち上がった。
「恐れ入ります、皇太子殿下。お久しゅうございます。」
ステラは皇太子殿下の目を見ないように、また頭を下げた。
「楽にしてください。このような殺風景な場は貴女には似合わない。我が陣地にお越し下さい。簡単ではございますが、馬車に茶を用意しました。」
「恐れ入りますが、皇太子殿下。私は国王陛下にこの国を出る許可をいただいておりません。この場でお話願えますか。」
「貴女が我が兵達を弔ってくれたと聞きました。一度も二度も変わらぬでしょう。」
ステラは皇太子殿下に言い返す言葉が見つからなくて一瞬頭が真っ白になった。
その隙に、ステラの横に控えていた父が頭を下げて言った。
「恐れながら申し上げます、皇太子殿下。
私は国王陛下の近衛魔術師でございます。国王陛下より、国を守り、王太子妃殿下を保護するよう命じられてこの場に参りました。
王太子妃殿下が殿下のお言葉によって国境を越えることがあれば、私は貴国を攻撃せねばなりません。」
ステラは父の言葉に内心は驚いたが、顔に出さないように感情を押し殺した。
「これは、王太子妃殿下のお父君。大変失礼いたしました。
貴方を敵に回すのは得策ではない。ではこちらで話しましょう。」
「有り難きお気遣いを賜り恐れ入ります、皇太子殿下。」
やはり父は帝国にとって脅威なのだ。
皇太子殿下が諦めてくれたことにほっとしつつ、気は抜かないように目を伏せたまま頷いた。
皇太子殿下は微笑んだまま言った。
「貴女は素晴らしい魔法で我が国の兵を一掃されたと聞きました。その才は平和な貴国に留めておくには勿体ない。私があなたの才を花開かせましょう。」
ステラは皇太子殿下に激しい怒りを覚えた。
自分の兵を殺した魔法を「素晴らしい魔法」などと宣うなど、同じ王族としても、臣下の立場からしても許せなかった。
この手で地獄をもたらして、この目で自分がもたらした犠牲を見たステラは、皇太子殿下に心底失望して、軽蔑した。
「皇太子殿下。恐れながら、私のおぞましい魔法は貴国に甚大な被害をもたらしました。私はもう貴国と戦いたくないのです。どうかこの手がこれ以上貴国の民の尊い命を奪う前に、ご英断をお願いいたします。」
ステラは自分がこれ以上人を殺す前に、というよりも、このような愚かな統治者のためにこれ以上貴重な命を犠牲にしないでほしい気持ちでそう言った。
「貴女が戦いたくないのならば、このような穢らわしき場に来る必要はないでしょう。
貴女は望んでこの場にいるのでしょう?」
その言葉を聞いて、怒りのあまりまた自分の物ではない魔力が暴走しようとしているのを感じた。
ここは穢らわしい場ではない。
君主に忠誠を誓う者達が命を懸けて戦う神聖な場だ。
体中の血管が怒り狂うように脈打ち、わなわなと震える体を止められない。
目が燃えるように熱くなり、口が勝手に動いた。
「皇太子殿下、我が国の使者をお返しください。そして、今すぐこの戦を終わらせてください。
それができぬのならば、私は今この場で貴国を攻撃します。」
父がステラの魔力の変化に気付いたのか、背中にそっと手を当ててくれた。
温かい優しい魔力が流れ込んできて、ステラはそれにすがることで何とか理性を保った。
今にも勝手に詠唱しようとしていた口をなんとか閉じて、皇太子殿下の言葉を待った。
皇太子殿下は震えるステラを見ても笑みを絶やさず、むしろ慈しむように目を細めた。
「貴女は実に面白い。貴女が望むのならば、なんなりと願いを叶えましょう。
使者を返し、戦を終わらせることが貴女の願いなのですね?」
「その通りです、皇太子殿下。どうか私の願いをお聞き入れください。」
内心は私を嘗めるなと怒鳴り散らしたいくらい怒っていたが、ステラが媚びることで人の命が救われるのならいくらでも媚びる。
ステラは初めて目を上げて、皇太子殿下の黒い瞳をまっすぐ見つめた。
「今すぐ王国の使者を連れてこい。」
「承知しました、皇太子殿下。」
一瞬恐ろしいほど冷たい表情になった皇太子殿下が後ろに控えていた近衛魔術師に命じると、近衛魔術師は馬に乗って野原の奥の陣地に戻っていった。
ステラが生かした近衛魔術師とは違う、《刻印》した形跡がない者だったので、ステラはその後ろ姿に向けて隠密に《刻印》しておいた。
本当に使者を返してくれるのだろうか、と目を細めて野原の奥を見ていると、皇太子殿下が再び口を開いた。
「それで、戦を終わらせるとは無条件でいいのでしょうか。貴女が願うのならば、貴国の条件を聞きましょう。」
ステラは驚いて、目を丸くして皇太子殿下を見つめた。
皇太子殿下の考えていることが本当にわからなくて、困惑したステラは今度は横に立っている父を見上げた。
父はステラと目が合うと、感情の読めない表情で皇太子殿下に言った。
「国王陛下より、この戦場の地域一帯を割譲し、我が国の領地とするよう申しつかっております。」
「王太子妃殿下のお父君。私は国王陛下の願いには興味がございません。王太子妃殿下の願いなら聞き入れたいのです。」
ステラは口をあんぐりと開けそうになって、慌てて表情を引き締めた。
だが、ステラが願えばそのようにしてくれるのだろうか。
ステラは半ば自棄糞になりながら言った。
「皇太子殿下、お願い申し上げます。どうかもう二度と戦が起きぬよう、この地域一帯を貴国から割譲し、我が国の領地としてお認めください。」
「王太子妃殿下が願われるのならばしょうがない。そのようにいたしましょう。書状は後程届けさせます。」
本当にこれで戦が終わるのだろうか。
ステラは信じられない気持ちで皇太子殿下の黒い瞳を見つめた。




