248.来訪者
戦場から《敵》の気配がなくなってから一週間が経った。
敵の近衛魔術師達は帝国の宮殿にたどり着けたのか、魔道具のイヤーカフのように別の方法で連絡を取っているのかはわからないが、戦場は静まり返っていた。
魔術師の気配は全くないので見張りは騎士団に任せて、戦闘部隊は訓練に励んだり、近くの町まで馬を走らせて食料を調達したりと戦時中とは思えない穏やかな日々を送っていた。
ステラは真っ黒に日焼けしている上に清浄魔法で綺麗にしてはいるものの使い古して擦りきれたローブを纏っているので、髪の色さえ変えれば誰にも王族だと気付かれることはなかった。
久しぶりに普通の生活に戻れた気がして、ステラは束の間の幸せを味わっていた。
今日もクリンプトン先生とディーンと一緒に、戦場から馬で二十分ほどの距離にある近くの町に食料の買い出しに来ていた。
何度か通っているのでこの町にもだいぶ詳しくなってきたステラは、お気に入りの焼き菓子を片手に持って頬張りながら、肉や野菜といった日持ちしない食材を買い集めていた。
「おい、姫様が追加の焼き菓子をご所望だぞ。」
「自分で買うので結構です。」
ステラが焼き菓子を食べ終わると、ディーンがからかうように言ったので睨み付けた。
「庶民の味ですが、姫様のお気に召したようで何よりでございます。」
「庶民ですので大丈夫です!」
今度はクリンプトン先生がニヤッと笑って臣下の礼を取ったので、その手を叩き払った。
「そういえば、クリンプトン先生は戦が終わったら学院に戻られるんですか?」
一緒に過ごす時間が長くてすっかり打ち解けてしまったステラは、クリンプトン先生と呼んではいるがどちらかというと友人に近いような気さくな関係になっていた。
学院で教師と生徒に戻る日がくるのかとふと疑問に思ったので聞いてみた。
「その予定だ。必要ないだろうが姫様の護衛があるからな。」
「本当に必要ないので私から断っておきます。」
「殿下がお許しにならないだろうな。」
「うっ……」
最初はからかって姫様と呼ばれていたが、最近は副部隊長よりも姫様と呼ばれることが多いので突っ込むのは諦めた。
本当にステラに護衛など必要ないのでクリンプトン先生に申し訳なかったが、先生の言う通り、ヴァレン様は護衛をつけたがるだろうから言い返せなかった。
「授業に間に合わなかったらどうするんですか?」
それも疑問に思っていたことだ。このままだと秋学期の授業が始まるまでに王都に帰るのは難しいだろう。
「魔術師団から代わりの者が行くことになっているから大丈夫だ。」
「そうなんですか。私も他の魔術師の授業を受けてみたかったです。」
「私の授業が不満なのか?」
「い、いえ!そういうわけでは…っ」
いつも通り失礼なことを言ってしまったと思ってステラがおろおろしていると、ディーンが横からニヤリと笑いながら言った。
「俺は逆にお前の授業を受けたいよ。見学に行こうかな。」
「王国魔術師が来れば学生達が喜びます。ぜひそうしてください。」
「やめてくれ。絶対に来るな。」
クリンプトン先生は思いっきり顔を歪めて、ステラとディーンにそれぞれ一発決めた。
クリンプトン先生の一発はわりと痛いので次の一撃に備えてディーンを盾にしていると、耳の魔道具から声がした。
『戦闘部隊長から戦闘副部隊長へ。至急戻ってきてくれ。』
「戦闘副部隊長、承知しました。十分ほどで戻ります。」
至急の用件とは何だろうと思いながらクリンプトン先生とディーンを見ると、二人も見当がつかないようで訝しそうな顔をしていた。
ステラは二人と一緒に片手に荷物を抱えながら襲歩で飛ばして、戦場へと帰った。
◇◇◇
高台の司令部に戻ると、部隊長がステラに駆け寄ってきた。
「帝国の皇太子殿下がお越しだ。」
「は、い…?」
頷こうとしたが、部隊長が言っていることの意味がさっぱりわからなくて聞き返した。
「君に会いたいと戦場に来ているそうだ。敵の陣地にいらっしゃる。」
ステラは部隊長の言葉に驚きすぎて開いた口が塞がらなかった。
「な、なんで……。お、王太子殿下はご存知なのですか…?」
「私からは誰にも何も言っていない。君が決めてくれ。」
ステラは後ろにいるであろうメーデンとアーノルドを振り返った。
案の定、先程までいなかったのにいつの間にかステラのすぐ後ろに二人が立っていて、ステラと同じように呆然とした顔をしていた。
「…王太子殿下にご報告…した方がいいわよね…?」
「…私共からは、はいとしか言えません。」
それもそうだ。ヴァレン様の近衛騎士がヴァレン様を欺くようなことはできない。
それならステラも近衛魔術師としてご報告しなければならないのだが、ヴァレン様に言ったら怒ってヴァレン様まで戦場に来かねない。
ステラは悩んだ末、父に全てを委ねることにした。
ヴァレン様には聞こえていない方の、部隊長の連絡用のイヤーカフに魔力を込めて話す。
「戦闘副部隊長から師団長へ。帝国の皇太子殿下が、私に会いたいと敵の陣地にお越しだそうです。行ってもよろしいでしょうか。」
『師団長から副部隊長へ。王太子殿下にはお話ししたのか?』
「誰も何も話しておりません。」
『…私から国王陛下に報告する。少し待ってくれ。』
「戦闘副部隊長、承知しました。」
皆、考えることは一緒なのだろう。皆が警戒するのだから、やはりヴァレン様に言ったらヴァレン様が戦場に来てしまうのだ。
かと言って、ステラは独断で帝国の皇太子殿下と会っていいような立場ではない。
国王陛下のお許しがあればヴァレン様には事後報告でいいだろう。
ステラは祈るような気持ちで父の返事を待った。
「では、行くぞ。」
「ひゃああ!……いっっ」
突然背後から声がして、ステラは叫んで崩れ落ちた。
腕に抱えていた食材が山盛りに入っている袋だけは何とか死守したが、代わりに盛大に尻餅をついて尻が痛んだ。
「何を腑抜けているんだ。」
「し、師団長?!」
先程まで耳元で会話していた父が、なぜかステラの背後に立っていた。
「な、な、なぜ…」
「お前には私の魔力があちこちについてるからな。国王陛下からご許可をいただいたから私も一緒に行く。」
確かにステラは父からもらった魔道具をあちこちに身に付けているが、だからといって王城からそんなに簡単に、しかもステラとクリンプトン先生の《転移魔術を防ぐ》結界を難なく越えて、一切の気配もなく隠密に《転移》できるのが信じられなかった。
驚愕しているのはステラだけではない。部隊長とクリンプトン先生も含めて、この場にいる全ての者があんぐりと口を開けて父を見ていた。
「部隊長とカールも来い。他の者はここで待機せよ。」
「「「…承知しました、師団長。」」」
魔術師達が一息遅れて慌てて敬礼をすると、父は早くも山を下り始めていた。
ステラ達も慌てて手に抱えていた荷物をその辺にいた魔術師に手渡してどたばたとついていくが、父の人間離れした魔術を見て動揺が収まらないステラは全く気持ちが追い付いていなかった。




