237.開戦
強い魔力の気配がして、はっと目が覚めた。
ステラは思ったより広いテントの中で寝袋にくるまっていた。
同時に、耳の魔道具から戦闘部隊長の声がした。
『戦闘部隊長より師団長へ。ただいま開戦しました。』
『師団長、承知した。』
『戦闘部隊長より騎士団と戦闘部隊へ。ただいま開戦した。昼部隊は夜明けまで休んでいていい。騎士団は戦闘の準備を進めてくれ。』
「戦闘副部隊長、承知しました。」
『副部隊長代行、承知しました。』
『副団長、承知した。』
王国騎士団からは騎馬部隊、歩兵部隊、砲撃部隊に加えて副団長が派遣されていた。
王城に残っているのは騎士団長と近衛部隊だけだ。
夜明けまで休んでいてもいいとは言われたものの、眠れそうもない。
様子を見ようと外に出ると、後ろから声をかけられて飛び上がった。
「魔力は回復したか?」
「ひゃっ…ク、クリンプトン先生、もう大丈夫です。昨日は申し訳ありませんでした。」
クリンプトン先生が隣のテントから顔を出していた。
昨日は恐らくクリンプトン先生がテントまで運んでくれたのだろう。
ステラは慌てて駆け寄って頭を下げた。
「起きている君とは戦いたくないが、寝顔は子供みたいだな。」
「なっ……申し訳ありませんでした。」
ステラは寝顔を見られたことを思い出してぼぼっと赤面するが、戦場で倒れるなど腑抜けだ。
腑抜けたステラが悪いのでまた謝ると、クリンプトン先生は笑い飛ばした。
「気にするな。まだ早いから休んでいろ。戦闘中に寝られても困る。」
「承知しました、クリンプトン先生。」
先生に言われては逆らえない。
テントに戻ると、第一王妃陛下が用意してくださった荷物が既に運び込まれていたことに気がついた。
さすが元王国魔術師の第一王妃陛下だけあって、ステラの雑なメモには書き忘れていた物も含めてきっちりと用意してあった。
頼んでおいた弓や魔道具がどこからどう見ても恐ろしいほどの高級品だったのでひれ伏したくなったが、恐れ多さは有り難さに変えることにした。
荷物を一通り開けて整理してからもう一度鞄を確認すると、奥に小さな巾着が入っていた。
そっと開けてみると、薔薇の模様の入った小さな丸い入れ物と小さな手鏡が出てきて、一緒に小さなカードが入っていた。
カードを開くと懐かしい薔薇の香りがふわっと鼻に抜けて、ステラは危うく涙腺が緩みそうになって慌てて目を逸らした。
息を整えてからまたカードを読むと、ヴァレン様の麗しい字を柔らかくしたような、優しさを感じる綺麗な文字が書かれていた。
『貴方の尊い勇気の助けになれますように』
なんだろうと思って入れ物を開けると、美しい深紅が目に飛び込んできた。
口に差すための紅だ。
ヴァレン様の瞳を思い出す色に、やっぱり涙が込み上げてきてしまってぽろぽろと頬を伝った。
そっと指に取って手鏡を見ながら唇につけると、ヴァレン様の色が自分に移ったようにぽっと色づいた。
これがあれば、自分がヴァレン様の妃だということを、この国の王族だという誇りを忘れないでいられる気がした。
それに、本来雲の上の存在である第一王妃陛下とヴァレン様が見守ってくださっているのだ。
そう思えば、怖いものなどなかった。
第一王妃陛下の優しさに感謝しながら目を閉じると、泣いたせいもあってかまた眠気が襲ってきた。
ステラは眠気に抗わずに従って、再び深い眠りについた。
◇◇◇
『戦闘部隊長から昼部隊へ。間もなく交代の時間だ。準備が出来次第、司令部に来てくれ。』
耳の魔道具の声がしてステラは再び目を覚ました。
ローブのまま寝ていたので、頭のてっぺんから爪先まで清浄魔法をかけた。
髪を一つにくくって第一王妃陛下からいただいた紅を差してから鎧を着て、いつもの杖と近衛の剣を腰に差す。
まだ遠距離戦なので頭用の兜は置いて行った。
最後に第一王妃陛下に用意していただいた弓を背負い、魔道具の双眼鏡を首からかけるとテントから出た。
ちょうど隣のテントのクリンプトン先生と鉢合わせて、ステラもクリンプトン先生も一歩後ずさった。
ステラは鎧を着たクリンプトン先生を見慣れなくて驚いたのだが、クリンプトン先生もなぜか驚愕の表情を浮かべている。
「なぜ弓を持っているんだ?」
「戦場で使おうと思って持ってきたんです。」
「…君は何をするつもりなんだ。」
クリンプトン先生は今度は呆れたような顔をした。
ステラは弓を使って、やりたいことがあったのだ。ヴァレン様の執務室で考えたとっておきの秘策である。
「秘密です。時が来たらお話しします。」
「まさか兵に突っ込んでいくつもりじゃないだろうな?」
「命を捨てる真似はしないのでご安心ください。…多分。」
先生はステラを訝しそうに見ていたが、最後の言葉で吹き出した。
「部隊長の命もかかっているんだから弁えろ。」
「はい、クリンプトン先生。」
「先生はやめろ。」
「はい、先生。」
いつも通りのクリンプトン先生とのやり取りに、戦争中なのになんだか気持ちが穏やかなままでいられた。
高台に向かう途中で他の魔術師達とも合流して、ステラを先頭に戦場へと向かった。
◇◇◇
「昼部隊十二名、到着いたしました。」
高台に到着したので、ステラは部隊長に駆け寄った。
目の前では大規模な魔術のやり取りが行われていて、昨日は青々としていた野原は魔力の衝突で焼け野原になっていた。
ステラが気を引き締めて部隊長を見ると、部隊長は鋭い眼光を放ちながらも笑顔で言った。
「よし、交代しよう。敵は野営地から攻撃している。君の防御魔術のおかげでやりやすいよ。ありがとう。」
「とんでもございません。」
部隊長は今度はよく通る声で昼部隊全員に向けて言った。
「今のところ死者も怪我人もいないが、気を抜くな。戦闘は長引くだろうから無理はするな。魔力切れになったら遠慮せず休め。」
「「「承知しました、部隊長。」」」
昼部隊の魔術師達が部隊長に敬礼すると、順に持ち場を交代した。
ステラはクリンプトン先生と一緒に後方から魔術師達を支援することになっている。
昨日張った結界は魔力がギリギリだったので、弱いところを補強しながら相手の攻撃を見つめた。
帝国の魔術師は近衛魔術師しか知らなかったが、《敵》の気配がしないので今攻撃しているのは違う部隊のようだ。
近衛魔術師のような隙の無さは感じず、邪悪な魔法も使えないようで、一般の攻撃魔法で攻撃したり、野原に障害物を作ったりしていた。
ステラは昼部隊の魔術師達に声をかけた。
「今攻撃している者は帝国の魔術師のほんの一部だ。敵の実力はこのようなものではない。今は魔力を温存せよ。無理はするな。」
「「「承知しました、副部隊長。」」」
ステラは一晩寝れば魔力が回復するが、普通の魔法使いは一度魔力が枯渇すれば一ヶ月は魔法が使えないだろうし、精鋭揃いの戦闘部隊の魔術師でも完全に回復するには二日はかかる。
こんな相手に魔力を使っている場合ではないので、少しでも温存しておいてほしかった。
そんなステラを見てクリンプトン先生がニヤッと笑った。
「君は帝国の近衛魔術師とも戦ったらしいな。帝国の魔法も使えるのか?」
「団の図書館にあるものは一通り学びました。」
「さすが師団長のご令嬢だな。」
ステラが帝国の魔法を使えることに動じないので、きっとクリンプトン先生も帝国の魔法を使えるのだろう。
戦闘部隊長と共闘することができない以上、もし帝国の邪悪な魔法を使われたらステラ一人で防がなければならないと思っていた。
一人で騎士と魔術師を守り抜くとなると防戦で手一杯になってしまうので、クリンプトン先生が戦場に戻ってきてくれてよかったと心底思った。




