235.戦場
次の瞬間、立っていたはずの床がなくなっていて、ステラはそのままひっくり返った。
「ひゃああ!」
どさっと音がして尻餅をついたかと思ったが、痛くない。
「落ち着け。」
「ひゃっ」
突然耳元で聞こえた声に驚いて見上げると、呆れた顔をしたクリンプトン先生と至近距離で目が合った。
「怪我はないか?」
先生に言われて自分を見下ろして、慌てて飛び退いた。
王国魔術師のローブを着たクリンプトン先生が、地べたに座った姿勢でステラを横抱きに受け止めてくれていたのだ。
「も、申し訳ありません!怪我はありません。」
「それならよかった。」
ステラはクリンプトン先生の腕に抱かれた恥ずかしさでぼぼっと赤面した。
「本当に突然降ってきたな。」
「さすが神が与えし王家の巫女様。」
「おい、不敬だぞ。」
わいわいと声が聞こえてきたのでやっと周りに目を向けると、高台の開けた場所で、戦闘部隊の魔術師達が輪になって集合していた。
同時に、皆の前でクリンプトン先生に抱えられてしまったことに気づいてステラは耳まで沸騰した。
そして《髪色を変える》指輪をつけていなかったことに気づいて、慌ててローブから指輪を取り出して右手の中指に嵌めた。
「本当に来るとは。君の魔法の才を示すには千点でも足りないな。」
「ク、クリンプトン先生…。やめてください。本当にありがとうございました。」
クリンプトン先生がニヤッと笑って言うので睨み付けようと思ったが、戦場に来られたのはクリンプトン先生のおかげだ。ステラは慌てて頭を下げた。
「気にするな。ちょうど会議を始めるところだから座れ。」
「は、はい。クリンプトン先生。」
「先生はやめてくれ。」
いつも通りのクリンプトン先生がなんだか懐かしくて気が抜けた。
横にいた戦闘部隊長と目が合ったので、敬礼してからその横に座った。
「本当に王城から《転移》してきたのか?」
「はい。殿下の目から逃れるのに手こずって、連絡が直前になってしまい申し訳ありませんでした。」
部隊長は驚いたような顔をしてステラに聞いたが、ステラが説明をするといつものように豪快に笑った。
「君は王太子殿下に監視されていたのか。よく来たな。」
「湯殿に入る隙に抜け出してきたんです。無事に来られてよかったです。」
「その度胸があれば戦場も大丈夫だな。では、会議を始めよう。」
「はい、部隊長。」
戦場と言ってもいつも通りの戦闘部隊の雰囲気が心地よくて、ステラはやっぱり自分はこの場所に来てよかったと思った。
「知っての通り、帝国の宣戦布告に記されていた開戦期日は明日だ。日付が変わったらいつ戦闘が始まってもおかしくない。気を引き締めろ。」
「「「はい、部隊長。」」」
部隊長が鋭い眼光を放ったので、ステラはスッと気を引き締めて皆と一緒に返事をした。
「君はまだ来たばかりだから説明しておく。
ここは王国の領土内だ。下に見える野原の向こう半分が帝国の領土だ。
歴史上、帝国との戦闘はいつもこの場所で行われている。」
部隊長の言葉で下に目を向けると、草で覆われるだけの広大な野原が広がっていた。
王国なら小麦畑にでもなりそうだが、帝国に近いから土地が痩せているのかもしれない。
「肉眼では見えないが、この奥に敵の野営地が築かれている。いつ攻撃があってもおかしくない。」
「はい、部隊長。」
ステラは戦闘部隊長の目を見てしっかり頷いた。
「ここは開けすぎているから、我々の野営地はこの山の裏側にある。ここは戦闘部隊の司令部として使い、戦争が始まったら攻撃の拠点となる。」
「承知しました、部隊長。」
確かにここからだと大規模な魔術も使いやすい。
ステラは考えたばかりの戦場用の魔法を思い浮かべながら返事をした。
部隊長は再び戦場部隊全員に向けて言った。
「戦闘が始まったら昼も夜もない。よって部隊を二つに分ける。夜部隊の指揮は私が執り、昼部隊の指揮は副部隊長と副部隊長代行に任せる。」
「「「承知しました、部隊長。」」」
部隊長はステラが夜に起きていられないことを知っている。
こんな状況でもステラを気遣ってくれる優しさに感謝しながらステラも返事をした。
「恐らく最初は大規模な魔術による乱戦となるだろう。その後、騎士団による攻撃が始まる。
帝国の弓矢も結界魔法を切り裂くから鎧を纏え。
帝国の魔術師は脅威だが、戦場で命を落とす原因の多くは物理攻撃だ。くれぐれも油断するな。」
「「「承知しました、部隊長。」」」
さすが経験豊富な部隊長の言葉に、部隊全員が再びしっかりと頷いた。
その後も細々とした注意事項を話したり、部隊を半数に分けたりと会議は続き、一時間ほどで終了した。
「では、夕食にしよう。」
「「「はい、部隊長。」」」
戦場での食事は騎士団が用意してくれる。
ステラは夕食を食べ損なったので、これから食事が出来ることにほっと胸を撫で下ろした。
皆と一緒にわらわらと野営地の方へ向かっていると、後ろからバンと背中を叩かれた。
「湯殿をご用意しましょうか、王太子妃殿下。」
振り返るとディーンがニヤッと笑っていた。
久しぶりに見るディーンに嬉しくなって思わず笑みが漏れた。
「ディーン、無事でよかった。湯殿は結構です。」
「部隊長から聞いたときは震えたよ。王城からこの距離を《転移》するなんて師団長しかできないと思っていた。」
「お父様の娘なので。」
「そうか。さすがだな。」
ディーンはそう言うとまたバンバンと背中を叩いたので懐かしくて笑ってしまった。
◇◇◇
ディーンやクリンプトン先生から国境の様子を聞きながら山を下っていると、突然山が開けていくつかの大きなテントと無数の小さなテントが現れた。
ステラが驚いているとクリンプトン先生が教えてくれた。
「ここが騎士団と合同の野営地だ。」
訓練で野営地について知ってはいたが、初めて見る戦場らしい光景にステラは気持ちが沸き立った。
「離宮じゃないけど大丈夫か?」
「もうっ!大丈夫です!」
「ベッドもなくて悪いな。」
「クリンプトン先生!」
ディーンがからかうのでバンと背中を叩くと、横からクリンプトン先生までからかってきたので睨み付ける。
「カールが教師とは世も末だな。」
「ディーン、黙れ。」
そのやり取りにステラが驚いて二人を見た。
元副部隊長で今は副部隊長代行のクリンプトン先生に、部下であるディーンが敬語を使っていないことに驚いたのだ。
ステラの顔を見てディーンが笑いながら言った。
「カールとは同期なんだ。」
「そうなんですか?!」
二人とも年齢不詳だが、ディーンは勝手に歳が近いと思っていたし、クリンプトン先生はもっと年上だと思っていたので驚いた。
するとクリンプトン先生が表情を変えずに言った。
「驚くこともないだろう。」
「ディーンとはもっと歳が近いと思っていました。」
「二人とも三十三だ。」
「クリンプトン先生は意外と若くてディーンは意外と年上なんですね…。」
思わず呟くとクリンプトン先生が顔を歪めて言った。
「次の防御魔術の試験は一万点をつけておこう。」
「俺は若く見えるってことだな。よかった。」
「し、失礼しました。」
無礼なことを言ってしまったと思って謝るとディーンはご機嫌で笑ったが、クリンプトン先生はステラを鋭く睨み付けた。
クリンプトン先生のご機嫌をとりながら食事用のテントに入ると美味しそうな匂いが漂ってきて目を細めた。
見ると大鍋に熱々のスープがぐつぐつと煮立っていて、騎士が大きな猪を捌いて焼いているところだった。
久しぶりに調理しているところを見られてステラが目を輝かせているとディーンが言った。
「王族の舌に合うかはわからないが、なかなかうまいぞ。」
「やめてください。本当に美味しそうです。
私、騎士を手伝ってきます。」
クリンプトン先生が睨むのをやめて驚いた顔でステラを見た。
「君は料理も出来るのか?」
「よく狩りに行っていたので、捌くくらいはできます。」
「師団長は君にとんでもない教育を施したな。」
「田舎育ちなので普通です。」
ステラはそう言いながら自分に清浄魔法をかけて、肉を捌いている騎士のところに駆け寄った。
騎士はぎょっとしたような顔で包丁を置いて後ずさりした。
「な、なぜあなた様がここに…」
「戦闘副部隊長なので当然です。清浄魔法をかけたので清潔です。手伝わせてください。」
「し、しかし…」
「では私が捌きます。」
「そ、それはなりません!」
ステラが包丁を取り上げようとするとわたわたと捌き始めたので、ステラは笑いながら手伝った。
最初は他の騎士達もステラに戦いていたが、一匹捌き終える頃にはすっかり打ち解けて普通に話せるようになった。
魔術師達には父がステラをとんでもない育て方をしたとからかわれたが、ここではどんなに野蛮だと思われても大丈夫なのでステラは笑い飛ばした。




