234.裏切り
翌朝、柔らかいものが口に触れた気がしてそっと目を覚ました。
「おはよう、ステラ。」
「…おはようございます、ヴァレン様。」
ヴァレン様の麗しいお顔がステラに優しく微笑みかけていた。
その幸せを感じたくてヴァレン様の胸に抱きついて顔を埋めた。
「可愛い。そうやって甘えていて。」
致死量の色気が滲んだ溶けそうに甘い声で耳元で囁かれると、本当にこのまま溶けて一つになってしまうんじゃないかと錯覚する。
そんなステラを、耳の魔道具から聞こえる声が現実に引き戻した。
『戦闘部隊長から師団長と戦闘副部隊長へ。ただいま国境に到着しました。現在、特に戦闘は起きていませんので至急準備を整えます。』
『師団長、承知した。』
「戦闘副部隊長、承知しました。」
声は隠密魔法で消したが、口はパクパクしているのでヴァレン様は察したのだろう。ステラをぎゅっと抱え込んで囁いた。
「どこにも行かないで、ステラ。」
ステラは何も言葉を返せなくて、ただヴァレン様の体にしがみついた。
◇◇◇
ぼーっとしながら王国魔術師のローブに着替えて、ヴァレン様に腰を抱かれながら執務室に向かう。
開戦の期日として帝国が指定したのは明日だ。
戦闘が始まったら忙しくなるだろうから、《転移》するなら今日しかないと考えていた。
ヴァレン様に察されてしまったら魔力を奪われて閉じ込められることになりそうだ。
ステラを守るために「王家の魔法」を使うのだから、きっと効果があるだろう。
それだけはなんとしても避けたかったが、あれだけステラが戦場に行くのを恐れているヴァレン様に何も告げずに言っていいのだろうかと悩んでいた。
ステラは執務室に行くまでの間にぼんやりと考えた末、書き置きをしていくことに決めた。
いつも通り、ヴァレン様の執務室に入ると応接机の端に腰掛けてノートを開いた。
最近は戦場に行く魔法を考えるのに使っていたノートに、ヴァレン様への手紙を書くことにした。
ヴァレン様の私領やレオナルドの実家のいくつもある領地の騎士達も徴兵されるので、二人とも忙しく動いていた。
これなら見つかることもなさそうだが、ヴァレン様に見つからないように細心の注意を払いながら書き始めた。
『ヴァレン様
あなたのお隣から離れる無礼を、どうかお許しください。
全て、私が決めたことです。
侍女も騎士も、誰のことも責めないでください。
私はヴァレン様に与えていただいた王国魔術師という地位を誇りに思っています。
そして、ヴァレン様に選んでいただけてこの国の王族となれたことを、誇りに思っています。
私は、この国の王国魔術師として、そして王族として、大切な国を守るために戦いたいのです。
ヴァレン様が安寧と豊穣を祈ってくださったこの国が美しい姿であれるように、私の魔法を使って守りたいのです。
ヴァレン様のお体とお心が安全に守られているのならば、私は安心して戦えます。
どうかその尊いお心を痛めることなく、またお会いできる日までどうか健やかにお過ごしください。
どこにいても、心はいつもお側におります。
どこにいても、あなたのことを想っています。
お許しいただけるのならば、平和な世界でまたあなたのお隣に立たせてください。
ステラ』
ヴァレン様とレオナルドが忙しくしている間に一気に書き上げると、ノートを丁寧にちぎって折り畳んでローブのポケットに仕舞った。
そして、ヴァレン様が書類に目を向けていることを確認してから戦場での連絡用の魔道具に魔力を込めて、声を消しながら話した。
「戦闘副部隊長から副部隊長代行へ。本日の夜、例の作戦を決行します。時間が近づいたらまた知らせます。」
『副部隊長代行、承知した。』
すぐにクリンプトン先生の声が返ってきたのでステラはほっと息をついた。
ヴァレン様にも見つかっていないことを確認すると、再びノートに目を戻して、戦場で使う魔法作りに集中した。
◇◇◇
最近はどこに行くのにもヴァレン様付きの近衛騎士がついてくるので、確実に騎士から逃れられるのは湯殿に行くときだけだ。
《転移》するならその時間しかないと思っていた。
夜が近づくにつれてヴァレン様のお気持ちを裏切ることへの罪悪感で押し潰されそうになっていたが、感情を押し殺してどうにかやり過ごした。
そして、湯殿に行く時間がやってきた。
執務室を出るとヴァレン様がぎゅっと手を握ってきたので驚いた。
察しのいいヴァレン様のことなのでまさか察されたのだろうか。
でも、それなら《魔力を奪う》はずだ。
ステラは内心パニックだったが、どうにか平静を装った。
手を固く繋がれたまま廊下を進んだので、まさかこのまま一緒に入るつもりなのかと戦々恐々としていると、分かれ道でぎゅっと抱き締められた。
「ヴァレン様、どうされたんですか?」
「なんとなく。それじゃあ、あとで。」
「…はい。またあとで。失礼します。」
ステラは罪悪感でひれ伏したくなりながらもいつも通り頭を下げて、何食わぬ顔で湯殿へと向かった。
後ろにはヴァレン様付きの近衛騎士がついてきているが、さすがに湯殿には一緒に入れないので、ステラが湯殿に入るといつも扉の前で待機している。
ヴァレン様も湯殿に向かわれたのを確認してから、声を消して耳の魔道具にさっと話しかけた。
「戦闘副部隊長から副部隊長代行へ。直前に申し訳ありません。三分程で決行します。」
『副部隊長代行、承知した。』
またすぐにクリンプトン先生の声が返ってきたので、ステラはほっとしながらも気を引き締めた。
湯殿に着くと、侍女達がいつも通り恭しく出迎えてくれた。
また罪悪感で心が折れそうになったが、ステラはそっと腰の杖を手に取り、反対側の手でローブのポケットに仕舞った紙を取り出して握りしめた。
湯殿に入って侍女が扉を閉めた瞬間、ステラは扉に魔法で鍵をかけた。
侍女がすぐに気づいて外の騎士に何かを叫んでいるがステラは気にせずに詠唱した。
「《全ての魔法から我を護れ》」
ステラの周りが結界で覆われて近くにいた侍女が弾き飛ばされたが、すぐに元王国魔術師の侍女が杖を手に取って結界の《解除》にかかった。
「…《全ての魔法から我を護れ》」
さすがヴァレン様が王国魔術師団から引き抜いただけあって、あっという間に《解除》されそうだったので、内側にもう一つ同じ結界を張った。
ステラは突然動いたのに元王国魔術師の侍女が動じていないので、ヴァレン様はこのことも予想されていたのかもしれないと気づいた。
だが、ステラは魔法戦で王国魔術師に負けることはない。
「《天に反逆せし者よ、汝が罪は我が裁かん。我にひれ伏せ》」
ステラが杖を掲げて詠唱すると魔力の波が元王国魔術師の侍女を襲い、侍女はひれ伏して杖を手放した。
騒ぎとステラの魔力を感じ取った騎士が外から扉を破壊しようとしている。
もう時間がない。
ステラはヴァレン様への手紙を床に落とすのと同時に強く魔力を込めて、ずっと遠くに微かに感じる自分の魔力を狙って詠唱した。
「《印せし場所に我を移せ、転移せよ》」




