231.旅立ち
ステラが執務室に戻っても、ヴァレン様はステラに目を向けることも声をかけることもなかった。
ステラが戦場に行くと決めた今、ヴァレン様と過ごせる時間は残り少ないので喧嘩はしたくなかったが、ご機嫌を損ねたのもステラのせいだ。
下手にご機嫌をとって勘繰られても困るので、ステラも黙って応接机に腰掛けて戦場で使う魔法を考えていた。
すると、レオナルドが声をかけてくれた。
「ステラ、何をしているの?」
「また魔法を考えていたんです。」
戦場で使う魔法とは言わなかったが、レオナルドは察したのか困ったように微笑んだ。
「君が作った魔法はすごかった。僕にはさっぱり構造がわからないけどね。」
そう言いながらレオナルドはステラのノートを覗き込むふりをして、小さな紙をノートの間に挟んだ。
驚いたが、ステラも表情には出さずにレオナルドが挟んだ紙をさりげなく抜き取って内容を確認した。
『明日の午後、兵が発つ。
君の荷物も送っておくから必要な物を教えてくれ。
第一王妃陛下がご用意して下さるから安心して。』
レオナルドの癖のない美しい字で書かれたメモを見てステラは目を瞠った。
だが、ヴァレン様に見つからないようにしなければならない。
慌てて感情を押し殺して、レオナルドに言った。
「ありがとうございます、レオ様。
もっと簡単な魔法もあるんですよ。例えば《自害を防ぐ》魔法をこの前考えたんです。《雷》の魔法の発動順序をこうやって書き換えて…」
そう言いながらノートに必要な物を書き込んでいく。
下着や日用品を書くのは恥ずかしかったが、幼馴染み相手にもじもじしていてもしょうがないし、実際にご用意してくださるのは第一王妃陛下なので恥を忍んで書いた。
一通り書き終えると、レオナルドが頷いた。
「これなら僕にも使えそうだな。《自害を防ぐ》ことがあるのかはわからないけど。
これ、もらってもいいかな?」
「メモ書きですが、よろしければどうぞ。」
ステラはノートの一ページをちぎってレオナルドに手渡した。
感謝の気持ちを込めてその目を見ると、青い瞳が細められて優しく微笑まれた。
ヴァレン様は相変わらずこちらに見向きもしていなかったので気付かれてはいないだろう。
ステラは第一王妃陛下のお気遣いとレオナルドの優しさをありがたく思いながらレオナルドからもらった紙を一瞬で燃やして、戦場で使う魔法を再びノートに書き込んでいった。
夜になってもヴァレン様はステラと口を利いてくれなかったがベッドではしっかり抱え込まれたので、嫌われたわけではなさそうで安心した。
◇◇◇
翌朝、ステラは早朝になんとなく目を覚ましてしまった。
昨日話した帝国の魔術師達が今日打首にされることと、仲間が午後には一足先に旅立つことを思うと眠っていられなかったのだ。
ステラはヴァレン様の腕からそっと抜け出すと、私室のカウチの前にそびえる大きな窓の前に跪いて手を組んだ。
(どうかあの魔術師達が心安らかに過ごせますように。
仲間達が傷つくことなく無事に戻って来られますように。)
天に向かって魔力を込めながら願うと、ステラの足元に金色の魔方陣が光って、魔力の波が窓をすり抜けてどこかに向かってきらめいて飛んでいった。
「…ステラ、何をしているの?」
麗しい声がして、はっとして顔を向けた。
まだ不機嫌そうではあったが、ヴァレン様がベッドから起き上がってステラをじっと見つめていた。
「皆の無事を願っていたんです。」
ステラが微笑むと、ヴァレン様は不機嫌そうな顔のままぽんぽんとベッドを叩いた。
「私の側から離れるなと言っただろう。」
「申し訳ございません、ヴァレン様。」
話しかけてくれたのが嬉しくて、ステラはヴァレン様の言葉に素直に従ってベッドに腰掛けるとその胸に抱きついた。
ステラの大好きな、胸がギューっとなる甘い香りがしてその幸せに溶けそうになる。
「…そんなにかわいいことをされたら許したくなる。」
少し掠れた声がして顔を上げると、ヴァレン様が少し微笑んでステラを見つめていたのでステラもほっとして微笑んだ。
そういえば、ご機嫌を取りたいときにはステラからヴァレン様にくっつけばいいと第一王妃陛下がおっしゃっていたのを思い出して、ステラはヴァレン様の唇に軽く口付けをしてから言った。
「またお話ししてくださって嬉しいです。」
ステラがまた微笑むと、ヴァレン様はなぜかみるみるうちに頬を赤く染めて手で顔を覆った。
「…本当に君には敵わないよ。」
そう言うとステラを優しく押し倒して、今度はヴァレン様から熱い口付けを落としてくれた。
こうしていられるのもあと数日かと思うとその体を焼き付けておきたくて、そのままヴァレン様の手に溺れた。
いつの間にか日はすっかり高く昇っていて、呼びに来た侍女の声で慌てて現実に帰ってきた。
◇◇◇
午後になって、ステラは王国魔術師の正装のローブを着て第一訓練場に向かった。
戦闘部隊の出征式があるのだ。
今日は残りの部隊員全員と、戦闘部隊長と副部隊長代行のクリンプトン先生も出征される。
皆を見送るのは複雑な気持ちだったが、皆が戦場に到着したらステラもすぐに《転移》しようと思っているので心を落ち着かせた。
同じく正装姿で幹部と共に並んでいた戦闘部隊長とクリンプトン先生を見つけて駆け寄った。
クリンプトン先生の片方の耳にはあの日と同じようにイヤーカフが嵌められていて、右手の人差し指にはステラが渡した指輪が輝いていた。
「お疲れ様です、部隊長、クリンプトン先生。」
「だから先生はやめてくれ。」
「でも私にとっては先生です。」
いつも通りのクリンプトン先生とのやりとりに気が抜けて笑みが漏れた。
「カールは副部隊長のことを気に入っているんだな。幹部になって長いが、あんな点数は見たことがない。」
「今学期は益々磨きがかかっていたので、よりわかりやすい点数をつけておきました。」
「先生、あれが学生達に見られたと思うと本当に恥ずかしいです。」
苦笑いする部隊長にクリンプトン先生が真面目な顔で答えたので、ステラは思いっきり睨み付けておいた。
百点中千点など本当に前代未聞だろう。
「次回の入団試験が楽しみだな。」
部隊長が豪快に笑ったので、ステラは部隊長のことも睨み付けておいた。
そして部隊長に言った。
「今日発つ魔術師達にも、防御魔術をかけさせてもらってもよろしいですか?」
「ああ、私たちも含めて好きにしてくれ。」
「部隊長とクリンプトン先生は私が触れたら消し飛びそうなのでやめておきます。」
「そんなことはない。多分な。」
部隊長は何も言わずにニヤッとして、クリンプトン先生はまたステラをからかうように笑った。
だが、部隊長とクリンプトン先生が自分に施している防御魔術は緻密で強力なものだ。
下手にいじったら本当に自分の魔力が消し飛びそうなので、二人にはステラの防御魔術はかけないでおいた。
魔術師達に王国の古代魔術をかけた後、ステラは右手の中指の指を外してその場に跪き、手を組んだ。
「《我、神が王家に授けし巫女なり。我が力を授けし神よ、国を守りし者達の道を照らし、命を守り給え》」
ステラが詠唱すると、足元に浮かんだ魔方陣から金色の柱が空を貫いた。
皆に金色の魔力の結晶が降り注ぐと、見計らったように背後から声がした。
「また派手にやってるな。」
「おと、師団長!驚かせないでください…。」
またステラの真後ろに何の気配もなく父が突然現れたので、ステラは驚いて飛び上がり、その場に崩れ落ちた。
「いい加減慣れろ。そしてどんなときでも油断するな。」
「…申し訳ございません、師団長。」
そう言われては何も言えない。
豪快に笑う父に手を取られて立ち上がると、そのまま出征式が始まった。
「尊き王族の御身体とみこころを守り、国王陛下の御代をお守りするため、我ら王国魔術師団は命を賭けて戦うことを誓います。」
出征式の最後に父が朗々とした声で宣言して、皆で王城を向いて臣下の礼をとって頭を下げた。
ステラも命令を守れないことを詫びる気持ちを込めて、尊き主君を思って頭を下げた。
今日で戦闘部隊は皆いなくなってしまうので、父や他の幹部達と共に城の門まで見送りをした。
隊列が見えなくなるまで敬礼をして、遂に姿が見えなくなると一人ぼっちになったような気がして涙が出そうになった。
ステラが涙を堪えて俯いていると、横で父が呟くように言った。
「お前も、無理はするな。」
その言葉で、父も平気で見送っているわけではないのだと気がついた。
「はい、お父様。私はお父様の娘なので、大丈夫です。」
ヴァレン様の近衛騎士がついているので多くは語れないが、ステラは安心して欲しくて父を見上げて微笑んだ。
父は感情の読めない表情でステラの頭をぽんぽんと撫でると、すぐに顔を背けて門をくぐり、その瞬間に忽然と姿を消した。
ステラは呆気に取られて父が消えた門を見つめていたが、また特大のハンカチで泣き明かしているのかもしれないと気づいて笑ってしまった。




