224.先生への頼み事
試験を終えて皆と一緒に四年生の教室に戻った後、寮に帰るアリスと一緒に途中まで階段を降りたが、ステラは忘れ物をしたふりをしてもう一度四年生の教室に戻ってきた。
メーデンも後ろからついてきていたので、教室にメーデンも入ったのを確認してから防音結界をかけた。
「メーデン、これから魔術師団の任務でクリンプトン先生とお話ししてくるわ。学生に見られたらまずいからどこかに身を隠すことはできる?」
メーデンは驚いたようにステラを見つめたが、すぐに目を伏せて言った。
「承知しました、王太子妃殿下。」
ステラはほっと胸を撫で下ろした。
今から話すことはメーデンには聞かれたくなかったからだ。
「隠密魔法で姿を消すけど、私は防御魔術の教室に行くわ。終わったら姿を現すから、その後についてきてもらえるかしら。」
「承知しました。」
再びメーデンが答えたので、ステラはさっと自分に隠密魔法をかけてから教室にかけた防音結界を解除した。
ステラが教室を出るとメーデンも出てきたが、すぐにどこかに身を隠して姿が見えなくなった。
あんなに大きな体なのに全く気配がしなくなったから、さすが近衛騎士だとメーデンを尊敬した。
◇◇◇
ステラは魔力と気配を消したまま階段を下りて三階の防御魔術の教室に向かった。
まだちらほらと学生がいるが、誰もステラの姿には気づいていない。
ステラは学生達にぶつからないように気を付けながら防御魔術の教室の扉の前に立った。
教室の中から燃えるような魔力を感じるので、クリンプトン先生は待ってくれているようだ。
学生達の目が扉に向いていないことを確認して、ステラはさっと扉を開けて教室に入るとすぐに後ろ手に閉めた。
そして隠密魔法を解除して、防音結界を張ってから頭を下げた。
「クリンプトン先生、お忙しいところ申し訳ございません。」
「気にするな。どうしたんだ?」
顔を上げると、クリンプトン先生は教壇に座って試験の採点をしていたようだった。
自分が見ていいものではないと慌てて目を伏せると、先生は笑った。
「心配せずとも君は満点どころではないから安心してくれ。」
「クリンプトン先生、あれは恥ずかしいのでやめてください。」
「君の才能は分かりやすくしておいた方がいいだろう?」
またとんでもない点数を幹部達に見られるのかと思うと、ステラは赤面して先生を睨み付けた。
クリンプトン先生にもやはりステラの睨みの効果はなくて、いつも通り軽快に笑われた。
「それで、君から私に話があるとは珍しいな。」
クリンプトン先生が笑うのをやめて、ペンを置いて訝しげに目を細めて聞いた。
ステラは息を整えて、姿勢を正して言った。
「クリンプトン先生が部隊に戻ってこられると聞きました。」
「ああ。元々はもう少し早く帰るつもりだったんだけどな。」
「も、申し訳ございません。」
ステラのせいで教師生活が長引いてしまったことを知ってしまったので、ステラは慌てて頭を下げた。
「謝ることじゃない。君は私が守るべき王族だから、当然だ。
まぁ君に私の護りは必要なさそうだけどね。」
「お、恐れ入ります…。」
いつも通りのクリンプトン先生に拍子抜けしてしまってなんだか調子が狂うが、ステラは再び姿勢を正した。
「今日は先生にお願いがあって、お時間をいただきました。」
先生は驚いたように目を丸くしたが、ステラはそのまま続けた。
「私を、戦場に連れて行っていただきたいんです。」
「どういう意味だ?」
クリンプトン先生はステラの言葉にスッと目を細めると、厳しい口調で言った。
ステラは制服のローブから今朝買ったばかりの魔道具の指輪を取り出して、先生の前に差し出した。
「これに、私の魔力を込めさせていただきたいんです。先生が戦場に到着されたら、私もその魔力を辿って《転移》して向かいます。」
クリンプトン先生は驚愕の表情を浮かべると、指輪を見つめたまま固まった。
国境までは普通の馬で五日はかかる距離だ。
普通はそんな距離を《転移》するなど不可能だろう。
でも、ステラは出来ると確信していた。
幼い頃、父は馬車で三日かかる田舎の領地に頻繁に顔を出していた。単純に考えたら往復するだけで一週間はかかるのに、ステラには父との思い出がたくさんある。
ステラも近衛魔術師になって三年が経って気づいたが、近衛魔術師が一週間も王族の側を離れるのは不可能だ。
多忙な王族が警護が必要な会議や外出の予定が一週間どころか三日もないことなどあり得ない。
国王陛下なら尚更だろう。
それならば、どうやって田舎の領地に帰っていたのか。
父は恐らく領地の屋敷まで《転移》してきていたのだ。
思えば父はいつの間にか帰ってきていていつの間にか王都に戻っていたし、王家の馬車も騎士団の馬も領地で見たことはなかった。
当時はそれが異常なことだと気づかなかったが、今となっては転移魔術で移動していたとしか考えられなかった。
父ほどの魔力があれば、馬車で三日かかる田舎の領地までも転移魔術で往復することが可能なのだろう。
それならば、馬で五日かかる戦場までも片道だけなら《転移》することが可能なはずだ。
ヴァレン様から、ステラの魔力は父に匹敵すると言ってもらったことがあるから、きっとステラにも出来るのだ。
その日は魔力が尽きるだろうが、寝ればまた魔力は回復する。
クリンプトン先生にステラの魔力を込めた指輪をつけて戦場に行ってもらえばヴァレン様に見つかることなく王城を抜け出せるし、移動の間の護衛も必要ない。
これが戦場に行くためにステラの考えた秘策だった。
「…私は、王太子殿下からは戦場に出るご許可をいただけそうにはありません。
ですが、国王陛下であればご許可いただけるかと存じます。
国王陛下と師団長のご許可は必ずとりますので、どうか私を戦場に連れて行って下さい、クリンプトン先生。」
ステラはクリンプトン先生に頭を下げた。
ヴァレン様がステラを戦場に行かせることなどあり得ないだろうことは今までの会話の節々で感じていた。
国王陛下もステラの体のことをいつも気遣って下さるから、賛成はされないだろう。
でも国王陛下なら、ステラの命の重さと、ステラが戦場に行くことの価値を天秤にかけたときに後者をとっていただけるのではないかと思っていた。
それに元王国魔術師であられる第一王妃陛下はステラの気持ちをわかってくださると確信していたので、事前に助力を願うつもりだ。
王城でヴァレン様の近衛の目を掻い潜って魔術師と密会するのは難しいから、この作戦を託せるのはクリンプトン先生しかいなかった。
クリンプトン先生が嫌だと言えば別の物に魔力を込めて荷車にでも紛れ込ませるしかないが、途中で落ちたり知らない者の手に渡ったりしたらと考えるとリスクが大きすぎる。
暫くの沈黙の後、クリンプトン先生は静かに口を開いた。
「それは王太子妃殿下として命令されているのでしょうか。それともあなた様個人としての頼み事でしょうか。」
「頼み事です。断られても不敬には問いません。
勿論、引き受けていただいた場合も王太子殿下に対する反逆罪には問われないようにさせていただきます。」
ステラはきっぱりと言った。
王族として命令すればクリンプトン先生は断れないのはわかっていたが、そんなことに権力を使いたくなかった。
あくまでも王国魔術師の仲間として理解してもらった上で、協力してもらいたかったのだ。
クリンプトン先生は感情の読めない表情でまた黙り込んだ。




