214.彼の愛
幹部会議を終えて、重い気持ちでヴァレン様の執務室に戻った。
本当は私室に戻って一人で泣きたかったが、王族としても王国魔術師としても、そんなことが許される立場ではなかった。
執務室の前にいつもいる騎士や侍従がいないから席を外されているのだろうと思いながら、一応扉をノックした。
「ステラが参りました。」
「ああ、入ってくれ。」
レオナルドの声がして扉を開けると、ヴァレン様はやはり席を外しているようで、レオナルドが一人で執務を行っていた。
「王太子殿下は国王陛下の元に向かわれたよ。」
レオナルドの声にステラは目を丸くして、そしてまた顔を伏せた。
最後通牒が出来上がって許可を貰いに行っているのだろう。
自分のせいでこれだけの人が動いていて、国が戦争の危機に見舞われているということが耐えがたくて、ステラはやはり一度私室に帰ろうと踵を返そうとした。
そのときだった。
ふわっと薔薇の香りがした気がして顔を上げたら、レオナルドがステラの腕を引いて、そのまま強く抱き締めた。
王太子妃であるステラをヴァレン様の許可なく抱き締めるなど、誰かに見られたら打首にされてしまう。
誰かに見られたらどうしようと慌てていると、レオナルドはさっと杖を取り出して扉に鍵をかけて防音結界を張った。
「レオ様、いけません。」
「ステラ、今は誰もいない。僕を頼ってくれ。」
レオナルドの真剣な声に、思わず顔を上げた。
レオナルドの青い瞳が熱を持ってステラを見つめていた。
「ステラ、君を想っているのはヴァレンだけではないと言っただろう。」
この先を聞いてはいけない、と直感する。
「レオ様。」
ステラはレオナルドの瞳をじっと見つめて胸を押し返した。
「僕はずっと君が好きだった。」
聞いてはいけなかったその言葉に、胸を押し返す手の力が抜けてしまった。
薄々気付いていたけど、ずっと目を背けていたのだ。
レオナルドはただの幼馴染みだと、ステラにとってもレオナルドにとっても幼馴染み以上の感情はないのだと蓋をして考えないようにしていた。
でも、レオナルドの優しさは単に幼馴染みだからというだけでないことに気付いてはいた。
リュクス公爵家にとっては数ある領地の一つでしかない田舎の領地に貴重な長期休暇のときには必ず帰ってきてくれること、ステラが社交デビューをするときはわざわざ学院を休んでまで領地の小さな晩餐会に駆けつけてくれたこと、合格祝いに公爵邸の貴重な薔薇の花束を送ってくれたこと。
全部、単に幼馴染みだからここまでしてくれるわけではないことを薄々わかってはいたのだ。
ステラが再び顔を上げると、レオナルドは泣きそうにも見える顔でステラをじっと見つめていた。
「今更君を攫おうとは思わない。でも、辛いときには頼ってくれ。僕は君の一番の味方でありたいんだ。」
ステラはレオナルドの優しさが尊くて嬉しくて、でも申し訳なくて、昨日から耐えていた涙を抑えきれなくなった。
「レオ様…っ、ごめんなさい…。」
ステラは卑怯だ。レオナルドの前で泣く権利などない。
でも鼻をくすぐる薔薇の香りは、勝手にステラの涙腺を崩壊させる。
「大丈夫。ステラは何も悪くない。」
そう言ってまたぎゅっと抱き締められる。
レオナルドの手が優しくステラの頭を撫でると、目からぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちた。
幼い頃から、こうしてレオナルドの腕の中で何度も慰めてもらったのだ。
ステラはいつだってレオナルドの優しさに甘えてばかりで、何も返せていない。
それどころかその想いに気付かないふりをして、レオナルドを裏切って、ヴァレン様の隣に立っているのだ。
泣きたいのはレオナルドのはずなのに、レオナルドは何も言わずにただ黙ってステラの頭を優しく撫で続けてくれた。
昨日から抑えていた気持ちとレオナルドに対する申し訳なさが溢れて、声を上げて思いっきり泣いてしまう。
「ステラ、僕に対して申し訳なくなる必要はない。君が幸せなら僕も幸せだよ。」
「で、でも…っ、私は…。ごめんなさい…。」
「謝らないで。大丈夫だから。」
泣きすぎて立っていられなくなって腰ががくっとなるとレオナルドが優しく抱き止めてくれて、応接用のカウチにそっと座らせてくれた。
「辛かったね、ステラ。君はたくさんの立場を抱えすぎている。僕に話すことで少しでも楽になってほしい。」
「そ、そんな…っ。」
「ステラは頑張っているよ。何も悪いことはしていない。自信を持って。」
「……っ、レオ様……ぅ……」
レオナルドはいつだってステラの欲しい言葉をくれる。
また感情が抑えきれなくなって、幼子のように泣いた。
レオナルドは隣に腰かけてまたステラの頭を優しく撫でてくれた。
今だけはこの優しさに甘えたくて、ステラはぽつりぽつりと話しながら、レオナルドの胸を借りて泣き明かした。
自分のためにたくさんの人たちが動いてくれているのが申し訳ないこと。
自分のせいで戦争が起きるのが恐ろしいこと。
自分のせいで王国魔術師の仲間や領地の大切な民が傷つくのは耐えられないこと。もっと多くの者達の命が失われるかもしれないのが辛いこと。
そして、自分も戦いたいのに、大切な人たちを守りたいのに、それが許されなくて辛いこと。
一通り話終えると、レオナルドがステラの目を見て言った。
「ステラが悪く思う必要は全くない。一国の妃である君を狙う帝国が悪い。
君だって、ヴァレン…王太子殿下が攻撃されたら何としてでも守りたいと思うだろう?」
「……はい。」
ステラが気まずくなって目を逸らしながら答えると、レオナルドはステラの目の端に溜まった涙を拭いながら優しく微笑んでくれた。
「僕も、王国魔術師達も、ステラの領地の民だって皆同じ気持ちだ。守るべき方が襲われたのだから、命を懸けてでも守りたい。
仮に君が王太子殿下を守って命を失ったとしても、それを申し訳ないとは思ってほしくないだろう?
それも同じ気持ちだ。誰も君に申し訳ないだなんて思ってほしくないよ。」
「…はい、レオ様。」
そう言ってもらえて、ステラは少しだけ心が救われて微笑んだ。
たしかに、ヴァレン様を守ったためにステラの命がなくなったとしても、それを申し訳ないとは思ってほしくない。
むしろ、主君を守って死ぬのだからステラにとっては最も誇り高い死だ。
誰かがステラを守って死ぬことになったとして、そこまで思う度胸はなかったけど、少なくとも申し訳ないと思うことはやめようと思えた。
「それに、もし君が本当に戦いたければ、王太子殿下のことは僕が守るよ。」
ステラはその言葉に目を瞠った。
「王太子殿下が君について戦場に行くことがないように、この城で守られていられるように、僕が押さえる。
そして、この城の中では僕が誰にも手出しはさせない。
…ヴァレンも君と同じように、僕の大切な幼馴染みだからね。」
「レオ様…。ありがとうございます。」
本当に、レオナルドはいつだってステラが欲しい言葉をくれるのだ。
ステラがお側にいられなくても、王国魔術師となれるだけの十分な実力のあるレオナルドが守ってくれるのなら、ヴァレン様は安全だ。
最後の一言に込められた寂しさも、今度は真正面から受け止めて微笑んだ。
またレオナルドに頭を撫でてもらっていると、よく知っている間違えようのない魔力が近づいてきた。
レオナルドもそれに気付いて、さっと立ち上がって防音結界を解除して扉の鍵を開けた。
「王太子殿下のお成り。」
侍従の声がして、ステラも立ち上がって頭を下げた。




