206.師団長の秘術
執務室に戻ると、レオナルドが席を外していて誰もいなかったので、早速父からもらった紙を開いてみた。
紙には一行だけ、「後継者以外に伝えてはならない」と書かれていて、あとはまっさらだった。
執務机に腰かけたヴァレン様が顔を上げてステラに聞いた。
「魔法伯が渡していた物か。」
「そうです。でも何も……あっ」
何も書かれていないと思ったが、紙に僅かに父の魔力を感じた。
ステラが杖先で紙をつつくと、紙から小さな防御結界が飛び出してきた。
恐らく、幻覚魔法を応用して父の魔法そのものを映し出しているのだろう。
一見ただの防御結界にしか見えないが、わざわざ国王陛下の前で渡すくらいだから何か特別な魔法のはずだ。
なんだろうと思って杖先でつついて解析しようとして、ステラは驚愕して目を瞠った。
見たことのない複雑な魔方陣がいくつも組み込まれている。
メモを取るわけにはいかないから、ステラは頭の中のノートに必死に書き留めた。
そして、この防御結界の正体に気づいた。
魔術を無効にする魔術だ。
結界の中は全ての魔法や魔術の影響を受けない空間が保たれる。
この防御結界の中でなら、転移魔術を防ぐ結界の影響を受けることはない。
転移する地点にもこの防御結界を張っておけば、《転移》を防ぐ魔術が施されたこの王城の中でも《転移》することができるだろう。
父が西の門から息を切らさずにすぐに戻って来られた理由と、天覧試合でステラが防いだはずの転移魔術を使えた理由を知って納得したが、この世界にこんなにとんでもない魔法が存在するのかと戦いた。
この結界は普通の結界と違って自分しか守れないし、結界自体を破るのは王国魔術師ならそれほど難しくないから万能ではないが、それでもとんでもない魔法であることには変わりない。
人に伝えてはならない理由がよくわかった。悪用されたら危険すぎるのだ。
この結界で誰かを一緒に囲んだらその者は魔法を使えなくなるから、殺そうと思えば簡単に殺せるだろう。
わざわざ国王陛下の前で手渡したことと「後継者以外に伝えてはならない」の言葉から、恐らくこの国の王国魔術師団長に引き継がれてきた秘術なのだろうと想像できた。
天覧試合の後、貴賓室でステラが国王陛下に父の後継だと認めてもらったのを父も聞いていたから、ステラにもこの魔術を使う権利があると判断してくれたのだ。
そしてこれから帝国の魔術師との戦闘があるかもしれないから、今このタイミングで教えてくれたのだろう。
ステラは頭の中のノートを整理しながら、そっと詠唱した。
「《全ての魔法から我を護れ》」
ステラが詠唱すると、一見するとただの防御結界に見える強力な結界がステラを覆った。
でも、自分の周りにだけ魔力がないような不思議な感覚がある。
結界を《解除》すると、ステラは再び父の結界をつついて頭の中のノートに書き漏らしていることがないか確認した。
魔術を自分の物にできたことを確認してから、父からもらった紙を魔法で燃やした。
「本当に燃やすんだ。」
結界の外からヴァレン様の笑い声がして、ステラははっとして現実に戻ってきた。
「お、お目汚しを申し訳ございません。」
「いや、大事な物だろうに躊躇なく燃やしているのが面白かっただけだよ。」
「命令なので…。」
「そう。」
命令でもあるし、知られてはならない魔法だから燃やした。
ヴァレン様は魔法について何も聞かないので、もしかしたらこの魔法の正体を知っているのかもしれないと思った。
「ステラは見ただけで魔法が使えるようになるからすごいね。」
「他にどうやって学ぶのですか?」
ステラは基本的な魔法の扱い方や魔法の構造は父から教わったが、具体的な魔法は父の書斎にあった本で読んで覚えた物がほとんどだ。
逆に見て学ぶ以外の方法を知らないのでヴァレン様に問うと、お腹を抱えて笑われた。
「ステラは授業を聞いていないの?」
「あっ……」
思えば、学院の授業は魔法を学ぶ場だ。
ステラは授業中は先生の話を聞きながら自分の魔法の改善点を考えているので、魔法を身に付けるという気持ちで授業を聞いたことがなかった。
「本当に君の頭の中が見てみたいよ。」
「お、お恥ずかしいです…」
決して授業を聞いていないわけではないのだが、恥ずかしすぎてぼぼっと沸騰する。
レオナルドが戻ってきてもヴァレン様はまだ笑いの発作から立ち直っていなかった。
ヴァレン様が笑いながらもう一度先程のやり取りを話すと、レオナルドもお腹を抱えて笑った。
「さすがだね、万年首席殿。」
いつも通りからかわれてステラはまたぼぼっと沸騰しながらも、笑い転げるヴァレン様とレオナルドを睨み付けた。
◇◇◇
刻印した《敵》の動きがないまま夜会の当日を迎えて、ステラは朝から湯殿に連行しようとする侍女に必死で抵抗していた。
「お側を離れるわけにはいかぬ。ここで支度を整えよ。」
「王太子妃殿下を磨き上げるのが私共の使命です。どうかお聞き入れ下さい。」
「行きません。」
「なりません、王太子妃殿下。」
今日は磨かれている場合ではない。
むしろドレスではなく王国魔術師のローブで参加したいくらいだ。
ステラと侍女が言い合っていると、横で見ていたヴァレン様が呆れたように笑った。
「じゃあ私も一緒に行くよ。湯殿に。」
「な、なりません!ヴァレン様をお待たせするわけには…」
「じゃあ一緒に入ろうか。」
「入りませんっ!!」
ステラはぼぼっと沸騰して首をブンブンと横に振った。
あんなに恥ずかしい思いはもうごめんだ。
「私と一緒にいる必要があるのなら一緒に入るのが一番安全だろう?」
「王太子殿下のおっしゃる通りです。では妃殿下、早速参りましょう。」
一緒に湯に浸かっている場合ではないのに、侍女がここぞとばかりにヴァレン様に乗せられたのでステラの味方はもういなかった。
火を噴く思いでヴァレン様と一緒に湯殿に行き、磨き上げられるところをじっくり見られて、鼻血を吹きそうになりながらヴァレン様と一緒に湯に浸かることになった。
もちろん、今日は杖を手放さなかったので何もしていない。
恐れ多くもいつもの支度部屋にもヴァレン様に一緒に来ていただいた。
部屋には仕事のできるヴァレン様付きの侍女達がヴァレン様の正装の軍服や椅子を既に準備していて、ステラは抵抗することもできずヴァレン様に見つめられたまま支度を整えてもらった。
今日のドレスはいつものAラインだが、裾がそれほど広がっていないので動きやすい。
ヴァレン様にいただいたネックレスをつけると、ピカピカに輝く本物のお姫様のようになった。
いつもヴァレン様が用意して下さっているのであろうドレスを見て、改めて頭を下げた。
「ヴァレン様、いつも素敵なドレスをありがとうございます。それに、ネックレスも大切にします。」
ヴァレン様は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐににこっと笑って言った。
「本当は毎日着せ替えたいんだけどね。」
「ひっ…だ、大丈夫です…。」
そんなどこかのお姫様みたいな生活は自分には無理だと思って戦いたが、そういえば本当にそうなったのだと思い出して青ざめると、ヴァレン様に肩を震わせながら笑われた。




