197.幸せは薄氷の上に
入学式の翌週、ヴァレン様の社交の合間を縫ってどうにか学院に行けそうな日を見つけたので、ステラは朝から制服のローブに着替えていた。
「それを着るのもあと一年か。早いな。」
「私も来年には卒業なんて、不思議な感じがします。」
出会ったときはまだ一年生だったので、自分が四年生になったのも不思議な感じがしてしまう。
「学生を味わっておこうかな。」
そう言って不敵に微笑まれたので、ステラは慌てふためいた。
今日は学院のローブなので馬になんて乗って目立ってしまう。
「ヴァレン様、なりません。時間が…」
「じゃあ帰ったらそのまま執務室においで。」
「……はい。」
それはそれで恥ずかしくて耳まで沸騰したけど、ヴァレン様は麗しく微笑まれた。
この上なくご機嫌なヴァレン様を執務室まで送り届けるとレオナルドに怪訝な顔をされたが、ステラは理由を聞かれる前にそそくさと学院に向かった。
いつも通り民衆に囲まれながら、馬車に乗って学院に向かう。
車窓に向かって時々手を振るとその度に地響きのような歓声が起きた。
自分にそこまでしてもらう必要はないと思いつつも、「王族を敬う者が多いということは王族がこの国を護れている証」というヴァレン様の言葉を思い出してその気持ちを微笑みに変えた。
近衛騎士に守られながら学院に入ると、すれ違った下級生がステラを見て慌てて頭を下げた。
頭を下げる必要はないのだが、この前の甘すぎるヴァレン様といるところを見られているので声をかける勇気もなかった。
たくさんの下級生に頭を下げられながら四階までの長い階段を上って教室に向かう。
四年生の教室のある廊下にたどり着いて、ここまで来るのにも息を切らしていた一年生の頃の自分を思い出した。
今はこの程度では息は切れないので、自分の成長を感じて嬉しくなる。
ステラが教室に入るとどよめきが走った。
その原因は明確なので、ステラはぼぼっと赤面しながら足早に自分の席に向かった。
「ご機嫌麗しゅうございます、王太子妃殿下。」
からかうような声に顔を上げると、クリスフォードとドラードが連れ立ってニヤニヤしながらステラに頭を下げていた。
「…もうっ!恥ずかしいから忘れて。」
ステラが睨み付けると、けらけらと笑いながら去って行った。
結婚式といい入学式といい、散々見せつけられた後なので恥ずかしすぎる。
「おはよう、お二人が熱すぎて目の毒だったわ。」
いつもの声がして振り返ると、アリスがニコニコと明るい笑顔で挨拶をしてくれた。
「おはよう、アリス。本当に忘れてほしいわ。
式に来てくれてありがとう。それから、弟さんの首席入学おめでとう。」
「こちらこそありがとう。聞いたときは驚いたわ。いつの間に勉強していたのかしら。」
ステラが笑顔で伝えると、アリスも笑顔で返してくれた。
「私も式で見て驚いたわ。それに、アリスと弟さんって本当にそっくりよね。」
「よく言われるわ。」
アリスが明るく笑い飛ばすので、ステラもつられて笑った。
「それはそうと、あなた宝石は苦手だって言ってたのに、すごいものをつけているわね。」
アリスが眩しそうに目を細めるのでなんだろうと思って視線を辿ると、胸のネックレスだった。
「そうかしら…。殿下が誕生日に下さったの。だいぶ控えて下さったからありがたいと思っていたんだけど…。」
「控えめの概念が違うわ。その大きさのダイヤモンドって、きっと目が飛び出るくらい価値があるわよ。」
「そ、そうなのね。わ、私、しゃ、社交に疎いから…」
「王太子殿下はあなたを丸め込むのがお上手ね。すっかり乗せられてるわよ。」
「ひっ……」
たしかに、一年生の頃のステラならこの大きさのピカピカに輝くダイヤモンドを送られたら恐れ多さに気絶していたことだろう。
アリスの言う通り、いつの間にかヴァレン様のペースに乗せられていることに気付いて、あれもこれも恐れ多くなってきた。
急に胸がむず痒くなってきて顔をしかめるとアリスに笑われた。
その後、午後の防御魔術の授業ではクリンプトン先生にこの上なく恭しく頭を下げられて、目が合う度に不気味なくらい微笑まれた。
一日中みんなにからかわれて、下級生からは過分なほどに敬われたので火を噴くほど恥ずかしかったが、王城では味わえない等身大の自分でいられる時間がありがたかった。
この日々もあと一年で終わるのかと思うと寂しくなってしまって、ヴァレン様の言う通り、なるべく学院にも通おうと思った。
そしてヴァレン様の言いつけ通り、学院から帰って制服のまま執務室に向かうと、案の定ご機嫌なヴァレン様に私室へと連行された。
レオナルドは合点のいった顔をした後、呆れながらも文句は言わずに見送ってくれた。
◇◇◇
翌日、王城で移動しながらヴァレン様の護衛をしていると、左手の人差し指に嵌めた王国魔術師団の紋章の入った指輪がほんのり熱くなった。
父から呼び出されているのだ。
今日は近衛騎士に加えて先ほど警備部隊の魔術師も警護に加わったので、父が送ったのだろう。
ステラはヴァレン様に近づいてこそっと耳打ちした。
「王太子殿下、申し訳ございません。
師団長から呼ばれています。行ってもよろしいでしょうか。」
「…いいよ。終わったらすぐに帰っておいで。」
「承知しました。それでは、失礼いたします。」
少し不機嫌そうなヴァレン様に頭を下げると、ステラは王国魔術師団の本部に急いだ。
父との訓練のときは唐突に呼び出されることがほとんどだったので、わざわざ警備部隊の魔術師を送ったということは訓練ではないのだろう。
悪い話ではないことを願って、師団長室をノックした。
「失礼いたします。ステラが参りました。」
「入れ。」
父の声で入室して敬礼すると、中には王国魔術師団の全部隊長がいた。
よくない話な気がして、ステラは気を引き締めた。
「お待たせして申し訳ございません。」
「気にするな。そこにかけてくれ。」
「恐れ入ります、師団長。」
ステラが戦闘部隊長の横に腰掛けると、諜報部隊長が口を開いた。
「今皆と話していたのですが、あなたにも伝えておきます。
帝国が、王城への襲撃を企てています。」
「…いつでしょうか。」
ステラは一瞬目を瞠ったが、すぐに気持ちを切り替えた。
「はっきりしませんが、恐らく五月の夜会の日だと思われます。門の警備が手薄になることを連中は掴んでいます。」
「承知しました。」
聞きたいことは山程あったが、それをこれから部隊長達で話し合うのだろう。
この場に副部隊長であるステラも呼ばれた理由も気になったが、とりあえずは頷いた。
ステラが入室したのは話し合いの途中だったようで、議論が再開された。
「何とかして門で防ぐことはできないだろうか。」
警備部隊長が諜報部隊長に問う。
「その気になれば貴族を殺して、その者達を装って侵入するでしょうね。」
「…そうなると難しいな。」
諜報部隊長が顔色を変えずに答えた。
警備部隊長はまた思案するように眉を寄せた。
ステラは報告をしなければいけないと思い出したのと、気になっていることがあったので聞いてみた。
「発言を失礼いたします。
私は結婚式の際に帝国の皇帝陛下の近衛魔術師にも《刻印》をすることに成功しました。
皇太子殿下の近衛にはすでに《刻印》をしていますので、帝国の近衛魔術師が関わっているようなら門をくぐれば私の結界魔術に引っ掛かるかと存じます。
それと、連中は転移魔術を使えます。
侵入されたとして、転移魔術に対する備えはどうなっていますか?」
ステラの質問には父が答えてくれた。
「そうか。よくやった。近衛魔術師が絡んでいればいいのだがな。
もしお前が《刻印》した敵を感知したらすぐに知らせてくれ。
転移魔術の件は、今日にでも城内で転移魔術が使えないように結界を張る。お前も使えなくなるから気を付けろ。」
「承知しました、師団長。」
ステラは父に敬礼をして、頷いた。




