183.大切な人
結婚式の打ち合わせをしながら訓練や学院に通っていると、あっという間に期末試験の時期を迎えた。
試験初日の朝、ベッドでぼーっとしているとヴァレン様が気遣わしげにステラの頬を撫でた。
「勉強する時間がなかったけど大丈夫?」
ヴァレン様の言う通り、最近は忙しくて全くといっていいほど勉強していないが、ステラの心は凪いでいた。
「ヴァレン様の尊いノートを暗唱できるほど読ませていただいたので大丈夫です。」
「そう。それならよかった。」
あの辛い時期の唯一の糧が、ヴァレン様の尊い国宝級のノートを読み込む時間があったことだ。
その美しい字を何度も辿ったので、ステラは四年生の分まで暗唱できるほど覚えていたのだ。
ヴァレン様はクスクスと笑ったかと思うと、急にステラをベッドに押し付けて組み敷いた。
「じゃあまだたっぷり時間があるね。」
いつの間にか濃い金色の瞳が色気に満ちていた。
それとこれとは話が違うのでステラは慌てふためく。
「し、試験に差し支えます! 」
「純粋な学生の邪魔をするのも悪くない。」
「な、なりませ……んっ………ヴァレン…さま……っ……だめ……」
首筋に唇を押し付けられると、ステラはもう抗えなかった。
試験の日の朝にこんなことをする背徳感でいつも以上に恥ずかしくて、いつも以上にその手と唇に夢中になってしまった。
ヴァレン様が体を離してくれてふと我に返って、時間を見て慌てて飛び起きた。
馬で駆けるほどではなかったが馬車では遅刻ギリギリの時間になっていたので、ステラはいつかのようにヴァレン様を睨み付けながら学院に向かった。
◇◇◇
期末試験はつつがなく終わった。
やはりあのノートは国宝級に尊い。
試験の答えは全てあの美しい字で書かれていたので、満点をとれてもおかしくないほど自信があった。
今学期の学期替わりの実技試験は魔法戦だが、それもあっけなく終わった。
試験会場にステラが現れるとクリンプトン先生が不気味なほどにっこり微笑んで臣下の礼をとり、恭しく頭を下げて言った。
「王太子妃殿下、恐れながら殿下の才とお力はよく存じ上げております。
どうぞこのままお帰りください。」
本当に点数をつける気を失ったクリンプトン先生に何もしないまま帰されたが、誰からも文句は言われなかったのでステラも何も言わないことにした。
同じくクリンプトン先生が担当する防御魔術も一応は実技試験を受けたが、初めに何かを書き込んだきり、にっこりと不気味なほどの笑みを向けられ続けた。
まためちゃくちゃな点数をつけられたのだろうと思った。
試験の最終日を終えて、帰りの支度をするアリスに恐る恐る声をかけた。
この日の朝、ヴァレン様からヴィルゴー伯爵家への結婚式の招待状を受け取ったのでアリスに手渡したかったのだ。
「アリス、この後話があるんだけどいいかしら。」
「あら、珍しいわね。それなら寮に来る?」
「いいの?」
「勿論よ。私もあなたが来てくれると楽しいわ。」
「ありがとう。ではお邪魔させていただくわ。」
皆の前で王家の紋章のついた招待状を差し出すのは気が引けたので、アリスの気遣いをありがたく受け取った。
懐かしい寮への道を、アリスと並んで歩いた。
「あと一年と少しで卒業って不思議よね。きっとあっという間だわ。」
「そうね。」
アリスがしみじみと言った。
年が明けたら授業の期間は短いので、あっという間に四年生になってあっという間に卒業を迎えるだろう。
でもその前にステラは人生一の大イベントを迎えるので、あっという間とは言いきれなくて曖昧に頷いておいた。
ヴァレン様との式の日程は既に公表されているはずだが、寮で暮らす学院の生徒にはまだ伝わっていないのだろう。
知らない様子のアリスを見て、ステラは緊張する心を気取られないように必死に押し殺した。
女子寮は男子禁制なので近衛騎士には寮の入り口で待ってもらって、アリスと二人で廊下を進んだ。
「どうぞ、入って。」
「ありがとう。お邪魔します。」
久しぶりに入るアリスの部屋は変わらず可愛らしくて女の子らしい色合いでまとめられていた。
ステラは慣れない女の子らしい空間により落ち着かなくなって、きょろきょろと部屋を見回した。
「そんなに大事な話なのね。どうぞそこにかけて。」
「ア、アリス、ご、ごめんなさい。」
アリスがステラの緊張を見透かしたように明るく笑って言うので、おどおどしながらもお言葉に甘えてソファに座らせてもらった。
「お茶でいいかしら。」
「ええ、わざわざありがとう。」
手早く二人分のお茶を淹れてくれるアリスを見ながら、ステラはローブの懐に忍ばせた招待状を握りしめて決意を固めた。
とびきり美味しいアリスの領地のお茶をいただいて息をついていると、アリスがステラを覗き込んだ。
「それで、話ってどうしたの?」
「え、えっとね…」
ステラは呼吸を整えて、ローブの懐から招待状を取り出した。
封筒の表は王家の紋章が透かしてあり、ヴァレン様の美しい字で「ヴィルゴー伯爵家の皆様へ」と書かれていて、裏面は同じく王家の紋章で封蝋してある。
見るからに高貴な封筒に、アリスは目を瞠っている。
「三月に、王太子殿下と結婚式を挙げることになったの。
アリスはずっと私たちのことを見守ってくれていた大切な人だから、ぜひ来てほしくて…。」
ステラがアリスの目を見て言うと、みるみるうちにその目に涙が滲んで、端からぽろぽろと溢れ落ちた。
「ア、アリス。どうしたの?大丈夫?」
ステラがおろおろと慌てながらハンカチを手渡すと、アリスは泣きながらも明るく笑ってくれた。
「驚かせてごめんなさい。私、嬉しくて…。
お二人の結婚式に参加できるなんて、夢のようだわ。」
「アリス…。本当にありがとう。」
「きっとすごく素敵な式になるんでしょうね。今から楽しみだわ。」
「恐れ多いけど、アリスに見てもらえたら私も嬉しいわ。」
涙を流しながら喜んでくれるアリスを見て、ステラも嬉しくなって微笑んだ。
恐れ多い感情が先行していたけど、アリスがこんなに喜んでくれるならステラも結婚式が少しだけ楽しみになってきた。
「もしかしてこれって王太子殿下のご直筆…?」
封筒の表面に書かれた流れるような美しい文字を見て、アリスが恐る恐る聞いた。
今朝封筒を受け取るときに、ヴァレン様が目の前で書いてくださったのだ。
他の家への招待状には侍従が宛先を書いていたが、ステラの気持ちを汲んでくれたのか、「ヴィルゴー伯爵には世話になったから」と言って自らしたためてくださった。
「そうなの。ヴィルゴー伯爵にはお世話になったからって、書いてくださったの。」
「…国宝級ね。お父様に手渡すまで触れないでおくわ。」
アリスがハンカチを取り出したのを見て、ステラはいつかの自分を思い出して笑ってしまった。
「私があなたならきっと同じことをしたわ。」
ステラが言うと、アリスはまた嬉しそうに微笑んでくれた。
それからはドレスの話や式場の話を根掘り葉掘り聞かれた。
式は王都で一番大きい大聖堂で行われるが、ステラはヴァレン様にお任せしていたので詳しいことは何もわからなかった。
ドレスも仮縫いで何となく見ただけなので答えられなくておろおろしていると、アリスに笑いながら言われた。
「あなたってそういうの苦手そうだものね。」
「まともに考えたら気絶しそうだから、殿下の護衛として参加するつもりでいるわ。」
「王国魔術師のときのあなたはかっこいいけど、あの顔で式を挙げたら天の神様も驚かれるわ。」
アリスの言葉で大聖堂で着飾って立つ自分を考えてしまいそうになって得意の感情を押し殺した顔をすると、アリスは涙を拭いながらまた明るく笑ってくれた。
「あなたには笑顔が似合うわ。いつも以上に熱いお二人を見られるのが楽しみよ。」
「なっ…何もされないと思うわ。た、たくさんお客様をお招きするのだし…。」
ステラはそう言いながらも、ヴァレン様なら喜んで見せつけそうだと思ってぼぼっと赤面した。
それから日が暮れるまで、アリスと結婚式の話や今までの話をたくさんした。
第一王子殿下の護衛として参加した入学式の話をしているときに、アリスが思い出して涙を流し始めたのでステラももらい泣きしてしまった。
そこからはなぜか二人とも涙腺が崩壊して、涙でぐちゃぐちゃになりながら話明かした。
泣き腫らした顔で王城に帰るとヴァレン様は一瞬ぎょっとした顔をした。
でもすぐに察したのかクスクスと笑われて、優しく抱き締めて頭を撫でてくれた。




