131.父の涙
ヴァレン様はステラの腰を抱えたまま執務室に向かわれた。
いつの間にか侍従と侍女と騎士達もついてきていて、久しぶりの感覚に恐れ多さよりも懐かしさを感じる。
侍従が扉を開けると、三ヶ月以上ぶりに入るヴァレン様の執務室が懐かしくて笑みが漏れてしまう。
「…懐かしいですね。」
思わず口に出すとヴァレン様はぽんぽんとステラの頭を撫でて、いたずらっぽく微笑んだ。
「何も変わってないね。そのカウチとか。」
ヴァレン様がなぜか意味深に言うのでステラは一瞬考えて、瞬時に耳まで沸騰した。
父にヴァレン様が幽閉されるかもしれないと聞いた日、気持ちが抑えきれなくてその応接用のカウチで何度も体を重ねたのだ。
侍従や侍女達がいる中で何も言い返せなくて真っ赤になって口をパクパクさせるだけのステラを見て、ヴァレン様はクスクスと笑うと、何事もなかったかのように執務机に向かわれた。
ステラは内心は崩れ落ちそうなほど動揺していたが、今日はどうしても行かなければいけない場所があったので感情を抑えてそっと口を開いた。
「王太子殿下、私は王国魔術師団に行って参ります。
夕方には戻りますが、お側を離れることをお許しください。」
ステラが頭を下げると、ヴァレン様はいたずらっぽく微笑んで言った。
「許そう、戦闘副部隊長。」
「…恐れ入ります、王太子殿下。失礼いたします。
ヴァレン様が胸に響く声で言うと妙に気恥ずかしくなるが、ステラは気を引き締めて王国魔術師団の本部に向かった。
王国魔術師団の本部に着くと、ちょうど父も本部に戻ってきたところだった。
ステラは敬礼をして父に頭を下げる。
「ちょうどよかった。一緒に来てくれ。」
「はい、師団長。」
ステラは父の後について行き、師団長室に入った。
「ステラ、頑張ったな。」
扉を閉めて振り返ると、父に微笑みながら急に言われてステラは驚いて固まってしまう。
そして、ステラが父の実の子ではないことが皆に知られたことを改めて実感して、悲しくなって目を伏せた。
「お父様…。私のために、ありがとうございました。」
あの証明書には父のサインもあった。
ステラは感謝と謝罪の気持ちを込めて頭を下げた。
「気にしなくていい。ノクティス公爵様がステラのことをご存知だったのは驚いたが、上手くいってよかったよ。」
「私も驚きました。……お母様はなんと…?」
ヴァレン様がどういう形であの証明書を取り付けたのかわからないが、もし母がノクティス公爵と会わなければならなかったのなら申し訳なくて、気になっていたのだ。
「ヴェラもまさかノクティス公爵様が自分とステラを気にかけていたとは思わなかったと驚いていたよ。
それと、ステラから実の父親と会う機会を奪ってしまって申し訳ないと言っていた。」
「そんな。私はお父様とお母様の娘なので、血の繋がったお父様とお会いしたいと思ったことはございませんわ。
お母様にもお伝えいただけますか。」
「そうか。伝えておく。」
父はステラの言葉に微笑むと、そっとステラを抱き寄せて頭を撫でた。
「お前は父様の誇りだ。
自分の使命を立派にやり遂げたな。」
父に言われて、ステラは涙が込み上げてくる。
「お父様が、ご協力してくださったおかげです…っ。」
父はヴァレン様に会いに天文台に行ったときも、「巫女の魔法」の話をしたときも、第一王妃陛下に会いたいと伝えたときも、ずっとステラを助けてくれて、背中を押してくれたのだ。
父がいなければ今もヴァレン様は天文台に閉じ込められていたかもしれない。
「お父様は、私の自慢のお父様です。
私の目標で、憧れで、心の支えです。」
ステラは涙ながらに父を見上げて伝える。
父の目にも涙が浮かんだ気がして驚くと、顔を歪めてステラに言った。
「大切に隠してきた娘を王族に奪われたときも泣きたくなったが、今のはくるな。」
「お、お父様…。」
ステラが気まずくなっておろおろすると、今度はいつものように豪快に笑った。
「冗談だよ。王太子殿下と幸せになるんだよ。」
「はい、お父様。」
ステラがほっとして微笑むと、父はステラの体を離して言った。
「あと副部隊長の話だが、実務上は今まで通り近衛魔術師の任務を優先してくれ。」
「は、はい。師団長」
急に上司に戻った父に、ステラは慌てて姿勢を正して答えた。
「私もそうだが、手の空いた時間にこうして本部に来て職務にあたればそれでいい。
ステラは学院もあるから試験が重なったらそちらを優先してくれ。」
「承知しました。」
「戦闘部隊の任務や副部隊長の職務について詳しくは部隊長に聞いてくれ。
今日は部隊長室にいるはずだから行ってみるといい。」
「承知しました。ありがとうございます、師団長。」
ステラが敬礼して部屋を出ようとすると思い出したように聞かれた。
「そういえば、団でのお前の扱いは今まで通りでいいか?
王家の巫女様と呼ばれたければそうするが。」
「け、け、結構です!今まで通りで厳命していただけますでしょうか。」
「承知しました。王家の巫女様。」
父がからかうように笑うので、ステラは真っ赤になって頭を下げて師団長室を出た。
王国魔術師団の本部を部隊長室に向かって歩いていると、皆がぎょっとしたようにステラを見た。
まさか「王家の巫女」として扱われるのかと思って怯えていると、窓に映る自分の姿を見て気づいた。
ヴァレン様に言われて指輪を外してから、ずっとつけていなかったのだ。
慌てて指輪を嵌め直して、息を整えて部隊長室に向かった。
やはりあの色は自分でもぎょっとしてしまうので心臓に悪い。
ヴァレン様のお隣に立つ時以外は指輪をしておこうと心に誓っていると、部隊長室の扉が見えたので気を引き締める。
「部隊長、失礼いたします。ステラ・アルカニスが参りました。」
「入れ。」
扉をノックすると部隊長の声がしたのでさっと入って敬礼して頭を下げる。
「お忙しいところ失礼いたします。」
「天覧試合以来だな。君の武勲は聞いているよ。
君が副部隊長になってくれるとは頼もしい限りだ。」
「恐れ入ります、部隊長。」
部隊長とは天覧試合以外で話したことがないので、ステラは緊張を気取られないよう感情を殺した。
「改めて戦闘部隊の任務と君に頼みたいことを話そうと思うがいいかな。」
「はい。よろしくお願いします。」
ステラはまた敬礼して頭を下げた。
「楽にしてくれ。そこにかけて。」
部隊長の視線の先に応接セットがあったので言われた通りに向かい、部隊長が座った後にステラも腰かける。
「今から話すことは一般的な王国魔術師に向けての話だ。
君は近衛魔術師としての任務が最優先だから、それは忘れないでくれ。」
「恐れ入ります、部隊長。」
ステラが頭を下げて部隊長を見つめると、部隊長も鋭い眼光を放ってステラを見据えた。
「幸い最近は鎮まっているが、戦闘部隊の最大の任務は戦場での戦闘と、魔術による騎士団の支援だ。」
「はい。」
ステラもわかっていたので、静かに頷いた。
「ただ君は近衛魔術師だけではなく王太子殿下のご婚約者様で、王家の巫女様だ。
戦場に動員するつもりはないが、皆はそのつもりで訓練していることは忘れないでほしい。」
「…はい。」
ステラは複雑な気持ちになって俯いた。
もし戦争が起きたとして、仲間が戦場に行くのに自分はぬくぬくと王城で暮らすのは考えられなかった。
でも、部隊長に言ったところで立場は変えられないので一旦頷いた。




