128.尊い色
「謁見の間」を出て廊下を曲がると、急に力が入らなくなって、ヴァレン様に抱き止められる。
「どうしたの?大丈夫?」
「す、すみません、気が抜けて腰も抜けました…」
「…いつものステラだ。」
ヴァレン様はクスクスと笑うと、ステラを横抱きにしてさっと抱きかかえた。
「王太子殿下、なりません!そのようなお立場では…」
ヴァレン様は王太子殿下になられたのだ。
次期国王陛下となられる御方に運んでもらうなんて恐れ多くて体が震えそうになる。
「…それ以上言うなら口も動かなくするよ。」
いつかの舞踏会でも言われた言葉にステラは慌てて口を噤んだ。
あのときはヴァレン様に支配されて手足が動かなかったけど、今のステラはただの腑抜けだ。
情けなさと申し訳なさで青ざめながら私室まで運んでもらうと、優しくベッドに下ろしてくれた。
離さず持っていた儀仗も回収されて机に置かれる。
「す、すみません。ヴァレンさ…王太子殿下。」
名前を呼ぶことすら恐れ多くなっていると、ヴァレン様がいたずらっぽく微笑む。
「王家の巫女様って呼んであげようか。」
「ひっ…お、おやめください…ヴァレン…様……。」
「それでいいよ。ステラは今まで通りでいて。」
「…ありがとうございます、ヴァレン様。助かりました。」
まだ腰が抜けていて起き上がれないので頭だけ下げる。
感情を失っていた三ヵ月分の恐怖と昨日の夜の疲れが一気に腰に来た気がする。
「上手くいったね。」
ヴァレン様がベッドに腰かけてステラの頭を優しく撫でてくれたので嬉しくなって微笑む。
「ヴァレン様をお救いできてよかったです。……これからはずっとお隣にいられますよね?」
これで本当に全て終わって、ヴァレン様とずっと一緒にいられるのか不安になってヴァレン様に聞くと、急に覆い被さられて抱き締められた。
「かわいいことを言わないでくれ。襲いたくなる。」
「え?!ヴァレン様、それはなりません!」
ただでさえ腰が立たないのに、今襲われてしまっては一週間は動けなくなるかもしれない。
ステラが頭だけ動かしておろおろしていると、ヴァレン様は体を離して肩を震わせて笑った。
「冗談だよ。」
「ヴァレン様…。」
ヴァレン様はまたステラの頭を撫でると、その手を離してステラをまっすぐ見つめて言った。
「今度こそステラを離さない。私の隣にいてくれ。」
「…はい、ヴァレン様。ずっとお隣にいさせて下さい。」
その瞳に安心して微笑むと優しい口付けが落ちてきた。
「あの、ノクティス公爵様の件…ありがとうございます。」
ヴァレン様のサインと印があったから、ヴァレン様ご自身が内密に動いて下さったのだろう。
あの証明書がなければ、ステラが「王家の巫女」だとはすんなり信じてもらえなかったかもしれない。
「いいんだ。私に出来ることをしたまでだよ。
ノクティス公爵は君のことを知っていたらしい。
君のご両親が貴族から遠ざけるように君を育てていたから接触はなかったけど、君をずっと気にかけていたと言っていた。」
「そうなんですか…。」
何回か挨拶したときにはそのような素振りは見られなかったのでステラは驚き、困惑した。
「機会があれば話すといいよ。
でも、君はアルカニス魔法伯の娘だということには変わりはないからね。」
「ヴァレン様…ありがとうございます。」
ぽんぽんとステラの頭を優しく撫でるヴァレン様に目線だけ下げてお礼を言うと、本当に腰が抜けていることが面白いらしく、笑いを耐えて肩が震えていた。
その後、湯殿に行くためにやってきた侍女にヨレヨレのよたよたで抱えられていくステラを見て、ヴァレン様はついに耐えきれなくなったのかお腹を抱えて笑われた。
ステラは必死だったので睨むこともできず、侍女に全てを託した。
昨日もほとんど寝ていなかったので、湯殿からベッドに入ると寝た記憶もないまま眠りに落ちていた。
◇◇◇
はっと目を覚ますと、日の光が部屋に差し込んでいて慌てて時間を確認する。
まだ早い時間だったので再びベッドに潜り込むと、ヴァレン様が甘えるようにステラに抱きついた。
久しぶりに気の抜けているヴァレン様を見てステラの心臓はズキュンと音を立てて撃ち抜かれたが、疲れていそうなお顔を見てやはりヴァレン様も気を張られていたのだと気づいた。
戦いを終えてこれからはずっとお隣にいられる幸せを感じて、その柔らかい白銀の髪を撫でる。
その色を見てふと自分を見ると、指輪をつけ忘れていてまだ白銀の髪のままだったことに気付いて慌てて辺りを見回した。
侍女が見つけてくれたようで机の上に儀仗と一緒に置かれていてほっと息をつく。
湯殿には指輪無しで行ってしまったのだ。
腰も気も抜けてしまっていた自分の腑抜けさに恥ずかしくなって、気を引き締める。
そっと起きて立ち上がると、腰はすっかりよくなっていたので安心して机に向かい、指輪を嵌めた。
「ステラ、どうしたの?」
ヴァレン様が眠そうな目を擦って起き上がろうとされていたので、慌ててベッドに戻る。
「起こしてしまって申し訳ありません。指輪をつけ忘れていたんです。」
「…つけなくてもいいのに。」
ステラが再びベッドに潜り込むと、ヴァレン様がステラの栗色に戻った髪を撫でて、また抱え込まれた。
朝のヴァレン様は色気に溢れていて心臓に悪い。
久しぶりのその色気に浸っていたい気持ちはあるが、今日は色気にやられている場合ではないのだ。
「なんだか元気だね。」
「今日から、戦闘部隊の副部隊長になるんです。腑抜けている場合ではありません。」
今日から七月だ。
昨日で長い戦いが終わったので休憩したかったが、自分が戦闘部隊の副部隊長になったのだと思うと、しっかりしなければと気合いを入れ直していた。
それに、期末試験も近づいている。
ステラは燃えていたのだ。
「…いつものステラで本当によかった。」
ヴァレン様はまだとろんとしている瞳でステラの頭を撫でた。
「まだ時間が早いので、ヴァレン様はもう少しお休みください。」
ステラがそう言ってヴァレン様の髪を撫でると、ヴァレン様はステラの胸に顔を埋めた。
そのままチクッとした痛みが走ったので嫌な予感がしてヴァレン様を見ると、濃い金色の瞳に力が戻っていた。
「ヴァレン様、お、おはようございます…」
「おはよう、ステラ。まだ時間があるなら一緒にいようね。」
そう言ってステラをベッドに押し付けると、また腰が抜けそうになるまで溶かされた。
侍女がやってきてヨレヨレになりながら起き上がり、今日も国王陛下に謁見するヴァレン様に合わせて、王国魔術師の正装のローブに袖を通す。
このローブを着ると気持ちが不思議と落ち着いてちゃんと立てるようになる。
「何を見ているの?」
机に仕舞っていた副部隊長の階級章と戦闘部隊の徽章の入った箱を取り出して眺めていると、ヴァレン様に声をかけられたので振り返った。
そのお姿を見て、驚いて目を瞠った。
「ヴァレ…お、王太子殿下…。」
今日も正装をされているヴァレン様は、いつもの黒い軍服ではなく、真っ白な生地に金色の装飾が施された軍服を纏われていた。
ステラは実際に見るのは初めてだったが、父から王太子殿下にのみ許される正装だと聞いたことがあった。
恐れ多くて慌てて目を伏せて頭を下げた。
王城の被服室の仕事の早さに戦きながら、やはり今まで通り接してはいけないのではないかとパニックになる。
頭がいっぱいで、ヴァレン様が近づいて来られていたことにも気付かなかった。
ステラが持っていた箱をひょいと取り上げられると、そのままローブに留めてくれた。
「お、王太子殿下…恐れ入ります…。」
視界に入る真っ白な軍服が恐れ多すぎて目を見られないでいると、くいっと顎を上げられた。
「ステラは今まで通りでいてって言ったでしょう。」
「し、しかし……ふっ……んっ……」
反論しようとした口はヴァレン様の唇で塞がれた。
侍女と侍従がずらっと並んでいるので恥ずかしくてぼぼっと赤面する。
「っふ…ヴァ…レン……さま…おやめください…っ。」
「やっと呼んでくれた。」
ヴァレン様の目が嬉しそうに細められた。
「本当にいいのですか…?」
「私がいいと言ったからいい。
ステラだけは私の名前を呼んでほしい。」
その言葉にはっとする。
ヴァレン様はこれからは国王陛下と第一王妃陛下以外からその名前を呼ばれることはないのだ。
国王陛下に次ぐ地位になったヴァレン様に対して、父やレオナルドでさえもきっとその名前を呼ぶことはない。
ヴァレン様が感じられるであろう寂しさに胸が痛んだ。
そして、自分だけは隣でずっと名前を呼んで差し上げたいと思った。
「わかりました、ヴァレン様。」
ステラがヴァレン様を見上げて微笑むと、ヴァレン様も本当に嬉しそうに微笑んでくれた。
そして何かに気付いたかのように言う。
「ステラ、指輪を外して。」
「…はい、ヴァレン様。」
ステラが右手の中指の指輪を外して髪が白銀に染まると、ヴァレン様はステラの頬に愛おしそうに手を当てて囁いた。
「お揃いみたいだね。」
一瞬、時が止まって考える。
確かに恐れ多くもヴァレン様の白に金色の装飾が入った軍服と王国魔術師の白に金の縁取りが入ったローブは色合いが一緒だし、ステラが指輪を外すと髪まで同じ色だ。
気づいた瞬間、ステラはぼぼっと沸騰して、耳まで茹で蛸になった。
慌てて指輪を嵌めようとして、それをヴァレン様にさっと取り上げられる。
「私の隣にいる時には外していてくれ。」
「そ、そんな…」
今度は恐れ多さと恥ずかしさに真っ青になると、ヴァレン様は真剣な顔でステラの頬を撫でながら続けた。
「君が『王家の巫女』であることはこの国の、そして私の地位の安定にも繋がる。
それに私の物だとわかりやすいしね。」
「……承知しました。ヴァレン様。」
最後にいたずらっぽく微笑まれたが、そう言われては拒否できるはずもない。
《髪の色を変える》指輪はローブに仕舞って、ヴァレン様と一緒に国王陛下の元に向かった。




