112.侵入
「…嵐といえば、幼い頃、領地でお父様と過ごした夜を思い出します。
雷を怖がる私に、絵本を読んでくださいましたね。」
「そんなこともあったな。」
ステラが今しかない、と話を切り出すと父は気付いているのかいないのか、表情を変えずに頷いた。
「今でも覚えている絵本があるんです。『ともだちの ふしぎな まほう』という題名でした。」
父が意図的に遠ざけていたであろう絵本の題名を出すと、父はステラの言いたいことに気付いたようで、片眼鏡越しにじっとステラを見据える。
「祈るだけで皆が仲良くなれるのなら、そうしたいです。」
「本当にそんな魔法があるのならな。」
試すような表情の父に、ステラはその目を見てはっきりと頷いた。
父は一段と厳しい表情でステラを見つめたが、否定はしなかった。
騎士に聞かれても怪しまれないように言葉を続ける。
「絵本の中のお話ですものね。」
「…そうだな。」
そして本題を話そうと、呼吸を整えた。
「…お母様にも、お会いしたいですわ。」
父には伝わるはずだと信じて、意を決して口を開く。
父は一瞬目を瞠ったが、ステラが言いたいことに気付いたようで頷いてくれる。
「そうだな。きっとステラに会いたがっているよ。」
「お会いできる日を楽しみに任務に励みます、師団長。」
話が終わったという意味を込めて敬礼をすると、父はしっかりと頷いてくれた。
ヴァレン様を助け出せる道筋が見えたことが嬉しくて父に微笑んだ後、感情を殺して表情を消してから師団長室を後にした。
また嵐の中を第一王子殿下の執務室まで戻る。
今度は魔力を纏わせずに歩いたのでステラもずぶ濡れになった。
一人になってヴァレン様を救出するための作戦を考えたかったので、あえて濡れることで第一王子殿下のお側を離れようと思ったのだ。
◇◇◇
「ステラ・アルカニス様がお越しです。」
全身ずぶ濡れのステラに侍従はぎょっとしたような顔を浮かべながらも中に声をかける。
「通せ。」
第一王子殿下の声がしたので入室して頭を下げると、すぐに驚いたような声がした。
「顔を上げてくれ。その格好はどうしたんだ?」
ステラが顔を上げると、第一王子殿下は目を丸くして固まっていた。
王族にこんなずぶ濡れの姿で会うなど不敬極まりないだろう。
「外が嵐でしたが、《清め》られなかったためお目汚しを申し訳ございません。」
本当は杖がなくても、魔力が増した今なら清浄魔法くらいはかけられるし、そもそも王国魔術師が雨に濡れるなどあり得ないが、早く私室に帰りたいのでそう言って頭を下げる。
「そんなに濡れてしまっては《清め》たところで風邪をひいてしまうだろう。
今日はもうよいから、湯を浴びて休んでくれ。」
本当に心配してくれていそうな第一王子殿下に少し胸が痛むが、ヴァレン様を捕らえた敵だと思い出して感情をまた殺した。
「有り難きご配慮を賜り、恐悦至極にございます。それでは、失礼いたします。」
ステラが頭を下げると、第一王子殿下の瞳が深紅に染まった。
ステラとヴァレン様の私室にかけられた《魔力を奪う》魔法を発動しているのだ。
ステラは執務室を後にして、侍女にそのまま湯殿に連れていってもらった。
◇◇◇
体が冷えてしまったのではないかと心配する侍女に、ピカピカにしてもしょうがないのにいつも以上にピカピカに磨かれた。
風邪を引かないようにといつもよりしっかりした生地のドレスを着させられて湯殿から帰された頃には、外は真っ暗になっていた。
ステラは私室のカウチに腰かけて、今日の父との会話を思い返す。
「嵐は嫌いだ。敵が紛れ込んでも気付きにくいからな。」
という父の言葉に強烈な違和感を感じていたからだ。
戦場にいるわけでもないのに、何故あの場であのようなことを言ったのだろう。
敵とは、誰だ。
紛れ込むとは、どこに。
考えながら窓を打ち付ける嵐を眺める。
いつもならはっきりと見える天文台が、吹きすさぶ雨で霞んでいる。
激しい嵐に心細くなって、ヴァレン様に会いたい…と思って、はっとした。
敵とは、自分だ。
紛れ込むとは、天文台にだ。
今日なら天文台に侵入しても、嵐に紛れて警備の魔術師に見つからないだろうと父が教えてくれたのだ。
ステラはぱっと立ち上がって、霞んで見える天文台を窓に張り付くようにして見つめる。
この距離ならぎりぎり結界が張れるだろうから、転移魔術が使える。
入り口には警備部隊の魔術師が立っているが、夜は尋問は行われないから中は無人のはずだ。
高鳴る胸を抑えきれなくて、今すぐ天文台に《転移》しようとして、杖がないことに気がつく。
さすがに杖なしで転移魔術は使えない。
落胆して崩れ落ちるようにカウチに腰かけると、ふと正面のワードローブが目に入った。
もしかして、と慌てて立ち上がって駆け寄る。
ワードローブを開けると、父からもらった儀仗が立て掛けられたままになっていた。
いつかヴァレン様といるときに磨いたのでピカピカと輝いている。
杖は王国魔術師団の預かりになっていたけど儀仗は預けていなかったから、父はステラが儀仗を持っていることまでお見通しだったのだろう。
そして、ヴァレン様の《忠誠》のおかげで、この部屋にかけられている《魔力を奪う》魔法がステラには効かないことも父は知っている。
父の優しい手助けに泣きそうになりながら、ステラは儀仗を取り出して握りしめる。
部屋の照明を落として、儀仗をベッドに向けて詠唱する。
「《我の望みし物を映し出せ》」
魔力が段々形付くと、自分そのものの幻覚がベッドで眠っているように見えた。
魔力の密度を高くしておいたから、王国魔術師の目は誤魔化せなくても、第一王子殿下になら気付かれないだろう。
ステラは今度こそ窓に駆け寄って、天文台に向けて詠唱する。
「《囲め》」
透明だから見えないが、天文台の上部に結界を張った。
雨に濡れないよう、自分に魔力を纏わせて呼吸を整える。
今からヴァレン様をこの目に映せるのだ。
溢れそうな涙をぐっと堪えて、また天文台に向かって詠唱した。
「《転移せよ》」
瞬きの間に、ステラは天文台の上空に張った結界の上に立っていた。
高さがある分、地上よりも嵐が激しく感じられて、雨には濡れないが風が強くて飛ばされそうだった。
結界の上にしゃがみこんで、星を見るためにぽっかりと穴が空いている天文台の屋根を見下ろした。
階段上に結界を張ってドーム状になっている屋根の真上に降りる。
中を覗き込むが、室内には警備の魔術師の姿はなかった。
屋根に張られている結界を儀仗でつついて分析すると、やはり父が張ったものだった。
通常の防御結界に加えて、《あらゆる侵入を拒む》という古代魔術による結界が張られているので直接《転移》はできない。
結界を破ったら父には気付かれてしまうが、父が教えてくれたのだから破っていいということだろう。
「《解除せよ》」
強力な結界に思いっきり魔力を込めて詠唱すると、なんとかひびが入った。
そのまま杖でつつくように《解除》を繰り返してひびを広げると、ようやくステラが通り抜けられるくらいの穴ができた。
穴のすぐ下に結界を張って潜り込むように中に入ると、とりあえずの結界を張って雨が入り込まないように穴を閉じておいた。
階段状の結界を作って観測部屋に降り立つ。
観測部屋を囲むように円状に部屋が並んでいる。
このどこかにヴァレン様がいらっしゃる。
喜びで体が震えるが、落ち着いて魔力を読む。
正面にある少し大きな扉越しに魔力を感じた。
他に収監されている者はいないようだ。
立たなくなりそうな足を無理やり立たせて、よたよたと扉に向かった。




