第十話 人間、一度しか死ぬことはできない。命は神さまからの借りものだ
アリスはロバートと向き合ったまま、自分の頭頂部がビリビリと痙攣する感覚を覚えつつ必死で思考を巡らせる。
『とりあえず、皆を巻き込まないようにロバートさんを連れて廃材置き場に移動しなきゃ』
「こっちだよ!」
手を振りながらアリスが走り出すと、ロバートは低く唸り声を上げ、ボタボタと歯の間から涎を垂らしながら追ってきた。
靴屋裏の廃材置き場にて、刃を構えたアリスとロバートはじりじりと互いに距離を詰めていく。
アリスは今や人の姿をした猛獣と化したロバートから、それでも目を逸らすことなく意識を研ぎ澄まし、呼吸を整えた。
二人の動きがピタリと止まった刹那、ロバートが地面が割れる程の踏み込みでアリスの目前へと迫る。
「ッ!」
アリスは体を捻りながら剣を斜めにして頭上に掲げる。
僅かに火花を散らしながら、頭上から勢いよく振り下ろされたロバートの剣を受け流した。
「グウウウゥゥ!!」
自らの渾身の一撃を容易く見切ったアリスに逆上したロバートは、激しく剣を振り回し全く型になっていない、でたらめな連撃を繰り出す。
一見非合理的に見える手当たり次第な攻撃だが、その実ブレーキの壊れたロバートの圧倒的な身体能力から繰り出される斬撃は、床や壁を抉った。
小さな体のアリスがまともに食らえば、それこそ致命傷になりかねない圧倒的な暴力。
対するアリスは剣の柄を腰の後ろあたりに保持し、剣先をロバートの顔に向ける。
プフルークとも呼ばれる、非常に防御力が高い中段の構えだ。
「ウガァアァ」
襲い来るロバートの連撃を、アリスは冷や汗を流しながらも一つ一つ丁寧に捌いていく。
そしてロバートが自分の攻撃が通用していないことに怯むや否や、アリスはまた構えを変える。
剣先を地面に向け、体の前で低く備える下段の構え。
その無防備としか言いようのない構えに舐められていると判断したのか、腰を引いていたのもつかの間、再びロバートが襲い掛かってくる。
『本当に、本当に……もう、戻れないんだね』
一つ覚えの様にアリスの真上から振り下ろされる凶刃が、理性とともにロバートの知性まで溶けてしまったことを示していた。
アリスはこちらへ向かってくるロバートの懐にすばやくステップで潜り込むと、同時にその頸を下から跳ね上げて斬る。
「グギャア、ァ」
断末魔の絶叫を上げるロバート。ブチブチと音を立てながら彼の肉は斬れ、その頭がぼとりと地面に落ちる。
少しの間、痙攣していた彼の胴はピタリと動きを止めた。
しばらくアリスはぼうっと放心し、宙を見つめていた。
しかし、少し視線を動かせば嫌でも目に入ってしまう。〝彼〟の姿が。
『え。ろばーとさん、しんじゃったの?なんで、あ、わたしが?ころしたから……』
目に映る惨状がぐるぐると回転し始める。
アリスの持ったサーベルから赤く生暖かい液体がぴちょん、と滴り落ちた。
「はあっ、はあっ……わ、私……」
カタカタと剣を持つ手が震え、彼女の瞳孔が激しく揺れる。
呼吸が乱れて、耳鳴りがした。鼻を突く鉄の臭いが、これが夢ではないことを無慈悲に告げていた。
「あー。やっちゃったか……」
静寂を破ったのはここ数日でさんざん聞いた、あの胡散臭い声だった。
暗い室内に場違いな軽い足跡が響き、気怠げな金色の瞳がゆっくりとこちらに近づいてくる。
その憎たらしい男は赤髪を揺らして、いつもと変わらない様子でぽりぽりと首の裏を掻いた。
「お、オズワルド。ねえ、あんたの言ってたことが、正しかったのかもしれない」
「ん?」
首を傾げるオズをよそに、ガタガタと震える自らの肩を抱いてその場にしゃがみ込むアリス。
『……私、ロバートさんを助けられなかった。ロバートさんは、親友のノックスさんの手で死にたいって言ってたのに、私が邪魔しちゃったんだ。人まで殺して……私は結局、何しに来たんだろう』
悔しくて、寂しくて。そんなことを思う資格は自分にはないと分かっているはずなのに、アリスの視界は滲み鼻水が溢れてくる。
オズの前で泣きたくないと、アリスは必死で感情を押さえ込もうとするが、その努力はあまり意味をなさなかった。
顔をべちゃべちゃにして嗚咽を漏らすアリスを前に、オズは大きな欠伸をしながらこれから先、この嬢ちゃんをどうしたもんかと考える。
『アリス・シグナリス……。俺の旅に同行させたはいいけど、まさかここまで大事に首突っ込んじゃうとはね』
やがて、オズの耳に騎士団の足音が聞こえてくる。
「嬢ちゃん、打ちひしがれてるとこ悪いが、事情聴取の時間だぜ。本来ならお疲れの嬢ちゃんを背負ってあげたいとこだけど、おじさんも大の大人一人を騎士団の駐屯所まで担いで筋肉痛だから、自分で歩いてくれる?」
胡散臭い赤髪の男は相変わらずの憎まれ口を叩きつつ、やってきた騎士たちに少し前オズがここにいた時点での状況をそのよく回る口で説明していた。
騎士団によってアリスとオズが店頭で事情聴取を受けている頃、花屋の窓からはやさしいオレンジ色の光が差し込む。町はもう夕暮れ時だった。
「だから、この事件の全容はさっきから俺が説明してる通りなんだが?」
「それは貴公の見解だろう。私たちは、青いワンピースを着た彼女からも証言を聞きたいんだ」
騎士団のリーダーと思しき男性が俯いて黙りこくっているアリスを指さし、オズはやれやれと首を振る。
『嬢ちゃん、絶対〝全部私のせいだよ!〟とか言って話をややこしくするだろうからな。騎士団の兄ちゃんたちは俺が何とかやり込めるから、できれば最後まで黙っててくれるとありがたいんだけど』
「嬢ちゃーん、騎士の兄ちゃんはこう言ってるけど、全然無理して話さなくていいからね」
小声で耳打ちするオズの願いもむなしく、アリスはその重たい口を開いた。
「……全部私のせいだよ」
「それは、どういうことだい?」
男性の目が鋭くなったのを見て、オズは心の中に大きなため息をついた。
『ほーら、言わんこっちゃない。……仕方ないなあ。夜になると流石に人の目が減って店の商品が心配だし、さっさと帰るためにも俺がフォローするか』
オズが重い腰を上げて話を切り出そうとしたその時、3人の会話に割り込む者がいた。
「いえ、その人たちは僕らの命の恩人です。先ほど赤髪の男性が話したことは全部本当で、僕が介錯できなかった恐化病の友人を代わりにその女の子が救ってくれたんです」
頭に包帯を巻いたノックスはふらつく足で、けれどしっかりと前を見据えて言い放った。
「そんな……だって、私は」
「隊長、ハンターギルドの方に確認しましたが、やはりロバート氏が恐化病に感染し、友人に介錯を依頼したことは間違いなさそうです」
言いかけたアリスを遮って、一人の兵士が花屋の扉を開け報告する。
「しかしです隊長。失礼ながら何の武術の心得もない10歳未満の少女が、身体能力が大幅に強化された恐化病患者を倒せるとは思えませんが」
「こう見えても私15歳だよ。あと、剣術ならお父さんと孤児院の先生に習った」
その声に、先ほどまで疑いが声に滲んでいた男性ははっと顔を上げる。金髪にまっすぐな青い瞳を持った少女の顔は、確かに彼の記憶にある顔と酷似していた。
「失礼だが君、名前は?」
「?アリス・シグナリスだけど」
「!ということは、隣にいる貴公はオズワルド・ディティーニか!」
隊長と呼ばれた男性は目を見開くが、アリスやノックス、周りの騎士たちは首を傾げる。
「分かった。この件は私が預かろう。……君たちに悪いようにはしないと約束する」
男性はひとりでに頷き、オズに向かってその手を差し出した。
「そりゃどうも」
オズは帽子を目深に被り、男性の手を握り返す。
二日後、ガタガタと幌馬車に揺られながらアリスは荷台にある樽の上に座り込み頬杖を付いていた。
その蒼い瞳は未だ水分が溜まり、ラピスラズリの様に輝きつつ潤んでいる。
一方でオズは懐から取り出した宝剣アトラスの鞘を手入れしつつ、気怠げな目でちらりと金髪の少女の方を見やる。
「なんだ、まーだ落ち込んでんのか、嬢ちゃんは。今朝俺に啖呵切ったときは、あんなに覇気があったってのになあ。確かになんだかんだはあったけど、俺たちが即ブタ箱行きにならなかっただけ、ノックスと騎士団の兄ちゃんに感謝しとこうぜ?」
ぼーっと外の景色を眺めていたアリスは、オズの言葉にバッと勢いよく振り返る。
「はぁ!?落ち込んでないから!あんたに感謝とか言われたくないし」
「まあ、嬢ちゃんの方が俺よりも誠意あるってのは言えてるかもな。あ、それと王都に着いたら起こして頂戴ね」
オズは大きく欠伸をすると、懐に宝剣を仕舞い込み帽子を深く被る。すぐにグーグーと寝息が聞こえてきた。
反射的にオズを殴りたくなり立ち上がるが、右手にはまった腕輪が金色に輝きだしたのを見て、慌てて樽に座り直す。
『絶対に置き去りにしてやる』
アリスはオズをジロリと睨みつけると、ふと疑問が浮かんだ。
「そうだよね。普通、感謝するのは私の方なのに……なんでノックスさんはあの時、ありがとうって言ってくれたんだろう。だって、いくら命を救ったって言っても、私は二人の邪魔をしてノックスさんの親友を殺したんだよ」
目を閉じたアリスの脳裏に、一昨日――あの事件が起こった次の日が思い起こされる。




